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六章 二話

オペレーション室の空席は、思ったよりも目立った。


そこは本来、リヴァルが座っている場所だった。


複数のモニター。

戦況表示。

封印関連ログ。

マナ濃度推移。


各シェルターの通信状態。

世界中の情報が集まり、整理され、次の判断へ変えられていく場所。


その中心に、今は誰もいない。

椅子だけがある。


フィリアはその前で、一度だけ足を止めた。

リヴァルがいない。


さっきから何度も聞いた事実なのに、ここに来て初めて、目で見て理解した気がした。


「フィリア」


背後からガイの声がする。

抑えた声だった。


「無理はするな。今は一輝たちがロックを見てる。開くまで待っても――」


「いえ」


フィリアは首を横に振った。


「私が見ます」


ガイは少しだけ眉を寄せた。


「本人認証が要る領域だぞ。生命照合もかかってる。普通のパスじゃない」


「分かっています」


フィリアはリヴァルの席へ近づく。


端末に手を置いた。

画面が起動する。

まず、通常認証。

フィリアのID。


指紋。

網膜照合。

ここまでは通った。


次に、リヴァル管理領域へのアクセス。


赤い警告表示が出る。

本人の生命照合が必要です。


許可されていないアクセスです。


認証を中止してください。

ガイが低く唸る。


「やっぱり駄目か」


「いいえ」


フィリアは画面を見たまま言った。


「ここからです」


指先が端末の端を滑る。

通常の認証画面を閉じるのではなく、警告表示の下に隠れている小さな管理ログを開いた。

それは、普通なら触らない場所だった。


認証失敗時の動作記録。

緊急時の権限移譲。

生命照合装置の補助設定。


リヴァルが、万が一に備えて作った抜け道。

ただし、それを抜け道だと知っていなければ、そもそも見つけられない。

ガイが目を細めた。


「おい、フィリア。何をしてる」


「探しています」


「探す?」


「リヴァルさんなら、完全に止まるロックにはしないと思います」


フィリアは画面から目を離さなかった。


通常認証。

本人生命照合。

拒否。

警告。


その表示だけを見れば、ここで終わりだった。

けれど、リヴァルなら。

リヴァルなら、ここで本当に終わる仕組みにはしない。


本人が動けない。

本人が捕まっている。

本人が死にかけている。


そんな時に、封印関連の情報が完全に閉じるような設計を、彼が許すはずがない。


「リヴァルさんは、自分がいない時のことを考えます」


フィリアは小さく言った。


「自分が動けなくなった時。

 自分が判断できなくなった時。

 それでも、誰かが次の判断をできるように」


「そんな都合よく残してるのか」


「都合よくは残しません」


フィリアの指が、警告表示の端をなぞる。


認証失敗ログ。

管理記録。

緊急処理。

通常なら見落とすような場所。


けれど、完全に隠しているわけでもない。

必要な人間なら、必要な時に辿り着ける。

リヴァルなら、そうする。


「分かりにくく残します」


画面の隅に、小さな補助設定が表示された。


緊急代理アクセス。

限定閲覧。

封印関連ログ開示。

生命照合代替認証。


ガイが息を呑む。


「……見つけたのか」


「まだです」


フィリアは首を振った。


「ここから先は、リヴァルさんが本当に通す気のある人しか通れないはずです」


画面に、入力欄がひとつだけ表示される。


残り試行回数、一回。

フィリアの指が止まった。


リヴァルが考えそうなパスコード。

リヴァルが、自分の不在時に、それでも誰かへ託すとしたら。


何を鍵にするか。

何を最後に残すか。


フィリアはすぐには押さなかった。

その代わり、開ける前に振り返る。


「ガイさん」


「何だ」


「次の行き先は、魔王城跡です」


ガイの顔が変わった。


「……今、何て言った」


「次の行き先は魔王城跡です。出撃準備をお願いします」


オペレーション室にいた職員たちが、一斉にこちらを見る。

まだログは開いていない。


リヴァルの居場所も確認できていない。

半精化個体の追跡も終わっていない。

それなのに、フィリアは次の目的地を口にした。


ガイは一歩近づく。


「待て。

 リヴァルが連れ去られた直後だぞ。

 行けるのか。

 そもそも、魔王城跡だと決めていいのか」


「はい」


「どうしてそこまで――」


ガイは言いかけて、言葉を切った。

問い詰めるべきか迷った顔だった。

フィリアはそれ以上、理由を並べなかった。


今、全部を説明するべきではない。


説明すれば、止まる。

迷う。

確認に時間を使う。

リヴァルなら、そうしない。


