ファルセ・リーベルトの語らい
四月になった。
『ニジゲンに飽きたトコロEX』では所謂モブの学生が寮に住まうようになり、学園にも通い始めた。学園街に居る住人と似たような感じで、大人しくて気のいい人格が多い。体験版と同じなら、色々と攻略対象の話を聞かせてくれるのは、大半が彼ら学生だ。
少し気を付けないといけないのは、制服姿とはいえ学生は貴族令息と貴族令嬢だらけという点である。学園に通える程の高魔力保持者は本来、貴族ばかりという設定らしい。
二日の午前にログインしたファルセは、寮の食堂に居た。朝の時間帯のようだ。
上品な雰囲気の女学生がちらほら席に着いている。物静かにそれぞれ食事をしているが、何処からともなくざわめきのような環境音が入っている。
向かいの席では、すっかり委縮している様子のトモミがヨーグルトっぽい小さな器を両手で包んでいた。
自動行動終了と同時に、おはよ、と小声をかけると、パッと顔を上げたトモミは瞳を潤ませて応えてくれた。
「おはっ、おはよ──昨日から、こんな、感じで……っ」
「春休みが終わったんだね。わたしも昨日少しインした時、驚いた。トモちゃん、大丈夫?」
こくりと頷いて、トモミは器を包む両手に力を込める。
「この前、一緒に、外へ行ってたから、少し慣れることが、できてた。ありがとぉ」
学園街の住人と接していたのが功を奏したらしい。ファルセは、良かったと口元を綻ばせた。
そんな短いやり取りをしているうちに、学生達は席を立って食堂を出ていく。トモミは安堵したような表情になったが、置いて行かれる状況に心細そうにもなっていた。
「昨日、あの人達に、ついて行ってみたの。みんなが、講義室に行くのかと思ったら、違った。食堂に行ったり、教練場に行ったり、割と、好きに過ごしてるみたい……?」
「挨拶してみたら、返してはくれる。貴族っぽく、ごきげんよう、って感じで」
「あ──そか、王子様が通ってるんだもんね」
「そのうち、貴族コネクションから、学園街とは違う殿下の話とか聞かせてくれるよ」
「なるほどぉ」
トモミは掌にぽんと自分の拳を当てる。やおら、顔が赤くなり始めた。
「どした」
「あ、あのっ、ロディ君も、貴族だったんだな、って……っ」
名前を聞いた途端、ファルセも顔が熱くなってきた。昨日は彼が現れなさそうな場所をこそこそと移動し、学園の様子を少し探ったら急いでログアウトしたのだ。
しかしファルセのAIは又もロディと会っていた。
履歴には【園庭でロディ・ノヴァと語らう】と記されていた。触れ合っていなかったのでほっとしたものの、新たな表現の変化は一抹の不安を残していた。
ファルセは恐る恐る尋ねた。
「あの、ロディ、また何か変な事してた?」
「えと、昨日、昨日っ、ファルさんとベンチに、座ってて」
「隙だらけだね、わたし……」
「“君が侯爵夫人の椅子にいつでも座れるようにしておいた”って言ってた!」
珍しく全然つかえずにトモミは教えてくれた。ファルセは遠い目になる。
「わたしは、何か言ってた……?」
「“このベンチが好きかな”って」
「グッジョブわたし」
「ロディ君、無表情だったけど発言は物凄く前向きだったよ……“確かにボクと並んで座れる”って」
「違うそうじゃない……っ」
うあぁー、とファルセが両手で熱い顔を覆うと、トモミがおずおずと言った。
「ロディ君、もうすっかり、ファルさんにめろめろだよね」
「……うんー、何かねー……トモちゃん、特製クッキー、ポッケにある?」
「うん。書いてある通りに魔法を使ってみた時に、お知らせが来て──あっ、あれをロディ君にあげたの?」
「自分でお昼代わりに食べようとしたら、欲しいって現れたんだよぅ。魔法教えてくれるって言うからさぁ。殿下にあげるんでなきゃ揉め事も無いかなって軽く考えちゃって……」
「……ちょっと詐欺に遭った人の話を聞いてる気がしてきたのは何でだろう」
「あぅー」
ファルセはテーブルに突っ伏す。くぐもった声で小さく白状した。「困ったことにね、嫌ではないんだ」
急に、トモミがわくわくした様子になった。
「えっ、えっ、そうなら、いいじゃない、いいじゃない? ロディ君が相手だとモザイクかかりそうで心配だけど、両想いならいいと思う」
