長倉ハルセの「月が綺麗」
週末、同好会の十人ばかりで近場のプラネタリウムに出かけた。
近場と言っても大学からは路線バスで四十分はかかる所に在る。
ハルセも智も初めてのプラネタリウムだった。
「映画館に似てるね」
智の感想のとおりで、ドーム中央の投影機を囲うように座席が傾斜に沿って円を描いて並んでいる。
同好会メンバー以外にも親子連れやカップル、一人から三、四人のグループといった老若男女が来館していた。
「真ん中辺りの列がお勧めだ」
佐藤会長が手で示して、空席にめいめい座っていく。智とハルセで並んで、隣にロディ氏。割とゆったりしたリクライニングできる座席で、今日のロディ氏は足の長さを持て余さずに済んでいる。
携帯端末の通話機能をロックしてから、ハルセは全天の白スクリーンを眺めやった。小さく言う。
「このあと暗くなるんだよね? 寝てしまいそう」
同じ程度に座席を倒した智がくすくす笑う。やっぱり半ば仰向けに寝ている感じのロディ氏は、えっ、と声をあげた。
「僕ちょと、既にドキドキして眠れないヨ」
「おおぅ、どれだけ楽しみにしてるの」
「そりゃもー何度も夢に見る程ネ」
「アシュフォードさんも初めて?」
「そなのヨー」
しばらくして照明が落とされ、この季節の星空がスクリーンに映し出された。とても綺麗で解説も面白くて、寝ている暇は無かった。
明かりが点いて、観覧客達がそれぞれ動き出す。
智がほぅと胸元に手を当てていて、ハルセは寝返りを打つように僅かに身を捩ると、楽しかった、と破顔して感想を告げた。こくこくと彼女は同意してくれる。
ほわほわしながら座席の傾きを戻そうとしたハルセは、うっかり肘掛けに手を置いていたロディ氏に手を重ねてしまった。
「ごめん」
すぐにハルセは手をどかして身を起こす。リアクションが無いので目を投げると、ほぼ同時に起き上がりかけていたらしいロディ氏はちょっと固まったようになっていた。
「ハル、手、やわかい、ね……」
「そう? 棒術齧ってるから硬めだと思うけど」
「……マジかー……」
「マジだよ」
「ぅわぁ……」
ロディ氏は何だか乙女みたいに口元に拳を当てる。ほんのり赤くなっているので、ハルセも少々動揺した。
(こんなちょっと触れた程度で……ここら辺は、アシュフォードさんとロディは全然違ったか)
ファミレスに移動しますよー、と加藤先輩が声をかけてきて、慌ててハルセは立ち上がる。ロディ氏も立ち上がると洩らした。
「僕、しばらく手、洗えないー」
ドン引きしたハルセは、ファミリーレストランでお手拭きをロディ氏に突き付けた。
渋々拭いていた。
夕暮れ前に現地解散して、智とはバスの停留所で別れた。
自宅方面への停留所に立つ。車道を挟んで逆方向へ向かう停留所に並んだ数人の先輩や智に、ロディ氏と手を振った。
智が携帯端末を取り出したのを見て、ハルセもポケットからチェーンを手繰って手にした。
二人からメッセージが来ている。どちらの相手も久しぶりだ。
陽毬からと、高校のクラスメイトで、陽毬と一緒にカラオケや飲食店にも出かけていた七美から。
陽毬のメッセージが先に届いていた。
ニッコリ笑顔の周りにピンク色の音符やハートが散らしてあるアイコンを目に映しつつ、タクティーのスクショはもういいんじゃないかなぁ、とハルセは思う。
SNSで、いい感じの画像をハニーが次々アップしている。
そして本当だったらその殿下に入っている筈の人からじりじりと迫られているハルセは、陽毬にどう言えばいいのか皆目見当がつかなくなっていた。
少々眉尻を下げてメッセージを読む。
【私、今劇団に所属してるの♪
今度公演があるんだよ、チケット買ってー!】
お、とハルセはささやかに浮き立った。歌姫に向けて頑張っているんだと感じたからだ。
値段や公演の日時が書いていない。その辺を返信しないとなと考えつつ、もう一方のアイコンへ目を移す。
虹色の可愛い花のイラストが七美だ。彼女はデザインの専門学校へ進んだ。ダウナー系だったけれど付き合いは悪くなくて、同じ短期バイトをした事もある話し易い子だ。
【ながっち久しぶり。
ねこっちからチケット買ってほしいって言われたんだけど、ミュージカルのチケットって一万四千円もするもんだと思う?
