長倉テツの疾雷
四月二日の事だ。
大学からアパートに帰宅したテツが携帯端末をチェックしたら、メッセージが届いていた。
一ヶ月ばかり前に道場へ来た時と同じような、ふらっと送信してきた感じだった。
差出人は【ロディ】となっている。
タレント芳月タクトの本名は吉槻拓人と公表されているが、正式には吉槻・ローデリック・拓人だった。イギリスではタクト・ローデリック・アシュフォードと言うそうな。ハーフは名前が面倒くさいことになるんだな、と聞いた時にテツは思った。
拓人は四年ばかり前に、役柄に必要となったとかで、テツが通う道場に体験入門してきた。
基本を一通り指南役に教わっていたが、あっという間に動きが良くなっていった。指南役は、筋がいい、教え甲斐があると喜んでいたが、周りは嫉妬する者が多かった。何が初心者だ元々経験者だったんだろ、と陰口を叩く者も出る始末だ。
正直テツも、自分が数年がかりで身に着けた動きを半月程度でやってのけられてしまうと、立つ瀬がないなと苦笑するしかなかった。
とはいえ、テツは誰かと競うつもりで剣道をやっているわけではなかった。
無心で足捌きの自主練習をしていた或る日、その日の稽古は終了したのか休憩だったのか、拓人が近くで眺めていた。
ひとしきりやり込んでテツが足を止めたら、彼は羨まし気に声をかけてきた。
『体幹が全然ぶれないですね、凄く滑らかでした』
どうも、と当たり障りなく会釈してテツは終わらせたつもりだったのだが、拓人は質問をしてきた。何年ぐらい続けているんですか、と。
『小学三年からだから……七年ですね』
『──えっ、同い年?』
一旦そこに驚かれてしまったものの今度は、そんなに続けているのは何故、と重ねて尋ねられた。
『あー……妹が、通り魔みたいなのに蹴られたことあって』
家族には言っていなかったが、テツは頭を掻きつつ打ち明けた。『まぁ、二度と無いとは言えないわけで。万が一があったとき居合わせてたら、俺が棒でも持って間に入ってるうちに、家族を逃がせるんじゃねぇかなーと』
『妹さんは、大丈夫だったの』
『頭の辺り数針縫ったけど、そんぐらいで。今はまぁ元気にしてる』
何が琴線に触れたのか、それから顔を合わせれば拓人は話しかけてくるようになった。
まぁ、話してみれば拓人はちょっとばかり容姿のいい、ごく普通の男だった。
芸能人にはあまり関心の無かったテツでさえ、芳月タクトの名前と顔ぐらいは知っていた。それくらい拓人は有名だったわけだが、本人は自分の生業に迷っているらしかった。曰く、同業者より熱心になれない、と。
『でもお前さん、こうして役の為に真面目に通ってるじゃん』
『そりゃ、せめてNGは出さないようにしとかないと。一生懸命やってる人に迷惑かけるじゃない』
何というか、我を潰した生き方だなと感じた。
それがほんの少し、男装を続ける妹に似ているとも感じた。
『お前さんみたいな奴は、も少しやりたいようにしていいんじゃね?』
『あは。じゃ僕、テツみたいなおじさんになりたいなぁ』
『をい。俺も十六だっての』
可笑しそうに拓人が笑い出して、互いの年頃を意識したら流れで話題は女子のコトになったりしていた。
テツは真っ当に可愛くて優しい子がタイプだったが、その手の子には遠巻きに避けられる傾向にあった。拓人はにやにやしながら、優しくないじゃん、見る目の無い子じゃん、と宣っていた。
『僕は、しょっちゅう訊かれるもんだから“思いやりのある子”ってコトにしてる。ホントのところは、絶対じゃなくていい。思いやる努力をする姿が、イイなと思えるんじゃないかって気がしてる』
なかなか深いな、などとテツは解ったような解らないような感想をいだいた。
拓人はひと月ちょっと体験入門したのち、テツと連絡先を交換して道場を去った。
翌年に、ちょい役で出まーす、と知らせてきたので、TV放映された時代劇を観た。
怖気を齎すような異邦の剣士が出て来た。途中で主人公に斃されたが。
あのような演技を熱量乏しく出来るものなのかテツは首を傾げるばかりだったが、拓人はほどなく、芸能界を去ることが決まったと伝えてきた。
〖時期はまだ全然決まってないけど、引退したらイギリスの祖父母の所へ行くことになりそう。
維持に困ってる土地とマナーハウスが在るんだって。買い取らせてもらって田舎暮らししてみようかなって〗
〖存分に満喫しろー。羨ましいぞ。隠居じじいみたいで〗
〖縁側なさそうだけど午後の緑茶啜るおっさんになる〗
そんな他愛ないメッセージをやり取りしていた。
だから、今年の二月末に偶然会って最後の仕事の話を聞き、ひょっとするともう直接顔を見る機会は無いかもなとテツは思っていたわけだが……
【好きな子ができちゃった。
つかぬ事をお訊きしますが、テツ殿の御両親は娘御をハルと呼んでます?】
(返信しづれぇ……)
まどろっこしいので通話に切り替えて聞いてみたところ、妹ハルセがこの前貰ったゲームのオンライン版にも手を出している模様。拓人も最後の仕事としてそれに関わっているのは既知の事だ。そのVRゲーム上で二人は出会ったと言う。
〔僕、一目惚れでフィールドに雷落として運営に迷惑かけちった〕
