長倉ハルセのプレゼント
迷惑かと思いもしたが、驚かせたい気分の方が勝った。
なのでハルセは本人でなく兄に、住所を尋ねるメッセージを送った。
返事が来るまでだいぶかかった。また笑っているのか、はたまた別の理由か。巷がハロウィンで浮き立っている中、ハルセが気まずく感じ始めた頃にようやく返信が届いた。
【あそこのオートロックは部屋番号で呼び出せない。入口で執事みたいな親父さんに、ローデリック・アシュフォードを訪ねてきたことと、長倉と名乗れば繋いでもらえると思う】
ピン付きのマップと、そんなコメントが付いていた。
(そか。コンシェルジュて来客対応もするんだな)
礼を送信してハルセは事前準備をほぼ終えた。
大学祭が十一月の三日と四日に予定されていて、前夜祭が二日、撤収日が五日。
運良く、講義は一日から七日までが休講になっていた。
ロディは自分のアニバーサリーには無頓着みたいで、何もハルセに伝えてこなかった。
芸能人だった頃は、毎年ファンや職場の人々から相当な数の贈り物や祝いの言葉を贈られただろう。けれど関わりがイマイチ薄そうな身内からはどうだったのだろうか。何やら期待を止めてしまった気配を感じる。
要望も欲望も隠さない方なので、恐らく本気で割とどうでもいいという境地に到っていそうだった。
ハルセに誕生日を教えても、ハルセがそれを覚えていない可能性も含めて、特に主張する気にならなかったのだろう。
代わりにハルセの誕生日には、結婚を仄めかすモノをばっちり主張してきていたわけだが。
(あのコイン、配るとか言ってたのは周りになのかなぁ)
早起きしてハルセは抹茶わらび餅を拵えた。
守さんには学祭準備って言っておくからお泊りさせてもらいな、とくふくふ笑う母に見送られて家を出る。父に知られると煩いので母のアシストが本当に助かる。
本日は黒のオータムニットに買ったばかりの臙脂のロングスカートにしてみた。『ニジゲンに飽きたトコロEX』でファルセが初めに着ていた色合いをちょっと意識した。
サラシは先月から完全に卒業していて、解放感と落ち着かなさに慣れてきたところだ。いつものようにさっさと歩きだしてから、秋の空気に足元がすーすーして少し歩幅を狭めた。紙バッグにわらび餅とチョコトリュフとお漬物も入っているから、腕の振りも抑えることにする。
(これで糠漬けに一番喜ばれたら泣けるケド)
きっと全部喜びはすると思うのだ。その点はハルセももうロディを解ってきている。
こういう風に大事な人に何かする事を考えている時間は存外そわそわすると実感しつつ、ハルセはバスに乗って昼前にロディの住まうマンションまで辿り着いた。
白っぽい煉瓦の壁のマンションだった。五、六階建てだろうか。
コンシェルジュが居るような建物だと、何処のベランダにも洗濯物や干してある布団なんて見えない。秋口なのに色鮮やかなガーデニングの草花が見える所はあった。
段差の少ないクリーム色の緩い階段が扇状に広がって、中央にお洒落な硝子張りの大きめのドアが在る。ハルセは唇を引き結ぶと、階段を上がった。
ドア向こうのエントランスホールはホテルのように見えた。磨き上げられた床に、中央のエレベーターまで細い絨毯が敷いていある。左手には水族館みたいな大きな嵌め込み水槽。奥にはちらりと螺旋階段が垣間見える。手前には観葉植物が適度に配されていて、歓談用らしきテーブルとソファも置かれていた。
右手に十室分のメールボックスとカウンターデスクが在る。兄が書いて来たとおり、執事のようなロマンスグレーの男性が穏やかに微笑した顔でこちらを見ていた。
ドア脇のインターフォンを押す。デスクに居る男性のモノと思しき渋い声が、すぐに応じてくれた。
〔こんにちは。お住まいの方に御用でしょうか〕
「──こんにちは──ローデリック・アシュフォードさんに会いに来ました。長倉ハルセと申します」
〔長倉ハルセ様。少々お待ちください。アシュフォード様のお部屋にお繋ぎ致します〕
コンシェルジュがデスクに置かれた端末を操作するのが見える。インカムをつけて何か話している。ハルセはドキドキしながら見守った。
兄が書いてくれていなかったら、しどろもどろになっていたところだ。芳月タクトなんて口に出したら、知らぬ存ぜぬで追い返されたかもしれない。
かち、と微かな音がして、本物──っ、とロディの声がインターフォンから聞こえてきた。
〔テツだな⁉〕
ハルセが辿り着いた理由をすぐに導き出し、ロディは口早に言う。〔鍵開けたよ、どうぞ!〕
