ファルセ・リーベルトの婚約
ハルセの誕生日だった筈なのに、長倉一家総出でロディ氏の話ばかりしていた気もする日であった。
若干の気疲れを覚えつつ寝支度を終えたハルセは、ファルセの行動履歴をチェックしておく。
【現在ログアウト中──行動指標設定:学園に通う(運動)】
[四・三〇 ……]
[ 昼:武術教練場でドギー・イネルグと会う。運動。
学生食堂で昼食。???を見かける]
[ 夕:園庭でロディ・ノヴァと触れ合う。婚約指輪を贈られる。
寮で夕食。トモミ・ウチハシと語らう。???を見かける]
(婚約指輪⁉)
仰天して、次いで、ログアウト中に渡された事に複雑な感情が湧き起こった。AIに言ってもしょうがない事ではある。けれど、ログインしている時に贈ってほしかった。せっかく今日は誕生日だったのに。
今日ログインする気は無かったくせに、そんな自分勝手で乙女チックな発想が生じたことにもハルセは驚いていた。結婚式がどうのこうのと調べたりした所為なんだろうか。
ぅわあぁー、と羞恥に悶えてハルセはベッドの上をごろごろし、明日はなるべく早くログインしようと決意して明かりを消した。なかなか寝付けなかった。
翌五月一日、何とか早起きし、午前九時になるかならないかでハルセはログインした。
ゲーム内は昼が半ば以上過ぎたところだった。
昼食は済ませたらしいAIファルセは、のこのこと図書室へ来ていた。“行動指標設定(運動)”とは……と問いかけたくなる有様である。
(もうこれ……ファルセ、ロディが世界の中心になってる……)
自動行動が終了するまでの時間が短い。何せ隣にロディが居た。
窓辺に設置されたカウチのような長椅子に二人で並んで座り、それぞれ膝の上で本を広げていた。
本に添えられたファルセの左手には、昨夜履歴に出ていた指輪が薬指で存在感を放っている。
銀色で五㎜幅くらい。石は付いていないようで、アンティーク風の草が絡まっているような透かし模様の指輪だった。きちんとサイズもあっているようだ。ハルセは指のサイズが判らないというのに……AIに負けている。妙な屈辱感があった。
もしかしたら自力で魔法を覚えられるかもしれないので、ファルセは途中までめくられていた本をぺらりぺらりとめくっていく。先程から新星も、ゆっくりと頁をめくっていた。
ちらりと目を投げれば、ロディの青白い左手の指にも同じ意匠の指輪が嵌まっている。
(うわぁ……お揃いの指輪って何か照れる)
ファルセは頬を染めてせっせと頁をめくる。終いまでめくったが、魔法は覚えられなかった。体験版でもかなり確率が低くて、魔法の取得は大変だったのだ。
ふぅ、と息をついて本を閉じ、ファルセは小首を傾げた。
(今日のロディは喋らないなぁ)
元々は口数の少ないキャラクターではある。ただ、ファルセには色々と話しかけてくることが多かったものだから、この静けさが珍しく思えてしまう。
様子を窺うファルセに気づいたのか、ロディはつとこちらを見た。
「もう読んだの」
「んー、まぁ」
『ニジ飽き』の本は謎文字が筆記体のように並んでいて、何が書いてあるのか読めない。故にめくるだけなのだ。読めたら読めたで大変そうだと思う。魔法の本なんて読めてしまったら、下手すると内容を理解できなきゃ新しい魔法を覚えられないんじゃなかろうか。
生返事になったファルセに、ロディは薄く微笑した。
「飽きた?」
するっと指の背で頬を撫でてきたので、ファルセは肩を竦めて身を引く。ロディは本を閉じるとファルセの片手を掬い上げて指を絡め、肩にもたれてきた。「君が好き」
「……うん」
何となく違和感があった。だがファルセは告げる。「ロディ、指輪ありがとう」
「一刻も早くボクを君に繋いでおきたかった。もうすぐボク、君のモノ」
「……今、違うんだ」
「ボクは君のモノになるつもりだから、魔法を教える」
何となく会話が嚙み合っていない。教えると言うので寸時間を置いたが、教えてくれる気配が無い。
「ロディ、苺の食べ過ぎで具合悪い?」
「君の苺、とても甘かった」
急に星の瞳をとろんとさせた。と思ったら煩悩を垂れ流しだした。「本当は君に食べさせたかった。口移しとか口移しとか」
「わたし普通に食べたいよ」
「キスいつさせてくれるの」
「……ごめん。判らない」
そのうち流されるようにしてしまうのだろうか。「でもね、何で口同士をくっつけなきゃいけないわけ。必要無くない?」
「……多分、気持ちいい?」
「多分なんだ」
「ボクもちょっとよく解らない」
(解らんのかーい!)
ファルセは心の中で盛大にツッコんでから、照れつつ持論を開示してみた。
「キスて、ほっぺとか額にする方が傍からの見た目も可愛いと思うんだ」
海外のホームドラマの影響だろうか。親子でよくやってるヤツ。それでもってティーンエイジャーが初めての恋人辺りと接吻を始めると、生々しさに気まずかった思い出が強い。その記憶もファルセが人目のある所でべたべたしたくない一因だった。
ロディは異議有りなのか黙ってしまった。
きっと自分の感覚は幼いんだろうな、とファルセも口を噤む。諸々恥ずかしくなって俯いた。こんな状態で、ゲームとはいえ婚約なんてしてしまっていいんだろうか。
と、繋いでいた手をすうっと持ち上げられた。ファルセが顔を上げた時には、ロディがこちらを流し見ながら手の甲に唇を押し当てている。
ぶわっと顔に熱が集まったファルセは手を引っこ抜こうとしたけれど、魔法使いは手指に唇を這わせながら掠れ気味に告げてきた。
「君にキスできるならもう何処でもいい。ハル──雷の魔法を教える」
頭の芯に刺激が走ったかのような錯覚と共に魔法が宿る。
次の瞬間、耳元で軽やかな楽の音が響き始めた。素晴らしい何かが大当たりしたかのような祝福感溢れるメロディーだった。
視界に、大きめの字幕がゆっくりと流れ始める。
【※隣国の留学生ファルセ・リーベルトが魔法師団の新星ロディ・ノヴァと婚約しました! 以降、魔法師団の新星ロディ・ノヴァは他プレイヤーの干渉を受けません(イベントチケットは有効。但し好感度は変動無し)※】
「ナニコレ恥ずかしいっ!」
真っ赤になったファルセは図書室であることも忘れて思わず叫んだ。
妙に可愛らしい角度で首を傾げ、ロディはひとしきりキスしたファルセの手を両手でもみもみしながら口角をちょっぴり上げる。
「今度とっておきも教える。新婚旅行でダンジョン行こう。人目も無いから安心」
「安心できない……っ」
「あは。涙目可愛い」
ロディは飽きもせず再び手を恋人繋ぎすると、幸せそうに肩をくっつけてきた。「ボクの婚約者はカイシンケンセイ。大好き」
ここに至っても強制終了の気配が無い自分の図太さに、ファルセは遠い目になった。
さほどせず“夕”の時間帯になり、ロディは立ち上がると貴族っぽい優雅さでファルセをエスコートして寮まで送ってくれた。何故かオジサンの方に送ってもらったような気分になった。
ただこちらのロディは、また次の機会に、と言うや否や指先に口づけて去って行った。このAI、遠慮と配慮を学ぶのを放棄し始めたようである。




