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一杯のココアを切に

 今日は本当に疲れた。やった事と言えばたかが人間5人を伸しただけなのに……………ああ、午前中にレベル4モンスターを1体倒してたっけ。


 体が無性に怠い。いや、何よりも頭が、気疲れしてて仕方がない。



 こういう時にはココアを淹れて、それを飲みたい。一口づつ口に含んで、ゆっくり舌から喉まで流していく。香りを楽しんで、胃から広がる温もりを確かめて、息を使って甘みを脳天に押し上げる。


 そうしながら静かな自室で椅子に腰掛けて、目を開けたまま何も見ずに、ただ時間を過ごしていたい。


 けど、シフトはこの後すぐだ。寮に戻ってゆっくりする時間はないだろうな。



 缶のココアは好きじゃない。熱いだけで温かくないから。



 重力が全身を伝っていく。

 メイスのビリビリとした震えを握り潰して、瓦礫の隙間から奥の光景を目にする。


 空の気持ちいい香りは一転し、埃の体臭を纏い始め、景色は青から灰へ移り変わった。薄暗い倉庫を落ちていきながらツナグは落下の終着地点から視線を外し、戦いの方へ、バンタンと【銃殺のモンスター】の戦闘の方を見る。



「左手さん」



 抑揚なく放った言葉は、棚の列を駆け登りツナグの元へと飛び上がった、バンタンの左手に向かっていた。


 特に思考もなく突き出した左腕。そしてバンタンの左手も流れるように、ツナグの左手にまとわりつく。



【化質混合】



 バンタンの左手から溢れてくる化質を、左腕から全身まで隈無く巡らせ、自身の化質と混ぜ合わせる。自身のものとは違う、活発なエネルギーが馴染んだタイミングで、バンタンの左手はツナグの手を引いていく───


 メイスを握り直しつつ、ふやけた瞳を締めて。ツナグは振り返りその面を見せてくる、【銃殺のモンスター】に挨拶代わりの一撃を見舞う。



【|DESTRUCTION《破壊》】



 ツナグが最初に自己紹介したのは、忌み嫌う自身の特技(強さ)であった。



***



「ミルナ"ッ!!ミんナ"ッッ!!オマエはッッ!!キモイ”ッッッッ!!!」



 【目潰しのモンスター】の憤怒が盛る。あちこちに散らばる刃付きの触手達だが、狙い澄ますのはマミィただ一人。



「………………全く。流石にこの私を待ちぼうけさせる程、あなたって魅力ある男じゃないわよ」



 上を仰ぎ見るマミィは苦言を呈しながら、紙袋を2枚上に送る。


 マミィを取り囲むように迫ってくる触手の数々は、確かにマミィを負傷たらしめる凶器。退路まで抜かりなく潰し、全ての触手に攻撃態勢を取らせた【目潰しのモンスター】は、自身の勝利を確信した。しかし、当の本人、マミィはというものの冷然とした顔つきをやめず、周囲に怪しく浮かぶ触手達に目すら向けていない。そんな不気味なほどに動じていない様子を見て、【目潰しのモンスター】は攻めの手を下す事に迷いを感じる。


 目の色合いは人の感情を映す。色の変化を見抜いたマミィは、1列に並ぶ眉毛の立ち位置を歪めながら、少し困ったかのような口調で語りだす。



「───そういうのは勝機がある者の権利じゃないかしら?あなたが選べるのは負け方だけじゃない。それとも、こんな臆病丸出しの情けない敗北を元より所望してたのかしら」



 見え見えの挑発。マミィが自分にどうしてほしいのか手に取るように分かる。なら、乗る意味なんてない。無いはずなのに──



 触手にはどうしようもないくらいに殺意が漲り。最早、意思が介在する余地はなく、飢えた蛇のようにマミィに襲いかかった。



 向かい来るいくつもの刃を迎え討つのは、ポケットティッシュであった。マミィの周囲に不意に現れ浮遊する、沢山の紙束。


 それらが、それらを包むプラスチックの袋を抜け出して、花弁のように美しく散らばり始める。大気を切り裂き進む、刃の煌めきを覆い隠しながら。



 そして、ティッシュのベールは炸裂した。薄く脆いその姿を、炎が食い破るようにして。



 巻き上がる複数の炎は、繋がって大きな火柱を成した。マミィを取り囲むように直立し、ティッシュの燃えカスが炎の揺らめきと手を取って踊っている。


そしてその柱には、無数の触手の先が突き刺さっていた。否、刺さるという表現は適切ではない。そのメラメラと燃え盛る炎は、既に触手の先端を食い尽くしてしまっているからだ。



