六章 五話
扉の向こうへ戻る音は、まだ聞こえていた。
ロッカ軍曹の咆哮。
石畳が割れる音。
織葉の刃が何かを弾く音。
リオンのワイヤーが壁を走る音。
シェスターの拳が、重いものを打ち返す音。
それらは、厚い扉を挟んでも完全には消えなかった。
フィリアは振り返らなかった。
振り返れば、足が止まる。
足が止まれば、皆が開いた道を無駄にする。
だから、前だけを見て走った。
廊下は暗かった。
古い城跡の中でも、ここは観光用に補修されていた場所らしい。
足元には安全用の金属板が敷かれ、壁には非常灯の跡が残っている。
だが、その非常灯はすでに壊れていた。
代わりに、闇の霧が床を這っている。
まるで、城の奥から吐き出される息のようだった。
フィリアはレイアーツデバイスを握りしめる。
白いライトを細く展開する。
霧はその光に触れるたび、薄く退いた。
けれど、完全には消えない。
押し返しても、すぐに戻る。
この霧は、他の場所の霧とは違う。
濃さだけではない。
重さが違う。
ここが源に近い。
その事実が、呼吸のたびに喉の奥へ沈み込んでくる。
廊下の先に、古い案内板が残っていた。
魔王の玉座跡。
地下封印遺構。
順路はこちら。
矢印は、奥へ向いている。
かつてここを訪れた人々は、この案内に従って歩いたのだろう。
魔王城跡という名前に少し胸を躍らせながら。
案内板の前で写真を撮り、展示説明を読み、
補修された順路を辿り、歴史の一部に触れた気になって。
だが今、フィリアの足音だけが、その順路を叩いていた。
観光客のために整えられた道を、封印解除へ向かって走っている。
次の部屋は、玉座の間だった。
崩れた壁。
補強された柱。
かつて魔王が座したと伝えられる玉座は、観光展示用に一部が修復されていた。
周囲には立入防止の柵が倒れたまま残っている。
説明板には、文字がかすれていた。
千年前の大戦末期、魔王が最後に姿を現したとされる場所。
歴史的事実としては諸説あり、詳細は不明。
その文章の下に、後から貼られた警告表示が何重にも重なっている。
闇の霧流出後、立入禁止。
正規軍管理区域。
許可なき進入を禁ず。
フィリアは玉座の前を駆け抜けた。
玉座の背後。
観光順路では本来、柵で塞がれていたはずの場所。
そこに、地下へ続く階段があった。
補修されている。
新しい金属枠。
滑り止め。
仮設照明。
リヴァルのログに残っていた経路と一致する。
ここから下。
最後の封印。
フィリアは一瞬だけ足を止めた。
息が上がっている。
喉が痛い。
手が震えている。
けれど、目は逸らさなかった。
階段の奥から、低い振動が響いている。
封印解除装置の駆動音。
石と魔法陣の奥を掘り進める音。
そして、そのさらに奥にあるものが、呼吸するように闇を押し上げている音。
フィリアは、リオンに教わった姿勢を思い出した。
足元。
肩。
呼吸。
引き金を真後ろへ。
まだ撃たない。
でも、もうすぐ必要になる。
レイアーツデバイスの安全装置を外す。
抑制弾の残数を確認する。
ライトバレットの出力を、殺傷ではなく抑制へ。
精霊化反応に合わせた照準補正。
フィリアは目を閉じずに、階段へ足を踏み出した。
一段。
また一段。
下るたび、音が近づく。
闇の霧が濃くなる。
壁には古い魔法文字が刻まれていた。
観光用の解説ではない。
本物の術式。
石の奥に食い込み、千年近い時間を越えてまだ生きている文字。
ところどころに新しい機械のケーブルが這っている。
封印解除装置のために敷設されたものだろう。
古い魔法と、現代の技術。
その二つが、闇の底へ向かって絡み合っていた。
フィリアの足音が階段に響く。
ひとつだけ。
ここまでずっと、誰かの足音があった。
イルル。
紫乃。
ガイ。
一輝。
クリスティナ。
織葉。
リオン。
シェスター。
今は、ひとつだけだった。
だからこそ、その足音を止めてはいけなかった。
階段が終わる。
視界が開けた。
そこは、広い空間だった。
古の魔法陣の間。
地下でありながら、天井は高い。
円形の広間の床一面に、巨大な魔法陣が刻まれている。
