長倉ハルセのシックスペンスコイン
四月三十日、ハルセは十九歳になった。
金曜日だったが大型連休に突入していることもあって、両親も休みを取っている。
兄とは現地集合で、本日の長倉家は中華料理店で遅めのランチである。
連休で混雑している電車に揺られ、一時間ばかりかけて目的の店に到着。こちらも賑わっていたが、予約をしていたのでそこは無問題だった。
席には既に兄が居た。ほんの少しだけ余所行きっぽい身形で片手を挙げてくる。
全員揃ったことで安徽料理の前菜が円卓に並んだ。
「じゃ、ハルが十九歳になれたことを祝って、いただこう」
父が箸を手にして口火を切り、おめでとうハルちゃん、と母がにこにこ言ってくれる。おめっとさん、と兄も続いた。ありがと、とハルセもふにゃっと笑んで、食事が始まった。
その辺のラーメン屋で出てくるようなメニューとは違い、スープに主菜、主食と順に出てくる。少し嗅ぎ慣れない癖のあるにおいの料理があったものの、魚の蒸し料理辺りは特に美味しかった。
点心が出てくる頃になって、問題は来年よ、と徐に真顔の母が言い出した。
「早い子は去年から支度してるんだよ。振袖着ないの? ハルちゃん」
「んー、うん。スーツがいい」
母の迫力に腰が引けつつ、ハルセは応じる。兄も今年の一月の成人式にはスーツで出ていた。
晴れ着は綺麗だと思うが、それだけだ。ああいう物を自分が着たいとは微塵も思わない。そういう嗜好をハルセは育んできてしまった。
赤いミートボールみたいなヤツを咀嚼していた兄が、飲み込んでから言う。
「安上がりでいいじゃないか」
「ウチはそこまで困窮してないから」
父が若干情けなさそうに述べる。お金の問題じゃないのこれは、と母も鼻息を荒くした。
「一生に一度なんだから」
「そうかもしれんが、ハル自身が乗り気で無いもんを、それこそ一度きりの場で強要するのはおかしかろ」
「でもハルちゃん美男じゃなくて美女なんだからねホントは。美人に産んだ母の自慢よっ」
「判ってる奴は判っとるし」
兄と同じ物を口に入れていたハルセは照れてきていて、無駄にもぐもぐし続けていた。
母は鼻で息をつくと半眼を閉じてテツを見据えた。
「それは最近、ハルちゃんを家まで送ってくれる子の事?」
ハルセは軽く喉に詰まらせそうになった。
父が少し狼狽えたように、何の話だ、と口を挟む。母は唇をすぼめつつ話した。
「テッちゃんの友達らしいからいいけど、ハルちゃんが遅くなる時に送ってきてくれる子、はっきり言ってぱっと見の印象が誤解を生む感じなのよ」
(いつの間にか見られてたー。そりゃそうか、家の前まで来て話したりもしてるんだから)
陽毬の母親のようにわざわざ出て来てくれなかっただけで、母も家の中から見てはいたわけだ。喉元をトントン叩いて、ハルセは何をどう言えばいいのか判らずに兄を窺い見る。
兄は眉根を寄せて悩まし気な顔つきになっていた。だよねー、と思える表情である。
「あいつは……あれで……あれでも、ハルを大事にできる奴だ」
「ハルに気があるんか」
急に父が関西弁混じりにいきり立った。「俺より大事にできるんだろなっ?」
「待って、何の話になってるの」
流石にハルセは間に入る。「わたしとは学部とサークルが一緒なだけのお笑いの人だよ」
「何処が“だけ”や、べったりやないか。しかもお笑いてなんや、売れんうちは甲斐性もへったくれもないやないか」
「いや、あいつ、その手の芸人じゃ……できるかもしれんけど」
テツはフォローになっていないことを漏らすが、兄は立派にロディ氏の相方だとハルセは思っている。
いいタイミングで最後のお茶が運ばれてきて、何とか両親はクールダウンした。
茶器を並べてくれた店員が去っていくと、兄は円卓の側に添えられていたバゲージラックに手をのばした。置いていたレザーバッグから小さな包みを二つ取り出す。二つ共ハルセの方に滑らせてきた。
「帰りに渡そうと思ってたが、ロディと俺から」
こっちが俺、とチェック模様で薄めの袋を兄は示す。ロディ氏からだというのは小さな箱のようだった。シックな包装紙に包んである。
再び母が詰問してきた。
「あの子なの? 外国の人だったの?」
「……まぁ、ハーフで」
(日本人との?)