「リヴァルさんがいない今は、リヴァルさんの考えそうなことを考えていくしかないんです」


フィリアは静かに言った。


「リヴァルさんなら、次の行き先に向かって準備を始めるはずです」


「リヴァルが、そう言ったのか」


「事前に、少しだけ話を聞いていました」


フィリアはそれだけ答えた。


「最後の封印について。場所について。必要な準備について」


ガイは眉間に深い皺を刻んだ。


「行って、帰ってくるまでに何があったんだ」


その声には、責める響きはなかった。

ただ、分からないという困惑があった。

フィリアは少しだけ目を伏せる。


「全部を聞いたわけではありません」


これは嘘ではない。


「でも、おそらく、こんな状況でもリヴァルさんは次の準備をしていると思います」


「捕まっていてもか」


「はい」


フィリアは即答した。


「捕まっていても、です」


ガイは黙った。

オペレーション室の空気が重くなる。


誰もが、フィリアの言葉を完全には飲み込めていない。

それでも、今この場でリヴァルに代わって判断できる者がいるとすれば、それは彼女だった。


ガイは短く息を吐いた。


「……分かった」


その一言で、場の空気が動いた。


「俺は出撃準備に回る。整備班、輸送艇、外部警備、全部確認する。リオンとシェスターも呼ぶ」


「お願いします」


「フィリア」


ガイは扉へ向かいかけて、振り返った。


「一人で抱え込むな」


フィリアは少しだけ目を見開いた。

ガイは苦い顔で続ける。


「リヴァルがいないからって、お前までリヴァルみたいに全部背負おうとするな」


フィリアは答えられなかった。

ガイはそれ以上言わず、オペレーション室を出ていった。

職員たちも、それぞれの端末へ向かう。


連絡が飛び始める。

整備区画へ。

医療区画へ。

防衛班へ。


正規軍連絡窓口へ。

魔王城跡という言葉が、次々と正式な任務名へ変換されていく。

やがて、オペレーション室にはフィリアだけが残った。


正確には、職員はいる。

だが、リヴァルの端末の前には、フィリアだけだった。


彼女は再び画面を見る。

入力欄。

残り試行回数、一回。


リヴァルが考えそうなパスコード。

リヴァルが、本人不在時に誰かへ託すとしたら。

リヴァルが、最後まで信じているもの。


フィリアの指が、入力欄の前で止まった。

呼吸が浅くなっていることに気づく。


一度、目を閉じた。

深く息を吸う。

吐く。

そして、入力した。


確定。

一秒。

二秒。

三秒。


画面の赤い警告が消えた。

本人生命照合の代替認証を承認しました。

緊急代理アクセスを許可します。


リヴァル・アニム管理領域を限定開放します。


封印関連ログを展開します。

フィリアは声を出さなかった。


ただ、画面に並び始めた情報を見つめる。

フィリアは、そこから先を急いで読み飛ばさなかった。


一行ずつ、見る。

必要なものだけを拾う。


画面の光が、フィリアの瞳に映っていた。

一方、整備区画では、すでにガイの声が響いていた。


「輸送艇の状態を全部出せ!」


叫びすぎない。

そう言われていたはずの声量だった。

近くの整備員が一瞬だけ肩を跳ねさせる。


だが、誰も文句は言わない。

ガイが戻った。


それだけで、整備区画の空気は少し締まった。

奥の機体ハンガーでは、一輝がすでに作業端末を開いていた。

作業服の袖をまくり、額に薄く汗を浮かべている。


「ガイさん、もう来たんスか!」


「状況が動いた。使える機体は」


「通常輸送艇二機、軽量高速機一機、物資搬送用ドローン三。

 けど高速機は人員輸送に向いてないっス。

 燃料効率も悪いし、着陸場所も選ぶ」


「魔王城跡まで行く」


一輝の手が止まった。


「……マジっスか」


「マジだ」


ガイは端末を覗き込む。


「正規軍が張ってる。

 物資は現地である程度補えるはずだ。

 問題は、こっちから何を何機で運べるかだ」


「人数と最低限の装備優先っスね」


「ああ。持ち込み物資を増やすより、少ない機数で確実に運ぶ方が大事だ」


一輝はすぐに画面を切り替えた。


「輸送艇の整備進めます。

 高速機も一応見ます。

 使うかどうかは別として、選択肢には入れとくっス」


「頼む」


ガイは別の端末から通信を開いた。


「リオン、シェスター。整備区画へ来てくれ。出撃準備だ。目的地は魔王城跡」


数秒の沈黙。

先に返ってきたのはリオンだった。


『了解。五分で向かう』


続いて、シェスターの低い声。


『リヴァルの件は』


「まだ詳細確認中だ。だが、準備は止めない」


『……分かった。イルルも連れて行く』


「そうしてくれ」


通信が切れる。

一輝はもう別の整備員へ指示を飛ばしていた。


「燃料ライン確認!

