5 いざ異世界へ
夜が明けて蒼太は誰かに体を揺すられて起きる。
目を開けるとジャスティーが起こしていた。
「……おはようございます」
「おはよう。ご飯できているから起こしたんだけどもう少し眠りたい?」
「えっと今何時ですか?」
「七時を少し過ぎてる」
「八時間以上寝たのかー。ぐっすり眠れたな」
体を起こしてぐっと伸びをして眠気を覚ます。
「筋肉痛はある?」
ジャスティーに聞かれ、蒼太は体中を少し動かす。痛みはなくいつものと変わらぬ体調だった。
「どこも痛くないです。マッサージが効いたのかな」
「きっとそうね。先に食堂に行ってるから」
「起こしてくれてありがとうございます」
ジャスティーは気にするなと手をひらひらと動かし部屋を出る。
それを見送り、明日からアラームで起きるようにしようと携帯をいじる。美人のお姉さんに起こしてもらうのは気分がよかったが、毎朝は迷惑になると思った。でもたまにはお願いしたい
アラーム設定を終えて、すぐに洗面所で顔を洗って蒼太も部屋を出た。
食堂には全員そろっていて朝食を食べていた。朝は味噌汁に焼鮭に卵焼きだ。あとはたくあんときゅうりの漬物がテーブル中央に置かれている。
おはようございますと声をかけて、夕菜がご飯をよそい茶碗を置いた席に座る。
「よく眠れたか?」
「はい。早めに寝たけど、起こされるまでぐっすりでした」
茶碗を手に取りながら宮路に答える。
「疲れてたんだな。だがその疲れも持ちこしてないようだ」
筋肉痛などでぎこちない動きをしているといった様子が見えず、問題なく訓練を行えると宮路は頷き、白米を口に運ぶ。
蒼太もいただきますと手を合わせてから豆腐とおあげの味噌汁を飲む。
テレビから流れるニュースを聞き朝食を進めていく。
先に食べていた藤村たちが席を立ち、寮を出る。散歩というわけではなく、不審人物が近辺にいないかの調査だ。調査人員は藤村たち以外にもいて、常駐している三人と違い、交代で町周辺を見張っている。
宮路とジャスティーは食べ終わっても動かずに、蒼太を待つ。
「ごちそうさまでした」
蒼太が食べ終わると夕菜がお茶を目の前に置いて、かわりに空の茶碗などを持っていく。
お茶を飲みつつ、今日の予定を話すことになる。
「今日やるのは活性を使っての運動。こっちは詳しくデータはとらない。どれくらい動けるようになったのか知ることが目的だからな。それが終わったらジョギング。昼食後二時間ほど時間をとって正しい動きの指導、受け身の訓練。その後にまたジョギングをやって終わり。こんな感じだな」
「午前中にネックレスをとって活性を試すつもり」
ジャスティーの付け加えに宮路は頷いた。
「それ以外になにかあるか?」
「私はない」
蒼太に視線が向けられ、蒼太は首を横に振る。
「んじゃ、八時二十分に庭に集合だ。それくらい時間をおけば腹も落ち着いているだろう」
解散と宮路が告げて、蒼太は部屋に戻る。
ジャージに着替えて、テレビをつけてごろごろとしていると時計の針が十五分を示す。暇なので出ておこうとテレビを消して玄関を開けると、ジャスティーが玄関前に立っていた。
「なにしてるんですか?」
「そろそろ時間だから呼ぼうと思ったら、動いている気配があったから出てくるんだろうと待っていたの」
「気配なんてわかるんですね」
「部屋の中の誰かが動いているってことくらいわね。寝ていたらわからない」
なんてことのないことを話していて庭に出ると、宮路が道具を出していた。
「来たか。さっそく始めようかね」
「ソウタ君、活性のやり方は大丈夫?」
大丈夫だろうと思っているが、念のため聞く。蒼太は大丈夫だと返して活性を行う。
その様子を見た宮路が握力測定器を渡してくる。ギュッと握ると昨日よりも上がった数値が出た。劇的に上がったわけではないが、ブレの範囲を超えた数値なので活性の効果を知ることができた。
次は背筋力、その次は垂直跳びとさくさくこなしていく。今回は一度のみの測定なので時間はそれほどかからなかった。
