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六章 四話

観光道は、思ったよりも形を残していた。


石畳はところどころ割れ、手すりは錆び、案内板は闇の霧に濡れてくすんでいる。

それでも、道は道だった。


かつて観光客が城跡へ向かって歩いた道。

今は、ARKの一行が駆け上がっている。


山肌を巻くように伸びた道の右側は、切り立った岩壁。

左側は、黒灰色の海へ落ちる急斜面。

足を止めれば、闇の霧がまとわりついてくる。


進めば進むほど、霧は濃くなった。


「前方、反応は薄い」


リオンが端末を確認しながら言う。


「ただし、周囲の霧が濃すぎる。索敵精度は落ちている」


「つまり、急に出てくるかもしれないってことだな」


シェスターが短く返した。


「そういうことだ」


フィリアは息を整えながら、レイアーツデバイスを握っていた。

周囲に薄くライトを広げ、霧を押し返す。

完全には晴れない。


けれど、視界の端にまとわりつく黒さは、少しだけ薄くなる。


「フィリアさん、無理しすぎないでください」


イルルが隣に並んで言った。

ハンマーを担ぎながらも、フィリアの足取りを気にしている。


「大丈夫です」


フィリアは答えた。


「まだ、走れます」


「はい。でも、無理と大丈夫は別です」


「……はい」


その言い方が少しだけシェスターに似ていて、フィリアは思わず小さく頷いた。


その瞬間だった。

霧が揺れた。

リオンが顔を上げる。


「右上!」


岩壁の上から、影が降ってきた。


人型。

だが、動きが速すぎる。


獣のように四肢を使い、岩壁を蹴って、ほとんど滑落するような速度で落ちてくる。

半精化したマギアス兵。

細い腕から、刃のような爪が伸びていた。


狙いは、フィリアだった。


「フィリアさん!」


イルルが動いた。

ハンマーを振るうより早く、身体でフィリアの前へ入る。

爪がイルルの脇腹を裂いた。


「っ……!」


赤い血が散る。

フィリアの目が見開かれた。


「イルルさん!」


イルルは倒れなかった。

歯を食いしばり、片手で傷口を押さえる。

もう片方の手に、水色のマナが集まった。


「レイン……!」


雨のようなマナが、傷口にまとわりつく。

流れた血を包み、圧をかけ、裂けた皮膚を無理やり塞ぐ。


治ったわけではない。

だが、出血は止まった。


イルルは浅く息を吐き、ハンマーを握り直す。

シェスターが駆け寄ろうとした。


「イルル!」


「来ないでください!」


イルルの声が、山道に響いた。

いつもの柔らかな声ではなかった。

前に出る者の声だった。


「大丈夫です。出血は止めました」


「大丈夫な傷じゃねえだろ!」


「でも、動けます」


イルルはフィリアを一度だけ見た。

それから、山道の下を見る。

霧の中に、いくつもの影が揺れていた。


一体だけではない。

こちらを追ってくる気配がある。

前へ進めば、背後から食いつかれる。


ここで足を止めなければ、山道で挟まれる。

その判断は、イルルにもできた。


「私が付いていくと、遅くなります」


「イルル」


「それに、ここで止めないと後ろから来ます。山道で挟み撃ちにされる方が危険です」


シェスターは言葉を詰まらせた。

分かっている。

イルルの判断が正しいことくらい、分かっている。


それでも、すぐに頷けるはずがなかった。

イルルはハンマーを構えた。


「行ってください」


その瞬間、先ほどフィリアを狙った高速型が、再び動いた。

傷を負わせたことで、イルルの動きが鈍ったと見たのだろう。

岩壁を蹴り、視界から消えるような速度で間合いを詰める。


イルルのハンマーが間に合うより早い。

シェスターが叫ぶ。


「イルル!」


だが、高速型の爪はイルルへ届かなかった。


どさり、と。

何かが落ちる音がした。


高速型のマギアス兵が、イルルの目の前で地面に崩れていた。

首の後ろに、小さな針が刺さっている。

いつの間にか、紫乃がイルルの横に立っていた。


袖口を軽く払うようにして、穏やかに微笑んでいる。


「あらあら。怪我をした女の子に追い打ちなんて、めっ、よ」


その声は優しい。

けれど、倒れた敵はぴくりとも動かない。

イルルは目を丸くした。


「紫乃さん……」


「イルルちゃん、傷は押さえていられる?」


「はい。レインで止めています」


「えらいわねえ」


紫乃は軽くイルルの背を支えた。


「じゃあ、ここはおばさんと一緒に少し休みながら、後ろの子たちに通せんぼしましょうか」


「休みながら、ですか」


「ええ。無理をする子は、織葉ちゃんだけで十分よ」


少し離れた場所で、織葉がぴくりと反応した。


「母上」


「何かしら」


「今のは聞き捨てなりません」


「あら、今は急いでいるのでしょう?」


「……はい」


織葉はそれ以上言い返さなかった。

シェスターは、まだ動けずにいた。


イルルを見る。

傷を見る。


霧の向こうから迫る敵の気配を見る。

握った拳が震えている。

紫乃がそんなシェスターへ顔を向けた。


「シェスター君」


「……何だよ」


