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吉槻拓人の【ダイスキ】

 馬上から見る初夏の麦畑は緑の海原のようだった。

 父方の祖父母から買い付けた英国の片田舎に住まうようになって六年になる。

 やっと土地の管理も慣れてきて、一部貸し付けずに自分達で色々作っている農地の収穫量も安定してきた。

 一昨日の嵐も目立つ被害は出ずに済んだ。こうして見回った限り、区画を横切るフットパスも無事だ。

 レンタルしていた馬を返して、拓人(たくと)は日暮れ前にマウンテンバイクで自宅へ戻る。


 昔、一時的にホテルとしても利用していたらしいマナーハウス周辺は煉瓦道が絵を描くように芝地を巡り、美しく整えられている。

 今はポイント毎に白い花を咲かす様々な草木を植えて、五月の今時分は多くが競うように咲き誇っていた。

 マウンテンバイクを担いでウッドデッキを通り、虹彩でロックを解除して玄関ドアを開ける。

「ただいまー」

 去年やっと結婚できたハルセは、英語がネイティブに遜色ないレベルになっている。

 とはいえ、やっぱりお互い日本語の方が話し易い。家では日本語だ。

 キッチンの方から、おかえりー、と温かな声が返ってくる。

 ハルセは訳詞を専門とする翻訳家の道を選び、ここへ来てくれた。はにかみ顔で、ロディと一緒に居たいもの、と拓人が昇天しかねない台詞を放って。

 あの時の酩酊感は未だにしばしば拓人に到来する。ふわふわした足取りで自転車を階段下に片付け、バスルームで身綺麗にしてから妻の元へ。

 意外と小さめの手で、ハルセはおむすびを握っているところだった。おいしくなーれ、とか小声で言っている。可愛い。抱き着きたいが今は駄目だろう。

 くっ……と内心で歯噛みして拓人は隅っこの洗濯機にさっき着替えて脱いだ服を押し込む。

 夕食の支度に手助けは必要無さそうで、拓人はひとまず私有地を見回った結果を報告。近くの池も幸い氾濫してなかったとか、麦の他もいい感じに育っているとか。フットパスがきちんと乾いたら散歩に行こうと約束する。

 ハルセは時折頷いたり相槌を打ってくれながら、幾つかの具を加えてはころころ白米を転がす。

 これぐらいの贅沢はと食材を取り寄せているので、我が家では和食や中華が多めである。浄水器や浴室のシャワーもフィルターを完備して軟水にしているくらいには拘っている。

 そこまでするなら何でイギリスに住んでるのと、こちらで知り合った人に不思議そうに問われた事もある。が、拓人はここでの生活が気に入っている。こちらの祖父母の距離感は近過ぎず遠過ぎずで心地いいし、日本に居る両親や親族、マスコミとも距離を置ける。何よりハルセと二人きり。

 まぁ、もうすぐ三人になってしまうのだが。


 もっと二人だけで居るつもりだったのに。昨夏──

 新婚だからと許されていた拓人はハルセの仕事中も構って欲しくて、その時もカウチでしなだれかかっていた。専属歌手として、彼女が訳している最中の歌を小声で口ずさんだりしながら。

 脇の小卓に紙の辞書やメモ帳を広げ、自宅で訳詞の仕事に取り組む愛妻の凛とした横顔。この数年で彼女のショートカットはボーイッシュなモノから優しい丸みを帯びた感じに変化し、それもまた大層似合っている。未だに視線に気づくと照れ隠しの仕草をするところも、見つめていて飽きない。

 そんな妻がペンを手に呟くように言った。

『“永遠”って有り得ないことなのに、何処の国にも単語があるね』

 サラサラの髪に戯れながら、拓人は心に浮かんだままを口にした。

『それを望む瞬間が、人間、誰しもあるから』

 そうしたら、ハルセはとてつもなく可愛いふんわりとした表情をちょっとこちらに向け、ぁ──今だね、と穏やかにこぼした。

 こんな新妻を間近で目の当たりにして、骨抜きにされない男は居るのだろうか。

 拓人はその場で愛を乞うて押し倒してしまい、結婚してんだし、とつい箍が緩んで、薄い隔たり無しに繋がる事を躊躇なく選んでしまった。

 そのままいっ時の至福に溺れた結果、呆気なく彼女は妊娠してしまった。

 永遠を望んだ途端に、現実を突き付けられた。


 身籠ったハルセは長いこと具合が悪そうで。自分の所為でこのかけがえの無い存在を失ったらどうしようと猛烈に不安だったが、最近、調子のいい日が増えてきたようだ。訳詞の仕事も少しずつこなしている。

 もう後は無事に出産が済んで欲しい。大丈夫だよ、とハルセに慰められて罪悪感が薄れてきたら、思うように触れられない現状に、いささかフラストレーションが溜まってきた。拓人は愛しい妻といちゃいちゃしたい。

「ロディの方に、(あに)ぃから何か言ってきてない?」

 キスしたいなーと思いつつすぐ傍のシンクに寄りかかって眺めていたら、艶々リップからそんな言葉が出て来た。拓人はズボンのポケットから携帯端末を取り出して確かめる。メッセージアプリが点滅していた。ピンと来るモノがある。