「ッ!?…………〜ッ!!!!」



 その火力はレベル4クラスの肉体を、軽く消し炭にする熱量と高濃度の化質を孕んでいた。これまでの戦いから見られなかった爆発的な炎、そして今のマミィからは感じ取れない圧倒的出力の化質の、その予後と不気味さに怯み、【目潰しのモンスター】はたじろぐ。


 ろうそくのような小さな火を灯す、黒ずんだ触手の先っぽを目にした【目潰しのモンスター】は、またも直感的な動きをする。それは退避。マミィの間合いに踏み込み、意味のない犠牲として払ってしまった触手の刃から以降を、守る為の退避。慌ててもと来た道を辿るように、触手は彼女の背へと逃げおおせる。


 その予想外の出来事の後を見る、焦慮に塗れた【目潰しのモンスター】の瞳に、更なる異常が舞い込んだ。



 マミィから逃げ中空を這う触手達が、ふっとその動きを止め、力なく床へと落ちたのだ。



「……………?」



 いくら見ても、動かす意思を送っても、触手はピクリとも反応の気配も見せてくれない。そう、まるで己と触手を繋ぐ線が断絶されたかのように───



「ま、下ごしらえはこれで充分でしょう」



 床の上で落ち着いてしまった触手を周辺視野に追いやり、【目潰しのモンスター】は視界の中央にマミィを置く。涼しい顔で、腕に装着した紙コップを炎と灰に変えるマミィを───



「………………ア"ッッッヅ!!!???」



 何故、触手はうねる力を失ったのか、その答えはすぐ真後ろにあった。背後を見やると、そこには背から伸びる触手の根元が確認できた。問題なのは、触手は根元と呼べる部分しか残っておらず、そこから先は炎を纏う焦げとなり、更に先にあったはずのものがない。


 単純な答えを導くのに、一体どれだけの時間をかけた?自らの触手が、マミィが放った炎によって焼き切られた事実に気がつくのに、どれほど考えた。


 立ち返って計測する余裕はない。身を焼き焦がす炎の熱と、体の一部を断りなく切除される苦痛は、そんな軽々しいものじゃなかった。



「パイロ殿。正直本職おっかないであります。下を見るより上を見る方が怖いようで………………」



 ツナグが空から飛び降りる道中で、当たり前のようにフリムホーツFCの屋根をぶち破る奇景に呆けたすぐ後。パイロとミリーもパラシュートを携えて、ヘリコプターから飛び出した。


 できる事ならそのままツナグが空けた穴から、表象(シンボル)モンスターのもとに駆けつけたかったのだが……………穴とパラシュートのサイズがギリギリかつ、もう少し大きかったとしても正確に穴に飛び込める技術もないので、仕方なしに屋根を経由する事にした。


 そして、屋根から倉庫内に降りる為に、ヘリコプターに常備されていたパラシュートから乗り換えたのが………………この紙袋………………内側が赤く燃えながら時間とともほろほろ崩れていく、チンケな気球だ。



「大丈夫だ。これはちゃんと作れば10分は人を運べる技だから」


「……………お二方への信頼と視覚情報がせめぎ合ってるであります………………」



 冷静なパイロの声色と普段からの信用が立ち向かって尚、ミリーの脳の奥底は危機と叫んで止めない。【ミイラ男】を信じきれない申し訳なさと、執行力を落としかねない恐怖でミリーは涙を滲ませる。



 ミリーをウールネスのもとに送るのに充分な出力が出ているのを再三確認したパイロは、ゆっくりと棚の一角に足を降ろし、悠然とその場で胡座をかいた。



「……………ふーん、大胆じゃない」



 その場で座ったパイロは、右手を上に掲げながら左手の指先の位置を変える事で、マミィに次手を伝えた。マミィが少し感嘆したのは、眉一つ動かさずにそのような判断をした事に対してだ。


 意を汲んだマミィは躊躇う事なく、箱ティッシュをパイロのもとに飛ばす。風を切り裂き飛行する箱ティッシュは、パイロの掲げた右手の真上で急停止。そして、ぽとりと右手に乗っかった。パイロの手の上で静止する箱ティッシュが更なる変化を始める。変化といっても、ペリペリと開封されて、中身のティッシュを一枚、入り口に挟むようにしてちょっと出す、そんな程度の変化なのだが。


 ともあれ、パイロが要望した準備は完了した。



 そして、パイロは見上げる。ティッシュ箱から顔を覗かせる一枚のティッシュを見るために。



 ティッシュの汚れのない白い姿が、瞬く間に炎の赤色に抱かれ、黒く黒く色合いを変えていく。灯された炎は燃料に不相応の猛りを見せ、姿を揺らしながら途切れる事なく持ち得る強さを披露。その様相の苛烈さは、熱の伝播と膨大な化質の解放を伴って、【目潰しのモンスター】の血走った眼球に捻り込まれた。



「ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ッッッ!!!」



 挑発的なようで、魅力的。いや、そうでもないようにも感じる。それは行動において、意味も理由も不要なものだと思わせてくるような、飾り気のない引力であった。


 間近で見たいのか手に取りたいのか、或いは壊したいのか否定したいのか。何もかもが分からない。それに向かって駆けたい、近づきたいという原初的な欲だけが、【目潰しのモンスター】を突き動かしている。



 駆け出す彼女の炎を映す瞳が、微かな形の変化を捉え呼応するように揺れている。遠目と呼べる距離間でも、その瞳孔は炎の煌めきで満ちているようにも思えた。


 ティッシュ箱のキャンドルに猛進してわずか数秒、炎と【目潰しのモンスター】との間は相応に縮まっていた。彼女は、手を伸ばすのだろうか?踏みつけにするのだろうか?それとも心の内を詩にでも変えるのだろうか?目と鼻の先の距離までたどり着いて、その後行うことは見通しようがない。ただ一つ確かなのは、いずれも成し遂げられる事はない、という事だ。



 地から棚までの高さを補う、【目潰しのモンスター】の全力の跳躍。ひとしきり接近し、最後の一歩として行ったそれは、キャンドルに、そしてパイロに急接近する。



 3m60cm

 【目潰しのモンスター】が持つ凶悪な異能の圏内がパイロに迫りくる。その範囲内に入ってしまえば最後、眼球が爆ぜるように潰れ、その者は目から黒以外の色を失ってしまう。


 弱点(ウィークネス)であれば例え目が潰れても、時間をかければ全快する。しかし、彼の弱点(ウィークネス)としての生命線は、まさしくその眼球だ。豊富な中遠距離手段を持っている、という事前の評価は、言外に接近戦は控えろという指示でもあった。


 それを踏まえて、ハンドサインから婉曲的にマミィに伝えた、パイロの意思はこうである。



『知るかうるせぇ』



 4m。能力圏内ギリギリの瀬戸際で、【目潰しのモンスター】の視界は遮られた。紙を顔に貼り付ける事による目隠し、それはマミィが単独で戦う際の常套手段であり、既に見せた手札。


 何をされたのかを即座に理解した【目潰しのモンスター】は、顔面に被せられた紙を引き剥がし、進路を目視する権利を取り戻す。ここまでのやりとりはほんの一瞬の出来事。だからこそ当然、彼女が追い求めたティッシュ箱のキャンドルは同じ場所にあった。


 しかし、それを支えていた筈の、黒人の少年の姿がない。ティッシュ箱に首ったけの、彼女の思考が凪いでいく。もしかしたら、この異常を見て理解したのかもしれない。


 まもなく自分は討伐されるのだと。



【【化質共鳴】】



 白銀色の化質と琥珀色の化質が混ざり合う。それは両者同時の回し蹴り、それを行う直前、一瞬の接触での出来事。


 相反する化質が逢瀬を果たし、その対称性は微かな筈であったそれらを爆発的に増加させていく。



 高まりきった化質は、全身に駆け巡った後、遠心力に釣られるように足先に溜まりだす。そして、その動き(回し蹴り)に連動するように、高濃度の化質が漲る2つの足を追いかけるように、6つのトイレットペーパーは軌跡に紙を残して飛翔し、インパクトの1点に集結する。



【【ミスマミィ•インフェルノ】】



 寸隙の狂いもなく放たれた【ミイラ男】の回し蹴り

は、集まったトイレットペーパーに火炎を灯し、【目潰しのモンスター】の背中を強烈に打ち砕く。


 その蹴り、炎弾は、爆風のようなその威力と火力を持ち、3~4mはある【目潰しのモンスター】を体躯を鞠のように弾いて、激しく床に追突させた。ただボールとは違って、【目潰しのモンスター】が跳ね返る事はなかった。【目潰しのモンスター】の全身を巡る、炎が床を即座に溶かして沼を作り、その肉体を3分の1程浸からせてしまったからだ。


 質量以上の炎を含んだトイレットペーパー達が、内に燃え上がる熱量を周囲に放って焼き払っていく。


【ミイラ男】はその炎を巻き取るようにして操り、解かしながら【目潰しのモンスター】の、死に体へと集める。それは延焼と、今まさに宙空から降りてくる自分達の自傷を防ぐ為。