「おばさんがイルルちゃんの面倒を見てあげるから、早く行きなさい」


シェスターは唇を噛んだ。


「でも」


「シェスター」


イルルが言った。

その声は、さっきより少しだけ柔らかかった。


「行ってください」


「イルル」


「ここで止めます。だから、フィリアさんを上へ」


シェスターは動けなかった。

その腕を、織葉が掴んだ。

強く。


「行きます」


「織葉」


「母上が付くなら心配ありません」


織葉は断言した。


「それに、イルル殿が自分で残ると決めたのです。なら、その判断を無駄にしてはなりません」


シェスターは織葉を睨む。

だが、すぐに視線を落とした。

正しい。

全部、正しい。


正しいからこそ、腹が立つ。

それでも、シェスターは優先順位を間違えなかった。


息を吐く。

一度だけ、イルルを見る。


「イルルを頼むぜ、紫乃さん」


「ええ。任されました」


紫乃はにこりと笑う。


「ちゃんと連れて帰るわ」


「……頼む」


シェスターはそれだけ言って、織葉に引かれるまま駆け出した。


リオンが先へ進む。

ガイと一輝も続く。


クリスティナがレイピアを抜きかけ、紫乃に視線を送る。

紫乃は小さく頷いた。


「行ってらっしゃい」


「……お任せしますわ」


クリスティナも前へ走った。

フィリアは最後に足を止めかけた。


イルルと目が合う。


「イルルさん」


「フィリアさん」


イルルはハンマーを構え直した。

傷口には、レインの水がまだ淡く光っている。


痛みはあるはずだった。

それでも、彼女は笑った。


「行ってください」


フィリアの胸が、痛いほど締めつけられる。


けれど、戻らなかった。

戻ってはいけない。


それを、イルルが一番望んでいない。


「……はい」


フィリアは頷き、前へ向き直った。

山道を駆け上がる仲間たちの後を追う。

背後で、紫乃の袖がふわりと揺れた。


「さて」


紫乃は霧の中から迫る影を見た。


「おばさん、あまり荒っぽいのは得意じゃないのだけれど」


イルルがハンマーを握り直す。


「私が前に出ます」


「ええ。でも、無理はだめよ」


「はい」


紫乃は笑った。


「怪我人を守りながら戦うのは、昔から慣れているの」


霧の中から、複数のマギアス兵が姿を現す。

イルルはハンマーを構え、足元にレインを広げた。

紫乃はその横で、袖の中へ指を滑らせる。


山道の上へ向かう足音が、少しずつ遠ざかっていく。

イルルはその音を背中で聞きながら、前を見た。


「ここから先へは、行かせません」


水色のマナが、山道を塞ぐように広がった。

イルルと紫乃を残し、一行はさらに山道を駆け上がった。

背後から聞こえる水音と、鈍い打撃音。


それが少しずつ遠ざかっていく。

シェスターは一度も振り返らなかった。

振り返れば、足が止まる。


足が止まれば、イルルの判断を無駄にする。


だから、前だけを見て走った。

織葉も何も言わない。


ただ、シェスターの少し前に出るように走り、道の状態を見ている。


右は岩壁。

左は急斜面。


観光地だった頃なら、海を見下ろしながら歩くには美しい道だったのだろう。

今は違う。


闇の霧が視界を曇らせ、ところどころ崩れた石畳が足を取る。

案内板は傾き、手すりは途中で折れている。


観光道という名前だけが残った、戦場への道だった。


「前方」


リオンが短く言った。

全員の足が、ほとんど同時に止まる。


霧の向こうから、音がした。

複数の足音。

規則的で、重い。

人間の行軍に似ている。


だが、混じっているマナの気配は人間のものではない。


マギアス兵。

それも、少数ではない。


山道の正面から、列を作って上がってくる。


フィリアは息を飲んだ。

狭い山道。

こちらは上へ急いでいる。

敵は正面。


後ろには、イルルと紫乃が抑えている敵がいる。

ここで止まれば、山道ごと挟まれる。

敵影が霧の中から現れた。


半精化の進んだ兵士たちが、武器を構えている。


獣じみた腕。

硬質化した皮膚。

異様に長い脚。


隊列の先頭がこちらを認識し、低い唸り声を上げた。

クリスティナがレイピアを抜く。

織葉も腰を落とす。


シェスターが拳を握り、リオンがストライカーアーツデバイスを起動する。

フィリアもレイアーツデバイスを構えた。


その瞬間。


ガイが、一輝の襟首を掴んだ。


「うえっ!?」


一輝の身体が持ち上がる。


「ガイさん!?」


「リオン!」


ガイの声が山道に響いた。


「フィリアを連れていけ!」


「了解」


リオンは一切迷わなかった。

フィリアが聞き返すより早く、リオンの腕が彼女の腰を抱えた。


「え、リオンさん――」


「動くな」


リオンは短く言い、ワイヤー射出装置を構える。

フィリアはようやく状況を理解し始めた。


ガイが残る。

一輝も。


「ガイさん!」


「行け!」


ガイはフィリアを見なかった。

視線は、正面から迫る敵軍列に向いたままだった。

片腕で一輝を抱え、もう片方の腕を大きく回す。


「一輝、アレやるぞ」


一輝の顔が引きつった。


「アレって、アレっスか!?」


「アレだ」


「いやいやいや、ガイさん!

