ファルセ・リーベルトの愛称
ロディに送ってもらったファルセがふらふらと寮の食堂へ入ると、席に着いていたトモミが頬を紅潮させてぱっと立ち上がった。
「ファルさんっ、おめでとうっ」
「──えっ」
「お知らせ見たよっ、素敵、素敵っ」
「──ま、まさかアレ──ワールドアナウンス……っ⁉」
茫然とするファルセを椅子へ座らせ、向かいに腰かけたトモミがきゃぴきゃぴした様子で身を乗り出す。
「ス、ストロベリーガーデンでプロポーズされたの? あっ、その指輪も素敵っ、貰ったの? わぁわぁあ」
きゃあ、とトモミの方がよほど可愛く恥ずかしがっている。
魂の一部が抜けそうになっているファルセにすぐ気づいたらしいトモミはトーンダウンし、恐る恐る問うてきた。
「だ、大丈夫? も、ももしかして、モザイクかかるような何かが……」
「……かかりかけていた気がする」
「ぅわぁ……ロディ君のAI、やっぱり振り切れてるよぉ」
トモミは両手を真っ赤な頬に当てる。「よ、よく攻略できたね。スゴイよファルさん」
「……わたし、餌付けしかしてないのに」
「胃袋掴んだんだね」
「それって手料理以外でも通用するんだ」
しかもファルセがあげたのは貰い物のクッキーと市販の飴とカビたような苺である。おかしい。
「婚約したってことは、結婚式したりするの?」
「え、そ、そこまではしないんじゃないかなぁ」
しかしながら“新婚旅行”などと言い出していたから不安になってくる。その行き先がダンジョンなのはどうかと思うが。
共にやや落ち着いてきて、夕食としてカウンターに並んでいたメニューからコンソメスープを持ってきた。座り直して少し含む。あったかい物が実に染みた。
トモミはきちんと器の左端にスプーンを斜めに置いて、話を再開した。
「他の人達の進展はどうなっただろ……わたし昨日、ハニーさんとコーニャさんが、王子様を誘って出かけたっぽいのは見たの」
ファルセは眉が下がる。似た光景を目の当たりにした自分は涙が出そうになった。トモミの気持ちを思うと切なくなる。
「トモちゃん、お出かけしなくていいの……?」
「うん、わたしはホント無理だからいいの。二人で消えちゃったから、見続けられなかったのが残念かな」
トモミがやや上を見上げ、ファルセも目を上げる。
食堂の天井には梁が巡らされ、小洒落た装飾のキャンドルホルダーが等間隔で吊られている。夕方の時間帯の今は火が灯り、やんわりした明かりをテーブルに投げかけていた。
トモミは、その光と同じような柔らかさで言った。
「わたしにとって、タクト君は憧れなの。色んな役柄やイベントを軽やかにこなしちゃう姿がカッコ良くて、羨ましくて……見ていたい。恋人になりたい対象とは、ちょっと違うの」
「あ……なるほどぉ」
「このゲームに参加できて、もし恋人になったらなんて妄想したら、わーってなっちゃうんだけど……タクト君は役柄上とはいっても、何作か、色んな女性と、その、触れ合ってるの、わたし、TVとかで観て、知っちゃってる、わけで……」
ファルセは大いに頷いた。
「例えどれほど美味しそうでも他の人が箸つけたモノ食べたくない的な」
同意するようにトモミはテーブルの上で両の拳を握る。
「お仕事って解ってても、わたしには割り切れない。やっぱり、カレシには自分だけ見ていてほしいよ。だから、タクト君のことは眺めてるだけでいいの」
スプーンを手に取り直しながら、トモミは頬を染めたまま言った。「今の王子様役も、とっても儚げできゅんとくるけど、王子様の演技も巧いなぁ、って。こんなに近くで見れるのが幸せ、って感じで」
(智ちゃん、少し違ったんだ──とにかく見た目に熱を上げてた陽毬みたいなファンとは……)
「実はわたし、芳月タクト君あんまり詳しくないんだけど、タクティー殿下と性格なんて全然違う?」
何となしにファルセが訊くと、多分、とトモミは首肯した。思い返すのも楽しそうな様子で、普段よりずっと滑らかに話してくれる。
「バラエティに出てるタクト君は、年相応の男の子だよ。でも芸歴長い所為か、そつがないって言うのかな? 一昨年辺りに料理番組のゲストで“最近自炊始めたんです”って、はにかんでたんだけど、既に手際良くてね。基本的に大人っぽいし、言語学士を十五歳前後で取得するくらいには頭が良いの。“こういうのは初めて”って言ってたVR脱出ゲームの番組でも、最初に戸惑ってただけで、何だかんだ謎解きどんどんして脱出に成功してた」
「ほわぁ──あぁ、それで大学も聴講……うわぁ結構、何でもありだなぁ」
「でしょ。憧れちゃう」
ほわほわとトモミが微笑んだ時、タタッと誰かが食堂に走り込んできた。目を向けると珍しいコーラル色の髪のコーニャだ。ファルセ達を見ると、あっ、と声をあげた。
「貴女、ヒロインだったわけ? 紛らわしいっ」
つかつかと歩み寄りながら言ってくる。「男の娘の隠しキャラか何かかと思ってたのにっ」
ファルセはぽかんとし、トモミは固まっていた。
苛々した様子でコーニャは爪を噛むような仕草をして、もうっ、と吐き捨てた。
「乙女ゲームの主人公って言ったらピンク髪の平民特待生なのにっ」
体験版の主人公は日本から来てしまった黒髪の迷子である。コーニャが何を言っているのか解らない。