「一通りすんだな。実感できたか? わかりづらいってんなら数値でも見てみるといい」
ほれと渡されたクリップボードに昨日の数値と今日の数値が書き込まれている。どれも今日の方が優れていた。
「だいたい十パーセント強くらいの強化率だな。これは俺たちが測って出たものと同じだ。魔力量の違いで差がでないってのは貴重なデータか」
「これって活性を使ったら一定の数値追加じゃなくて、元の数値の一割分増加してるんです? つまり鍛えたらその分上がるってことですか?」
「後者だな。それは日本の研究者も疑問を抱いて検証してみた」
抱いた疑問が晴れたことで蒼太はなるほどと頷いている。
「次はネックレスを外しての活性よ。ネックレスをこっちにちょうだい」
ネックレスを外した蒼太は息を止めるようにしてあふれ出ようとする魔力を押しとどめる。
何かを我慢した顔の蒼太を見て、宮路はコントロールが上手くいっていないとすぐに理解する。
「活性を試してみて」
「わかりました」
蒼太が活性を行うと、さきほどの活性ではなにも感じなかった宮路も風のようなものを感じ取った。
「魔力が流れだしてる。その状態で魔力をコントロールできる?」
「……できない。活性を止めればできると思うけど」
試したみたものの押さえこむことよりも内からの溢れるものの方が強い。さらに活性とは比べものにならない早さで魔力が消費されていくのもわかる。すべての魔力を使い切るのに五分くらいかと蒼太は推測する。
一度活性を止めてネックレスを返してもらう。コントロールに意識を割かずにすむようになり、大きく息を吐いた。
「どんな感じだった? どこか痛かったり苦しかったりということはあった?」
「そういったものはなかったです。でも魔力の消費がすごく早い。たぶん五分くらいで全部の魔力を使う感じ」
ジャスティーは驚いたように蒼太を見る。通常の活性と明らかに違うのだ。
「あなたがやったのに活性よね?」
「うん」
「ネックレスをした状態での活性はそんなに早く消費しないわよね?」
蒼太は再度頷いた。
「これはコントロールできていないからなのか、魔力が多いとそうなるのかどっちなんだろうか?」
魔法や魔力に関しては専門外の宮路の疑問にジャスティーはわからないと答える。
「でも前者に関しては検証できるからやってみましょう」
ジャスティーはわざと魔力のコントロールを乱して活性を試してみる。意識せずにコントロールできていることを、わざと乱すのには苦労する。自転車でわざと転ぶといった運転をするようなもので、できるとはわかっているがどうしても心理的にブレーキがかかってしまう。
それでもどうにかコントロールを乱し、魔力が流れだした状態で活性を行う。
結果、同じように魔力消費が早まった。
「こんなことになるのね」
コントロールを戻したジャスティーは感心したように言い、蒼太と同じように息を吐く。
魔力漏出を止めることは簡単にできるため誰も試したことがなかったのだろう。体質的に漏出を止められない者も、蒼太のネックレスと同じものを渡されてから試すため気づかなかった。
「どんな差ができているか試していきましょう」
蒼太も誘って、いくつかの測定を行う。すべてやるには魔力が心もとないため、握力と走り幅跳びと垂直跳びを試してみた。そうして計算でおおまかな差を割り出す。
結果、蒼太が三割、ジャスティーが二割弱という強化率になっている。
あとは持続時間も違う。蒼太は五分といったがジャスティーは一分と少しだ。
「二人の強化率に差がでたのは魔力の多さのせいなのだろうか」
「おそらく」
ジャスティーが頷き、宮路の言葉を肯定する。
「仮にこれを過剰活性とでも呼びましょうか。過剰活性は常に使うには向いていないわ。これなら魔法で強化した方が使用魔力は少なくて済む」
「だとしたら無駄な技術ということになります?」
「いや、利点はある。魔法と違って準備動作がなくせるから奇襲にはもってこいね。奥の手として使うことになるのでしょう」