 さすがにアレを普通のマギアス兵に撃ったら死んじゃうッスよ!?」


「バカ」


ガイは歯を見せて笑った。


「足場を壊すんだよ」


一輝の目が、一瞬で変わった。

恐怖でも混乱でもない。

技術屋の理解。


戦場で必要なものを、瞬時に拾う顔だった。


「……行けるっス」


「全力でだ」


「ウッス!」


一輝は体勢を変えた。

ラプチャーが起動する。


圧縮されたマナが、右腕の装置へ集まっていく。


山道の石畳。

その下の岩盤。

敵軍列の足元。

一点ではなく、線で崩す。


殺すためではなく、道を切るために。

ガイのボイスがパイルデバイスに集まる


「マナリンク」


「ソニック――」


一輝の腕が震える。

圧縮音が山道に響いた。


「パイル!」


衝撃が、地面へ撃ち込まれた。

敵に向けたものではない。

その足元。


古い観光道を支える岩盤そのもの。


一瞬、何も起きなかった。

次の瞬間、山道が割れた。

敵軍列の先頭が足を取られる。


石畳が砕け、岩が崩れ、道が丸ごと抜け落ちる。

マギアス兵たちが、声にならない叫びを上げながら斜面へ落ちていく。


「走れ!」


ガイが叫んだ。

自分もまた、崩れる足場の上にいた。


一輝を抱え直し、落ちていく岩と敵の群れの中へ身を投げるように沈んでいく。


「ガイさん!」


フィリアの声が霧に裂けた。

だが、ガイは笑っていた。


「上だけ見てろ!」


その声が最後に聞こえた。

直後、崩落音が山道を埋めた。


リオンのワイヤーが、対岸の岩へ突き刺さる。


「行く」


フィリアを抱えたまま、リオンの身体が宙へ飛んだ。


足元の道がない。

下には、崩れていく岩と霧。

フィリアは思わず息を止めた。

風が顔を叩く。


リオンの腕は微動だにしない。

ワイヤーが巻き取られ、二人の身体が対岸へ引き寄せられる。

同時に、シェスターが岩壁へ足をかけた。


拳を打ち込み、壁面を蹴り、崩れた道の上を横へ走る。


荒っぽい。

だが速い。


シェスターは落ちかけた石を蹴り飛ばし、対岸の端へ飛び込んだ。

織葉は一瞬だけ崩れた穴を見た。


次に、腰を落とす。

紫電が足元を走る。


「秘技、紫電縮地」


雷光が走った。

織葉の身体が、崩れた山道の穴を越える。

着地の直前、足元の石が砕けかける。


だが、織葉は鞘で岩を突き、身体を回して着地した。

クリスティナはその少し後ろから跳んだ。

火のマナが足元に花弁のように開く。


「ブロッサムフォーム」


炎の花弁が一瞬だけ推進力を生み、彼女の身体を対岸へ運ぶ。

着地と同時に、レイピアを振るって飛んできた瓦礫を払った。

リオンがフィリアを対岸へ下ろす。


フィリアの足が地面に触れた瞬間、彼女は崩落した道の方へ振り返った。


霧と砂煙で、下は見えない。

ガイと一輝の姿も見えない。


ただ、下の方から、地鳴りのような衝撃音と、ガイの咆哮が聞こえた。

まだ戦っている。

一輝のソニックパイルの音も、低く響いた。


生きている。

分かる。


それでも、フィリアの胸は強く締めつけられた。


「止まるな」


リオンの声がした。

冷たい声ではなかった。

ただ、止まらせない声だった。


シェスターも振り返らずに言う。


「あいつらが落ちたのは、俺たちを上に行かせるためだ」


織葉が崩れた道を一度だけ見下ろした。


「ガイ殿と一輝殿なら、崩落した地形でも戦えます」


クリスティナがレイピアを握り直す。


「むしろ、ああいう乱戦は得意そうですわね」


その言葉に、フィリアは小さく頷いた。


ガイは強い。

一輝も、必要な時に逃げない。

分かっている。


分かっていても、置いていく痛みは消えない。


けれど、戻らなかった。

戻ってはいけなかった。


フィリアはレイアーツデバイスを握り直し、前を向く。

崩れた山道の先には、まだ観光道が続いていた。

霧の向こうに、城跡の影が近づいている。


背後では、ガイの声が再び響いた。


「一輝! 次、右だ!」


「ウッス! 足場悪すぎっスけど!」


「文句言うな! お前が壊した!」


「命令したのガイさんっス!」


その声が、わずかに皆の緊張を緩めた。

シェスターが短く笑う。


「元気じゃねえか」


リオンが先へ進み始める。


「なら問題ない。行くぞ」


フィリアたちは再び走り出した。

崩れた山道を背に。

ガイと一輝が開いた道を越えて。


さらに上へ。

魔王城跡へ向かって。


崩れた山道を越えてから、観光道はさらに細くなった。

海側へ張り出すように作られた古い道。


足元には、割れた石畳。

左手には、錆びた手すり。


右手には、山頂へ続く急な岩肌。

かつてなら、ここを歩く者は海を見下ろし、城跡までの道のりを楽しんだのだろう。

だが今は、闇の霧が景色を覆っている。


海は黒灰色に沈み、空は重い。

観光道の途中に、広い展望台が見えてきた。

円形に張り出した石造りの広場。


中央には、かつて記念撮影用だったと思われる古い案内板が立っている。


魔王城跡展望台。

海と城跡を一望できます。

文字はかすれていた。


その足元に、マギアス軍がいた。


「止まれ」


リオンの声で、全員が岩陰に身を寄せた。

展望台には、数十の兵が展開していた。


半精化した兵士。

通常装備のマギアス兵。

指揮用端末を持つ者。


砲撃用のマナアーツデバイスを設置している者。

