長倉ハルセの変転
三月一日も高校へは行かなくていい日だった。
卒業式は来週の金曜日。
今日のハルセはVR対応PCで、昼過ぎから自動車学校の仮技能教習を受けるつもりだった。
サラリーマンの父は自室で朝からテレワーク。主婦の母は昼食後に弁当屋でパートだ。
学生の兄は去年の初春から殆ど実家には顔を出さない。来月からハルセも通う大学の近く、電車で二駅行った所で一人暮らしをしている。
母の都合もあって早めに昼御飯の支度が整えられ、家族三人は速やかにダイニングに集まった。
食べ始めてぽつぽつ出てきた話題は、来年のハルセの引っ越し先についてだった。
進学先は家からも通える距離だが、そこのところは長倉家の方針で、一度は一人暮らしを経験する事が決められていた。兄は高校卒業後にさっさと出て行ったが、ハルセは大学二年生辺りからという話になっている。
良さそうな物件に目星を付けておくようにと父が勧めるので、ハルセは炒飯を匙ですくいつつ何となく言った。
「兄ぃのアパートに空き、出ないかな」
すかさず母が、あそこは駄目、とぴしゃりと跳ね除けた。
「テッちゃんのトコはセキュリティが殆ど無いんだから。テッちゃんは若作りのおじさんにしか見えなくなってるから大丈夫だけど、ハルちゃんは美少年にしか見えないけど女の子だよ? ちゃんとした防犯システムが完備されてる所じゃなきゃ駄目」
「お前さん、それテツには言うたりなや」
関西生まれの父が、久々に方言で漏らす。
息子を“若作りのおじさん”というパワーワードで評した母に、ハルセもちょっと引いた。作らなくても兄はぴちぴちの歳である。筋トレばっかりしている所為かあちこちムキムキになっているけれど、ずっと剣道を続けていて、背筋の伸びた姿はカッコイイと妹としては思っている。
「でもこの前、漬物持っていってあげたら無精髭でお腹掻きながら出てきたのよっ」
あちゃー、と父が声に出し、ハルセも同じ文言が頭に浮かぶ。これは兄をフォローできない。
折に触れ突撃取材していたらしい母が、一人暮らしを始めてからの青年の生態をつらつら暴露して、昼食は終わった。色々と聞きたくなかった。次は我が身かと思うと恐ろしい。
母が出勤して父も自室に戻り、ハルセも歯を磨いてから私室に入った。
サイドテーブルに置いてあるキューブを起動して携帯端末と繋ごうとしたら、メールが来ているのに気づいた。
【長倉ハルセ様
こんにちは。『ニジゲンに飽きたトコロEX』運営チームです。
此度は“特別企画・オンラインで芳月タクトと恋しちゃう⁉”に御応募頂き、誠にありがとうございます。
厳正なる審査の結果、長倉ハルセ様は「ヒロイン:隣国からの留学生」として当選となりました。おめでとうございます!
つきましては──】
「は──? え……っ──は?」
ハルセは驚きのあまりに端末を取り落とした。ラグの上でぽすりと微かな音がたった。
ヒロイン役の公募期間は昨年の十二月二十四日から今年の一月十五日迄だった。
十八歳から二十四歳までのキューブを所有している日本在住の女性。当選枠は五。
そこそこシビアな条件だったにも関わらず、十二月二十五日の時点で当選倍率は二桁に達していた。締め切りの頃には三桁の数値が公表されており、陽毬が遠い目になっていたものだ。
ひと月間違えたエイプリルフールなんじゃないかと記載された日付を確かめ、間違ってなさそうでハルセは呻いた。
(どどどどうしようぅ──どうすんの、これ──)
そうだ権利放棄しよう、と思い立ち、慌ててメールを読み返す。読み返して血の気が引いた。
当選が確定した時点から個人IDを基にキャラクター作製作業に入っており、相応の事情が無い限りは権利放棄は遠慮してほしい。最低でも累計五十時間はプレイしてもらいたい。悪戯と見做される応募、悪質なゲーム内での挙動は業務妨害と判断し、法的措置をとる事もあるなどと大仰な警告文が並んでいる。
泡を食って公募サイトも読み込んだら、きちんと同じような事が書いてある。
ハルセの顔には冗談のように冷や汗が噴き出していた。