その後も彼女は“悪役令嬢はマウント取るだけじゃなくて階段から突き落としてくれないと”だとか、“本命を攻略するには脇から順番に攻略していくのがセオリー”、“本来は全員攻略してからじゃないと隠しキャラは出てこない筈”等々を一方的にまくしたて、終いにこの場に居ない人物にキレていた。
「君は一体何をしてるんだろう? ってデートでしょうよ、タクト様ッ」
(それまでの行動全てに対する質問じゃないかなぁ)
ファルセもトモミも内心でしか口を挟めず、頬を引きつらせるしかできない。
そこへ芝居がかった、オッホホホホ、という笑い声が入ってきた。
えぇ……? という表情でファルセとトモミが視線を投げると、食堂の入り口に勝ち誇ったような顔をしてブロンドのハニーが立っている。何処で調達したのか豪華なドレス姿だった。
「あらぁ、食堂なのに犬の遠吠えがすると思ったら貴女でしたの、ピンクさん」
台詞にドン引きするファルセとトモミを置いて、あ? とドスの効いた声をコーニャが発する。
ハニーはやけに様になる手つきで扇を広げた。いつの間にか体験版の侯爵令嬢本舗カタリナ・アンダルアと似てきている。
「負け犬を犬と呼んで何の障りがありますの? タクティー様が先にエスコートして下さったのはこの、わ、た、く、しですものっ」
オッホホホとまた高らかにハニーは嗤う。美少女コーニャが般若のような形相になった。
「悪役令嬢のくせにヒロイン差し置かないでくれる⁉ このゲーム正統派ですからぁ」
「貴女、初対面の時から失礼よ。誰が悪役よ、わたくしが婚約者にほぼほぼほぼ内定しているヒロインですっ」
「最終盤で婚約破棄されるに相場が決まってんだからさっさと仕事しなさいよ!」
「なんですってッ。貴女、本当に何なの、意味解らないわっ」
激しい罵り合いが始まり、ファルセとトモミはアイコンタクトを取ると、そろそろと自動行動に移ったフリをして食堂から退散した。
食堂を出ても背後でギャーギャー言っているのが聞こえてくる。
夜が近づき薄暗くなりつつある廊下で、ファルセはしみじみとトモミに感想を述べた。
「あの二人を儚げに接待プレイしてるなんて、芳月タクト君、スゴイよ」
「あ、あの人達、王子様の前ではヒロイン風だから……」
トモミは胸元に手を当てつつ溜め息交じりに言った。「今まで、滅多に食堂で会うこと無かったのに。ファルさんの婚約のお知らせを見て、ちょうど夕方にもなったから、来てみたんだろうね」
「嗚呼、そういうことか。連休だしイベント中だし、みんなインしてたんだね」
やれやれとファルセが肩を落としたら、こつん、と細いヒールの靴音がした。
自室へ通じる階段口から、五人目のヒロインが姿を見せた。
取り繕えずにファルセは身が強張った。先生も女子寮に住んでたんだ、と今考えてもどうしようもない事が浮かぶ。
学園ローブの教職員コーデだったが、モスカ先生も中の人が居るようだった。ファルセを見て、とても悔しそうな顔をしているので。
トモミはその表情に怖気づいたようで、ほんの少しファルセに寄り添う。
はぁ、と遣る瀬無さげに美人教諭は息を吐いた。
「訊いておきたいんですけど……貴女がファルセさんですよね」
「はい……初めまして、ファルセ・リーベルトです」
「どうも。初めまして、ここではユリア・モスカよ」
「トモミ・ウチハシ、です」
トモミもそろりと名乗って、どうも、とユリア先生は若干投げやりに顎を引く。
「それで、気づいて彼を狙いました?」
「……えと、何をでしょう」
ファルセが罪悪感含みで応じると、先生は天を仰いだ。
「嗚呼……あぁー、ショタなの?」
「え、いえ、そういう、わけでは」
新星の童顔はせいぜい二、三歳下ぐらいだが、それでもそう見られるのか。ファルセがしどろもどろに応じると、ユリアは薄暗がりの廊下でも判る程度に目の端に涙を滲ませていた。
「見抜けてもいなかったのに何で攻略してんのよ……」
謝るべきなのかとファルセが小さく口を開閉させる間に、ぇ、とトモミが小さく漏らした。
「まさか、ロディ君の中に、タクト君が居ると思ってますか……?」
は? と声に出せずにファルセが友人を見る前で、ユリアは長い栗色の髪を手で払った。
「まぁ、もうこうなったらわたしの勘違いであってほしいけど。むかーし、子役時代に親族経由でちょろっと漏れたことがあんの。彼の本名のセカンドネーム」
「ロディなんですか?」
トモミが驚いた様子で口にすると、ユリアは緩く首を振った。
「ローデリック。海外じゃロデリックが一般的な名前なんだけど、彼はちょっと変わってて綴りに“h”が入ってる。ま、どっちにしろ愛称がロディなの。何か怪しいなと思ってロディ・ノヴァを観察してたら、瞳がアースアイになってるし。タクティーは囮で、こっちが本当のファン向けの本命だと思った」
ファルセの脳裏には講義室での筆談が蘇っていた。
(書いてた。ローデリックが本名て)
そもそも何故そんな事を教えてくれたのか。必然性は無かった。
(わたしが自分のコアなファンか確かめてた……?)
違う。あれは単に、本当の自分を知ってほしくて──“ロディ”を愛称として呼んでほしくて書いていた。
昼と夜。木漏れ日と星空。真逆なのに何処か似た煌めく瞳。そんな瞳で見つめてきた、あの人の幻聴が心に届く。
『大好き』
ファルセは頭が沸騰しそうだった。