現時点では魔力コントロールを乱すのにやや時間がかかるため、ジャスティーの望むような即効性はない。だがそこは訓練すればいいだけで、習得に値する技術だ。ミレジオリに帰ったら報告しようと夜のうちに報告書を作ることに決めた。
「しっかし強化率に差があるのに一つも勝ててないというね」
結果を書き込んだ紙を見て、むぅっと小さく唸る蒼太。
男の方が女よりも上だという差別的な思いはないのだが、たおやかな見た目のジャスティーにこうもぼろ負けなのは情けなさがあった。
「これからの鍛練で差は縮んでいくでしょ。鍛えてなかった分だけあなたはこれから伸びていく。私も伸びてはいくでしょうけど、伸び率は低いと思う」
「自分的な目標はジャスティーさんとの差を縮めることにするかなぁ」
「目標にされるのなら私も早々追いつかれないように頑張らないとね」
小さなことでも目標があることはいいことだと宮路も頷いている。
活性での測定は終わったので、休憩してジョギングとなる。一度走った道なので様々なところを見る余裕もあり、ジョギングコースのおおまかな地理は覚えることができた。
昼食の炒飯を食べて少し休憩し予定通り、受け身や動作指導となる。
受け身は投げやすいように柔道着に着替え、庭にマットを何枚か敷いて行われた。最初は投げられての受け身ではなく、自分からマットに転んでの受け身だ。左右に飛び込み前転し、横に跳ねて倒れ込み、後ろに勢いよく倒れてといったふうに様々な倒れ方をして受け身をとっていく。
蒼太は高校の選択授業で柔道をとっていたため、それらをやったことがあった。けれど習熟しているとはいえないので、宮路が事細かな指導をしてより安全に受け身が取れるようになっていく。
「よーし、次は俺とジャスティーさんが投げて受け身をとろうか」
「うぃっす」
最初は宮路からだ。ジャスティーの投げは柔道とは体系が異なるため、最初は慣れたものの方が受け身を取りやすいだろうという判断だ。
二人は組み合い、宮路が蒼太の体制を崩して大外刈りを決める。本気で投げてはいないので受け身の音も軽いものだった。
「何度か大外刈りしていく。んでじょじょに速度を上げていくから、きちんと受け身をとるようにな」
「わかりました」
頷いた蒼太は何度もパタンパタンと転がされていく。大外刈りが終わると次は足払い、跳腰、背負い投げと変わっていった。
その最中にバランスの体勢の崩し方にもアドバイスが入る。学校の授業ではわかりにくかった部分も、マンツーマンで詳しく行われるため理解できる。実際に何度も体勢を崩されながらの説明なのでなおさらだ。蒼太の投げる技術はまだまだだが、投げられる側としては投げられにくくしたり、自分から投げられて投げのタイミングをずらし威力を抑えるということができるとわかった。
「とりあえずこれくらいか。今後も投げられての受け身は続けていくぞ。休憩を挟んでジャスティーさんの番だ」
「私も似たような進行でいくからね」
休憩の間にどこか痛めてないかの診断を行い、十五分して訓練が再開する。
ジャスティーも道着を着て、髪は首当たりでシニヨンにしている。
宮路のときと同じく、蒼太は抵抗せず素直に投げられる。だがジャスティーの投げ方は合気道に近いもので、蒼太は慣れておらず受け身を失敗することがあった。幸い赤く腫れる程度で怪我はない。一晩たてば腫れは引くといった程度のものだ。
「柔道のように慣れればもっと打ちつけないですむんかなー」
「そうだな。事前にどういった投げ方をするのか説明があった上でゆっくり投げられても、不慣れってことで体の強張りがあったように見えた。そのせいで受け身失敗してたからな。やっぱり慣れるしかないな」
「次回も今日と同じ技で投げるから、もっと上手くいくはずよ」
実は受け身が失敗したのにはもう一つ理由がある。ジャスティーとの近距離接触で気がそれたのだ。蒼太も思春期なのでどうしても反応してしまう。
