長倉ハルセのチリツモ
父がやたら勿体ぶって“交際を認める”と宣言し、ハルセとロディは恋人になった。今時、大学生にもなって交際を始めるのに親の許可を得たカップルなんてレアではなかろうか。
婚約をロディは求めていたけれど、学生の内は早いと父は譲らなかった。
それから問い詰めた。タレントを引退してその後はどうやって食べていくつもりか、と。
ハルセは、芳月タクトのあの経歴からすると凄い貯金ありそう、などと下世話な事を思ったが、一生それを切り崩して生活できるのかと考えてみれば、できたとしても確かに良くないと気づく。
ロディは、来年の春以降イギリスに移住するつもりだと答えた。
父方の祖父母から家と農地を買い取る約束が既に進んでいるそうだ。その土地の地主として当初は独りでのんびり暮らしていくつもりだったらしい。更に、なんとテツの助言から始めてみた株の運用が軌道に乗り、生活費は充分賄えているのだとか。兄が何気に深い所で影響を与えていた。
「あら、じゃあ、ハルちゃん置いてっちゃうの?」
母が不満げに言うと、ロディは慌てたようにちょくちょく日本には来ますと応じた。
「僕もハルとそんなに離れていたくないです」
少しはにかんでから、ただ、とロディは眉を下げた。「僕、引退してもしばらく追いかけられると思うんです。だから早めに日本から離れたことをアピールしておいた方がいいと思っています」
ああ、と長倉一家は納得する。何だかんだ父でさえ存在を知っていたくらいに、芳月タクトは有名人である。
そこから引退に到った経緯をロディはかいつまんで語った。
元々は母方の祖母に芸能界入りをさせられた事。思いがけず売れてしまったが、十五歳頃から、この職種を続ける意欲が自分には無いと感じ始めた事。一般的な成人とされる十八歳を目途に第二の人生を希望し、所属事務所と話し合った末、合意が得られた事。一足早く十七歳で実家からも独立を許され、先述の移住を決めた事。
そうしてロディは真剣な顔で、ハルセに告げた。
「卒業したらイギリスで一緒に暮らしてほしいと思ってる。けど、ハルがこのさき日本でやりたい事が出来たなら、僕はそれを尊重する。でも、結婚はしてほしい。例えたまに離れたとしても、僕にはハルがいてくれるって縁が欲しいから」
「わかった」
こくりと頷くと、六ペンスで安請け合いしたらあかん、と例のコインを覚えていたらしい父が横槍を入れてきた。父うるさい、とハルセは照れながらむくれる。するとロディが急に眦を下げて、カワイーと漏らした。父娘で真顔になった。兄は眉間を揉んでいた。
そんな将来の可能性が提示された日曜が過ぎ、月曜日。
最寄りの駅前には、いつものドレッドヘアでサングラス、学生に見えなくもない恰好のロディが待っていた。
「ハル、おはよー」
おはよ、と応えたハルセは変わりない日常に何処かホッとしていたのだが、ロディはかなりふわふわした感じで近寄って来た。
心持ち距離を詰めて隣に並んだ恋人は早速欲望を口にした。
「手、繋ご、手」
(この人、新星をかなり素で演ってたっぽいなぁ……)
差し出してきた左手の薬指にお揃いの指輪が嵌まっていて、途端に頬がほてってくる。ゲーム内で繋いでいた魔王の、男性らしい美しい手とよく似ていた。今にして思えば当然のことと言える。
「あ、あんまり、べたべたしたくない」
「よし解った、恋人繋ぎは今度。でも君の手の本来のやわかさを知ってしまった僕は、この先も偶然に触ってもらう機会の訪れを待つだけなんてもう耐えられなかった。どうしてもリアルでいつでも触りたくて徹夜上等で頑張ったんだ。指先だけでいいから触りたい」
理解してはいけないような事をつらつら言い出した。
いつまでも語らせておくと要求がエスカレートしそうだし、電車の時間もあるのでハルセはちょっとだけ手を重ねる。
「ハルぅ、これから僕のオウチ行こう?」
「これから学校」
スキンシップ芸人になってしまったロディ氏にハルセは遠い目になった。
講義は真面目に受けて昼休みになった。
今日は午後から雨の予報になっていたから、智との待ち合わせは学生食堂にしている。
彼女には事情を説明するとロディには告げてある。話しておいた方がいいとロディも頷いた。