彼らの向いている先は、山の東側だった。

正規軍の拠点がある方向。


「正規軍への攻撃準備ですわね」


クリスティナが低く言った。


「ここから撃ち下ろすつもりか」


シェスターが舌打ちする。


「放っておけば、下が崩れる」


リオンは端末を確認する。


「迂回は」


「時間がかかりすぎます」


フィリアは答えた。


「それに、この位置を放置すれば、正規軍の防衛線が崩れます」


織葉は刀へ手をかけた。


「なら、通り抜けながら潰すしかありません」


「数が多い」


リオンは淡々と言う。


「全員で当たれば突破は可能。ただし、時間を食う」


シェスターが拳を握る。


「だったら一気に――」


その時だった。

展望台の中央にいたマギアス兵の一人が、ふらりと膝をついた。


続いて、もう一人。

さらに、その奥の兵も倒れる。

音はなかった。

斬撃でも、爆発でもない。


ただ、敵陣の中に、赤い花が咲いていた。


濃い赤。

燃えるような赤。


花弁のように見える炎が、展望台の床から開いている。

その中心に、クリスティナが立っていた。

誰も、彼女がいつ前へ出たのか分からなかった。


レイピアを片手に、敵陣の真ん中へ優雅に立つ。

背後には、炎の尾のようなマナが広がっていた。


九つには見えない。

数えるより先に形を変える。


尾のようでもあり、大輪の花弁のようでもある。

火精霊のマナを宿した赤い光が、クリスティナの周囲でゆっくりと開く。


敵兵たちが一斉に振り向いた。


「敵襲!」


「中心だ!」


「囲め!」


展望台が一気に騒がしくなる。

クリスティナはその中心で、少しだけ顎を上げた。


「囲む、ですか」


口元に笑みが浮かぶ。


「花の中心へ集まるなんて、ずいぶん礼儀正しい方々ですわね」


赤いマナが、さらに広がった。

フィリアは思わず声を上げる。


「クリスさん!」


クリスティナは振り返らなかった。

ただ、レイピアを軽く掲げた。


「マナアーツ」


赤い花弁が、一枚ずつ開く。

熱はある。


だが、火口で見た暴走の火ではない。

クリスティナの意思で形を持つ火。

彼女自身のものになった火。


「ラフレシアフォーム」


織葉が一瞬、眉を動かした。


「ラフレシア……?」


「九尾由来では」


リオンが呟く。

クリスティナは敵へ向いたまま、当然のように答えた。


「大輪の花に見えますもの。尾より花ですわ」


「そこで命名する余裕がありますか」


織葉が思わず返す。


「余裕ではなく、美意識ですわ」


クリスティナの周囲で、赤い花弁が回転する。

近づいたマギアス兵の武器が、触れる前に弾かれた。

さらに一歩踏み込んだ兵の足元に、小さな花が咲く。


次の瞬間、爆ぜる。

ただし、殺すための爆発ではない。

膝を崩し、武器を落とし、意識を刈り取るための衝撃。


一人。

二人。

三人。


展望台の中央で、敵の隊列が乱れていく。

シェスターが歯を食いしばった。


「クリス、一人でやる気か」


「ええ」


クリスティナは振り返らずに答えた。


「ここは私が受け持ちます」


「数が多すぎる」


「多いからこそ、ですわ」


クリスティナはレイピアの切っ先を横へ向けた。

赤い花弁が広がり、展望台の出口へ壁を作る。

敵がそちらへ抜けようとした瞬間、花弁が閉じるように動き、進路を塞いだ。


「私と織葉の二人がここを受け持てば、この先で問題が起こった際に対応しきれませんわ」


その声は、いつもの華やかさを残していた。

だが、判断は冷静だった。


「織葉は先へ。フィリア様を連れていくには、あなたの足と剣が必要です」


織葉は黙ってクリスティナを見る。

クリスティナはそこで初めて、ちらりと振り返った。


「それとも、私が一人では足りないと?」


織葉は一拍置いて、笑った。


「言うようになりましたな」


「元からですわ」


「ならば、任せます」


「ええ。任されましたわ」


フィリアは一歩前へ出ようとした。


「クリスさん、でも」


クリスティナの視線がフィリアへ向く。

炎の花弁の中で、その目は明るかった。


怖さはある。

緊張もある。

けれど、迷いはない。


「フィリア様」


クリスティナは言った。


「私を信用してほしいと、さっき言いましたわよね」


フィリアの足が止まる。


「はい」


「なら、今ですわ」


赤い花弁が、展望台いっぱいに広がる。

敵兵たちが一斉に構え直す。


だが、もう正規軍側へ向けていた砲撃準備は止まっていた。

全ての視線が、クリスティナへ集まっている。

彼女が、敵陣の中心で場を奪った。


「ここは、私の花園です」


クリスティナは優雅に笑った。


「無粋な方々には、少し眠っていただきますわ」


リオンが短く判断した。


「行くぞ」


シェスターはまだ一瞬だけ迷ったが、すぐに走り出した。

織葉も続く。


フィリアは最後にもう一度、クリスティナを見た。


「クリスさん」


「行きなさい」


クリスティナは背を向けたまま言った。


「リヴァルさんを見つけて。あなたが行かなければ、ここまで来た意味がありませんわ」


その言葉に、フィリアは唇を引き結ぶ。


「……はい」


フィリアは前へ走った。

織葉がすぐに横へ並び、リオンが先導する。

シェスターが後方を警戒しながら続く。


展望台を抜ける直前、背後で赤い光が大きく膨らんだ。