円。
線。
古代文字。
幾重にも重なった術式が、床から壁へ、壁から天井へと続いていた。
その中央には、封印解除装置が設置されている。
これまでの封印解除装置とは規模が違った。
大型の支柱が四方に立ち、中央の掘削ユニットが床の魔法陣へ向かって深く差し込まれている。
支柱の根元から伸びるケーブルが、魔法陣の線に沿って光を流している。
掘削ユニットは、ただ石を削っているわけではない。
術式そのものを読み取り、ほどき、奥へ進んでいる。
低い振動。
断続的な光。
闇の霧が、装置の周囲で渦を巻いている。
そのさらに奥。
広間の最奥に、リヴァルがいた。
白い照明に照らされ、黒い霧を背負うように立っている。
いつもの外套。
いつもの姿勢。
少し伏せた視線。
だが、その周囲だけ、空気が違った。
闇の霧がリヴァルへまとわりついている。
腕へ。
首筋へ。
髪へ。
まるで、彼の身体を選んでいるかのように。
フィリアは息を止めた。
「リヴァルさん」
声は届いたはずだった。
けれど、リヴァルは振り返らなかった。
彼の前には、撮影用ドローンが浮いていた。
軍用ではない。
だが、通信帯域は強化されている。
世界へ向けて映像を送るための中継機能。
そのレンズが、リヴァルを捉えている。
広間の端には、複数の小型中継ドローンも浮いていた。
信号が階段上の中継設備を通じて、外へ、島へ、世界へ送られている。
フィリアはすぐに理解した。
遅かったのではない。
間に合ったのでもない。
リヴァルは、始めるところだった。
リヴァルの声が広間に響く。
そして、同時に世界へ流れていく。
『世界中の皆さん』
その声は、いつものリヴァルに近かった。
淡々としている。
抑えられている。
怒りも、歓喜も、震えもない。
だからこそ、恐ろしく聞こえた。
『初めまして、と言うべきだろうか』
フィリアは一歩踏み出した。
だが、足が止まった。
リヴァルの周囲で、闇の霧が濃くなったからだ。
彼の足元の魔法陣が、黒く脈打つ。
装置の駆動音が、少しだけ強くなる。
リヴァルはカメラへ向いたまま、続けた。
『僕の名は、リヴァイヴ・アニマ』
フィリアの胸が、強く痛んだ。
その名。
リヴァルではなく。
リヴァイブ。
アニムではなく。
アニマ。
リヴァルが、自分を切り離すために選んだ名。
呪いのような名。
『マギアス軍を統べる者。そして、リヴァイヴプランの真の設計者だ』
広間に、闇の霧が流れる。
撮影用ドローンのレンズは、リヴァルの姿を正面から映している。
世界中のどこかで、シェルターの人々が見ているかもしれない。
正規軍の兵士が見ているかもしれない。
街に戻れない人たちが、壊れた家の中で見ているかもしれない。
クラリスの番組を見ていた人々も。
九尾温泉街の人々も。
パズリア山の人々も。
これまで救われた者たちも。
その全員の前で、リヴァルは自分を悪にしようとしている。
『君たちが希望と呼んだ計画は、最初から僕の掌の上にあった』
リヴァルは片手を少しだけ上げた。
その手の甲に、黒い線が走っている。
血管ではない。
魔法陣の一部のような光。
いや、光ではない。
闇が形を持っている。
精霊化。
フィリアはそれを見て、理解した。
世間には、マギアス化に見える。
闇の霧に侵され、身体が変質し、異形へ近づいていく姿。
でも違う。
あれは、半精化ではない。
マギアス化でもない。
封印に取り込まれるための変質。
かつて精霊になった者たちと同じ道。
人柱の術式に、生命とマナが沈んでいく反応。
リヴァルは、それを世界に見せている。
マギアス軍総帥の変貌として。
『封印は解かれた。風、水、地、火。かつて闇の霧を抑えていた柱は、すでに失われた』
フィリアの手が震えた。
風。
クラリス。
水。
イルル。
地。
ナンディーヌ。
火。
クリスティナ。
皆を救ってきた。
そのはずだった。
だが、リヴァルはそれを、世界を追い詰めるための手順として語る。
『そして今、最後の封印も開く』
封印解除装置が、深く唸った。