学生でごった返す食堂は、空調が稼働しているものの蒸し蒸ししていた。
合流した三人は、居並ぶ長いテーブルの中程に空席を見つけて確保する。
「んじゃ、買ってくるネー」
変な芸人を復活させたロディが食券の券売機へ向かい、ハルセと智は向かい合ってプラスチックカップを三つテーブルに置く。
目をキラキラさせて頬を染めた智はすぐ、やや身を乗り出してきた。
「二人の指輪って」
「──うん。流石、智ちゃん。よく見てる」
ハルセは説明するまでもなく察してしまったらしい智に、若干、困惑して言った。「驚かないんだね」
「驚いてはいるよ? だってあの彼と、すぐ近くを歩いてたってことだよ。今だって、どきどきしてる」
胸元に手を当て、智はほぅっと感激した様子で息を漏らす。幸せそうな顔のまま続けた。「でもね、何となくそんな気がしてたの。ユリアさんから話を聞いた辺りから」
「そんな前からっ?」
声をあげてしまうハルセに、智は可愛く肩を竦めて見せた。
「初めからアシュフォードさんの意識、ファルさんに向いてたからね。伊藤先輩なんかもその辺は気づいてるよ。友達の妹と同じサークルにわざわざ入るのは他意があるって言ってるようなものだって」
絶句してからハルセは両腕で熱い顔を隠して天井を仰いだ。
「みんな鋭過ぎるよぉっ。恥ずか死ぬ……っ」
「長倉センパイも黙認してるから、解ってるんだなって思ってたし」
追い打ちをかけつつ、智は笑い声をこぼす。「そうやって見てると、魔性の魔王様と行動がとっても似てるじゃない? ファルさんに侍って一喜一憂してるトコロとか」
涙目でハルセは項垂れた。知らぬは本人ばかり也。
「自分の鈍感さに絶望した」
ぽつぽつとハルセは昨日の顛末を打ち明ける。主に『EX』で約束していた事が実行された結果であると。
うわぁうわぁ、と智は時折洩らし、ロディがスマートなウェイターさながらに三人分のランチを運んでくると両手を頬に当てて夢見るような目を向けた。
「こんな贅沢な体験ができるなんて。この学校にして良かったぁ」
ロディはハルセの隣に腰かけると、ふふ、と口角を上げた。
「智チャンがハルと同じ学校に来てくれたのは僕も良かったと思うヨ。天文学的確率の巡り合わせネ」
(芳月タクト君が聴講してたからなんだよなぁ)
引き寄せてるなぁ、とハルセは柄にもなく運命的なモノを感じてしまう。
なかなか顔の赤みが引かないハルセの横で、ロディはウキウキといつもより多めに食べていた。
その日の帰りには予報通り雨が降りだしていた。
しとしとと真っ直ぐ降るのを見て、ロディはハルセが持っていた傘を何故かロッカーにしまおうとする。え、何──とハルセがきょとんとしているとロディは自分の大きめの傘を掲げて言い出した。
「相合傘しよう? 必然的にくっつけるチャンスを逃すわけにはいかない」
「……わたしの傘をしまったら駅で別れたあと困るじゃない」
「折角だもの。家までくっついてく」
「歩き辛そう。危ないよ」
「もー──でもそうだな、君を危ない目に遭わすのは僕の本意ではない」
不意に真摯な口ぶりで言って、ロディはハルセの傘をしまうのはやめた。「キャンパス出るまでにしよう」
「……うん、それくらいなら」
えへへ、とロディは楽しそうに傘を開く。
何だかんだいって彼はいつも譲歩してくれているのに気づいて、ハルセは鼓動が速まった。
せーの、とロディが掛け声を出して一緒に一歩踏み出したら、いつもより更に近い距離だったからか、いつか嗅ぎ取ったシダーウッドがよぎる。
(そういえばこの香りも、わたしが好きだって書いたヤツ……)
ノートに、ロディ自身は石鹸のような匂いが好きだと書いていた。
シダーウッドは十七歳の誕生日に友達から貰ったアロマセットの香りの一つ。コレ好きかもと記憶に残っていただけで、ハルセ自身が日常好んで纏っているわけではなかった。それこそ日々の入浴で、無意識に石鹸の香りを纏ってはいるかもしれない。
一方ロディは、明らかにハルセの好みに合わせたのだと察する。
こんな異性が自分の前に現れた事が、なかなか現実味を帯びない。
けれど、仮想空間で育んだ気持ちや思い出の欠片が少しずつ現出していて。
次第にハルセの中で確かな形になろうとしていた。




