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長倉ハルセの男装事由

暴力の描写があります。

 長倉(ながくら)ハルセは歩いていた。

 つと、小学生と思しき女の子達が笑い声をあげながら追い越して行った。めいめい、小さな水筒を斜め掛けしている。内一つはピンク色のような気がした。

 足元を見やれば、白い花──ニワゼキショウ。

 あの時は、これなんて花だろう、と思ったのだ。

 突如、視界が激しくぶれた。

 へぶ──っ、と言葉にならない声が漏れた気がする。

『うるっせぇんだよッ!』

 野太く喚かれた。視界の端に三十代くらいの男の姿。

 子供の悲鳴が飛び交う。

 大人が走り回る気配があった。乱れた振動が伝わってくる。


 どどっどどっどどっどっ──


 目が覚めた。

 ハルセは、鼻から深く息を吐き出した。

 枕と接している耳元から、自分の鼓動の速さを知る。夢で感じた振動の正体が判った。

 仰向けに寝返りをうって、ぁー……と細く声を漏らす。両手で頬にかかる前髪をかき上げた際、掠めるように触れた右のこめかみ付近がささやかに盛り上がっている。古い縫合痕。

(最近は、そんなに思い出さなくなっていたのになぁ)

 高校生活も後は卒業するだけとなって、何かしら心に隙でも生じたんだろうか。

 ゆっくりと二回ばかり深呼吸をしてから、ふぅ、と息をつく。


 側頭部に痕を残す目に遭ったのは、小学二年生の五月だった。

 校外学習で、近所に在る古墳見学をする為、クラスメイトと歩道を列になって歩いていたのだ。

 歩きながらお喋りをしていた女子の数人が笑い声をあげた。それほど大声では無かったと思うが、すれ違った男にとっては一線を越えるに値する音量だったようだ。

 ハルセは、お喋りに加わってはいなかった。たまたま道端の可愛い花に気を取られ、歩みが緩んでいた。話に花を咲かせるクラスメイトが追い越していき、蹴ってくれと言わんばかりにやや身を屈めてしまったハルセの背に、罵声と共に大人の男の靴裏が襲いかかった。

 小さなハルセは見事に吹っ飛び、沿道の植え込みへ派手に頭から突っ込んだのだった。


 この事件は、ちらっとながらも全国区ニュースとして採り上げられた。

[警察の取り調べに対し、容疑者は「むしゃくしゃしていた。誰でも良かった」と供述しているとのことで──]

 などと、アナウンサーが淡々と読み上げていた。


 校外学習には引率の教師が二人居た。誘導で前を歩いていた男の先生と、見守りとして後ろについていた女の先生。

 叫んで更に暴れそうだった加害者の男を取り押さえたのは、男性教諭と他の通行人だった。

 事件の二日ばかり後に女性教諭が長倉家を訪れ、涙ながらに懺悔した。加害者の突然の暴挙を目の当たりにした時、頭が真っ白になって全く動くことができなかった、と。

『先生にお怪我が無くて良かった。誰でもいいなんて言いつつ、そういう輩が狙うのは自分より弱い者じゃないですか。女子供やお年寄りが被害を受ける』

 そんな台詞で両親は女性教諭を宥めた。

 横で聞いていたハルセは、そうだったのか、と目の前が晴れた心地だった。

 何故、煩くなんてしていなかった自分が、見知らぬ小父さんに怒鳴られ、蹴られたのか。

 その時ハルセは既にカウンセリングを受けていた。受けていたものの、我が身に降りかかった理不尽が納得できておらず、それを上手く言葉にすることもできずに、胸奥に燻らせていたのだ。

⦅わたしが弱そうな女の子だったからかぁ⦆

 蟠りに折り合いをつけられたハルセは、以降、男の子のフリを試みるようになった。


 初めは一つ歳上の兄を真似た。

 かなり早い段階でクラスメイトに怖がられた。

 怖いということは弱そうじゃないということだ。目論見どおりだったわけだが、級友を怖がらせるのは違う気がした。

 最初に、ナガちゃん怖い、と訴えてきたのは、クラスでもとりわけ可愛かった根古塚(ねこづか)陽毬(ひまり)だった。

 ハルセが兄真似の理由を話すと、陽毬はノリノリで助言をくれた。

『それなら悪役じゃなくてヒーローの方がかっこいいし強いじゃん!』

 兄が悪役みたいに聞こえたのが引っかかったけれど、いかにもな男子は怖いと主張する陽毬に折れて、ハルセは“王子様”寄りの男の子のフリをするようになった。自称も“オレ”から“ボク”を経て、男性が言うと落ち着いたオトナっぽいから、と“わたし”に戻った。

