ファルセ・リーベルトの苺
腹が減っては戦はできぬ。家族と昼食を済ませてから、ハルセはもう一度ログインした。
ゲーム内も“昼”の時間帯で、ファルセは学園の学生食堂を出たところだったようだ。
足が向いていたのは図書室の方だと思う。AIファルセもあれだけロディと過ごしていると何か学んだのか、行動指標を“運動”に設定していても自分から会いに出かける頻度が増えているっぽいのだ。
そのまま図書室に歩きかけ、ファルセは立ち止まった。
他のヒロイン達が、ちゃんと装っていたのを思い出したから。
ファルセは寮へと戻りつつ、登録してあるコーディネートを思い返し口をすぼめた。学園のローブを基準にした格好しか無い。
若干肩を落として自室に入り、クロゼットの服を前にしばし唸った。今更取り繕えないラインナップだった。普通の女子が着ればロングスカートにも見えるワイドパンツは、ファルセが着ると袴であった。
仕方なく、ファルセは午前中に見かけた彼に合わせることにした。黒の正装ローブに黒のワイドパンツ、編み上げブーツ。
(うぅ、オカルト系の集会に出かけるみたいになった気がしてきた……)
しょぼしょぼと寮を出たら、近くの植え込みの辺りから似たような黒装束の青年が抜け出てきた。
何でそんな所から、とぎょっとするファルセに、ロディは相変わらずの無表情で掌を差し出してきた。
「チケット欲しい」
刹那、先生と同じトコに行きたくないな、と浮かんだ。同じ所に何度も行ってロディは楽しいのかな、とも。
躊躇ったファルセに、ロディは微かに眉根を寄せた。
「まさかボク以外に渡してないよね」
ポケットをぽむと叩いてファルセはチケットを見せる。ロディは若干機嫌を直したようにそわそわした。「苺欲しい。ハル、苺食べよう?」
(さっきとえらい違いだなー)
貴族然として対応していたのは別人かと思えてしまう。ファルセは苦笑して、どうぞ、とチケットを向ける。
待ちかねたようにロディはチケットごとファルセの手を掴んだ。眩い光が周囲に巻き起こる。内側から見ると一層幻想的だった。
光が消えると、二人はストロベリーガーデンに移動していた。
澄んだ青空の下、一帯は爽やかな緑の植え込みに囲まれていた。小鳥の声が時折入る。丈の低い白煉瓦造りで厚みのあるパーティションが点在しており、それはプランターも兼ねていた。緑の葉の隙に艶っ艶の苺がたくさん実っている。甘そうな芳香も風に乗ってくる。
ベンチもあちこちに在る。所々でスプリンクラーの散らす水が、小さな虹をあちこちで描いている。少し離れた所にはガゼボも見えるし、軽やかに水が躍る噴水も在る。
ここまでお膳立てされているとは思わなかった。
辺りをそろっと確認して猛烈に緊張してきていたファルセを、ロディは覗き込むように見つめてきた。
久しぶりに見ることが叶った、真昼の只中に輝く銀河のような瞳。
思わず見惚れてしまうと、新星は顔を寄せてきながら囁いた。
「キスしたい」
「──て、展開が、早い」
「……解った。順を追う。でも、ボク、ハルに触れたい。凄く触りたい」
懇願されて、涙が滲むほど育ってしまっている気持ちを見ないフリはできなくて。
虚しいのを承知で、ファルセはおずおずとロディの背に手を回した。すぐにふわりと抱き返される。
緩い抱擁は仄かな体温とインクの微かな匂いを錯覚させて、緊張はほぐれてきたものの、今度はファルセは照れてきた。俯きかけたら彼の肩に額が当たりそうになって、動きを止める。
「苺、食べないの」
「食べさせて」
「今のナシ」
「でも苺たくさん欲しい」
ロディはファルセの髪に頬をくっつけてきた。
ふと思い出して、ファルセは呟く。
「桃より苺なんだ」
「桃は割と前、ヨーグルトは最近、君がくれた飴から出てきた」
「そんな味まであったの」
「きっと今なら苺も出してくれると信じてる」
漠然と何かが脳裏を掠めた。講義室の黒板に解答を出してほしくなる。
ファルセは少し身を離す。ロディは距離が空くのを嫌がってファルセの肩に頭をぐりぐりしてきたが、構わずポケットをぽんと叩いた。
飴を出すつもりだったけれど、視界に現れたポケット欄には、カラフルキャンディーの瓶の他、いつぞやにトモミと買い込んだ苺関連品が並んでいた。
(いま出さずにいつ出す──)
籠に山盛りになっている苺を選び出す。
何故か、全て、瑞々しく艶はあるのに青みがかっていた。
「えっ、何コレ」
カビた⁉ と驚くファルセのすぐ近くで、ロディも目を見張っている。けれど、互いの驚きの種類は違っていた。ロディは素早くファルセの手から籠を取り、青い苺を籠ごと自分の懐にしまい込んだ。ファルセ達と同じようにポケット欄があったようだ。
「ハル──魔法教える、霙の魔法」
「何、急に──来た、けど──それより、あの苺、出すまで真っ赤で美味しそうだった筈なのに」
「青い方がいい。最後の魔法は明日以降なるべく早く教える」
「えぇ? 味じゃなくて色──?」
(オレンジ──ピンク──白──赤──を通り越した──?)