「ありがと」
礼を告げてノブを引く。ちりん、と微かに鈴の音がした。
無事に入れたのと適度な空調の暖かさが包み込んできて、ほっとする。水槽の澄んだ水の中では、熱帯魚が優雅に泳いでいた。癒される空間だ。
微笑したままのコンシェルジュがエレベーターを示した。
「アシュフォード様のお住まいは五階です。エレベーターから出て左手のお部屋になります」
ありがとうございます、とハルセは会釈すると、示されたまま奥が鏡になっているエレベーターに乗り込んだ。五階までしか無いから最上階だ。
殆ど物音のしなかったエレベーターが、チンとだけ鳴った。エレベーターにも絨毯が敷いてあって、そこから出た時に大理石風の黒い床についたブーツの音がこつりと響いた。
出て割合すぐはハンギングライトが飾られた黒壁で、左右に長く廊下が在る。どちらも突き当りに壁に溶け込んだ色合いのシックなドアが在った。外側からは窓が幾つも見えたけれど、ひと階に二室しかないらしい。
教えられたとおりに左の奥へ向かうと、ドアの大分手前に、これ又お洒落な円形のドアフォンが設置されている。
鳴らした方がいいのかな、と思った時には待ちかねたように玄関ドアが開いた。
「いらっしゃいっ、ハルぅ」
(わぁ……改めてイケメン)
ロディは、白いTシャツと黒のスウェットで寛いだ格好だった。ウィッグを付けていないから柔らかげな焦げ茶の髪で当然サングラスなぞかけていない。引退会見時に観たキラキラな瞳の爽やか好青年だった。
と言っても中身は変わらないので、ロディは大層浮き足立った様子で招き入れてくれた。
ドア向こうは広いに尽きた。三和土がハルセの私室くらいある。大きめのフットレストが姿見の傍に置かれていて、そこに腰かけさせてもらってブーツを脱いだ。
「さ、さ、あがってあがって──僕、普段からスリッパ使ってないけどいいかな」
「だいじょぶ。お邪魔します」
落ち着いた色合いのフローリングは艶々だ。塵一つ落ちてないんじゃないだろうか。クリーンシステム完備と見た。
「わぁ──わぁ、ハルが遂に僕のオウチに上陸。ここが新天地だ!」
「先住民、落ち着いて」
ハルセが言う間に、ロディは玄関を二重ロックするといそいそとドアバーを嵌め込んでいる。変なトコロで抜かりない。なんとも言えない眼差しをハルセが向けると、ロディは頬を赤らめて無駄に可愛らしくもじもじした。
「だ、だって、帰したくないし」
「……泊まらせてもらえと母に言われたけどね」
ロディは慌てたように顔を逸らすと、真っ赤になって掌を向けてきた。
「ちょ、ちょっと待って、公認? 公認なの⁉」
「父は知らない」
「ぅお、それはそれで知られたらどうなるの。据え膳頂いただけで結婚駄目とか言われたら血涙流すんだけど」
ハルセももうかなりテンパってきていて、持ってきた紙バッグを突き付けた。
「ちゃんと使えばいいよ!」
ロディは受け取って瞬いてから、ラッピングされた菓子の包みと弁当包みみたいなお漬物に小首を傾げ、底に入っていた例の箱に気づくと瞠目した。
「あ、やば」
ハルセが目の当たりにしたのは、彼が呟くように言うなり美貌に浮かべた魔性の笑みだった。
(あ、やば)
同じことを思った時には三和土近くの壁に押し戻すように迫られ、囲われ、唇を塞がれていた。
ハルセは浜辺での接吻が相当手加減されていたと知った。
初めてのディープなキスに息が上手く出来ず、呆気なく腰砕けになったら軽々と抱え上げられ、薄明るい部屋で大きめのベッドに下ろされた。
後は恥ずかしさで色々と記憶が飛んでいる。自分が指輪以外一糸纏わぬ姿にされた事も、脱いだら色気全開になったロディも刺激が強過ぎた。
覚えているのは、時折鼻孔をくすぐるシダーウッド。
繰り返された愛称と言霊──綺麗、可愛い、好き、大好き、愛してる。
やたらあちこち口づけられて、煌めく木漏れ日をずっと浴びていた事。
素肌に触れた掌から自分以外の速い鼓動を感じられた事。
あの新星に恋して以来、ハルセはようやく本物を腕の中に確かめ、満たされた。
「誕生日おめでと」
隣に身を移して髪にキスを落とし始めたから何とか告げたのに、ロディはいたく幸せそうな顔で、最高、とまた覆いかぶさってきた。そして躊躇いなくサイドテーブルに手をのばし、紙バッグからそれだけ持ってきていた箱の中身を取り出していた。
言わない選択は無かったけれど、言うんじゃなかった、と思ってしまうくらいにはその日ハルセは翻弄された。




