長倉ハルセの星天の霹靂
七月に入ってすぐにあった剣道の大会で兄は三位に入った。
正門近くの大学の掲示板に、幾つかの角度から撮った写真付きで結果を報告されていた。センパイ凛々しく写ってますね、とキラキラした目の智から褒められた兄は、ども、とちょっと照れていた。ロディが妙にによによしていた。
智は、テツとは気兼ねなく話せるようなのだ。最初にハルセの兄として紹介されたのと、新歓コンパの頃からメッセージをやり取りしている所為だろうか。帰宅を気にかけてくれた礼を伝えて以降も、軽い世間話を交換しているそうな。兄はロディともそんな感じで友達付き合いを続けていたらしく、存外、筆マメだった。
何はともあれ、これまで兄は女子から怖がられることが多かったから、智が大して緊張も見せずに接してくれているのがハルセは嬉しかったりする。ロディの様子からすると、兄も密かに嬉しいんじゃなかろうか。
兄は背格好に威圧感があるけれど、基本的には穏やかな人だ。一歩引いて物事をよく見ているんだなと最近は特に思い知らされる。智はその辺り似通った点があるように思えて、ウチの兄どうかな、と無性に勧めたい。しかし変に意識させてぎくしゃくしてしまったら、どちらにも申し訳ない。正眼の構えをする兄の写真を横目に、ハルセは静観の構えである。
暑さが本格的になっていく中、大学は夏季休暇に入った。
ハルセは成長するにつれ、夏が苦手になっていた。胸に巻くサラシが、どうしても普通の下着より面積を覆うから暑い。そのうえ巻いている事が判ってしまうのは男装の意味が無いので薄着も難しい。故に冷房の効いた場所にしか居たくない季節だ。
本当のところ、そんな苦労をしてまでハルセが男装を続ける必要はほぼ無くなっている。
ロディと交際を始めたのは男装を止めるいいきっかけだった。しかしながら、ハルセは止められなかった。
周りには早いうちからロディの思惑が筒抜けで、揃いの指輪をするようになって付き合い始めたのもバレバレだった。これで男装を止めたら“色気づいてます”と公言するようなもので。あまりにあからさまに思えて、照れ屋なハルセには物凄く抵抗があった。
そして一番の理由──魔法師団の新星へ雷を落としたのは、男装していたファルセだった。
素のハルセを見た時のロディの反応が判らなくて、ロディの方が指輪を外すかもしれなくて、ハルセは男装を止められなかった。
そんなこんなでハルセは少々バテがちとなる夏休み。
智の住まいに招いてもらって夏バテ対策メニューを御馳走してもらったり、ロディと図書館で課題のレポートを片付けたり水族館に行ったり。なるべく涼しい屋内で七月を何とか乗り切り、八月。
天体観測同好会の合宿予定が八月六日から十日まで組まれている。今回こそ、ハルセも智もロディも参加を決めていた。
期間中の日曜日は“山の日”なのだが、今年の同好会が決めた行き先は海方面であった。
南端の灯台を囲む開けた一帯で、ペルセウス座流星群の観測である。
天体望遠鏡などを持ち込む先輩の半数は自家用車で現地集合。ハルセ達は電車とバスを乗り継いで三時間弱。夕暮れ間近、総勢十八人が予約したホテルに集まった。
女性は五人で二部屋に分かれた。ハルセと智は、小ぢんまりとしているものの綺麗な二階の一室に荷物を置いて一息つく。
ひんやりと快適な室内でもう外に出たくないなとハルセは思っていたが、夕飯は外でとることになっている。
ロディが迎えに来て、重い腰を上げたハルセと智が部屋を出ると、同じように迎えに来てくれた伊藤先輩を始めとする女性陣が苦笑した。
「もうアシュフォード来てるし。どんだけハルちゃん好きなんだ」
「説明するのにどんだけかかるか判らないネー」
「あっつ、うわ、あっつう」
「はいはい、涼みに行きましょう。虫よけ塗りました?」
加藤先輩が訊いて来て、乾いた笑いを漏らしたハルセと智も頷く。
ホテルを出ると、到着した頃はもたりとした夕凪だったのが、海へ向かって空気が流れ始めていた。なかなか心地良い。
風に揺られた前髪を撫で上げて、夜の訪れで判りにくくなっていく水平線を眺めやる。空には星が瞬き始めている。視界が大きく開けていて、流石に日頃観測している場所よりもよく見える。
「このまま雲少なければ、流れ星たくさん見れそうだね」
智がわくわくした風に言った。ハルセも段々気分が乗ってくる。ハル、とロディが手を向けてきて、素直に指先を引っかけた。