中央の掘削ユニットが、床の魔法陣へさらに沈み込む。
魔法陣の線が、一部ずつ光を失っていく。
逆に、広間の奥から闇が湧く。
暗い穴が、まだ見えない地下の底で口を開けようとしている。
『人類は、もう闇の霧から逃げられない』
リヴァルの声は揺れない。
『シェルターも、正規軍も、ARKも、世界を救うことはできない』
フィリアは歯を噛みしめた。
違う。
違う。
その言葉を叫びたかった。
けれど、まだ撃てない。
リヴァルの変質は進んでいる。
だが、完全ではない。
抑制弾を打ち込むなら、タイミングが要る。
早すぎれば、精霊化反応に届かない。
遅すぎれば、取り込まれる。
リヴァルは、それも分かっているはずだった。
分かったうえで、演説をしている。
フィリアが撃つより先に、世界へ自分を悪として刻むために。
『なぜなら、その救済の道筋を作ったのは僕だからだ』
撮影用ドローンがわずかに近づく。
リヴァルの顔が、大きく映る位置へ移動する。
その瞳にも、黒い線が走っていた。
けれど、表情は変わらない。
まるで、自分の身体が変わっていくことなど、作戦の一部にすぎないと言うように。
『僕が開き、僕が導き、僕が終わらせる』
フィリアは、レイアーツデバイスを構えた。
まだ、リヴァルは気づかないふりをしている。
気づいているはずだ。
フィリアが来たことを。
足音も、声も、マナも。
全部、分かっているはずだ。
それでも、振り返らない。
振り返れば、演説が止まる。
演説が止まれば、世界へ悪を押しつける時間が減る。
だから、リヴァルはカメラを見ている。
『君たちが信じたリヴァル・アニムは存在しない』
その言葉に、フィリアの指が止まりかけた。
存在しない。
そんなはずがない。
ここまで皆を導いたのは誰か。
誰よりも苦痛に敏感で、誰かを犠牲にする作戦を立てられなくて、
それでも世界を救おうとしたのは誰か。
リヴァル・アニムは存在しない。
それは、世界へ向けた嘘だった。
そして、自分自身へ向けた呪いだった。
『ここにいるのは、マギアス軍総帥』
闇の霧が、リヴァルの背後で形を持ちはじめる。
翼のように。
角のように。
あるいは、精霊の残像のように。
映像越しには、異形化にしか見えないだろう。
『リヴァイヴ・アニマだ』
広間の空気が震えた。
その名が、封印の間に落ちる。
装置が反応する。
魔法陣の奥から、黒い光が噴き上がる。
リヴァルの身体がわずかに傾いた。
だが、彼は倒れない。
撮影用ドローンへ向け、もう一歩進む。
『見ているか、ARK』
フィリアは構えを整える。
リオンに教わった通りに。
足を開く。
肩へストックを押し当てる。
首を傾けない。
顔を少し前へ。
目線とサイトを合わせる。
重心をほんの少し前に。
引き金には、人差し指の第一関節の腹。
呼吸。
吸う。
吐く。
リヴァルの声が続く。
『君たちが守ろうとした世界は、君たちの戦いによってここまで来た』
皮肉のように聞こえる。
だが、フィリアには違う音に聞こえた。
本音が混ざっている。
君たちはよく戦った。
そう言おうとしている。
だけど、その続きを歪めるつもりだ。
『君たちはよく戦った。よく信じた。よく僕の計画を進めてくれた』
フィリアの視界が、サイトの中へ絞られる。
リヴァルの胸元。
精霊化反応の中心。
まだ完全には沈んでいない。
今なら届く。
『だから最後に、役目を与えよう』
リヴァルの右手が、胸元へ触れた。
そこから黒い線が広がる。
首へ。
頬へ。
瞳へ。
フィリアは引き金に力をかける。
『僕を討て』
その言葉が、広間に響いた。
フィリアは撃たなかった。
まだ。
次の一言を、リヴァルが言う。
『マギアス軍総帥を倒した英雄として、世界に記録されるといい』
リヴァルは薄く息を吐いた。
ほんのわずかに、声が揺れた。
フィリアだけが分かるほど、かすかに。
『その時、世界はようやく――』
引き金を絞った。
ライトバレットが放たれた。
白い光が、広間を一直線に貫く。
リヴァルの演説が終わる前に。
リヴァイヴ・アニマという悪が完成する前に。
精霊化が、彼を封印へ沈め切る前に。