 そして、軽々と着地した【ミイラ男】の2人は、火に全身を食い荒らされながら突っ伏す、モンスターの様子を見る。その損傷の大きさ、化質の陰りからして、追撃の必要はないだろう。【フランケン】と【狼男】はまだ戦闘中。暇な時間を作ってしまうのは一番乗りの悪いところだ。


 日々の多忙さにはいつも苦言を呈するものだが、いざやる事が何もないそんな一時を手にしてしまうと、どうにも居心地が悪くなり、動かない事に焦りと不安を感じてしまう。


 いつの間にか、自分達は生きづらく成長してしまったものだと、言葉もなしに二人は思いを交わす。


 自然と思慮が引いていく。空いた脳の隙間には、目の前の大きな炎がそのまま映像として入っていく。


 この光景は日常、いつもの事。それでも見入ってしまうのは、単に炎は人を魅了する性質を持っているからだろう。



「あ〜あ〜…………お前がいない静穏たる時間がこんなにも早く終わっちまったよ。悲しいな」


「あら、そんなに寂しかったのかしら。あなたがここまで分かりやすい照れ隠しをするだなんて珍しい」


「お前に隠し事なんてするかよ」



 パイロとマミィは自分達が会話をしていた事に後から気がつくような、妙な感覚を覚えた。暇を燃え上がる火の中に投げ込んで、脳を動かす事をやめていたからこその所感だ。


 声も、乗せられた感情もなだらかだった。見てはいないがお互い表情も微動だにしていない。


 マミィはパイロの大きな嘆息を耳にする。腕を組んで、ボーッと下を見ながら立ち位置を直しているのを横目にした。



「………………………」



 マミィは炎から目を外し、ゆっくりと上を見上げる。何かを見ているわけじゃない。強いて言うなら、見ているのは彼女の思考と言った所。


 そして悠然と、体を疲労ごと持ち上げるようにゆったりと動かし、後ろを向く。


 じーっと、機を待つかのようにどこでもない所を見つめ続け、構えていた言葉を掲げる。



「………………あれは何?」



 ほんの僅かな恐怖で揺れた、マミィの呟き。それは、空気の粒を食いちぎるパチパチとした炎の音に劣る音量であった。



「あれは……………すごい……………何なのよ……………」



 声のボリュームを上げながら、口先に驚嘆を塗って放つ言葉に乗せてみる。が、パイロは未だに炎の色と輝きに取り憑かれたまま。



「一体あれは………一体何なのよォ!!!なにィーッ!!??」



 肉の内側で殺した憤りを言葉の勢いとして乗せ、わざとらしい悲鳴をマミィは上げる。そしてパイロは、マミィと同様に炎の束縛から脱し、正気を取り戻す。



「なにーいったいなにがあったというんだー」



 馬鹿馬鹿しくなって、出した言葉を演技として飾りつけする気にはなれなかった。目と眉を大仰に吊り上げて、パイロは振り返り、マミィの横に並びたつ。


 その動きを待っていたかのように、背後で聞こえるカサカサとした音。それを聞き取ったパイロは急転換。飛び上がり、這って火へと向かうそれを踏みつぶした。


 パイロに踏まれた事で、その紙は動きを食い止められる。そして、それに続いていた後続の紙が、踏まれた紙にすくい上げられ宙に散乱していく。


 パイロは眉根を寄せて、炎によっててらてらと照らされたそれを、〝トキシー丸出しエロポスター〟を睨見つけた。



「てぇぇぇめえェェェェ!!!こいつを複製しやがったなァァァァァ!!!!」



 倉庫を反響するパイロの怒声。炎に飛び込み隠滅を計ろうとした〝トキシー丸出しエロポスター〟10枚は、望み通りパイロの視界内で灰に変わる。


 血管を浮かび上がらせ、血走った目でマミィに食い入るその憤怒に対し、マミィもまた怒りによって切り結ぶ。



「入り用だったのよ!!あなたにとって!!あなたの恥と他人の命は等価とでも言うのかしらッ!?」


「そういうときの為に!!お前には〝ロッペスケベエロポスター〟が支給されたんだろうがァァァァァ!!!」



 それはまさしく水掛け論。互いの怒りのポイントが食い違っている事と、互いの言い分を認めないスタンスでいる事が、水でも止めれぬ怒りの奔流、ぶつかり合いを生む。



「覚えてるわけないわよ!!美貌、玉体、心の気高さ、全てにおいて!!この私に劣る哀れな女の立ち姿なんてッッ!!!」


「トキシーもさほど可愛くねぇよ!!!」


「そんなの過去の自分にでも言いなさいよッッッ!!!!」



 【ミイラ男】の喧嘩は今日もまた巻き起こる。きっと明日も、明後日も、10年先の未来でも、2人は怒りをぶつけ合う事であろう。


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