ファルセ・リーベルトの魔法
正ヒロインと思われるトモミが講義室から出て行ってしまい、ファルセはしばし待ってみた。けれど結局、授業も始まりそうにないし他の誰も来ないしで、その日はログアウトした。
翌三月二十六日、昨日と同じ午前九時過ぎにログインしてみると、目の前に黒髪の美形が居た。
机に頬杖をついて、開いた分厚い本の文字列をゆっくりと瞳が追っている。
内心でかなり驚いたファルセの眼前を、字幕が流れていく。
【※自動行動中です。一定範囲に他者が居る為、二〇秒後から任意のタイミングで終了が可能です。※自動行動中です。一定範囲に他者が居る為、一七秒後から任意のタイミングで……】
急いで状況の把握に努める。
きっと図書室。窓が細めだから自習室か。恐らく昼下がり。AIが自主的に魔法を教わりに来たのか。良く彼を捜し当てたなと感心する。
(もう教わった? わたし、立ち去るところだった?)
ならばまだ自動行動中なので席から立ってもおかしくない。なのに動く気配が無い。
(何この状況ー)
天然のダイヤモンドにも見える瞳が、ちらりとこちらを向いた。ごく微かに口角が上がった気もしたけれど、頬杖をついたまま本を閉じたので定かではない。
「待たせた。魔法を教える」
これからだったようだ。待っているように言われて向かいに座っていたのか。
(気を許してるなぁ。あのクッキー効果?)
丁度カウントが〇になって、ファルセは肩の力を抜く。ぺこりと頭を下げた。
で、とロディは問を紡いだ。
「とっておき? それとも他の?」
「……どういう点がとっておきなの」
「ボクが呪文を構築したディザスター系。恐らく棒読みでも無詠唱より威力が出る筈」
「そんなのあるんだ」
ちょっと何を言っているのか解らない。体験版ではそんなモノ、存在さえ知らなかった。所詮、体験版は序盤の一部を遊べるだけなのだ。
専門分野の話題で御機嫌なのか、無表情がほどけて、ロディは少年っぽくにんまりした。
「学園の近くにダンジョンが在る。そこの階層ボスも一撃で消せる」
「え」
「君が詠唱した場合の威力が気になる。一緒に行きたい」
(実験する気かー)
ファルセは、んー、と机の上で両手を握り合わせた。考え考え言う。
「わたしは貧弱だから、もう少し鍛えてからにしてほしい」
「……能力値を訊いても?」
ん、とシステムメニューを思考操作で呼び出してファルセは数値を読み上げる。
ロディは軽く目を見張っていた。
「え……そんな……転んだだけで死ぬんじゃ」
「流石に死にはしないと思うけど」
頬杖をやめた青年は、拳を口元に当てて寸時黙考した。
「解った。基礎のエレメント系から。今日は汎用性の高い灯の魔法を」
「わ、来た。ありがとうー」
どういう仕組みなのか、新星が魔法の種類を言えばもう宿っている。
体験版でも本をめくりまくって真っ先に覚えたのはこの魔法だった。
早速使ってみる。右手の先にぽわんと柔らかい光が生まれた。
「やった、嬉しいぃ」
いかにも魔法っぽくて、ハルセのお気に入りだった。
ふ、と笑う気配がして目をやると、ロディは光をたたえてキラキラした目を細めていた。
ボスをワンパンできる魔法より破壊力がありそうだった。
「また明日以降、来るといい」
言いながら、青年は席を立った。本を手に、部屋のドアへ向かう。
小刻みに何とか頷いて、ほてりそうな頬を前髪を撫で上げる仕草で誤魔化し、ファルセはふと思いつきを口にした。
「そういえば、座学って、いつ受けられるのかな」
ドアの前で足を止めてくれたロディは、肩越しに軽く振り返った。
「今は春休み。新学期は、もう少し先」
「は──だからあんまり人を見かけなかったんだっ?」
「……そういえばボクも訊きたい。あのクッキー、君の手作り?」
「え、いやー、あれは貰い物みたいな感じで、手に入れて」