光弾はリヴァルの胸元を撃ち抜いた。
殺傷ではない。
破壊ではない。
ライトの抑制光。
闇に沈みかけた術式の中心へ、白い杭を打ち込むような一撃。
リヴァルの身体が大きく揺れた。
『――っ』
初めて、彼の声が途切れる。
撮影用ドローンが揺れた。
リヴァルが、ようやく振り返る。
その目に、初めて驚きが浮かんだ。
「フィリア」
呼んだ声は、世界へ向けた『リヴァイヴ』ではなかった。
いつものリヴァルの声だった。
フィリアは答えなかった。
答えれば、手が鈍る。
答えれば、泣きそうになる。
だから、撃った。
二発目。
精霊化抑制装置が、リヴァルの左肩へ打ち込まれる。
三発目。
脇腹へ。
四発目。
胸元の術式反応の際へ。
金属音とともに、抑制装置が展開した。
小さな白い光のリングが、リヴァルの身体に食い込み、黒い線の進行を止める。
リヴァルは膝を崩した。
片手で支えようとして、支えきれず、その場に尻もちをつく。
闇の霧が一瞬、彼の周囲で弾けた。
封印解除装置の駆動音は止まらない。
魔法陣もまだ動いている。
撮影用ドローンも、まだ世界へ映像を送り続けている。
だが、演説は止まった。
リヴァイヴ・アニマの宣言は、最後まで届かなかった。
フィリアは走った。
リヴァルへではない。
まず、撮影用ドローンへ。
浮遊するドローンの機体を、両手でがしりと掴む。
レンズが揺れる。
世界へ送られている映像が、リヴァルからフィリアへ変わる。
フィリアの顔が、真正面から映る。
息は荒い。
目は濡れている。
けれど、逸らさない。
フィリアはドローンを掴んだまま、カメラを自分へ向けた。
リヴァルが背後で息を呑む。
「やめろ、フィリア」
その声は、もう演説ではなかった。
フィリアは、止まらなかった。
世界へ向けて、息を吸う。
そして、叫んだ。
「違います!」
フィリアの声が、古の魔法陣の間に響いた。
撮影用ドローンのレンズが、揺れながらフィリアを映している。
息は上がっていた。
髪は乱れていた。
頬には、闇の霧の冷たさと、ここまで走ってきた熱が混ざっている。
それでも、フィリアはドローンから目を逸らさなかった。
世界の向こう側にいる誰かへ。
シェルターで画面を見ている人たちへ。
正規軍の兵士たちへ。
避難民たちへ。
マギアス化した家族の帰りを待つ人たちへ。
そして、リヴァルが自分の言葉で傷つけようとした、すべての人へ。
フィリアは叫んだ。
「今の宣言は、真実ではありません!」
背後で、リヴァルが動こうとした。
抑制装置が白く光る。
左肩。
脇腹。
胸元。
精霊化の黒い線を止めるように、三つの光が小さく脈打っている。
「フィリア、やめろ」
リヴァルの声がした。
けれど、フィリアは止まらなかった。
「ARKは、今もマギアス軍と戦っています!」
その声は、震えていた。
だが、弱くはなかった。
「イルルさんも、紫乃さんも、ガイさんも、一輝さんも、
クリスさんも、織葉さんも、リオンさんも、シェスターさんも!」
一人ずつ、名前を呼ぶ。
そのたびに、ここへ来るまでの道が胸を刺した。
山道で傷を負いながら残ったイルル。
その横で笑っていた紫乃。
敵軍列ごと足場を崩して道を開いたガイと一輝。
展望台の敵陣中央で赤い花を咲かせたクリスティナ。
中庭でロッカを受け止めた織葉。
エルガンの妨害を止めたリオン。
自分をここへ押し込んだシェスター。
皆が、まだ戦っている。
皆が、フィリアをここへ送った。
「ここへ来るまで、ずっと戦っています!」
撮影用ドローンのレンズが、フィリアの顔を捉える。
世界へ向かっている。
きっと今、世界中で混乱が起きている。
リヴァイヴ・アニマの宣言。
マギアス軍総帥。
リヴァイヴプランの真の設計者。
それを聞いた直後に、フィリアが割り込んでいる。
信じる者もいるだろう。
疑う者もいるだろう。
恐れる者もいるだろう。
だからこそ、フィリアは言葉を切らなかった。
「リヴァル・アニムは、マギアス軍総帥ではありません!」
背後で、リヴァルの呼吸が止まったように聞こえた。
