芳月タクトのラストジョブ
吉槻拓人がふらりと剣術道場へ赴いたら、友人のテツが居た。
二月も終わろうという昼下がり。友の通う大学はそろそろ後期授業も終了していて、空いた時間は剣道の稽古に当てることが増えているんだそうだ。
以前に習いかじった剣術の型を見直してもらいながらそんな話を聞いて、久しぶりに顔を合わせたし、も少し駄弁ろうか、と意気投合。自宅マンションに移動した。
拓人がトレイを持ってリビングへ戻った時、カウチがあるのにテツはフローリングの床に胡坐をかいていた。ローテーブルの上に置いたままだった物をしげしげと眺めている。
丁度良かった。頂いたものの、ちょっと持て余していたのだ。
彼が見ているのはコンシューマーゲームソフト『ニジゲンに飽きたトコロ』のパッケージ。女性向け恋愛シミュレーションの体験版で、製品版はまだ完成していない。
柔らかいタッチで描かれた、十代後半と思しき男女五人のイラスト。右手前の方に居る女性は後ろ姿。制服っぽい服装で奥へ駆け寄ろうという感じ。三人の男性は残る画面の角辺りに一人ずつバストショット。
そして、ほぼ真ん中に立ち姿で、深紅のマントを肩口から翻している人物。俯きがちではあるものの、カメラ目線で微かに口元を綻ばせている。
「真ん中のキラキラ王子ってお前さんか?」
「キラキラというか、儚げ設定なんだ」
テーブルにトレイを置き、拓人もフローリングへ腰を下ろしつつ応じた。乗せてきた緑茶のマグカップと月餅の小皿をそれぞれの前に移しながら、続ける。「テツ、妹いるでしょ。ゲームするようなら、ソレあげるよ」
テツは手に取ったパッケージを裏返して対応機種に目を走らせ、呟くように言った。
「キューブは勉強に使えるから、って去年親が買ってやってたな」
VR対応PCがあるなら、携帯端末で遊ぶよりも楽しめるんじゃないだろうか。その辺は好みの違いもあるが、『ニジ飽き』はVR利用者をメインターゲットにした作品らしい。
「そういや、妹さんて幾つ? 乙女ゲームを楽しめる歳かな」
「ゲームの趣味は知らんが、春から俺と同じ大学に来る」
「お、それはそれは。合格おめでとう」
「おぅ……そうだな、合格祝いに渡してみるわ。ありがたく貰ってく」
薄いパッケージを軽く掲げてからテーブルの端に置き、テツはマグカップを傾ける。拓人も自分のカップを手にした。何となしに、パッケージの表面が目に入る。
イラストとしてデフォルメされているとはいえ、改めて見ても、気の合うカメラマンが撮ってくれたかのような表情の仕上がり。ナチュラルに眉付近にかかるチョコレート色の前髪と緑がかったアースアイまでも細かに出力されていて、びびる。キャラクターデザイン担当の女性が、タレント、芳月タクトの大ファンなのだそうだ。
「これに協力? したのが、最後の仕事だったのか?」
稽古で少しだけ乱れていたツーブロックの黒髪を指先で掻き、テツが小首を傾げて問うた。月餅を摘まみ上げながら拓人は曖昧に首を振る。
「これから本番というか、メッセージ送った去年の秋から少しずつ始めてて。このあと早いと一、二ヶ月、最長だと半年かかるっぽいかな」
「終了時期にえらく差があるな」
訝しげな友に、拓人はおどけたように肩をすくめて見せた。
「守秘義務があるから詳しく言えないけど、僕が攻略されると終了って感じ」
拓人はテツと同い年で今年二十歳になるが、芳月タクトとしての芸歴は十七年に及ぶ。
建築士をする日本人の母と言語学を専攻する英国人の父は、今でも自分事で周りをおざなりにする傾向が強い。そんなだから、幼少時の拓人は頻繁に母方の祖父母宅に預けられていた。
その祖母に連れられ、服飾モデルとして広告に載ったのは三歳らしい。天使と称されていたそうだけれど、全く記憶に無い。
五歳半ばでTVCMに出演したようだが、やはり覚えていない。ただ何故か天才子役と持て囃され、主に俳優として今日まで流されて来てしまった。
演じることは嫌いではない。しかしながら、真剣に向かい合っている周りの同業者と接していれば、長じるにつれ気づく。
拓人は、圧倒的に情熱が欠けていた。
だのに運良く当たり役を得てしまったからなのか、未だに一定の評価をされ続けている。
