ファルセ・リーベルトの萌芽
その日の午後は平静でいられそうになくて、ハルセはログインし直せなかった。
しかしながら、このままではマズイと気づく。
翌朝に履歴を見てみたら、昨夜も又ファルセは“昼”に園庭でロディと触れ合っていたからだ。
これまでさえ恐らくトモミに目撃されている。他の人にも見られているかもしれない。乙女ゲームなんだからおかしくないのかもしれないが、羞恥で再度のたうってしまいそうになった。
ファルセ同様にトモミも初心そうなので、十八禁と言っても、そこまでとんでもない事はしていないと信じたい。信じておかないと本当にもうログインできない。
ファルセの累計ログイン時間はまだ三時間弱だった。残り四十七時間をひたすら寮で過ごすしかなくなるのは、流石にやっていられない。
(元はと言えばわたしがあの目に見惚れたのが拙かった。あれで分身もロディにロックオンした可能性ある。特製クッキーで餌付けしちゃったのも拙い。このままじゃAI同士で意気投合して本物の十八禁に進展しかねない)
全年齢対象ゲームとはいえ恋愛シミュレーション。キス未遂ができてしまうのだ。全く安心できなかった。
意を決してログインしたのは午前十時頃だった。
自動行動でなかったら叫んでいたと思う。
漆黒の短髪がかかる襟足が、真っ先に目に飛び込んで来ていた。
ロディに手を引かれて何処かへ向かっている。
どういう状況なのか目に映るものだけで判断しなくてはならないのに、頭が回らない。咄嗟にログアウトしてしまいたくなったが、AIに任せておけないからログインしたのだと何とか気を立て直す。
校舎の廊下を歩いている。強引に引っ張られているわけではなく、指先をやんわり重ねられているだけだ。
ほぼ自主的について行っている。その点だけでもファルセは内心で頭を抱えた。
ただ、任意で動けるようになった時、だからといって急に手を振り払うのも変に思えてしまう。
それでファルセは悟った。
拒絶を示すほどロディを嫌いではない。
体験版で無視された時など関係改善を試みるくらいには、心に孤独を飼っていそうな生い立ちが気にかかるキャラクターでもあった。その体験版では受け取ってくれなかった菓子を、今度は普通に貰ってくれたのも実は嬉しかったのだ。
要は、ファルセは、ひたすら照れているだけだった。そしてそれを自覚して益々恥ずかしくなった。
自動行動は終わってしまい、ファルセは黙ってついて行っていた。
空いている片手で熱い顔を覆う。
(こういうの慣れてないよぉ……どうすれば)
つと、ロディが歩みを緩め、肩越しに振り返った。
ファルセは指の間から、真面に彼の目を見た。
(うぅ、やっぱり綺麗だなぁ)
銀河のような瞳が僅かに揺れて、ロディは繋いでいた手を離した。もう片方の手に持っていた本の角で自分の頭をとすとす叩くと、小さく息をついた。
「君がちっとも魔法を教わりに来ないから」
「……そういえば、そうだったかも」
気づけば図書室が目の前だった。
「何でボクが迎えに行かないといけないんだ、と思う」
「ごもっとも」
「でも行ってしまう。君に会いたい」
青年は黒髪を少々乱暴に掻いた。「自分でもワケが解らない」
(特製クッキー凄いなー)
ファルセは現実逃避していた。男装している自分に、こんな綺麗な異性が意味不明に告白してくるのは正にゲームだった。
「このところ君がイネルグの所にばかり顔を出してるのも気に入らない」
(ステ上げに設定変えた所為で焦らしたみたいになっちゃったのか……)
遠い目になるファルセに、無表情だった童顔が僅かに拗ねた様子になる。
「ああいう顔がいい? 君、殿下にも興味無いみたい」
何故ここでタクティー王子が引き合いに出されるのか。ファルセはちょっと正気に返って、ポロリと素直に返事をしてしまう。