それに宮路もジャスティーも気づいていたが、指摘されると恥ずかしいだろうということで口に出すことはなかった。
気づかれてないなと小さく安堵の吐息を吐く様子を見て、宮路とジャスティーは小さく笑う。
受け身の訓練は終わり、次に動作の指導になる。
「動作の指摘って言ってたけど、具体的にはどういったことをするんですか?」
「まずは走り方から始める。ほんの少しの違いでも速度やスタミナの消費度が違ってくる。より速くなれば、より遠くへ行けて、スタミナ増加にも一役買うことになる」
「ほかにはブルーホープを着て動いたときに転ばないようにもなる」
ジャスティーが付け加えたことに、蒼太はよくわからないという表情を浮かべた。
「ブルーホープを着ると身体能力が大きく上がるの。体のバランスがずれているとそのずれに従うように動くといったことになる。体の重心が右に傾いているとしましょうか。生身で走ると真っ直ぐ進めていても、ブルーホープを着ていると踏み込みの力の差で真っ直ぐ走れなくなるの。あとは傾いている方に負荷が大きくかかって故障の原因にもなりうる」
「だから動作を指摘することで重心を真っ直ぐにしようってのがこの訓練の目的だな」
ついでに重心が真っ直ぐだと、攻撃動作時の力の伝わり方がスムーズにいきダメージ量が増えるため、エモールド討伐には必須訓練なのだ。
二人の説明に納得いったと蒼太は頷く。
早速宮路とジャスティーはジョギングでの動作を観察して見つけた注意点を蒼太に教えていく。
言葉で伝えると次は走るフォームを取ってもらい、蒼太の体のあちこちを触って矯正する。さらにゆっくりと庭を走らせてフォームを覚え込ませる。ずれるとすぐに指摘がとんだ。
そうしてある程度フォームが整うと、休憩してジョギングで仕上げとなる。
教えられたことを意識して走るので周囲の様子を伺う余裕がなく、ぎこちなさから体に力みが入って朝や昨日のジョギングよりも疲れることになった。
「これって、本当に、楽に走れる、んですか?」
蒼太の息を切らしながらの問いかけに宮路が頷く。
「意識せずに走れるようになればの話だがな。しばらくは疲れるだろう」
「うぇー」
呻いた蒼太を笑い宮路は屋内へと押しやる。蒼太はのろのろと歩いていった。
「さてはてこのペースで必要ラインに届くかな」
「今のところは想定内です。高い才はありませんが、才無しというわけでもありませんから順調に育ってくれるでしょうね。本人も前向きですから、その意思をくじかぬように上手く調整していきたいところです」
二人はそう言い屋内に向かう。
訓練は始めたばかりで、今重要なのは訓練そのものに慣れること。それを理解し、焦ることなく計画を進めていくのだった。
次の日も同じ訓練を行い、終業式を含めて五日過ぎるまで同じペースで進める。
蒼太は宮路たちの推測通り劇的な成長はしないが、訓練に慣れる様子を見せていてわずかながら成果も見えた。同時にマッサージや睡眠では抜けない疲れも見える。これもまた想定内のことだった。
五日目の夕食後に蒼太は宮路とジャスティーから呼び止められる。
「明日の予定なんだが」
「なにか特別な訓練でもするんですか?」
「いやそうじゃない。明日は訓練なしだ。んで明日から四日から五日くらい別の訓練をする」
「ってことは明日は休み? 春休み中に休みを喜ぶってういうのも変な話だけど」
自由に過ごせるんだと表情を明るくした蒼太にジャスティーが首を横に振る。
「喜んでいるところ悪いのだけど、一緒にミレジオリに来てもらうわ」
「あーブルーホープを着るとか言ってたっけ」
休みじゃないのかとテンションを落とした。
「実際に身に着けてもらうのは明後日だから休みって言っていいわ。ただ自由に動けないってだけで」
「どういった行動予定になってるんです?」
「簡単に言うと向こうで世話になる人に挨拶、向こうの様子を知ってもらうために町中散策。散策では博物館やお店に入ることになっているわね」
「それはちょっと楽しみかも」