このままでいいのか、と心の奥に問が生まれたのは五年前。
たまたまその頃、この業界だけは生身に軍配が上がると言われ続けていたAI俳優の水準が跳ね上がった。経験を重ねねば出せないような感情表現を可能にしたAIが登場したのだ。
予算や時間のロスを抑えられると起用する制作側が増えた結果、生身の俳優の需要がじわじわと下がり始めた。
拓人に舞い込む仕事にも変化が出た。具体的には、バラエティ番組のゲスト依頼が増えた。
付き人として色々と口を出してきていた祖母は、気に入らなかったようだ。賑やかし要員といった扱いに加え、何よりギャランティが。
拓人本人が気にしないと明言していたので決定的な決裂は避けられていたが、所属事務所と祖母の関係は険悪になっていた。三年前、母方の祖父が急性疾患で亡くなるまで。
彼の死は予兆も無く突然の事だったのに、遺言書が弁護士に預けられていた。
妻には、自分の遺産で満足するように、と。孫の稼ぎを搾取するのは恥ずべき事だ、と。
娘には、もう少し我が子を気にかけろ、と。
孫には、上手く助けてやれなかった事を許してほしい、といった内容が書かれていた。
顧みれば、祖父と同じ家に在った時間は決して少なくなかった。にもかかわらず、スケジュールに追われ彼との思い出が殆ど無いことに拓人は気づいた。気づいて、愕然とし、弁護士に掴みかからんばかりに激高する祖母の姿に疎ましさを覚えた。
それは、これまで育ててくれていた事への恩義でもって蓋をしていた感情で。
けれどとうとう、隠し切れずに溢れ出してしまった。漠然と察していた事々が、遺書で明文化されてしまったのも心奥の波紋を広げる一石だった。
項垂れた拓人の唇から、掠れた本音が思わずこぼれた。
『ん……僕、そろそろ、普通のおじさんになりたいかもな……ぁ』
祖母は絶句した。驚くほど顔色が白くなった。まるで、燃え尽きたかのように。
弁護士が黙然と目を伏せ、搾取とはどういうことだと問い質しかけていた母も顔を引きつらせていた。
まだまだ前途洋々の筈の未成年。そんな十七歳の少年から出たとは到底思えない発言が、相当に衝撃だったようだ。
結局、それが転機となった。
拓人個人との関係は良好だった事務所は熱心に慰留を働きかけてくれたけれど、調整がつき次第、芳月タクトは円満退所と引退が決まった。
そうして最後に受けた仕事は、駄目元で依頼してきたらしい相手が、こんなギャラで受けてくださって、と何度も感謝してくる内容だ。
・オンラインで、乙女ゲームの攻略対象として立ち回り、行動をAIに学習させる。
・攻略対象の生い立ち等は設定されているが、それに沿ったストーリーの台本は無い。故に立ち回りはほぼアドリブ。ただ、好感度ポイントが溜まった段階に応じて定められた台詞を挟む。
・同じ開発会社のRPGシリーズの新作がタイアップミニゲームとして組み込まれており、そちらのテストプレイも行う。
今度発売するコンシューマー版『ニジゲンに飽きたトコロ』の宣伝を兼ねた企画なのだそうで。
ヒロインとして公募されたプレイヤーの誰かがハッピーエンドかノーマルエンドを迎えたところまでのプレイ動画を、編集して公式サイトにアップする予定だという。
『出来によってはドラマとして収益化したいな、って』
打ち合わせの時、広報担当の男性が無邪気な笑顔で言っていた。『ビビッときた子が居たら、芳月さんが逆攻略しちゃってください! そっちの方が盛り上がりそうじゃないです?』
『無理する必要ないですよ。ヒロイン候補複数なんで、シーズンイベント紹介しつつ、みんなでノーマルエンドでも綺麗に纏められますので』
キャラデザ担当の女性が殺意を込めた視線を同僚に向けつつ言い添えてきたので、拓人はアルカイックスマイルを固定して茶を濁しておいた。
実際には、プレイしているうちに条件を達成するとシステムが裏側で“好感度”なるポイントを溜める。規定数溜まると、対象の攻略成功となる仕様なんだとか。
成功まで溜まったら見合った演技を求める連絡が来るそうなので、役柄にそぐわない言動をしない限り、拓人はバーチャルの舞台上で気ままに過ごせばいいとの事。
周りに言われるがままだったタレント人生で、最後に自分で選んでみた仕事だった。