「ラフレシアフォーム」


クリスティナの声が響く。


「ブルーム・サークル」


大輪の花が開くように、赤い炎が展望台を包んだ。

爆音ではなく、重い衝撃。

敵兵たちの足元に次々と花が咲き、隊列が崩れる。


正規軍へ向いていた砲撃装置が、火の花弁に絡め取られて停止した。


フィリアは振り返らなかった。

振り返れば、足が鈍る。

それでも、背中で分かった。

クリスティナは残った。


敵陣の中心に。

赤い花の中心に。


自分で名づけた、新しい形をまとって。

観光道は、さらに山頂へ続いている。


城跡の影は、もう近かった。

展望台を抜けると、観光道はさらに急になった。


山頂が近い。

それは分かる。


けれど、近づけば近づくほど、道は人を拒むようになっていった。

石畳は大きく割れ、ところどころ根のように黒い霧が地面を這っている。


錆びた手すりは途中で途切れ、傾いた案内板には、かすれた文字でこう書かれていた。

魔王城跡まで、あと十分。

その十分が、今はあまりにも遠い。


フィリアの呼吸が乱れ始めていた。


強行着水。

氷上移動。

上陸後の山道。


そして、ここまで休まず駆け上がってきた。

レイアーツデバイスを握る手にも、少しずつ力が入りづらくなっている。


それでも、足を止めるわけにはいかなかった。


「フィリア殿」


横を走っていた織葉が、短く声をかける。

フィリアは顔を上げた。


「はい、大丈夫です」


「大丈夫な呼吸ではありません」


「まだ、行けます」


「行けるかどうかではなく、早く着くかどうかです」


織葉はそう言うと、フィリアの前へ回った。


「失礼します」


「え」


返事を待たず、織葉はフィリアの身体を軽く引き寄せ、背負い上げた。

あまりに自然な動きだった。

フィリアが声を上げるより早く、織葉はもう走り出している。


「織葉さん、下ろしてください。私、まだ――」


「喋ると余計に息が上がります」


「でも、織葉さんも怪我が」


「治療済みです」


「完全では」


「完全でなくとも、今のフィリア殿よりは走れます」


言い返せなかった。

織葉の背は安定していた。

細いようで、芯が強い。

揺れは少なく、足運びは速い。


武芸者の身体だった。

シェスターが横を走りながら、少しだけ口元を歪める。


「姫様抱っこじゃなくてよかったな」


「シェスターさん」


フィリアが少しだけ抗議する。

リオンは前方を見たまま言った。


「重量配分としては背負う方が安定する。速度も落ちにくい」


「そこを真面目に解説されると、余計に恥ずかしいんですが」


「今は羞恥より到達を優先しろ」


「はい……」


そんな短いやり取りの間にも、道は続く。

霧は濃くなっている。


背後からは、遠く戦闘音が聞こえた。


水音。

打撃音。

崩落の余韻。

炎が爆ぜる音。


イルル。

紫乃。

ガイ。

一輝。


クリスティナ。

一人、また一人と残っていった。


自分の作戦で。

自分が示した道で。


フィリアは織葉の背に手を添えながら、唇を噛んだ。


「私の作戦は」


声が、小さく漏れた。

織葉が少しだけ顔を横へ向ける。


「何か」


「みんなを、ばらばらにしています」


シェスターの足音が、わずかに乱れた。


リオンは振り返らない。

フィリアは続けた。


「高速輸送艇で無理に突入して、山道を進んで、敵が出るたびに誰かが残って。

 これで本当に、よかったのか」


霧の中で、声だけが少し震えた。


「私が、急ぎすぎたんじゃないかって」


織葉はすぐには答えなかった。

その代わり、少しだけフィリアを背負い直す。


落とさないように。

揺らさないように。

確実に前へ運ぶために。


先に口を開いたのは、リオンだった。


「フィリア隊員」


「はい」


「作戦の評価は、作戦中に確定させるものではない」


リオンは前方の霧を見据えたまま言う。


「どんな形であれ、リヴァル主任が生還すれば作戦成功だ」


その言葉に、フィリアは胸の奥を強く押されたような感覚を覚えた。


リヴァルが生還すれば。

その条件は、重い。

あまりにも重い。


それでも、リオンは疑っていなかった。

少なくとも、今この場では。


シェスターが少し荒く息を吐く。


「つーか、ここまで来て正解だったかどうか悩んでも仕方ねえだろ」


「シェスターさん」


「乗りかかった船だ」


シェスターは前を睨む。


「最後までやってから後悔しようぜ」


言い方は雑だった。

けれど、その雑さが今はありがたかった。

立ち止まって考え込ませない言葉。


進ませるための言葉。

織葉も静かに続けた。


「フィリア殿が思っているほど、皆、弱くなどありません」


フィリアは織葉の肩越しに、彼女の横顔を見た。


「イルル殿も、ガイ殿も、一輝殿も、クリスも。時間稼ぎで終わっているとは限りません」


織葉の足が、割れた石畳を越える。


「制圧して、こちらを追いかけてくるかもしれませんよ」


「そんなに簡単に」


「簡単ではありません」


織葉は即答した。


「ですが、不可能でもありません」


その声には、仲間への信頼があった。

願望ではない。

実力を知っている者の言葉だった。


フィリアは何も言えなかった。

胸の奥で渦を巻いていた不安が、消えたわけではない。


むしろ、消えない。

消えるはずがない。