 中学も制服が無い学校だったものだから、そのまま男装続行。母が時々物申したいような雰囲気を醸すようになったが、発端を知ってもいたから黙認を続けてくれた。

 高校も制服の無い所を志望した。

 その頃にはもう、男装したくらいでは意味不明な暴力は予防できないと理解していた。けれども、それなりの心の自衛にはなっていて、あの事件を忘れかける程度には穏やかに過ごせていたのだ。


 なのに今更、まざまざと夢に見て思い出してしまうとは。

(何で? 陽毬とガッコ別れるのが地味にストレス……?)

 ベッドから起き上がり、んー、とハルセは顔を傾け、ややして緩く首を振る。


 何だかんだ、陽毬とは小、中、高と一緒の学校だった。

 彼女は小、中は歌手になりたいと憧れを口にしていて、高校受験が迫る頃は宝塚への進学を選択肢に入れようとしていた。とはいえ本気で目指すにはスタートが遅いと大人達に諭され、やってみなきゃ判んないじゃん、としばらくハルセは愚痴を聞かされまくった。最終的には、ハルセの志望校に合唱部があると知るや、同じ所を受験。元々学力的にトップクラスだったので、陽毬は首席合格だった。


 合唱部に入った陽毬には、結構頻繁に発声練習への付き合いを持ちかけられた。護身術の教室がない日は付き合っていたけれど、ハルセは男子のフリをする都合上、日頃からあまり声を出さずに過ごすようにしていた。だから、のびのびと通る陽毬の歌を呟くように復唱するか、彼女の練習を黙って聴いている事が多かった。


 ハルセは段々と、何故一緒に過ごしているのか自問する機会が増えていた。でも、ずっと歌い手を夢見て地道に歩んでいる陽毬を応援する気持ちは残っている。

 陽毬は音楽大学の声楽科へ進学を決めた。つい先日に結果報告を受けたハルセは、目指せ歌姫、とエールを贈った。

 先ずは卒業式の後でカラオケ目指そー? と陽毬は笑っていて、進学先が別れても腐れ縁っぽく付き合いが続きそうだなと漠然と思ったばかりだ。


(ん? それがストレスだったり……? いや流石にそれは……陽毬のコト嫌いなわけではないし)

 明るくて話好きで、ありがとね、と何かにつけ笑顔で伝えてくれる美少女、陽毬。

 センター分けに近い髪を手櫛で梳いて、ハルセはベッドを降りた。ふと、すっかり忘れていた入試直前の出来事を思い出す。

(去年応募したあのゲーム、ホント陽毬はヒロインに当たっても不思議じゃないんだよなぁ)

 高校に入った辺りから陽毬の嵌まっている芸能人、芳月(よしづき)タクトが、恋愛シミュレーションゲームにキャラクターモデルどころか中の人として出演するらしい。

 受験勉強のストレスが溜まっていたのか、はたまた興奮してとち狂ったのか──ナガちゃんも応募して! と陽毬が携帯端末を手に迫ってきたのは昨年のクリスマス前。

 彼のファンクラブは会員募集が二年前に終了してしまい、ファンクラブ自体も去年末をもって閉鎖になった。理由が何だか曖昧だったらしくて、ファンの間では色んな憶測が飛び交っているそうだ。

 そのファンクラブ閉鎖寸前に公表された新お仕事情報が、先のゲームの件。

 更に、ゲームキャラクターとはいえ、芳月タクトと疑似恋愛できるヒロイン役が一般公募された。陽毬が舞い上がるのも仕方なかったかもしれない。

 詳細を読み込まずに、数撃ちゃ当たるとばかりにハルセは引っ張り込まれ、公募サイトから応募した。

 応募してから、当選の権利譲渡は不可だと明記されているのに気づいた。当選の権利放棄はできても応募の取り消しはできず、わざわざ倍率を上げてしまった陽毬は崩れ落ちていた。

 説明はよく読まないといけないもんだなぁ、とハルセは何処か他人事として捉えていた。


 まさか三月一日、自分の所に当選メールが来るとは、予想だにしていなかったので。

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