「モザイク」
「だって彼、AIとは思えないくらいファルさんには色っぽい言動が多いんだもん」
トモミはもじもじと赤い顔で両の手指を合わせた。「王子様も、クッキー貰ったら、あんな感じになっちゃうのかなぁ。もう、もう想像しただけで無理」
(確かに壁ドンからの流れはトモちゃんだと強制終了待ったなしだった気がする)
でも、所詮疑似恋愛だと突き付けてくる、あの遣る瀬無い淋しさまでもトモミが味わわなくていいのは幸いな気がした。
「モザイクはわたしも遠慮したい……今後も変な言動してるの見かけたら教えてトモちゃんー。何とか矯正したいから」
ファルセが苦笑いしながら頼むと、うんうん、とトモミは熱心に請け負ってくれた。
その後すぐに、リアルで誰か訪ねてきたらしいとトモミはログアウトした。VR対応PCは設定しておくとホームセキュリティ関連とも連携してくれるから、こういう時に便利だ。
トモミのAIは照れくさそうにしてから、はんなりと会釈して席を立つとヨーグルトの器を返却し、しずしずと食堂を出て行った。迷い込んで右も左も判らない異世界人の筈なのに、貴族令嬢みたいな所作だった。
(緊張しいなのに華のある振る舞いが所々出てるなぁ……いいとこで鍛えられてそうなお嬢さんだなぁ)
感心しながら見送るとファルセも席を立った。分身が平らげていた朝食のトレイをカウンターへ戻して寮を出る。ゲーム内は昼になっていた。
数人の学生とすれ違いつつ校舎に入り、講義室に行ってみた。
そっと入ると、女性の美人教師が教壇に居る。
(お、講義してる)
彼女の背後の大きな黒板に、魔法っぽく宙に浮いた白墨がかつかつと大きく文字を記していた。
【TIP:色んな人と話してみよう】
ほぼ魔法と関係無い内容だった。
それでもぱっと見で十人くらいの学生が席に着いてノートをとっている。少々シュールだった。
ファルセが最後列の空席に腰を下ろすと、そのタイミングでINTが上がった。
しばらく座って様子を窺ってみる。
板書は一定間隔で新しいモノになっていた。体験版で自力で得ていた気づきなども、答え合わせのように表示されていた。
窓際の中程の席に、銀髪の宰相令息クルグラ・トゥーフェスを発見した。『EX』では初めて見かけたが、彼も体験版と変わりないようだった。体験版だと座学にはタクティーも姿をよく見せていた。今は居ないようだ。お忍びに出ているのかもしれない。
十五分ばかりじっとしていたけれど、講義が終わる気配は無かった。
(四時間確保している“昼”の一、二時間は講義をやってそう……入る時も自由だったから出るのも自由っぽいかな?)
出ようかなと思った時、背後で微かな物音がした。視線を投げると、開いた扉から黒髪の魔法使いが顔を出す。すぐに目が合ってしまった。
(しまった、そうだマシュリもたまーに来てたよぉ)
逃げ出そうにも咄嗟に動けない。おろおろと目を泳がせて前に向き直るしかできなかったファルセの横に、すっとロディは座り込んで来る。
(ひぃいい見てるぅー)
視線を感じる。ガンガン感じる。じわじわ頬が熱くなってきた。
隠すように手で前髪をくしけずると、隣でロディは机にノートを広げた。サラサラと何か書き出すのが判った。
(真面目に講義受けるんだ)
ホッとしたものの、結局退室のタイミングを逃した気がする。
いま黒板に書き出されているのは、一周回って先程と同じ文章だった。新星と言われる彼でさえ、あんなノートに取るまでもない内容をしたためているのだろうか。
ささやかな好奇心でちらりと視線を向けると、青年がこちらにノートを少し滑らせてきた。
【Darling
愛しい人
少しでも長く
君を見ていたい】
無駄にカッコ良い崩し字で書いてあった。
頬杖をつくとロディは目を細め、こちらを覗き込むように見つめてくる。
驚きと内容の恥ずかしさにファルセは口をはくはくさせた。
(ナニこの歌詞みたいな──AIこんなことまでするのっ)
ロディはするするっと付け足してから、鉛筆を向けてきた。
【何か書いて
ファルセの事】
そう乞われても何を書けばいいのか浮かんでこない。固まるファルセに心持ち身を寄せてきながら、ロディは一旦置いた鉛筆を再び手にした。
【好きな色は?