自分がどこへ向かっているのか。

リヴァルが何をしようとしているのか。

その先に何が待っているのか。


フィリアだけが、すべてを同じ重さで抱えている。


それでも、今は。

今だけは、背中を預けていた。

織葉の背に。

リオンの判断に。


シェスターの乱暴な励ましに。

ここまで道を作ってくれた仲間たちに。


「……ありがとうございます」


小さく言うと、シェスターが鼻を鳴らした。


「礼は終わってからでいい」


「そうですね」


リオンが続ける。


「今は呼吸を整えろ。次に撃つ時、呼吸が乱れていれば照準も乱れる」


「はい」


フィリアは目を閉じかけ、すぐに開いた。


息を吸う。

吐く。


リオンに教わった射撃姿勢を思い出す。


足元。

上半身。

肩。

指。


今は背負われていても、その感覚だけは忘れないようにする。


道の先で、霧が薄く裂けた。

その向こうに、城壁が見えた。

魔王城跡。

崩れた外壁。


黒く濡れた石。

かつて観光客が通ったであろう入口には、古いゲートが残っていた。

その上に掲げられた案内板は半分壊れ、文字の一部だけが読める。


魔王城跡見学順路。

その下には、現在の立入禁止表示が何重にも貼られている。


観光地の名残。

戦場の現在。

最後の封印の気配。


すべてが同じ場所に重なっていた。

織葉が足を緩める。


「着きます」


リオンがワイヤー装置を構え直す。

シェスターが拳を鳴らした。


フィリアは織葉の背から、前方を見た。

城跡の奥から、重いマナの圧が流れてくる。

闇の霧が、そこだけ呼吸しているように揺れていた。


もう、近い。

フィリアはデバイスを握り直した。

織葉は城門前の石畳へ足を踏み入れる。


その瞬間、山頂の風が四人の間を吹き抜けた。

冷たい風だった。

けれど、フィリアは目を逸らさなかった。


魔王城跡の中へ。

最後の場所へ。

四人は、崩れた門をくぐった。


崩れた門をくぐると、空気が変わった。

外の山道に漂っていた闇の霧とは違う。


ここにある霧は、流れていない。

沈んでいる。


石壁の割れ目に溜まり、崩れた床の隙間に染み込み、古い城跡の中庭全体を重く覆っている。

かつて観光地だった頃の名残は、ここにもあった。


足元には、見学順路を示す古い矢印。

城壁の一角には、説明板の台座。

魔王城中庭跡。


かつての儀式広場と伝えられる場所。

文字はかすれ、説明板の半分は割れていた。

代わりに、黒い霧が底で揺れていた。


フィリアはレイアーツデバイスを握り直す。

織葉は彼女を背から下ろし、すぐに前へ出た。


シェスターが拳を構える。

リオンは周囲の壁面と上空を同時に見ていた。


「開けている」


リオンが言う。


「待ち伏せには向かないが、落下侵入には向いている」


「言ったそばから嫌なことを」


シェスターが舌打ちした。

その直後だった。

上空の霧が割れた。

何かが落ちてくる。


人影。

重い音を立てて、それは中庭の中央へ着地した。

石畳が砕ける。


黒い霧が、衝撃で円形に広がった。

ゆっくりと立ち上がった男は、肩を鳴らし、首を回した。


軍服の名残。

荒い呼吸。

口元に浮かぶ、獰猛な笑み。


「久々だな」


男はそう言った。

織葉が一歩だけ前に出る。


「お知り合いですか?」


リオンは無言で男を見た。

数秒。

表情は変わらない。


「認識に該当なし」


「おい」


男の眉が跳ねた。

シェスターも首を傾げる。


「誰だっけ、コイツ」


「お前らのシェルターに襲撃かけたじゃねえか!」


男が怒鳴った。

声が中庭の壁に跳ね返る。


「俺はロッカ軍曹だ! 小僧共!」


シェスターは少しだけ目を細めた。

それから、ああ、と雑に頷いた。


「いたな」


「いたな、じゃねえ!」


「また殴られに来たのかよ」


シェスターは拳を鳴らす。


「今度はあっさり倒してやる」


ロッカ軍曹は口元を吊り上げた。


「これを見ても、そう言えるか?」


その身体が、内側から軋んだ。

骨が鳴る。

肩が膨らむ。


背中が盛り上がり、軍服が裂ける。

腕が太く、長くなっていく。


皮膚の一部が硬質化し、獣のような毛が首筋から肩へ広がった。

指先には黒い爪。


脚は逆関節に近い形へ変わり、地面を掴むように石畳を砕く。

半精化。


だが、これまで見た個体よりも安定している。

暴走しているだけではない。

変異した身体を、本人が使う気でいる。


ロッカは低く笑った。


「今度は、どこを殴っても問題ないぜ?」


シェスターは笑わなかった。


「なるほどな」


拳を構え直す。


「じゃあ、遠慮なくいく」


ロッカが地面を蹴った。

速い。

巨体に似合わない加速だった。


一直線にシェスターへ突っ込む。

シェスターも前へ出る。

拳と爪がぶつかる寸前、織葉が割り込んだ。


刀は抜かない。

鞘でロッカの腕を受ける。

重い衝撃が、石畳を震わせた。


「っ」


織葉の足が半歩沈む。

ロッカが笑う。


「細い腕で受けるじゃねえか!」


「重いだけです」


織葉は短く返す。

鞘を滑らせ、ロッカの腕を横へ流す。

その隙にシェスターが踏み込んだ。


腹部へ一撃。

だが、ロッカの身体は大きく揺れただけで倒れない。

硬い。


シェスターはすぐに距離を取る。


「前より面倒だな」


「だから言っただろうが!」


