長倉ハルセの愛しい人
ハルセとロディの関係が何かしら進んだ事は、学祭が終わった頃にそれとなく周りに察せられてしまった。
当事者のハルセは周りに知られたと気づいていなかったのだが、智から見るに、ハルセとロディは現在進行形で幸せオーラを振りまいているらしい。
「ほら、婚約した後のAIファルさんとAIロディ君みたいな」
「──駄目じゃんっ」
学生食堂の片隅でハルセは思わず声をあげてしまう。
金曜日は兄も一緒だ。斜向かいで話についていっているのかいないのか、食後のお茶を含んで呆れたような目で妹と目の前の友人を見ている。そのロディはドレッドヘアを揺らし、何でー? と可愛く首を傾げた。
(つまりアレでしょ、ひたすら図書室に居て、何しに学校来てんだってツッコみたくなるような有様だったヤツ!)
恥ずかしさに手で顔を覆うと、カワイー、とロディがでれでれしている。二十歳になってひと月あまり経つが、彼は万事このようになっていた。ハルセのやる事なす事に変なフィルターをかけている。同席した時に兄が遠くを見るような目になる頻度がスゴイ。もはや相方へのツッコミを放棄している。
「だいじょーぶだいじょーぶ。ハルはちゃんと講義に出てるし、課題も抜かりない。僕が保証するよ」
「そりゃ……ロディに負けてらんないもの」
実を言って彼は留年生ではなく、二度目の聴講生として一年間申請しているそうだ。だから当初から、きっちり横で授業を受けている。ハルセだってサボる気には到底なれなかった。
ロディは柔らかく口角を上げて、空になった食器の乗るトレイの脇に頬杖をついた。向かいに言う。
「そういやあのゲームの製品版が送られてきたんだ、テツ要らない?」
「要らんな。恋愛ゲームだろ」
応じつつ隣の智を見る。智はちょっと首を振った。
「わたしの所にも昨日届きました」
「ウチにも来たから、ここの三人は持ってるよ、兄ぃ」
「テツ、女の子の知り合い智チャン以外に居ないのー?」
面白そうにロディが問う。おらんな、とテツは鼻で息をついた。
(もう少しこう、何か言って欲しいけど。けど、智ちゃんがサークルの人達と居る時より自然体なの、兄ぃは知らないだろうしなぁ)
内心でやきもきしているハルセの横で、もー、とロディはにんまりしている。彼もそれ以上は踏み込まない。ハルセに顔を向けた。
「んじゃ、ハルの知り合いで誰か欲しそうな人にあげる」
ロディはジャンルどうこうより『ニジ飽き』は特に、自分を攻略するようなものになってしまうから、遊ぶにしても微妙だろう。
ハルセは何となく、折に触れ声をかけてくれた七美を思い出した。何でも経験と言っていたから、遊んでみるかもしれない。
「声かけてみる」
携帯端末を引っ張り出してメッセージを送った。やってみたい、と昼休み中に返事が来た。その場でロディとも都合をつけ合って、近いうちに渡す段取りがついた。
数年後、これがきっかけで七美は件のゲーム会社に就職する。更に年を経てからはキャラクターデザインの分野で六波羅と双璧を成すようになるのだが、この時は誰もそんな事を予想できるわけもない。
「あの会社が今度出すダンジョン探索RPG、楽しそうなんだよ。みんなで遊ぼうよ」
ロディがそんな事を言い出して、そっちなら、とテツが顎を引き、やりたいです、と頬を染めた智が乗り気になって、いいね、とハルセもふにゃっと笑っていたりした。
十二月十二日、予定通り恋愛シミュレーションゲーム『ニジゲンに飽きたトコロ』が発売された。
先行予約もかなりの本数が入っていたそうだ。クリスマス前で財布の紐が緩んでいる人も居るし、タクトロスから抜けきっていないファンも手を伸ばしたりして、好調な売れ行きらしい。
ハルセはソフトが届いたものの未開封である。僕でいいでしょ、とロディがぐいぐい来たからだ。
「二次元もういいでしょ──本物がここに! あんなコトやこんなコトもできる本物が居るんだからっ」
ぎゅうぎゅう抱き締めてこられると、落ち着く香りと体温に加え、速めの心音が伝わってくる愛しさに、ハルセも言い分に頷かざるを得ない。
大学は冬期休暇に入り、自分の誕生日はスルー態勢だったロディがクリスマスイブになったら朝から長倉家にやって来た。
ウィッグは無しだった。ニット帽とサングラスと黒マスクの泥棒みたいな風体だった。遅くならないうちにお送りします、と両親にしれっと宣誓してハルセを盗み出すと自分のマンションに連れ込んだ。
わざわざ人の多い場所に行くよりいいよね? と囁いて、するすると導いたのはこの前より何処となくムーディーに整えられた寝室である。
採光少なめで、小洒落た観葉植物が登場し、シルクらしき寝具になっていた。ベッドのヘッドボードには枕の奥にふかふかしていそうなクッションが並んでいる。ミニテーブルに氷の浮かぶピッチャーとグラスだの、ボディーシートだのまで揃えてある。無駄にやる気が満ち溢れていた。
何処に出かけるのかと思えば覚えのあるルートだったので途中から察しがついていたものの、全くもって残念なイケメンである。おかえりなさい、こんにちは、と入口で挨拶してくれたコンシェルジュにハルセは変な愛想笑いしかできなかったというのに。
「いいけど……もう、あんないっぱいしない」
「日が暮れるまで何時間あると? 僕ら身体の相性とかいうヤツもすっごくイイみたいだもん。一回こっきりなんてヤダ。君のくれた誕プレまだ残ってるし、年内に使い切ろう?」