落ちたテンションが上向きになる。ちょっとした旅行気分だ。
「明日の朝八時過ぎくらいに出発だからね」
「着替えとか準備しといた方がいいかな?」
「上着やズボンはこっちで準備するから、下に着るシャツや下着をバッグに入れておくくらいでいいわね。携帯やお金は向こうじゃ使えないから持っていっても意味はないわ」
服を準備するのは服の作りが日本ほど精巧ではないためだ。ギンガムチェックなどはまだいいが、絵のプリントされた服など着ていれば目立って仕方ない。
ほかに数日前にも聞いた向こうでの注意点を聞いて、蒼太は部屋に戻る。
翌朝、蒼太は七時にセットしていたアラームで起きて、食堂に入る。
「おはようございます」
挨拶しながら入ると食堂にいる全員からおはようと返ってくる。
椅子に座ると先に食べ終えていた花野が話しかけてくる。
「今日からミレジオリだろう? 初めての異世界行きはどうだ?」
「楽しみ、ですかね。どんなものがあるのか想像つかないから。花野さんたちは行ったことあるんですか?」
「一度だけな。地球に似てるようでやっぱり違う、そんな場所だったな。向こうにしかない食べ物もあったぞ。また食べたいものもあるなぁ」
「へー、今回行って食べられるかな」
「食べられるんじゃないかしら。食べたいといえば神殿で出してくれるはず。それにユウナもいくつか作れるはず」
でしょう? とジャスティーが夕菜に顔を向ける。
夕菜自身はミレジオリに行ったことはないが、レシピと材料は持って帰ってきてもらっているので試作はしている。けれどそれが食卓にあがったことはない。
「まだまだ研究中だから、もう少し私自身が納得できるようにならないと出せないわね」
「完成する日が楽しみですな!」
「お前はゲーム以外に食べることも趣味だからな」
「車バカには言われなくないな」
花野と山池のじゃれあいを見ながら蒼太は朝食を食べ始める。
今日も美味しい朝食を終えて、出かける準備を整え、食堂でジャスティーを待つ。
八時頃に体の幅よりも大きなダンボールを持ったジャスティーが食堂に入ってくる。
「大荷物ですね」
「かさばるだけでわりと軽いのよ? 中身は向こうで待つ人へのお土産」
「重いのなら運ぶの手伝おうと思ったんですけど」
大丈夫と返したジャスティーが歩き出したので、その後ろをついて行く。
寮の前に宮路が車を停めていて、そのトランクにダンボールを入れた。
車に乗り込んだ三人を夕菜が見送る。
目的地は漁港で、着くのに十分もかからなかった。
「車に乗る意味なかったんじゃ?」
「たしかに歩いて行ける距離だが、護衛って面からだと歩きよりも安全なんだよ」
護衛に関しては蒼太は素人なため、そんなものなのかと頷くしかない。
歩き出した宮路とジャスティーについていき、漁港内を歩く。
漁港内は人がまばらだった。漁に出た漁師たちが帰ってくるには少し早い時間だったのだ。もう一時間もたてば賑やかな様相を見せるだろう。そういった混雑を避けるためにこの時間帯に来たのだ。
漁港に来たことのない蒼太があちこちと見ていると宮路に声をかけられる。
「あれが乗る船だ」
宮路が指さした先、埠頭の端に漁船と同サイズの船がある。人の送迎を目的としているので網や網を巻き上げる電動ウインチもない。かわりに雨避けなのか後部に屋根がある。
船には暇そうに煙草を吸っている男がいた。
「大草!」
宮路が声をかけると船上の男は吸っていたタバコを携帯灰皿に入れて手を上げる。
大草と呼ばれた男は船のエンジンをかけて出発準備を整える。
三人が乗ると、船を固定していたロープを解いて漁港を離れる。
蒼太は船後部に座り、海風を受け景色を眺める。
「たしか十分と少しとか言ってたっけ」
「そうね」
蒼太の隣に座るジャスティーが頷く。宮路は運転している大草の隣でなにか話している。ちらりと大草が振り返り蒼太を見たので、蒼太は小さく頭を下げた。
「船を使っての移動は少しだけだけど、わりとお気に入りの時間なのよ」