道の駅のレストランで海鮮丼をみんなで食べつつ、佐藤会長が予定の確認をする。たくさんの流星が期待できるのは夜明け近くだ。それまで仮眠するも良し、徹夜するも良し。いつものように合宿中のアルコールは無しで、と一応注意喚起を口にして、その後は自由行動になった。上ばっか見て夜の海に落ちないように、と思い出したように伊藤先輩が添えて笑いを誘っていた。
四泊するしハルセも智も仮眠を選択してホテルへ戻った。ロディも携帯端末でアラームの設定時間を確かめてから、同期二人との相部屋へ引き取る。因みに寝る時はアイマスクをするそうな。
アラームに起こしてもらってベッドから出たハルセは、隣のベッドで同じく身を起こす智に挨拶して、寝ぼけ眼をしぱしぱさせて洗面所へ入った。洗顔とうがいを済ませ、手早くサラシを巻く。八年弱もやっているので慣れたものである。智と交代して、残りの身支度はベッドの上でした。
夜明け前で、室内の明かりはヘッドボードの所にほのりと灯した小さなモノだけだった。
枕元で携帯端末の液晶がぼんやり光っていて、ハルセはメッセージが届いているのに気づいた。
早寝をしたから寝る前には来ていなかったヤツだ。
六月の下旬に目にしたきりだった、ピンク多用の音符とハートと笑顔のアイコン。
【♡私達、結婚しました♡
鈴懸悠馬
陽毬 でーす♪】
陽毬と、彼女が好きそうな優し気な男性が頬をくっつけている写真が添えてあった。
呆気に取られた。次いで、手の込んだ何かの冗談かと疑いが頭をもたげた。が、一体こんな冗談をハルセに仕掛けて何になるのか。つまり本当の事? それにしても急では?
そんな事々を繰り返し考えてしまい、ハルセは智が戻ってきても動けずに固まったままだった。
呼びかけられて、ようやく我に返る。
「っぁ……友達、結婚した、みたいで……」
「わぁ早いね。でもおめでとう」
智は化粧水を肌に馴染ませながら微笑む。「高校のお友達? 高校の頃からお付き合いしてて?」
「相手の人、見たことない顔、だから同じ高校じゃない、と思う。前から、男子怖いて、言ってたし……いきなり過ぎて、何が何だか……」
考えが纏められずに言うハルセに、智は顔を傾けた。
「ひょっとして、皆既月蝕の日に会った子?」
「っそっ、そうそう。音大行ってて劇団にも入ってる。あ、そだよ、学校は? え、どうなって?」
「……学生結婚かな」
「──うわぁ、それかぁ。まさかあの子がぁ……」
混乱から抜け切れずにハルセは頭を掻く。それから、端末に出ている時刻を見て焦った。「っあ、ごめん、時間押してる」
取り敢えず昼頃にでも連絡を取ろうと、何とかハルセは切り替えて智と部屋を出る。
エントランスホールで待っていたロディが、寝坊しちゃった? と可笑しそうに訊いてきた。ハルセは途方に暮れた表情で見上げてしまってから、慌てて首を振る。
ロディは身を屈めて覗き込むように顔を寄せてきた。
「どした」
(この人のスクショを全然請求してこなかったのは、あの結婚相手に夢中になっちゃってたから? でもそれならそれで、何で教えてくれなかったの)
だがハルセも、ロディの事を陽毬には知らせていない。お互い様だった。
「ちょっと、メッセにびっくりしただけ」
今一度首を振ってハルセが言うと、ロディはやや手を彷徨わせてから額にぴとりと触れてきた。
「ハル、夏は苦手でしょ。無理しないで。心配になる」
うん、とハルセが首肯すると、ロディは智の方に少し顔を向け、彼女がコクコク頷くと手を離す。
ホテルの外では、先に出ていたらしい仮眠組の先輩達が小型ライトで道を照らしつつ、観測スポットへ向けて歩いて行くのが見えた。
ハルセ達も後を追ってホテルを出る。外はいい塩梅に雲の少ない夜空が広がっている。
「星へのお願い変えなきゃ。ハルが倒れませんようにて」
ロディがロマンチックな事を言い出した。智がちらりと見上げて問う。
「最初は何を?」
「キスしたいキスしたいキスしたい」
即答された智は暗がりでも判るほど赤くなって目を泳がせていた。こそりとハルセに囁いてくる。
「やっぱり桃色魔人だったぁ」
「困ったことに」
ハルセは気が抜けて笑ってしまう。けれども、何処かぎごちなさが残ってしまった。
初日、一時間ばかりみんなで澄んだ紺藍の空を見上げ、光っては消えていく流星を二十個以上は目視できたんじゃないだろうか。
そんな美しい星降り夜、ハルセの心には暗雲が立ち込め霹靂が降りかかろうとしていた。