 ハルセが大学を卒業した日に拓人は正式に婚約を取り付けて、自分の方の親族にも一応連絡し、一年弱で結婚の段取りを調えた。届け出は日本の方が楽なので入籍は日本でしてしまい、イギリスへは夫婦で移住という形に。

 そんなわけで式もマスコミに嗅ぎつけられないようにこっそりと挙げた。ハルセを友達や天体観測サークルの面々にも祝って欲しかったので、気兼ねなく出席できるよう日本で。

 ハルセの親族や友人一同はにこやかに参列してくれた。一部、えっ、アシュフォードって芳月(よしづき)タクトだったの⁉ と驚愕されたりもした。彼らは新歓コンパで男装していたハルセの性別にもびっくりしていたから、夫婦で驚かせる事が叶って、によっとした。

 拓人の両親や祖母も随分と嬉しそうだった。もっとおざなりに対応されると想定していたので、かなり意外だった。良かった、などと言われて、ちょっぴり招待を迷っていたことを申し訳なく思った。まぁ、式の後は相変わらず互いに無関心気味だ。ただ、子供が生まれたら知らせようかなとは考えている。

 さておき、その結婚式。本当はシックスペンスコインを調達したのでサムシング・フォーも揃えたかった。

 something(何か一つ) old(古いもの)

 something(何か一つ) new(新しいもの)

 something(何か一つ) borrowed(借りたもの)

 something(何か一つ) blue(青いもの)

 この“something borrowed”が問題だった。当時、自分達の周りは未婚者だらけ。幸せな結婚生活をしている身近な友人や隣人が居なかった。

 一人だけハルセの周辺で既婚者が居たけれど、どうも幸せなのは本人だけのようで、ハルセも付き合いをフェードアウトしていたから借りる相手にはならなかった。こればかりは拓人も周りで誰か結婚するまで待つなんてできない。サムシング・フォーは断念することにした。

 というか、結局叶わなかったが、この件もあったから、テツに頑張って先にゴールインして欲しかったのだ!

(奥手め。この辺、兄妹だなぁ。そこが良くもあるけど)

 実は引き出物の一つに幸せのお裾分けでシックスペンスコインを入れて、テツにはコメントも添えておいた。

〖僕が自分から最後にした役は、ラッパーじゃなくてキューピッドになったらいいなと思ってる〗


 さてどうなったかな、と拓人は口元を緩めてテツからだったメッセージに目を通す。

【お前さんの最後の役は射手になった】

「よーし」

 思わず漏らすと、ハルセはふにゃっとこちらの心臓を逆に打ち抜いてくる笑みを見せた。

「おねぇちゃんになっていい? て(とも)ちゃんからメッセ来たの」

「よーし」

 もはや見ているだけでは済まなくて、拓人は妻のこめかみに残る縫合痕に口づけを落とした。

 みんな幸せになーれ。



 その日の内に連絡を取り合って翌日、数年前から時々四人で遊んでいるVRRPGにログインした。

 テツは近接アタッカー兼ディフェンダーで聖騎士、智は遠距離ヒーラーで聖職者、ハルセは近接アタッカー兼回避盾に近い武闘家、拓人は遠距離アタッカーで魔法士。

 このゲーム、魔法のシステムが『ニジゲンに飽きたトコロEX(エクストラ)』と一緒で回復量やダメージ量を詠唱で増やせる。オリジナル呪文も作れたりするので、四人パーティーを組むと拓人がダメージディーラーだ。

 時差もあるしハルセの妊娠でここ最近ログインが減ってもいたので、四人揃うのは久しぶりだった。

 メイン都市のクランハウスで合流して駄弁る。

 やっと落ち着くところに落ち着いたテツと智は、互いに互いの苗字を名乗りたがっていた。

 智は老舗旅館の一人娘なのでテツは婿入りするらしい。だからテツの希望は相手の親も望むところだが、智は長倉姓になりたがっていて少しだけ揉めているようだ。

 どっちも名乗れればいいのに。拓人の伴侶はハルセ・ナガクラ・アシュフォードである。()い響きである。

 何にせよそのうち折り合いをつけるだろう仲良しの二人を改めて祝福してから、少しだけダンジョンを探索して、またねー、とログアウト。


 VR対応PC(エクストラキューブ)をシャットダウンし、大きくなってきたお腹で起き上がるのが大変そうなハルセを急いで支える。

「ありがと」

 ほわっと彼女が笑ってくれて、拓人はまた魔法にかかった気分になった。

『EX』の講義室で、即興で創作した魔法の呪文。

 ファルセにかかればいいと思ったのに、きっと拓人にかかってしまった。


【Darling

 愛しい人

 少しでも長く

 君を見ていたい】


 心に宿って、ハルセが瞳に映る度に効果が延長している。

 もう、ずっとかかったままに違いない。

 こればかりは永遠。

 ここまでお付き合いくださった方に感謝を。

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