ロッカの爪が振るわれる。

織葉が鞘で受け、シェスターが横から拳を叩き込む。


リオンのワイヤーが壁面へ走り、上からロッカの肩へ絡む。

動きを止めるための拘束。


だが、ロッカは力任せにそれを引きちぎろうとする。


「力任せか」


リオンは冷静に呟く。


「だが、出力は高い」


フィリアは照準を合わせた。

リオンに教わった姿勢を思い出す。


足幅。

肩。

重心。

呼吸。


サイトの向こうに、ロッカの半精化した身体が入る。


ライトバレット。

殺すためではない。

半精化を抑えるための光。


「撃ちます!」


織葉が身を引く。

シェスターがロッカの腕を押し返す。


フィリアは引き金を絞った。

白い光弾が中庭を走る。

ロッカの胸元へ向かう。

当たる。


その直前。

光弾が弾かれた。

硬い音が響いた。

白い光が砕け、霧の中へ散る。


フィリアの目が見開かれる。


「弾かれた……?」


ロッカが笑った。

だが、その笑みは自分だけのものではなかった。

中庭の奥。


崩れた回廊の影から、拍手が聞こえた。


ゆっくりと。

乾いた音。


「見事な判断だ、フィリア・レイフィールド」


低い声が響く。

霧の中から、一人の男が現れた。


白に近い灰色の髪。

整った軍装。

感情を抑えた目。

東部支部長。


エルガン・ヴァイス。


「だが、その攻撃はもう対策済みだ」


フィリアは銃口を向けたまま、息を詰めた。

エルガンの手元には、小さな黒い装置があった。

マナの干渉波を放っている。


ロッカの身体を覆うように、薄い膜が揺れていた。

ライトそのものを消すのではない。

着弾の瞬間に、反応をずらしている。


フィリアのライトバレットが半精化に届く前に、弾かれたのだ。

リオンが低く言う。


「対ライト干渉装備か」


「そう呼んでもいい」


エルガンは淡々と答えた。


「貴様らが半精化兵を人間へ戻す手段を持つことは、すでに分かっている。

 ならば、対策するのは当然だ」


シェスターがロッカを睨みながら言う。


「随分親切に出てきたじゃねえか、支部長」


「急ぐ必要があるのでな」


エルガンはシェスターを見た。


「ここで足止めをさせてもらう」


ロッカが爪を鳴らす。


「そういうことだ。今度は簡単には通さねえぞ、小僧共」


織葉は刀の柄へ手をかけた。

まだ抜かない。

だが、空気が変わる。


リオンはワイヤーを巻き戻し、次の射出角度を測った。

シェスターは拳を構え、フィリアの前に半歩出る。

フィリアはレイアーツデバイスを握ったまま、砕けた光の残滓を見ていた。


ライトバレットが届かない。

この場でロッカを戻すことはできない。


エルガンにも、対策がある。

つまり。


ここにフィリアが留まる意味は、薄くなった。

そう理解した瞬間、胸の奥が冷たくなる。


だが、言葉にするより早く、シェスターが動いた。


「リオン」


「ああ」


短い応答。

それだけで、二人は同じ結論に至っていた。

中庭に、ロッカの咆哮が響いた。


エルガンの装置が黒く明滅する。

そして、魔王城跡の奥から、さらに重い闇の霧が流れ込んできた。

ロッカ軍曹が咆哮した。


半精化した獣の身体が、石畳を砕きながら前へ出る。

同時に、エルガン・ヴァイスの手元で黒い装置が明滅した。

ライトバレットを弾いた干渉波。


それがロッカの身体の周囲に薄い膜を作っている。

フィリアはレイアーツデバイスを構え直した。


もう一発。

角度を変えれば。

出力を変えれば。


そう考えるより早く、シェスターが動いた。


「リオン!」


「ああ」


リオンの返事は短かった。

それだけで十分だった。


シェスターはフィリアの腕を掴む。


「行くぞ」


「え――」


次の瞬間、フィリアの身体が浮いた。

シェスターが片腕でフィリアを抱え上げ、そのまま中庭の奥へ向かって走り出した。


「シェスターさん!」


「黙って掴まれ!」


ロッカが即座に反応する。


「逃がすかよ!」


獣の脚が石畳を蹴った。

シェスターの背へ向けて、巨大な爪が振り下ろされる。

その軌道へ、織葉が入った。


「通しません」


抜刀。

雷光が走る。


ロッカの爪と織葉の刃がぶつかった。

鋭い金属音ではなく、重い衝撃音。

半精化した腕の硬質化した爪を、刀が受け止める。


織葉の足元の石畳が割れた。

だが、後ろへは下がらない。


「邪魔だ、退け!」


「お断りします」


織葉は刃を滑らせ、ロッカの力を横へ流す。

そのまま鞘を反対の手で打ち込み、膝の関節へ衝撃を入れた。

ロッカの巨体がわずかに沈む。


その隙に、シェスターはフィリアを抱えたまま中庭を横切った。

エルガンが静かに手を上げる。


「行かせると思うか」


黒い干渉波が、シェスターの進路へ伸びる。

その前に、リオンが宙を走った。

ストライカーアーツデバイスのワイヤーが崩れた城壁へ突き刺さる。


巻き取り。

射出。

再射出。


リオンの身体が、まるで中庭の空間を縫うように移動する。

エルガンの干渉波が伸びる先へ、先回りした。


「相手を間違えるな」


リオンのブリザードが放たれた。

冷気が黒い干渉波とぶつかり、白い霜を散らす。


エルガンは一歩下がった。


「正規軍の犬が」


「否定はしない」


リオンは壁面に着地し、すぐに次のワイヤーを構える。