「イネルグ君よりは殿下の顔の方が好き」
「──そう」
「特に目がね、ノヴァ君の目も似てる」
「──そう、そう──」
珍しく、ロディはほんのり頬を染めていた。
俯きがちになると、ぽつぽつと童顔の青年は言った。
「ボクの目ぐらい、好きなだけ見ればいい。ボクも、君を好きなだけ見ていたい」
「──うん、見るぐらいなら、どうぞ」
思いがけず理想的な話の流れになった。
流れに乗るべく、ファルセは拳を握って力説した。
「お互い観賞対象ってコトで。うん、それなら妙な触れ合いもなくていいね!」
「何言ってるの。ずっと見ていたいさ。でもそれだけで済むものか。ボクを幾つだと? 十八だ十八。気になる子には触れたい」
即答な上に彼の方こそ力説だった。
煩悩をさらけ出すAIという存在に驚いてしまうファルセを睨むように見据え、ロディは何処か毅然と言い募った。
「これでもボク、かなり紳士。褒めてほしいくらい」
「あれで」
「……譲歩してくれないとエスカレートする」
脅迫になってきて、ファルセは眉を下げた。こんなやり取りでさえ、そこはかとなくトキメキ始めている。困る。
我ながら、あまりにもちょろい。
「でも、わたしは、人の目があるとこで、べたべたしたくなくて……」
ぐるぐる迷った挙句に何とか言う。言った途端、するっと腕を取られ、くるっと図書室の中へ引き入れられた。
は? え? と小さく漏らす間に自習室へ雪崩れ込むように入って、巷で噂の壁ドンをされていた。
至近距離に、輝くような宙の双眸が迫っていた。いつもの感じではない、囁くように乞うてくる。
「君の希望通りにした。抱き締めたい」
「ちょ──わわわ、近い近い近い」
慌ててロディの肩を押しやろうとするも、魔法漬けのもやしっ子みたいなナリで思いのほかガタイがいい。
習い覚えた護身術の動きが頭の隅に飛来したが、ファルセは彼相手には繰り出せなかった。熱い顔で訴えるしかできなかった。
「譲歩したのにっ、エスカレートしてるよぉっ」
「エスカレートしていいならキスしたい」
「──ハグでっ」
やけくそでぎゅうとしがみつくと、かなり強い力で抱き締め返された。
もはや、この手に触れる存在しか考えられなくなる。
「あは、頭の中でファンファーレが鳴ってら──ファルセ、ボクと恋しよう?」
(なんて罪作りなAIだ)
微かなインクの香りがする身体を腕に確かめるファルセは、胸が詰まって答えられなかった。
相手の体温も匂いも錯覚するのに鼓動が無い。
それが、とてもとても悲しくて。
今日は炎の魔法を、と耳元で告げられたら宿った。
ファルセは渦巻く感情を懸命に宥め、ありがと、と告げる。
身を離したロディは無表情だったけれど、瞳には熱が籠っているのが見て取れた。
しばらく見つめ合ってしまい、ファルセが狼狽えて目を落とすとロディの手が頬を撫で、指先が首筋から耳裏を辿るように触れた。
流れでエスカレート先に行き着きそうで、ファルセがそれは嫌だと身を引きかけたら、ロディの方が手を引くのが早かった。
微かに首を傾げ、青年は探るようにファルセの目を今一度覗き込んできた。
「続きはまた今度」
「つっ、続きっ?」
ひっくり返りそうになる声で訊き返すと、ロディは淡々と言った。
「魔法、あと二つは覚えてもらう」
そっちか、とホッと胸元に手を当てた時、猛スピードの拍動に気づいた。
(自分のドキドキは判る──えぇ? 何コレ、わたしの方だけ筒抜け?)
内心で新たに動転させられるファルセに、ロディはうっすらと笑った。
「六つぐらい魔法があれば、人目の無いダンジョン行けるよ、ファルセ」
「えええっと、ちょっと、まだ、転んだら死ぬかなっ」
「解った。今のうちに蘇生の呪文構築しておく」
ひとたび欲望に染まった新星は、才能の無駄遣いも甚だしかった。