てへっと続きそうな口調で拓人は言った。〔で、もうリアルで会いたくてゲーム内で本人から情報抜いてたら、これテツの妹さんだったりしない? って天啓が来て。体験版、市場に出回ってないんだよね〕
「……一般女性の情報を抜くな……業界には美人だらけだろうに、何でよりにもよって男のナリしてる女なんだ……」
〔何でだろ。これまで関わってきた人、ファンも含めて“仕事相手”で、性別を見てなかったかも〕
「今回も仕事だったろう」
〔そういやそうだな……アドリブだらけの恋愛シミュレーションって意識してたから、仕事というより恋愛に比重が傾いてた……?〕
本人も解っていない様子だ。しかし恋だの愛だのなんて、そんなものかもしれない。いつの間にか気になっていて、無意識に目で追っていたりするものだ。
まして一目惚れとなれば、もはや理屈ではない。
〔ハルの横顔見た瞬間にびびっと来たんだ。背筋が伸びてて、歩く姿が颯爽としてさぁ。近くをうろうろしてるうちに中の人に本気になっちゃったー。ハルねー、僕の目が好きなんだって。この目で生まれて良かったぁ。ハル、滅茶苦茶可愛いよぅ、ハル〕
「親の馴れ初め聞かされんのと同じくらい居たたまれん」
遠くを見やりつつテツは言う。友も妹も平穏でありふれた生活を送ってくれたらそれで良かったのだが、こうなるとは……
〔ごめんー。でもハル、あの大学入るんでしょう? 身バレしないようにするから、僕が近づくの見逃してほしい。学業の妨げにはならないようにするし〕
テツは眉を寄せた。
「お前さん、どう会いに来るんだ」
〔この仕事終わるまで事情も素性も明かすわけにいかないんだ。でも、でもー本物を見たいー声聞きたいー会いたいんだよー〕
「ぅっわぁ……恋の病てヤツぁやべぇな」
〔大体あの大学、男いっぱい居るじゃないか! 他の奴に盗られたらと思うだけで気が狂いそう。渡さない……渡さないぞ……っ〕
「無駄に迫真の演技やめてくれ」
〔待って、演技じゃないんで〕
真剣な口ぶりで拓人は言い募った。〔真面目な話、もし変な奴出てきたら、僕がテツの代わりに間に入ってハルを逃がすよ〕
ふは、とテツは相好を崩した。
「今のところ、その変な奴になりそうなのがお前さんだぞ」
うっ……と口ごもる友に、まぁ俺は邪魔せん、とテツは一応のエールを贈っておいた。
五日後の四月七日、天候にも恵まれ、大学では新入生対象サークル勧誘会の初日が開催されていた。
体育系のサークルが集まったエリアでも人が行き交い、絶えず何処かしらの勧誘する声が聞こえてくる。一名様ごあんなーい、などと既に飲み屋に居るかのような掛け声まで混じっている。
テツの所属する剣道部は、希望者が来たら飲み会の時間を伝えて申請書を渡すだけでいいと先輩から言われている。なので、申請書を置いた机の脇で、テツは剣道着と袴を纏い立っているだけだった。様子を見に来た先輩が、置物のように微動だにしないテツに、エア素振りしててもいいぞ、と笑って立ち去る。
それもアリだなと思っていたら、テツ、と声がかかった。
目を投げると、ラッパーのような風体の男がだらっと立っていた。
肩に届きそうなドレッドヘアに斜めに被った黒いベースボールキャップ。銀の大きめのイヤーカフ。フィットした黒の濃いスポーツサングラス。黒のタンクトップにだぼっとした白い半袖Tシャツを重ねていて、締まった上腕には太陽と月のタトゥー。手首に緑のミサンガ。斜め掛けで白のレザーバッグ。ゆるっとした黒のジャージに白ベースのバスケットシューズ。
「お前さん、それであいつの隣に立つわけ?」
「……もう少し驚いて」
「予め聞いてなかったら、驚く以前に知らん人だわ」
「よーし」
によっと形のいい唇を緩める拓人に、テツは眉間に寄っていた皺をのばしつつ訊いた。
「その入れ墨、彫ったのか?」
「いやいや、シール。ハルが好きそうなら彫るのもやぶさかでないけど」
「ないだろな」
「僕もそう思う」
サングラスの所為で、拓人が何処を見ているか判断しづらかった。辺りを見ている気はする。「その様子だとハルは来てないね」
「あいつ、人混みは少し得意じゃないんだ」
「……そんな中、教科書のお下がりをおねだりに来るかもしれないのか。聞いた時も萌えが天元突破だったんだけど、ちょっと僕ブレイクダンスしちゃいそう」
「サークルの場所が違う」
テツがツッコミを入れた時、兄ぃ、と斜め後ろから妹の呼び声が聞こえた。
振り返るテツの動きに、素早く拓人も反応した。
出で立ちは少年風だったが、安心しきったふにゃっとした顔は一応少女にも見える。
今やきりっとした空気を纏う事が多くなったが、見知らぬおっさんに蹴られるまでは、身贔屓と言われようとそれなりに可愛らしい女の子だったのだ。
家族の前ではやや昔の面影を覗かせる妹が、裏道の方から歩いてくる。ルートを工夫したようだ。いつもより歩幅が狭いと思ったら、後ろから誰かついて来ている。
拓人が、ぼんやりした口ぶりで呟くように言った。
「妹サンを僕にクダサイ」
「父に言ってくれ」
妹と友に春が到来したとて、テツ自身の心情は、これまでと大して変わりない筈だった。
妹の背後から、ひょこっと赤い顔を出した女性を目にするまでは。
(なるほど。雷落ちるわ)
他人事のように、テツはそんな事を思ったのだった。




