長倉ハルセの失われた輝き
一日目の流星観測を終えた同行会員達はホテルへ戻り、朝風呂に入ったりベッドへダイブしたり、そのまま朝食へ移ったりと、概ね自由行動が続いた。
ハルセと智とロディは午前六時に一番乗りでモーニングを囲んだ後、散策へ出かけることにした。
ランドマークの灯台から下った所にはビーチも在って、海の家風の屋台もちらほら出ていた。まだ早い時間だったが、既に海水浴を楽しんでいる観光客の姿がある。
風は徐々に海から吹き始めていた。
初めは涼しく感じられたものの、気温が上がってくると風があるだけマシといった環境になってきた。
昼前に大きな扇風機がガンガン首を振っている海の家で焼きそばを食べてみる。がっつりと塩分強めにソースの味しか判らない。うーん、と思いつつ食べ進め、口直しにレモン味のかき氷を頼んだ。三人揃って同じ物を選んでいる辺り、焼きそばの印象は似たようなモノだったようだ。
白く積もった氷を匙で崩し始めた頃、ハルセは周囲に座っている若い女性達の視線がロディに集まっていると気づいた。少しばかりハルセにも向いていたけれど、ほぼ目線がずれている。
今日のロディはドレッドヘアに白いパナマ帽を被って、タンクトップとノースリーブのシースルーニットにデニム。改めて見ると、色白気味で目元がサングラスで隠れていても──否、輪郭の良さでサングラスがハマっているから余計に、隠された容姿の希望的観測値が上がっている。締まった身体つきからも、ビーチがやたら似合うひと夏の誘惑感がだだ漏れていた。
(智ちゃん居なかったら逆ナンされてたかも)
浮かび上がった感情で、冷たい物を食べているのにハルセは頭が熱くなった。
嫉妬してしまっている。周りの女性にも、大事な友達にさえも。
こんな自分では、一緒にナンパされる可能性はあってもナンパ避けにはなれない。それがもどかしく、みじめでもあった。
当のロディは恐らくこの手合いの視線に慣れてしまっていて、ただただ、ハルセを注視していたようだ。
「だいぶ暑くなってきたから、これ食べたら戻ろ?」
うん、とハルセが俯きがちに応えると、智も赤らんだ顔で頷いた。
「人も多くなってきて、わたしもちょっと、落ち着かなくなってきました」
春頃ほど言葉につっかえなくなっている智も、視線が集まっているのに気づいて緊張してきていたようだ。
三人は手早くかき氷を食べて、キーンとなってしまった頭を押さえつつホテルに戻った。
部屋で代わりばんこにシャワーを浴びてから、智は昼寝を選んでベッドへ横になった。
この時間なら大丈夫だろうとハルセは部屋を出て、陽毬に連絡を取る事にした。
通話が許可されている十階に在るラウンジの片隅で、煌めく夏の海を窓外に望む藤椅子に腰かける。
幸い、すぐに陽毬と繋がった。
〔ナガちゃん、お久ー〕
相変わらず陽気な声音だった。ハルセはとにかくこれだけは伝えようと、口を開く。
「久しぶり。メッセ見てかけた──結婚おめでとう」
〔えへへ、ありがとー。入籍したから教えとこうかなーって〕
「そかぁ。びっくりしたよぉ」
〔あははは、ごめんね、ソガちゃんとかには、ちょいちょい彼のコトも話してたんだけど〕
その言葉にちくんと胸が痛む。陽毬は無邪気に続けた。〔ナガちゃん、こういう話、苦手そうだったじゃん?〕
胸の痛んだ辺りに小さく穴が開いた気がする。
陽毬だって男子は怖いんじゃなかったのかと思い浮かぶが、ハルセは指摘できなかった。彼女の発言は間違っていない。
陽毬よりもハルセの方が余程、潜在的に成人男性を恐れていた。
小、中、高と、近くに居た陽毬の発言に便乗して、ハルセは加害者から距離を置くことが出来ていた。
「そう、ね。あんまり話す気には、ならなかった」
〔ねー。でもまぁ、わたし苗字変わったし住所も変わったし、教えとこってね。あっ、式は平日になっちゃいそうなんだよね、みんな来れそうかなぁ〕
ほわほわした様子で語られる内容を咀嚼するのが困難だった。ハルセもその未来の話が出ているものの、まだまだ先の事だと思っていたから。
「えと、平日、行けるか判んないけど……陽毬、学校は?」
〔あー、前期で辞めたんだよね。それどころじゃないってゆーか〕
軽い感じだった。悩んだ末の決断とは思えない口ぶりで。ハルセは思わず訊いてしまう。
「歌手は」
〔んー、もういっかなー〕
心の穴から生じた何かが、陽毬と繋がっていたモノを踏み砕いたのが判った。