全く頭が回らない状態で受けた車の仮技能教習は、当然のように追加教習が決定した。仮クリア後でリアル教習だったら事故っていたかもしれない有様だった。
受かったぁあああ! とか何とか陽毬から連絡が来るんじゃないかと何度も携帯端末を見るが、次の日になっても来ない。
陽毬から連絡が来ないかとチェックする合間に、ハルセに届いてしまった当選お知らせメールも繰り返し読んだ。
ゲームで遊べる期間は最長で三月二十四日から九月十七日迄。
但し、期間内にメイン攻略対象とハッピーエンドに達したヒロインが出た場合、達成から一週間前後で終了というケースがある。その際、他のヒロインが別の攻略対象を攻略中と運営が判断した場合は変更もあり。そういった諸々を留意して欲しいとある。
累計プレイ五十時間達成で製品版『ニジゲンに飽きたトコロ』を発売と同時に発送の予定。メイン攻略対象を攻略できたヒロインには達成如何に関わらず発送が確定する。そんな事々も書いてある。
貼ってあったリンクから、ほぼほぼ完成している自キャラクターの頁に飛べるようになっていた。
メールによると、体形は変えられないが、髪や眼、肌の色は調整可能。顔のパーツも些少はリクエストに応じて変更可能となっている。三月八日迄にキャラクターネーム共々連絡が無ければ、造形はそのまま、名前はファルセ・リーベルトと付けられるそうだ。名前を変更する際は世界観に合ったモノにしてほしいと注釈がついている。
デフォルト画像は、優しい色使いのプラチナブロンドに琥珀色の瞳、ぶっちゃけ性別不詳の人物が載っていた。色味やイラスト風デフォルメによって、見知った人に注視されでもしない限り、ハルセとは判らない感じである。
留学生という設定なので、学園では正装用のローブを羽織っていれば下は制服スカートやズボンでなくてもいいという。気に入ったコーディネートは登録もしておける。ハルセが日頃から男装していることを知っているかのような、至れり尽くせり仕様だ。
メイン舞台は魔法を主に勉強する学園。イベント発生地点は周辺の学園街やダンジョンも含まれる。
ファルセ・リーベルトは隣国で初めての希少な癒しの魔法使いとして覚醒してしまった為、技術や知識を学びに来たそうな。本国では聖女扱い。籠の中に閉じ込められかけていて【この留学は自由を掴む最初で最後のチャンスかも?】とある。
【彼らと関わる事で貴女の行く末も変わる可能性が】と書かれた下には四人のイケメンイラストが並ぶ。
一番左に大きく出ているのは、陽毬の推しである芳月タクト扮するエフィメラル王国第三王子タクティー。この何処となく幸薄そうなキャラクターは、イラストでもモデルが一発で判る出来栄えだ。
後は横並びに、キリっと目力の強い宰相令息クルグラ・トゥーフェス。
にかっと笑っている近衛騎士見習いドギー・イネルグ。
無表情で明後日の方に目線が向いている魔法師団の新星ロディ・ノヴァ。
要するに、この中の誰かと恋愛してみましょうということだ。とはいえ陽毬は王子様目当てだったし、他の選抜ヒロイン達もそうなんじゃなかろうか。
因みにもしハルセがこの中で誰がいいかと訊かれたら、第一印象は眼鏡かな、と答える。
ファルセ・リーベルトのキャラクター画像の脇には、兄と遊んだRPGで見たことのある能力値も出ていた。DEXだのVITだのというヤツ。
ハルセは所謂乙女ゲームと言われるジャンルは遊んだことが無かったので、これが恋愛シミュレーションの普通なのかが判らなかった。
(うわぁ、筋力と素早さ、ひっく。INTよりMNDがずば抜けてるってことは、こっちが回復魔法に関わってんのかな)
知力と精神力の扱いはゲームによって微妙に違うので少し判断に迷う。
ログアウト中はそれまでのプレイヤーの行動を学習した専用AIがキャラクターを動かし続けるそうで、簡単な指標を設定できるようになっていた。
この機能で、低い能力値はログアウト中にダンジョンとかで上げてもらいたいなぁ、などと考え始めてしまい、ハタとする。
(何やる気になってんだ、わたしー!)
両手で顔を覆い、ハルセは天井を仰いだ。