「そうなんですか? 海が近くにないと何度も船に乗る機会はないだろうけど、すごく楽しいってものでもないような」
「ミレジオリでは小型船での移動は湖や川でしかできないのよ。基本的に海は魔物の領域だからね。移動するとなると中型船が四隻ほどで組むか、武装大型船で移動するしかない。こんなふうに魔物の心配なく風を楽しむ時間なんてないから」
「魔物を近づけさせないような魔法とか道具とかってないんです?」
「あいにくと。戦って追い払えばしばらく近寄ってこないけど、ずっとというわけにもいかなくてね」
だから魚は食品の中では値段が高い方だ。漁にコストがかかり、その分を取り戻すため費用が追加される。
浜辺などからの釣りでとった魚もいい値で売れるため、臨時収入目当てで釣りを行う者も多い。
「魔物ってやっぱり危ないんだ」
「危ないけど、今日行くところの周辺にはいないし今後もいるところには行く予定はないから安心してていいわ」
「それは安心」
笑みを浮かべた蒼太が、魔物よりも厄介なものと戦うことになると知れば尻込みすることだろう。そうならないためにもジャスティーは事実を隠し騙しきることを誓う。
急に深刻な顔となったジャスティーに蒼太は首を傾げ、それを見てジャスティーはなんでもないと表情を和らげる。
景色を眺めているうちに島がはっきりと見えてきた。大きさは野球ドームより少し大きいといったところだ。山とはいえない隆起があり、島のほとんどを木々が覆っている。
船は速度を緩めて接岸する。蒼太とジャスティーが降りて、宮路が船から声をかけてくる。
「じゃあ向こうを楽しんでこいな」
「宮路さんは留守番ですか」
「おう、向こうに行ってもやることないからな。蒼太君がミレジオリにいる間は俺たち護衛組は一人ずつ交代して休暇になる」
「山池さんなんかはドライブするんでしょうかねー」
好みから過ごし方を予想する。それに笑いながら宮路は頷いた。
船を動かすと大草から声をかけられ宮路がじゃあなと言い、それを合図に船は去っていった。
しばし船を見送り残った蒼太たちは小さな森へと歩き出す。道は獣道よりもましという感じのものが奥へと続いている。こけるようなことはないだろうが、歩くには少々不便だろう。
「道の整備ってしないのかな」
「しないと聞いたわ。人工衛星っていう代物が空の彼方に浮かんでいるんでしょう? それからゲートを隠すためにできるだけ島を自然のままにしておくのだとか」
地形を変えないというだけで監視カメラといった警備体制はきちんと取られている。
「もう着くわ。ほらあそこに入口がある」
ジャスティーの視線の先にシャッターの閉まっている地下への入口がある。
「ゲートって地下にあるんですか? なんとなく地上に置かれていると思ってた」
「最初は地上に置いてたのよ。でも人工衛星で見られるかもって地下に移したの。ついでに人の住居も地下に移したわ」
「ゲート持ち運び可能?」
「ええ、でもこれは秘密」
口に指に当てて「ね?」と同意を求めるジャスティーが可愛らしく、蒼太は見惚れつつ頷く。
どうして蒼太の顔が赤らんだのか不思議に思いながらジャスティーはシャッターを持ち上げる。重い音を立てて上がっていくシャッターの向こうには緩い坂道が地下へと続いていた。
二人が入るとシャッターが重い音を立てて閉じていく。明かりが壁に灯っているため暗くはない。
歩きながらここの構造をジャスティーが説明する。
地下三階からなる施設で、地下一階は倉庫や装備員の待機室がある。地下二階は住居施設で、二十人が寝泊りできる。食糧も一ヶ月は余裕で篭れるくらい蓄えがあった。地下三階がゲートの置かれている空間で、ミレジオリからの輸入品を置く倉庫でもある。
ここは最初、魔法で穴を掘られてその後発電機などが持ち込まれて生活環境を整えられていった。日本人と異世界人の初の共同作業が行われた場所でもある。
こういったことを話しているうちに何人かとすれ違い、地下三階までやってきた。