 予備バッテリー二セット!

 水上着陸用の浮力補助も見といてくださいっス!」


「水上着陸?」


整備員が聞き返す。

一輝は少しだけ顔をしかめた。


「魔王城跡って島っスよ。最悪、陸に降りられない可能性あるっス」


「任せる」


そこへ、リオンが到着した。

いつものように無駄のない歩幅。


だが、顔には険しさがある。


「状況は」


「リヴァルが連れ去られた。

 半精化個体三体が離脱。

 今はフィリアがリヴァルのログを開いている」


「フィリアが?」


「ああ」


リオンは一瞬だけ目を細めたが、それ以上は問わなかった。


「目的地が魔王城跡という判断は」


「フィリアだ」


「根拠は」


「リヴァルから事前に聞いていたらしい。詳しくはまだ聞いていない」


リオンは短く息を吐いた。


「なら、今は準備だな」


「助かる」


少し遅れて、シェスターとイルルが整備区画へ入ってきた。

イルルは早足だった。

シェスターより半歩前に出そうになり、そのたびに自分で歩幅を抑えている。


「ガイ、リヴァルは」


「まだ分からん」


ガイは正直に答えた。


「フィリアがログを見ている。こっちは準備を始める」


「準備?」


シェスターの目が細くなる。


「行き先は」


「魔王城跡だ」


その一言で、整備区画の空気がわずかに変わった。

イルルが息を呑む。


リオンは表情を変えず、ただ端末へ視線を落とした。

一輝は作業端末を開いたまま、短く声を漏らす。


「魔王城跡……」


「リヴァルがいない。

 半精化個体の追跡もまだ終わってない。

 細かい作戦も、人数も、装備もまだ決まってない」


ガイは言った。


「だが、行き先がそこだと分かってるなら、整えるものはある」


シェスターはガイを見る。


「フィリアが言ったのか」


「ああ」


「根拠は」


「今は聞いていない」


ガイはきっぱり答えた。


「フィリアはリヴァルのログを開いている。

 必要なことは、後で出てくる。

 だが、待ってから動いたんじゃ遅い」


リオンが静かに頷く。


「準備だけ先に進める、ということか」


「そうだ」


ガイは整備区画の奥に並ぶ機体を見た。


「リヴァルなら、そうする。

 情報が全部揃うまで座って待つんじゃなく、分かっている範囲で次の手を打つ」


イルルが両手を握った。


「……分かりました」


その声は震えていなかった。

けれど、力は入っていた。


シェスターがイルルの横に立つ。


「なら、俺たちは何をする」


「まずは待機じゃなく確認だ」


ガイは一輝へ視線を向けた。


「使える機体の状態を出せ。輸送艇、軽量機、物資搬送ドローン。飛べるもの全部だ」


「了解っス」


一輝はすぐに端末を操作した。

整備区画の大型モニターに、機体一覧が表示される。


稼働可能。

点検中。

燃料残量。

航続距離。


修理待ち。

各機体の状態が、次々と並んでいく。


「通常輸送艇二機、軽量高速機一機、物資搬送ドローン三機。

 すぐ飛ばせるのは輸送艇一機とドローン二機っス。

 もう一機は点検中、軽量高速機は燃料系統の確認が必要っス」


「点検を前倒ししろ」


「やるっス。燃料ライン、バッテリー、通信系、全部見ます」


一輝は整備員たちへ声を飛ばした。


「輸送艇一番、出撃前点検!

 二番は点検工程を短縮して確認!

 高速機は燃料系統だけ先に見てくださいっス!