「は──? アレまだたくさんあったよっ? 結婚した後だって使えるんじゃないの」
「まさかぁ。結婚前にとっくに新しいヤツ買ってるよ。今のうちに買っとくね」
「えぇえええ⁉」
「あは。目がまん丸のハルもカワイー」
蕩けるように緑がかった目を細めて抱き着いてくるから、こうなったら真冬の日光浴をすべくハルセも抱き返すことにした。
年が明け、ハルセは成人式に袴で出席した。
小豆色の無地袴に白地に金糸の流水紋が躍る中振袖。薄い黄色と淡い緑の小花も散らしてあって、ちょっと可愛い感じにもなっていた。耳の近くに短髪にも合う白い花がメインの髪飾りも付けてもらった。記念写真を撮った時に両親がちょっと目を潤ませていた。
智は地元の式に出る為に帰省していて、ハルセが出席した会場には小学校や中学校で机を並べていた面々がすっかり成長して参加していた。中には高校の同級生も数人居る。こちらは装いこそ大人びているが、記憶に新しい顔つきで大体誰か判る。
女性は煌びやかな振袖が大半だったけれど、浮いてしまうほどではない数で袴の子も居て、ハルセも周りに溶け込むことができた。
ハルセは十代の殆どを男装に拘っていたものだから、同級生に割と覚えてもらえていた。綺麗になったねぇ、と褒めてくれる人までちらほら居た。声をかけてくれて思い出せるような面々は概ね大人っぽくいい顔つきになっている人が多く、自分もそうあれるように気を引き締める。
式典は滞りなく終わり、会場を出た所で何人かと一緒に写真を撮ったりする中、根古塚さん来てないみたいだね、と男性の一人が言った。
女性達が目を見交わす。陽毬は社交的で顔が広かっただけに同性間では情報が回っているのが判る。証明するように、結婚したみたいだよ、と内の一人が簡単に告げていた。
その辺りから、こそこそと噂話のような小声が聞こえるようになった。
昨今はデキちゃった婚なんて珍しくないのだが、陽毬の所はメリットよりデメリットが表面化していた。不慣れ且つ準備不足な事々に追われているのが、第三者にまで察せられるのだ。
ハルセのもとには年末近くになって祝い返しが届いたけれど、ハンカチとも取れるハンドタオルのセットで。母が言うには、縁切りを想定させるので結婚祝いのお返しにハンカチはタブーなのだそう。ハルセはそんな連想はしなかったが、そういえば最後の贈り物に木綿のハンカチーフをねだる歌があったなと思い出したりした。
それとなく七美にメッセージで訊いてみたら、彼女の所にも同じ物が届いていた。連名で祝った全員が同じ品と判明し、親御さんは助言してないのかねぇ、と母が難しい顔をしていたものだ。
そういった陽毬の結婚に関するあれこれは、いち早く家庭を築き始めたと捉える前に、醜聞と感じる人が多いようだ。ショックを受けているような男性が散見され、女性は苦笑気味の表情が多い。せっかくの門出の日なのに空気が悪くなっていく。
今日は身内でランチをとった後、両親と不動産屋に行く予定があった。智が帰省前、マンションの同じ階に住む先輩が卒業に伴って引っ越すみたいだと教えてくれたからだ。だから空室になった時点で滑り込ませてもらおうという算段だった。
そんなわけで諸々立て込んでいる。今更、こんな風に知り合いの話を聞きたくない。
もう帰ろうかなと思ったら、見計らったように、ハル、と耳に馴染んだ声に呼ばれた。それだけで、心に広がりかけていた靄が払拭される。
顔を向けたら、いつもと違うサングラスで、素の焦げ茶の髪のロディがゆっくり歩いてくる。アイボリーのカジュアルスーツにロングコートを着こなしていて、拙いんじゃないかなと思える程には、モデル系のオーラが出ていた。
辛うじて聞き取れるようになったスピードで、推定美青年が口にした。
「I've come to pick you up, my beloved」
薬指に銀の指輪を嵌めた手を差し伸べて、にこりとする。外国人で通すようだ。
(この人、これからも手を尽くして傍に居てくれるんだろうな)
春が来れば、しばらくお別れとなるけれど。
その上でハルセは一人暮らしを始める。絶対に淋しくてたまらなくなるだろう。
引っ越し先はこの分だと希望していた所に入れそう。智や兄も御近所さん。いい事だらけだ。なのに、何処か不安が拭い切れていなかった。
でも、ロディを目に映すと何だか大丈夫だと思えてくる。
何せ、軽やかに様々な事をこなしてしまう、今やハルセだけのタレントである。
光の速さで反応してくれる携帯端末もある。直接でなくとも姿を見れる。声を聞けば、言葉を交わせば、いつでも元気を貰える。おまけに、本人が明言した通り、彼はしょっちゅう日本へ来てくれるに違いない。ハルセだって、長期休暇にでも、イギリスへ押しかけてみたっていいかもしれない。
(うん、わたしもmy belovedと居る為に、英語の勉強も、もっともっと頑張る)
ハレの日に実感できた幸せと新たな決意に、ハルセは小さく笑った。
差し出された美しい手に指先を乗せると、ロディは付き合い始めの頃のように柔く包んで歩き出す。
近くに居た顔見知りは明るい話を察したような目を向けてきて、みんな元気でね、とハルセは手を振って場を離れた。
その左の薬指には彼と同じ指輪が嵌まっていて。
芝居のハッピーエンドのようであった。