地下三階入り口正面、大きな窓ガラスの向こうに縦三メートル横二メートルの銀枠がある。銀枠の中は満天の星空のように様々な色の光の粒が瞬いている。
「あれがゲート。今からあれを通ってミレジオリに向かう」
「おー正直あれを目の前にしても異世界に行くってことに実感がわかない」
「誰だって最初はそんなものよ」
行きましょうと蒼太に声をかけてジャスティーが歩き出す。
この施設にはゲート維持のためジャスティー以外のミレジオリ人もいる。その人たちに通れるかと声をかけて、いけると返事をもらい二人はゲートの前に立つ。
ゲートは音や威圧感や温度を発することなく静かに立っている。
「入ったら苦しいとか感じたりする?」
「そんなことはないわ。少し引っ張られる感じがあって、数秒もすれば向こうに出る。痛みとか暑さとかそういったものはない。見慣れない光景に気分を悪くするかもしれない、そんな程度。気分が悪くなった人もものの数分で回復した」
緊張した様子の蒼太に先に行くと言いジャスティーはゲートに入っていく。
姿を消したジャスティーの後を追い、蒼太も高鳴る胸の鼓動を聞きながら一歩一歩ゲートに近寄る。後一歩というところで一瞬動きが止まったが、意を決しゲートに入る。
なんの感触もなく煌めきの黒膜に入ると、目の前にいくつもの光の粒が現れ、それが背後へと線を描いて流れていった。初めて見る光景に呆気にとられていると、どこかの広い部屋に出た。
あの光景の余韻に浸っていると、持っていたダンボールを床に置いたジャスティーに手招きされる。
「なにも怖いことはなかったでしょ?」
「はいっ怖いどころかすごいもの見たって感じです!」
興奮気味の蒼太を宥めジャスティーは頷く。自分も初めてゲートを通ったときは同じことを思ったものだ。
「少しここで待つことなるから気分が悪いなら座りこんでもいいけど」
「大丈夫です。圧倒はされたけど、体調に変化はなかったですし」
「それはよかった。それでこれからのことだけど、神殿のトップがいる部屋に行くの。行ったときに両膝を床について座ってもらえる? それが礼儀作法の一つなのよ」
作法と聞いて蒼太は片膝をつくんじゃないんだなと思う。
ミレジオリでは片膝をついて地位が上の者に会うのは無礼に近い。片膝をついてすぐに動ける状態でいるのは、あなたを攻撃できますよという意思表示に受け取られるのだ。
「正座をするってことですかね」
「あれみたいにぺたーっと足首まで伸ばさないで、足首は立てていて」
「わかりました。でもすぐに行かないで少し待つのはどうしてなんです」
「あなたが来たっていう連絡を持った使者が今さっき出てね、向こうの準備が整ってない」
納得したように蒼太は頷く。
本当はトップがここに来ると言っていたのだ。人類の救世主(予定)といえる蒼太に足を運ばせるのはどうかと思っての発言だったが、本人にはそれを知られておらず、トップが自分に会いに来るということで大事だと悟らせるわけにはいかず、蒼太に来てもらうという流れになった。
「待っている間にこれを渡しておくわ」
ポケットから取り出した金属製のカードを手渡す。
蒼太は受け取ったそれの裏表を確認する。読めない文字が書かれているということしかわからない。これはなんだろうかとジャスティーに聞く。
「翻訳の魔法が発動するカード。ミレジオリの言葉を二ホン語に訳してくれる」
「便利ですね!」
こんな薄いのにすごいなと改めてカードを眺めていると、ふと疑問が湧く。
「文字は読めなくて会話のみ訳されるんですか?」
「ええ、その通り」
「だからこの文字が読めないのか」
「いやその魔法文字に関しては誰も読めないから。読み書きするための文字じゃなくて、その形が魔力を変化させやすいの。文字って呼んでいるのはそう見えるから」
「古代の文字って可能性もないんです?」
「昔の文献はあるけれど、魔法文字を使って文章を書いてはないわね」
こういったことを話していると準備が整ったと知らせがきて、二人は知らせにきた神官についていく。