 物資ドローンは追従設定の確認!」


整備員たちが一斉に動き出す。

機体の外装パネルが開かれる。

台車が走る。

端末が接続される。


工具の音が、整備区画に重なっていく。

リオンは大型モニターの前に立ち、表示された機体情報を確認していた。


「正規軍との通信は」


「まだ取っていない」


ガイが答える。


「だが、魔王城跡なら正規軍が張っている。接近許可、現地状況、通信帯域の確認が必要だ」


「こちらで照会する」


リオンはすぐに端末を操作し始めた。


「作戦規模は未定として送る。目的地周辺の現況確認だけ先に取る」


「頼む」


シェスターは腕を組み、機体の方を見る。


「装備は」


「それもまだ絞らない」


ガイは言った。


「封印関連装備、医療キット、通信中継、予備電源。

 候補だけ出しておけ。

 何を積むかはフィリアのログ確認後に決める」


「了解」


シェスターは短く答えた。

イルルが一歩前に出る。


「私は」


「シェスターと一緒に、装備候補の確認を頼む」


ガイは言った。


「魔王城跡は島だ。

 水辺の装備も必要になる可能性がある。

 ただし、まだ決め打ちはしない。

 使うかもしれないものを出すだけでいい」


「分かりました」


イルルは頷いた。


「候補だけ、ですね」


「ああ。今はまだ、作戦を組む段階じゃない」


ガイは自分にも言い聞かせるように言った。


「準備の段階だ」


その言葉に、誰も反論しなかった。

リヴァルの居場所は分かっていない。


半精化個体の追跡も終わっていない。

魔王城跡で何が起きているのかも、まだ確かめていない。


それでも、目的地だけは示された。

なら、止まっている理由にはならない。

リヴァルなら、そうする。


情報が足りないと嘆くより、足りないなりに動ける場所を動かす。

ガイは整備区画の全体を見渡した。


「いいか。今は決めすぎるな。だが、遅れるな」


その声に、整備員たちの動きがさらに速くなる。


「リヴァルが戻ってきた時に、準備ができてないなんて言わせるな」


一輝が端末を叩きながら答える。


「了解っス!」


整備区画の奥で、輸送艇の主電源が入った。

低い駆動音が、シェルターの床を震わせる。


まだ作戦は決まっていない。

まだ人員も決まっていない。


まだ出撃の形も決まっていない。


それでも、準備は始まった。

リヴァルがいないまま。


リヴァルならそうするはずだと、皆が思いながら。

整備区画では、機体の確認が進んでいた。


輸送艇の外装パネルが開かれ、整備員たちが燃料ラインと電源系統を調べている。

一輝は端末を片手に、機体ごとの状態を大型モニターへ表示していた。


通常輸送艇。

軽量高速機。

物資搬送ドローン。


まだ、何をどう使うかは決まっていない。

目的地が魔王城跡であることだけが分かっている。

だから、使えるものを洗い出す。


今はそれだけだった。

その時、整備班の一人が端末を見て顔を上げた。


「ガイさん、オペレーション室から整備準備の指示が来ました」


「内容は」


ガイが歩み寄る。

整備員は画面を確認しながら、少し困ったように眉を寄せた。


「高速輸送艇を準備とのことです。ええと……これ、一機で向かうんですかね……」


「一機?」


ガイは端末を受け取った。

表示されていた指示は、短かった。


高速輸送艇一機。

即時出撃準備。

ARK全員の乗り入れを想定。

積載物資は最小限。


機体速度、機動性、低空航行性能を優先。

ガイの眉間に皺が寄る。


「フィリア、勝手にっ」


言い終える前に、ガイはオペレーション室の方へ歩き出そうとした。

だが、その必要はなかった。

整備区画の入口に、フィリアが立っていた。


息は少し浅い。

手には端末。

顔色は悪くない。


けれど、目だけがやけに強かった。


「フィリア」


ガイが足を止める。


「どういうことだ。なぜ高速輸送艇一機なんだ」


フィリアはすぐに答えた。


「リヴァルさんの位置は魔王城跡です」


整備区画の音が、少し遠のいた。


一輝の手が止まる。

リオンが顔を上げる。


シェスターとイルルも、同時にフィリアを見た。

フィリアは止まらなかった。


「魔王城跡周辺に、マギアス軍が集結しています。

 正規軍との交戦反応もあります。

 リヴァルさんはそこに連れて行かれています。

 最後の封印地点も変わりません。

 つまり、マギアス軍の主戦力は現在、魔王城跡周辺に集中している可能性が高いです」


「待て、フィリア」