「だが今は、ARKの進路を開く」


エルガンの視線が鋭くなる。


「ならば、そこから落ちてもらう」


黒い装置が再び明滅した。

干渉波が今度はリオンのワイヤーへ絡みつく。


リオンは即座にワイヤーを切り離し、別の壁へ新しいワイヤーを撃ち込んだ。


無駄がない。

だが、エルガンも速い。


二人の攻防が、中庭の上方で始まる。

下では、織葉とロッカがぶつかっていた。


「軽いなあ!」


ロッカの拳が振るわれる。

織葉は真正面から受けない。


石畳を滑るように動き、刃と鞘で軌道をずらす。

だが、一撃ごとの圧は大きい。

まともに食らえば、身体ごと吹き飛ぶ。


「逃げ回ってんじゃねえぞ!」


「受ける価値のある技なら、受けます」


「言うじゃねえか!」


ロッカが地面を殴った。

石畳が爆ぜ、破片が織葉へ飛ぶ。


織葉は抜いた刀で破片を斬り払い、鞘で次の大きな瓦礫を叩き落とす。

その一瞬、ロッカが距離を詰めた。

爪が織葉の肩へ迫る。


「織葉さん!」


フィリアが叫ぶ。

シェスターの腕の中で身を捩ろうとする。


だが、シェスターは離さない。


「見るな!」


「でも!」


「お前が残っても、あいつらは戻らねえ!」


その言葉が、胸を刺した。

シェスターは中庭奥の崩れた回廊へ飛び込む。

その先に、城内へ続く扉があった。


元は見学順路の一部だったのだろう。

扉の横には、割れた案内板が残っている。


封印祭壇跡方面。

現在立入禁止。


赤い警告表示が何重にも貼られていた。

シェスターは速度を落とさない。


背後では、ロッカの爪を織葉が刀で受け流し、紫電が弾ける。

上方では、リオンのワイヤーとエルガンの干渉波が交錯している。

フィリアはレイアーツデバイスを握りしめた。


ライトバレットは弾かれた。

今の自分がここに残っても、ロッカを戻せない。


エルガンの干渉も止められない。

分かっている。

分かっているのに、足が戻ろうとする。


「フィリア!」


シェスターが声を荒げた。


「お前の場所はここじゃねえ!」


扉の前に着く。

シェスターはフィリアを半ば投げ込むように、奥のフロアへ押し入れた。

フィリアは床に転がり、すぐに起き上がる。


「シェスターさん!」


シェスターは扉のこちら側に立ったまま、振り返った。

その向こうで、ロッカの咆哮が近づく。

織葉が追いつき、刀を構えて中庭側に立つ。


リオンも上方から降り、中庭と扉の間へ着地した。


三人が、扉の外に残る。

フィリアだけが、内側にいる。


「ここは任せろ」


シェスターが言った。

息は上がっている。

だが、目は揺れていない。


「リヴァルを頼む」


フィリアの喉が詰まった。


「でも、皆さんが」


「フィリア殿」


織葉が、背を向けたまま言う。


「先ほど言いました。私たちは、フィリア殿が思っているほど弱くありません」


ロッカが突進してくる。

織葉は半歩前へ出た。


「それに」


刀が紫電を帯びる。


「この程度の獣に、道を譲るほど柔ではありません」


リオンはエルガンから目を離さずに言う。


「前進しろ、フィリア隊員」


「リオンさん」


「君がここに残れば、こちらは君を守る選択肢を増やす必要がある」


冷静な声。

だが、だからこそ逃げ場がなかった。


「君が進む方が、こちらは戦いやすい」


フィリアは唇を噛んだ。

シェスターが扉へ手をかける。


「行け」


「シェスターさん」


「乗りかかった船だって言っただろ」


シェスターは少しだけ笑った。


「最後までやってこい」


扉が動く。

重い音を立てて、閉まり始める。

フィリアは一歩、戻りかけた。


戻って、もう一度ライトを撃つ。


エルガンの装置を壊す。

ロッカを止める。

三人と一緒に戦う。


一瞬のうちに、いくつもの選択肢が頭をよぎった。

その全部が、違うと分かった。

ここに自分がいても、今は意味がない。


意味がないどころか、三人の足を縛る。

それを一番分かっているのは、フィリア自身だった。

だから、足を止めた。


扉の隙間から、最後にシェスターの顔が見えた。


「リヴァルを、頼む」


重い音。

扉が閉まった。

中庭の音が、少し遠くなる。

それでも、完全には消えない。


ロッカの咆哮。

織葉の刀が弾く音。

リオンのワイヤーが走る音。


シェスターの拳が壁を震わせる音。


全部、背中から聞こえていた。

フィリアは扉に手を伸ばした。

指先が、冷たい金属に触れる。


開けようと思えば、開けられるかもしれない。

戻ろうと思えば、戻れるかもしれない。

けれど、戻らなかった。


フィリアはゆっくりと手を下ろす。


そして、前を向いた。

廊下の奥は暗い。


闇の霧が、床を這うように流れている。

その先から、重いマナの気配が来る。


最後の封印。

リヴァル。


フィリアはレイアーツデバイスを握り直した。


一人になった。

ここまで、皆が道を作った。

イルルが。

紫乃が。


ガイが。

一輝が。

クリスティナが。

織葉が。


リオンが。

シェスターが。

だから、進む。


足音がひとつだけ、廊下に響いた。


フィリアは駆け出した。

扉の向こうへは戻らず。

城跡のさらに奥へ。

リヴァルのいる場所へ。

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