そうだったのか、とハルセは少し納得した。英語はまるで違和感が無かったけれど、彼はどうも外国人とは思えない節があったのだ。
父が仏頂面でぼやくように言った。
「指輪か何かなのか……?」
「ハルちゃん、サイズ教えたの」
「最近知り合ったばかりで、こんな風に誕プレ貰えるような付き合いじゃない。そもそも、わたし……サイズ知らない」
母が残念な子を見る目になった。酷い。とはいえ、たったいま自分でもどうかと思った。
何となくここで開けておかないとロディ氏を見る親の目が厳しくなっていきそうだった。兄もそう思ったから、ここで出してきたのだろう。兄は中身を知っているに違いない。そして、友達の妹への贈り物として、そうおかしな物ではないということだ。
未だに変なオジサン感が拭えないものの、ハルセはロディ氏に怯えは感じなくなっていた。名前然り、人が多い所で近くに居てくれると安心感を覚える。大学に通うようになってひと月弱、ずっと世話になっている自覚もあった。五講義目がある日やサークルで遅くなれば家まで送ってもらい、お昼も大体一緒。何気に英会話も教えてもらっていた。
両親が考えるような関係ではないものの、実は見た目より真面目らしい彼の評価が下がるのをハルセは望まない。
慎重に、小箱の包装を剥がした。
指輪ではないと思う。箱にそれほど厚みが無い。それでもしっかりした造りの布張りの箱だった。
そうっと蓋を持ち上げると、中にも布が敷かれ、厚手のコインホルダーが鎮座していた。中央に二㎝くらいのちょっとだけくすんだ銀貨が入っている。随分と古い、一九一九年の外国の貨幣のようだ。盾とそれを支える二匹の動物が浮き彫りになっている。上の方に“SIX PENCE”とある。
覗き込んだ母が、あらっ、と何処となく華やいだ声を上げた。
「ふーん、ふーん、ふぅん?」
意味ありげに母は繰り返し、口角が上がってきた。「テッちゃん、そのロディ君? ハルちゃんにこれをどうして欲しいか言ってた?」
「……イギリスでは幸せを呼ぶお守りだと言ってた」
「それだけかね。でも素敵。わたしはときめいちゃった」
父が不安そうに母を見ている。ハルセも何だか不穏な気がしてきた。
「このコインで、何かするの」
「自分で調べなさいと言いたいけど、調べる前にロディ君に訊いてみるのもいいかも。貴男も持ってますか、って」
くふくふと母は変てこな笑い声をあげ始めた。「訊いたら、答えを教えてよ? ハルちゃん」
父と兄とで目を見交わしていた。これはこっそり調べるつもりだろう。
ハルセはどうしたものかと戸惑いつつ、箱の蓋を閉じる。
因みに兄からの誕生日プレゼントはストラップにも使えるシルバーチェーンのアクセサリーだった。ロディ氏から、十九の誕生日を迎える女の子にはシルバーアクセを贈ると良いと教えられたそうな。
ならば何故、そのロディ氏はハルセにアクセサリーでなく銀貨をくれたのだろうか。兄と被るからか。
(まぁ、そもそも知り合って一ヶ月で誕プレくれるのが大盤振る舞いってもんだなぁ)
たまたま誕生日を知ったばかりで、それが目と鼻の先の日だったからというのもあるのかもしれない。
(アシュフォードさんの誕生日までは随分あるから、ちょっと凝った何か返せないかな)
覚え易い日だったし、多分、忘れないでいられると思う。
その日の内に、ハルセは贈り物の礼と共に母の問いかけをそのままロディ氏にメッセージで送ってみた。
【持ってるよ? 配るよ?】
そんな返事が返ってきた。
(誕プレというより、たくさん持ってたからお裾分けって感じかな)
いっぱいあるからくれたみたい、と母に伝えたら、ハルちゃんの靴に入れてって言われなかった? と尋ねられた。
「何でお金を靴なんかに」
「言われなかったか。先走り過ぎたかね」
母はいささか残念そうに呟いていた。
ここまで意味深な事を仄めかされ続けると流石に気になって、ハルセは携帯端末で調べた。
イギリスでは慣習的に結婚式で花嫁が身に着ける物がある。由来は民間伝承の古い詩で、マザーグースにも加えられている。
その詩で、花嫁の幸せを願って揃えようと挙げられているのが──古い物、新しい物、借りた物、青い物、そして六ペンス銀貨。
当の詩が結婚のおまじないの為、男性が女性に六ペンス銀貨を贈る場合、相手は恋人が多め。プロポーズ代わりになる事も。
母が気にしていた靴云々は、詩に登場する。六ペンスを花嫁の靴の中に、と。
花婿も胸のポケットに入れておくと幸福が齎されるというのは諸説あるみたいだが、これも花嫁と同じくおまじないだろう。
六ペンス銀貨は現在、製造されていない。現存する物が、昨今では結婚式とは関係無く、幸運のお守りとしてプレゼントされることもあるようだ。
こんなジンクスがあるんだなぁとハルセは感心しただけだったが、同じように検索してみたらしい父と兄、そして母はこの六ペンス銀貨が単なる贈り物ではないと感じ取っていた。
時には、当事者より周りの方が良く見えるものなのである。