体験版でタクティーがオレンジの薔薇の砂糖菓子をくれた記憶が蘇る。
連鎖的に、高校の卒業式で後輩から薔薇を貰った時、花言葉を調べたのも思い出す。
絆──感謝──尊敬──燃える恋──夢叶う──
「やっと婚約できる」
ロディはファルセの頬を両手で包んできた。熱を孕んだ視線を唇に落とす。「ボクも、たまらなく君が好きだ」
ファルセは、自分と分身が某かの色で徐々に心を差し出していたらしい事に、どうしようもなく動揺してしまった。そもそも、語らい触れ合うAIの行動を嫌がりもせずに容認していた。それはつまり、中の人の心情も表明していたようなものだった。
超至近距離に迫る伏せ気味の睫毛を目の当たりにして、頭がくらくらしてくる。
思わず現実逃避先が口をついて出た。
「い、苺、食べよ……?」
鼻先が触れた所で制止して、ロディはやや拗ねた様子で上目遣いにファルセを見た。ファルセが涙目で俯きかかると、頬から手を滑らせたロディは未練がましく親指で下唇をひと撫でしてきた。静かに、しっかりと宣言する。
「この先いずれはキスする」
「……うん」
「言質取った」
「ぅ……うん。あの、ごめん……でも、わたし……わたしも、ロディ好き」
「いま言う?」
低く苦渋の滲む声で訊かれた。ファルセは焦って告げた。
「今、わたしも、ちゃんと言っとかなきゃて思ったから」
「……仕方ない」
するりとロディはファルセの片手に指を絡めて繋いだ。「そんな君もボクは好きになってしまった。苺食べよう」
どれを選んでも美味しそうな苺を摘んで、スプリンクラーを利用して軽く洗い、置かれていた手提げの籠に入れていく。
至れり尽くせりの苺狩りを始めたファルセはしかしすぐ、動きが鈍った。
(先生とロディ、一体幾つ食べた……?)
ファルセの代わりに籠を持っていたロディが、もういいの? と小首を傾げる。ファルセは瞳を揺らして彼を見て、訊くに訊けずに目を落とした。
ロディは片手をファルセの頬へ伸ばすと、髪を撫で上げるように触れながら何やら口調に期待を滲ませた。
「食べさせっこしたくなった?」
全くもって煩悩まみれの呑気なAIである。人の気も知らないで、とファルセは口を曲げた。
「さっき、ロディが他の人と出かけたのを見たから。お腹いっぱいかと思った」
小憎らしいほど新星は無表情だった。瞬きを一つしてから、ボクはいま胸がいっぱい、とぽつりと言う。
「ボクが一方的に君を好きなんじゃなかったとはっきりした。だからこの苺はもうボクたち食べなくてもいい。だけど……ハル、ボクは昔から何度か飲食物に混ぜ物をされてきた。他人の居る所では、あまり飲み食いしないようにしてる」
王侯貴族の闇の部分だろうか。家督を巡る暗殺とか。
こくりと固唾を呑み込むファルセの髪先を指で弄んで、ロディは淡々と続けた。
「君からクッキーを貰えたのも、君自身が食べようとしてたからだ。ボクは、ハルからなら安心して食べられるようになった。でも他の人からは無理。苺に限らず、ボクは君と一緒じゃなきゃ食べない」
(あの先生、わたしなんかよりずっとロディを好きみたいだったのに)
単なる思い付きで出した特製クッキーが、彼女の恋を横から攫ってしまった気がしてしまう。
けれども、後半年もせずに会えなくなるロディへの気持ちが、もうファルセの中でも花開いてしまった。
「じゃあ、食べられる時にロディも食べよ? もう少し摘むね。きっと美味しいから」
つと、似たような事を同じ名前の人に考えたなと浮かんだ。片や童顔、片やオジサン、全然違って見えるのに。
ファルセが小さく笑みこぼれると、黒髪の魔法使いはほんのちょっとはにかむように苺の籠を揺らした。