手から力が抜けて落としてしまいそうになる端末から、陽毬の愚痴が遠く聞こえた。
〔先生達、感覚的で意味解んなかったし。誘われたから入った劇団も、女子が嫉妬してきて嫌味っぽいコト言ってくるしさぁ〕
「……そか。大変だったんだね」
〔今はねぇ、専業主婦頑張ってるよぉ。お料理とか献立考えるのたいへーん〕
「毎日だと面倒だろうね」
次第にハルセは後腐れのない相槌を打ち、じゃあ頑張ってね、と中身の無い言葉を贈ってしまう。ありがとねー、といつもの返しを聞いてから通話を終えた。
くたりと椅子の背にもたれる。
窓の外で海は変わらず陽光を反射して輝いているのに、全てがぼやけて見えた。
ふらりと立ち上がると、部屋へ戻ってハルセも昼寝した。
夕飯前に起き出したら何だか熱っぽい。
「ファルさん、日焼け止め塗ってたよね。でも顔が赤くなってる」
智が気がかりそうに言う。うんー、とハルセはベッドで半身を起こしただけの状態で髪を掻き上げた。
「微熱出てるっぽい」
立て続けに自分が嫌になる出来事に直面して。免疫が落ちてしまったのだろうか。
寸時考えてハルセは告げた。
「今日はルームサービス頼んで観測休む。これ以上体調崩さないように」
「分かった。アシュフォードさんや先輩にもそう言っておくね」
「ありがと。あ、ロディには自分で言う。押しかけて来かねない」
だね、と智は小さく笑って、部屋を出て行った。
ハルセはヘッドボードに寄りかかると、携帯端末でロディに連絡した。
「ごめん、心配してくれてたのに。軽い夏バテぽいから今日は寝とく」
〔賢明。でも僕がお姫様抱っこして観測スポットまで運ぶのもアリだな。出れそうなら連絡して〕
「やだ」
〔も少し迷って〕
可笑しそうに優しい声が耳元で言った。〔おやすみ僕のお姫様〕
「ぞわぞわするぅ。おやすみっ」
やや低い笑い声がして通話が切れた。ハルセは液晶画面に目を落とし、怠さが少し消えたことに思わず天井を仰いだ。
(我ながらゲンキン過ぎる)
ルームサービスで届けてもらったサンドイッチとスープを完食できて、ハルセはシャワーを浴び直すと就寝した。
智が物音に気遣ってもくれたのだろう。彼女が夕食から戻ってきて、それから観測に出たこともハルセは気づかないまま眠った。
覚醒したのは、洗面所の微かな水音を捉えてだった。
閉じた瞼にほんの少し明るさを感じる。
ハルセは身を起こし、熱っぽさが消えていることに安堵した。悪化させずに済んだようだ。
携帯端末で確かめると午前四時過ぎだった。
身体を伸ばしていると洗面所から智が出て来た。こちらを見て顔を綻ばせる。
「おはよ、ファルさん。具合良さそうだね、良かった」
「ぐっすり寝れた、ありがと。星どうだった?」
「昨日と同じくらい観測できたよ」
「お、そっちも良かった」
うん、と智は目を細める。
「わたしはモーニングまで仮眠するね」
「六時だったもんね。諒解」
昨日は時間までラウンジで朝焼けを眺めながら喋ったものだ。
ハルセは二度寝する気にはなれなくて、ベッドを出た。
「わたしは散歩でもしてくる」
はーい、と可愛く智は応じてから、くすりと笑った。
「アシュフォードさんがちょっぴり元気無かったから、一緒に行くのもいいと思う」
「……起きてそうなら、うん」
少し照れながらハルセは頷いて洗面所で身支度した。メッセージを入れてみたらロディが光の速さで返事してきた。
体調は戻っていたけれどサラシの圧迫感が厭わしかったのもあって、ハルセは意を決して普通の下着にした。大きめのシャツで目立たないようにして、スウェットからデニムに履き替えて部屋を出る。
エントランスホールに降りたら、当然のようにロディは先に来ていた。
こちらに顔を向けて口角が上がったものの、つと拳を口元に当てる。
「ハル……胸があるように見えるんだけど」
「一応、ある」
ボリュームは無いから、こんなに早く気づかれるとは思っていなかった。ハルセは顔がほてってくる。「具合悪くなりかけたから、ちょっとサラシやめてる」
「え、まさかノー──」
「そんなわけないし」
「あ、ハイ。安心した。これ以上煽られると僕自分が信用できない」
取り敢えずささやかに胸があるぐらいでロディは離れていかなかったので、ハルセはほっとしてホテルを出る。でも隣を歩き出したロディは手を繋ごうとしないので少し不安にもなった。