そう、と青年はぽつりと言った。
「君の手作りなら、また作ってほしかった」
「美味しかったね。シナモンが効いてた」
あれはダンジョンの階層ボスを倒すと初回は必ずドロップしていた。でもロディはゲットできていないようだ。となると、ヒロインにしかドロップしないのだろう。
「食べてしまったか」
一枚逃したのも惜しいのか。余程気に入ったらしい。
「もしまた手に入ったら分けるよ」
ロディはちょっと顎を引く。
「なら、ボクも追加で魔法を教えよう」
取引成立とばかりに、ロディは本を軽く持ち直すと部屋を出て行った。
何だか可愛く思えて、ファルセは口元を緩めた。
このゲームのダンジョンは、本格的ではない。あくまで恋愛シミュレーション内のミニゲームとして存在している。
ステータスを効率良く上げられる。けれど相応に危険でもある。行っても行かなくてもいい、されど挑んだ方が断然良い場所となっていた。
何故かと言えば、ダンジョンの階層ごとに居るボスモンスターを倒すと必ずアイテムが得られる。特製クッキーもそうだし、普段使いできそうなアクセサリーもあった。アクセサリーは身に着けると、攻略対象が気づいて何かしらコメントもくれた。
ボスを倒すこと自体も、感心してくれたり心配してくれたりと、攻略対象の心境に何らかの変化が生じていた。
何はともあれ、そんなダンジョンで活躍するのが魔法である。
ダンジョン内のモンスターは剣や杖みたいな代物で斬ったり殴ったりでも倒せた。けれどやはり若い女の子が戦う際、直接手を下さず魔法を投げて倒す方が絵面としても良いのだろう。学園も魔法を主に教えているという設定だし。
体験版ではストーリーを進める中で、本で覚えて魔法を幾つか備えるのをそれとなく推奨された。
ハルセが覚えた魔法は六つ。六つもあればステータスを上げるだけで、中層のボスもごり押しができた。
『EX』ではお菓子で釣れてしまったロディがほいほい教えてくれるようなので、ファルセはもはや本で魔法を覚えなくていいかもしれない。
(そうなるとこの貧弱ボディを何処で鍛えたものかな)
ファルセのステータスで最弱なのは筋力と素早さで、この二つに加えて体力は武術教練場で巻藁に向かって得物を振り抜くと上がる事がある。ただ、武術教練場には脳筋がほぼほぼ居る。
体験版での関係性から近寄りたくなかったけれど、とにかく会話しなければいい気もしてきた。
(取り敢えず、転んだだけで死ぬと思われない程度まで上げよう)
ファルセは飴を一つ口に入れ、屋外の教練場へ向かった。
外は、やや日が傾きかけていた。
園庭と教練場の境には常緑樹らしき木が並んでいる。木立の向こうから、気合の入った掛け声が聞こえた。
ビシッと斬りつけるような音が続く。
やっぱりドギーが居るようだ。
そして、彼だけではないようだった。ぱちぱちぱち、と手を叩く誰かが居た。
「スゴーイ!」
んん? とファルセは足が止まる。止まる間に、ドギーが大きな声で言った。
「な? やっぱ俺、魔法要らないと思わねー?」
「どうなんだろうー? でもさっきのカッコ良かったよ、ドギー君」
コーニャだと察してファルセは口をすぼめる。彼女はロディと仲良くなるのはやめたのだろうか。
称賛が嬉しかったのか、さっきより気合の籠った掛け声が響いた。
ややして、スゴーイ! という声。
(何か、ちっちゃい子のお母さんみたいだなぁ)
とにかく褒めて育てますという感じで頑張っている若いママの姿が脳裏に浮かんでくる。
顔を出したらコーニャとは話さないわけにいかない気がする。しかし思いがけない世代間ギャップのようなモノを感じてしまい、何を話せばいいのか判らない。
(器用にしよう。VITもたまーに入った筈)
ファルセは内庭を挟んで奥に在る魔法教練場に行く事にしたのだった。