フィリアは、それでも振り返らない。
「リヴァルさんは、マギアス軍に捕らえられて、言わされています!」
それは、完全な真実ではなかった。
フィリアは知っている。
少なくとも、もう気づいている。
リヴァルがただ捕まっていたわけではないこと。
彼がここへ来ることを選んでいたこと。
この演説も、強制されたものではなく、自分で用意したものだということ。
それでも、言った。
世界に、リヴァルの作った物語を信じさせないために。
リヴァルが自分を悪として刻もうとするなら、
その映像の中で、フィリアが否定するしかなかった。
「だから、信じないでください!」
声が、少し割れた。
フィリアはドローンを掴む手に力を込める。
「今、世界が見ているものが全部じゃありません!」
リヴァルが奥で身を起こそうとする。
抑制装置が再び光り、彼の身体が揺れた。
「フィリア……!」
「ARKはまだ戦っています!」
フィリアは声を重ねた。
リヴァルの声を、世界へ届かせないように。
「正規軍も、シェルターも、ここにいる人たちも、まだ諦めていません!」
封印解除装置の駆動音が、背後で低く響いている。
古い魔法陣が明滅する。
掘削は止まっていない。
闇の霧は、まだ広間の奥から湧いている。
世界は救われていない。
リヴァルも止まっていない。
けれど、フィリアは言った。
言わなければならなかった。
「世界は終わりません!」
ドローンのレンズに、白いライトが映る。
フィリアの周囲に、淡い光が広がっている。
涙か汗か分からないものが、頬を伝った。
それでも、彼女は前を見た。
「私たちが、必ず守ります!」
広間に、声が残った。
撮影用ドローンの駆動音だけが、かすかに聞こえる。
フィリアの呼吸が荒い。
喉が痛い。
手が震えている。
それでも、まだ終わらせなかった。
フィリアはもう一度、カメラを見た。
世界の向こう側へ。
今も怖がっている誰かへ。
リヴァイヴ・アニマという名前に怯えた誰かへ。
リヴァル・アニムという人を信じていた誰かへ。
「だから」
声は、さっきより少し低くなった。
叫びではなく、絞り出すような声だった。
「見ていてください」
フィリアは唇を噛み、少しだけ息を吸う。
「私たちは、最後まで戦います」
その言葉を最後に、フィリアは片手をドローンの側面へ滑らせた。
通信状態の表示。
送信中。
世界中への中継。
フィリアは一瞬だけ指を止めた。
この先は、世界へ見せない。
ここから先は、リヴァルと向き合う時間だ。
人柱のこと。
精霊のこと。
封印のこと。
リヴァルが本当にやろうとしていること。
それは、世界へ叫ぶ言葉ではない。
少なくとも今は。
フィリアは、ドローンの電源を落とした。
レンズの赤い光が消える。
浮遊用の小さな羽音が弱まる。
ドローンは、フィリアの両手の中で軽く沈んだ。
完全に落とす前に、フィリアはそれを支えた。
投げ捨てることはしなかった。
壊すこともしなかった。
ただ、静かに膝をつき、地面へ置いた。
古い魔法陣の線の外側。
掘削装置の振動が届かない場所。
撮影用ドローンは、そこで沈黙した。
世界との接続が切れた。
広間に残ったのは、封印解除装置の駆動音。
闇の霧の流れる音。
抑制装置の白い光。
そして、フィリアとリヴァルだけだった。
リヴァルは床に座り込んだまま、フィリアを見ていた。
胸元の黒い線は、抑制装置の光で止められている。
けれど、消えたわけではない。
瞳の奥には、まだ闇が残っている。
フィリアはゆっくり立ち上がった。
レイアーツデバイスを下げる。
撃つためではなく、向き合うために。
リヴァルが、低く息を吐いた。
「……君は」
声は、かすれていた。
怒りではない。
驚きでもない。
それよりもっと深い、諦めきれない何かが混ざっていた。
「自分が何をしたか、分かっているのか」
フィリアはまっすぐにリヴァルを見た。
「分かっています」
その答えに、迷いはなかった。
リヴァルの表情が、わずかに歪んだ。
フィリアは一歩、彼へ近づいた。
背後で、封印解除装置がさらに深く唸った。