えがっちやそがっちもメッセ来たらしいんだけど、高くね? って言ってる。
私は行くの迷ってて、他の子は行くなら感想聞かせてって感じになってるよ】
具体的な金額にハルセは驚いた。今日の素敵な星空の十倍はする。
バスが来た。智達の方。乗り込んだみんなが車内から改めて笑顔で手を振ってきて、ハルセも焦って手を上げた。
面々を乗せたバスが走り去り、ぼんやりと見送ったハルセはロディ氏を見上げた。
「アシュフォードさん、ミュージカル観に行ったことある?」
「え──僕、誘われてマス?」
「あ、いや、えっと……」
もし行くとなったら七美と一緒が良さそうである。「値段の相場? みたいなの、知らないかなって」
ロディ氏は整った眉を、おどけるみたいにちょっと上げた。
「相場といってもピンキリだネ。プロと素人でも随分変わる」
「あっ、そりゃそうか。一万四千て、安い方なの」
「素人の小さい劇団ネ? プロの公演は、余程いい席でもない限りそんな値段にならないヨ」
「あれっ、プロの方が安くなるんだ」
「スポンサー付くから安くできる。素人は借りる劇場代、道具代、衣装代、他諸々自分達で賄う分がチケット代に反映されるネ」
「なるほどぉ」
ハルセは悩んだ。
友達としては買って応援したいが、学生の身で出すには結構いいお値段である。
長倉家の方針で、ハルセは高校二年生の冬休みに短期アルバイトを経験した。その時に七美もたまたま一緒だったわけだが、それはさておき、一万四千円稼ぐのはなかなか大変だと身に染みて解っている。大体、あの時のバイト代は総額でも自動車学校へ通った代金の一部にしかなっていない。
しかし今はまだ親からお小遣いを貰っている。使っていないお年玉貯金もあるし、兄の影響で節約志向のハルセはチケット代を出せないわけではなかった。
考え込んでいるうちにバスが来て、乗り込んでからロディ氏が言った。
「遅くなりそうなら連絡するんだヨ?」
行く方へ天秤が傾いているのを見抜いた言葉だった。
翌週の水曜日は、皆既月蝕の観測会だった。
天候に恵まれ、プラネタリウムの日より多くの面子が集まった。
夕方五時半を回った頃、軽い夕食をテイクアウトしていくと事前に聞いていたハンバーガーショップの前で、ハルセは陽毬と会う約束をしていた。
同好会の十数人が連れ立って、バーガーショップ前のメニューを見ながらわいわいと注文を決める。会計の小林先輩と副会長の田中先輩、あと同期の二人が店内へ入って行き、残りの多くは先に目的地の自然公園へ歩き始めようとしていた。
「ナガちゃん」
先輩達とすれ違うように陽毬がやって来た。高校生の頃より一層華やかというか露出多めの美人になっていて、先輩の数人が少し目で追っている。
ハルセの横に居た智が気遅れ気味に陽毬を見る。高校の友達、とハルセが教えると、智は品良く会釈した。陽毬の方は、あ、こんにちはーと愛想のいい笑みを浮かべた。
「ナガちゃん久しぶりぃ。相変わらず王子様してるー。ってか、わたしこれから練習あるんだよね」
挨拶もそこそこに、陽毬は花柄のハンドバッグからチケットを差し出してきた。「一万四千で。ありがとね、七美も来るって言ってて。当日、お花とかも受け付けてるよっ」
「そか。分かった」
ハルセも時間をかけるつもりは無かったので、手早く代金を渡す。ハイ確かに、ありがとー、と陽毬はにこにこしてから、遠ざかりつつある先輩達をちらりと見やった。
「男の人多いね、わたしも無理」
いきなり智に小声でそう言った。えっ? と言う形に智は口を開いたけれど言葉は出てこない。
陽毬はぽんとハルセの腕を叩いて笑った。
「王子様ガンバ。じゃね、ありがとね」
そうしてフローラルな香りを残し、風のように去って行った。
ハルセの斜め後ろにはロディ氏がだれた姿勢で立っていたのだけれど、陽毬は多分グループの一員と見做していなかった。彼女の苦手そうな見た目だから視界に入れないようにしていた可能性もある。
「自己主張強い子ネー」
ロディ氏は可笑しそうにコメントし、智は困惑気味だった。
「コーニャさんに、似てたかも」
「……言われてみれば」
陽毬の持っていたバッグからコーラルの髪を連想し、思わずハルセは同意してしまった。
午後六時半を回ったが日没はまだで辺りは薄明るい。自然公園の開けた場所には他にも月蝕を見に来ただろう人の姿が散見された。
今夜の月は最も地球に近づき、通常よりも大きく見えるスーパームーンだった。更に五月最初の満月でフラワームーンの別称もあるとか。盛りだくさんである。
簡単な食事を済ませてゴミを片付けると、先輩達は慣れた様子で南東の空へ向け天体望遠鏡やカメラの準備を始めた。
本日は参加者の半数が女性で、集まってきゃいきゃいとミントタブレットを分け合ったり虫よけスプレーを手に塗り広げる。ちゃっかりロディ氏も混じっていた。
時刻を確認しながら、そろそろ部分食の始まり、と佐藤会長が言う。
これからじわりじわりと月に地球の影が被さっていく。
皆既月蝕となるのは午後八時くらいからだ。それまでは他の天体も思い思いに観測である。
伊藤先輩が茶化す口ぶりでロディ氏に言った。
「月が綺麗デスネ、なんてベタなコト言うなよぉ?」
「ヤラレター」
ロディ氏は笑み含みで返していた。「言いたかったのにー」
周りが笑っている中、ハルセは苦笑いしてぽつりとこぼす。
「純粋に綺麗と思った時、どう言えばいいんだろ」
他の人は聞こえなかったようなのに、ロディ氏が応じてきた。
「そのまま言っていいヨ。でも聞くのは僕だけネ」
結局違う意味みたいじゃない、とハルセは口をすぼめて隣を見上げる。彼はとぼけた感じで口角を上げていた。
それから、月は見えなくなるのではなく次第に赤みがかっていった。
地球に最接近しているだけあって、天体望遠鏡を覗かせてもらわなくとも、クレーターもかなりはっきり見えた。
大きなまん丸の銅貨のようだった。
何だかんだハルセは、綺麗……と口を滑らせ、You,too……とロディ氏に返された。