ボクは最近、君の瞳の色が好き】
ファルセは口をすぼめ、ほてった頬を隠すようにこちらも頬杖をついた。鉛筆を借りると走り書きする。
【そんなことかかれたらクロってかくしかない】
黒髪の新星は走り書きを目にした途端、顔を逸らした。
ちょっと待って、と言いたげに掌を向けてくる。
髪の隙から覗く耳が真っ赤になっていた。それを見たら、ファルセも物凄く恥ずかしい事を書いてしまった気がしてくる。
【ホントはミドリだから!】
ファルセが急いで訂正をしたら、それをチラ見したロディは目元も赤くしたまま素早くノートの頁をめくった。新しくまっさらな紙面にでっかく殴り書きする。
【人目の無い所に行こう】
意味を察したファルセはすぐさま書いた。筆圧がかかってノートがよれそうになった。
【ヤダ】
ぱしりと音が立ってしまったが鉛筆を置き、ファルセは速やかに隣と距離を置くように腰をずらす。ロディは無表情で鉛筆を拳に握り込んで、少々俯きがちに何か耐える様子だった。
(走って逃げたいぃ──でも追いかけて来られると困るよぉっ)
顔というか頭まで熱くなってきた。涙目でそっぽを向いていると、鉛筆の端が指先をつついてきた。
横目で睨むと、ロディはノートを示してくる。これまでと違う整った字が書いてあった。
【解った。代わりに君を愛称で呼びたい。ボクだけが呼べるヤツがいい】
ファルセは、きちんと考えることにした。
“触れ合いは人目の無い所でなら”と条件を出しておいて、いざとなったらそれを拒んでいる。気持ちが追い付かないというのを理由にするのはずるいと思う。現在進行形でこの態度は、ちょっと不義理だと解っていた。
(タクティーは、ハルセ、て呼んでくれてたっけ)
体験版で問われた時、うっかり本名を名乗ってしまった。だから殿下は、ちゃんと名前を呼んでくれていて……
(あれ、結構嬉しかったんだよなぁ)
リアルでは、圧倒的に苗字や苗字を崩した渾名で呼ばれている。ハルセという響きが、女の子っぽいからだったろうか。
【家族は私のこと ハル と呼ぶ】
なるべく丁寧に、ファルセはそう記した。
ファルセが呼んで欲しい名前を伝えたら、ロディは相変わらず無表情なのにとてもそわそわしていた。自分でも、もうどうかと思うが、童顔も相まってかなり可愛く見えてしまった。
その後も二人は講義が行われている中、黙って筆談を続けた。
概ねロディが色々と尋ねてくることにファルセが訥々と返していく感じで。大抵、自分はこうだがハルは? といった風に訊いてくるので、何だか答えないわけにもいかなかった。
春の終わり頃の生まれだとか、家族構成だとか、好きな食べ物や飲み物、花、フレグランス、物語や音楽のジャンル、休日は何をして過ごすか……
それから、苦手なあれこれも幾らか。
苦手な事の一つは、たまたま同じだった。歌だ。
二人して、バラード系なら何とか誤魔化して歌えるかも、でもやっぱりできれば歌いたくない、などと意見が一致していた。
鉛筆の芯が丸くなって、二回ばかり取り替えた。
質問が途切れてきた頃、青年はするりとこんな事を書いた。
【ボクは本名がローデリック
本当はマシュリ・ローデリック・ノヴァなんだけど、今は愛称のロディを通称にしてる
ハルには通称としてじゃなく、愛称としてロディと呼んでもらえたら嬉しい】
気持ちの籠めようの希望らしかった。
小さく頷きつつ、ファルセはぽろりと書き応じた。
【マシュリもロディだったんだね】
ロディは数度瞬いた。やや迷った様子で【?】と記す。ファルセはハタとした。体験版の事を持ち出されても解らないだろう。
【前によそで見かけた。そこではマシュリて名のってた】
不意に、ロディの雰囲気がとてつもなく真剣になった。ノートを凝視し、真顔で拳を口元に当てる。微かにその拳が震え始めて、ファルセは心配になってきた。マシュリと名乗ってはいけない裏の設定でもあったんだろうか。
眉を下げて窺い見るファルセに気づいたロディは、やや震えた手で、けれどしっかりと書いた。
【君は白い花が欲しいだろうけど、僕が最初に贈る花は青いバラにする】