ガイが言いかける。

だが、フィリアは止まらない。


「だから、ARK全員で向かっても、シェルターへの大規模襲撃の危険性は低いです。

 少なくとも、今すぐ世界中のシェルターへ同時に戦力を割く余裕はありません。

 長くは続きません。

 少しの間だけです。

 でも、その少しの間で向かう必要があります」


言葉が速い。

けれど、乱れてはいない。


ひとつひとつは、必要な情報だった。

ただ、それがあまりにも一度に出てくる。


「封印解除まで、あまり時間がありません。

 通常航路で接近すれば迎撃されます。

 高度を取れば捕捉されます。

 複数機で向かえば狙われます。

 だから、高速輸送艇一機で低空接近します」


「一機で、魔王城跡までか」


リオンが低く問う。


「はい」


「着陸地点は」


「確保できません」


即答だった。


「正規の着陸場は使えない可能性が高いです。だから、水上へ落とします」


一輝が思わず声を上げた。


「落とす!?」


「着水です」


「言い換えてもだいたい同じっス!」


フィリアは一輝の方を見る。


「織葉さんの紫電導気で機体の速度を落とします。

 イルルさんのレインで着水衝撃を緩和します。

 着水後、距離に応じて水上バイクかドローンパックで上陸します」


イルルが目を見開く。

自分の名が出たことに驚いたというより、その使い方まで一息で示されたことに驚いた顔だった。


「敵の迎撃を切り抜けるには、高速低空以外の方法がありません」


フィリアはそう言い切った。

整備区画に沈黙が落ちた。


誰もすぐには反論できなかった。


内容が無茶だからではない。

無茶ではある。


だが、それ以上に、情報量と速度が異常だった。

フィリアは、たった今リヴァルのログを開いたばかりのはずだった。

それなのに、位置情報、敵戦力の推定、シェルターの危険度、

接近方法、着水案、上陸手段まで、すでに一本の線にしていた。


ガイも、シェスターも、リオンも、イルルも、数秒だけ言葉を失った。

最初に動いたのは、一輝だった。


「……すぐ準備するッス!」


その声で、整備区画の空気が戻った。

一輝は端末へ飛びつく。


「高速輸送艇、出撃前点検に切り替え! 通常輸送艇の確認はいったん保留!

 燃料ライン、主電源、低空航行制御、

 全部優先! 外装チェック急いでくださいっス!」


整備員たちが、一斉に動きを変えた。

さっきまで複数機を並行して見ていた作業が、高速輸送艇一機へ集中していく。


工具箱が運ばれる。

外装パネルがさらに開かれる。

端末が接続される。


燃料系統のチェック表示が高速で流れ始める。

一輝はフィリアへ顔を向けず、画面を叩きながら叫んだ。


「着水前提なら機体下部も見るっス! ただ、まだ細かい補強は決め打ちできないっスよ!」


「はい。後で織葉さんに確認します」


フィリアは即答した。

その即答に、一輝が一瞬だけ笑う。


「了解っス!」


ガイはようやく息を吐いた。

そして、フィリアの前に立つ。


「フィリア。落ち着け」


「落ち着いています」


「落ち着いている奴は、高速輸送艇を水上に落とすって顔色ひとつ変えずに言わねえ」


フィリアは少しだけ黙った。

シェスターも近づいてくる。


「情報を整理しろ。俺たちは今、必要最低限しか拾えていない」


イルルもフィリアの隣へ来た。


「フィリアさん、順番に聞かせてください。全部、今すぐでなくていいですから」


フィリアは端末を胸元に抱えた。

その手に、少し力が入っている。


「あまりの情報量で、全部を説明している時間はありません」


声は落ち着いていた。

けれど、どこか急いでいた。


「必要最低限のものだけ拾いました。その結果、この方針が出てきました」


「リヴァルの案なのか」


ガイが問う。

フィリアは首を横に振った。


「分かりません」


その答えは、はっきりしていた。


「これは、リヴァルさんが考える内容かは分かりません。

 でも、今ある可能性のシミュレーションでは、最も成功確率が高いです」


「成功確率」


シェスターが呟く。


「リヴァルみたいな言い方をするようになったな」


フィリアは一瞬、目を伏せた。

シェスターはそれを見て、少しだけ口元を緩める。


「いや、悪い意味じゃない」


彼は腕を組み直した。


「おどおどしていた頃のフィリアのままだと思ってたら、こっちが置いていかれる。

 そろそろ、今のフィリアに見方を切り替えないと駄目だな」


イルルはすぐに言った。


「元から、フィリアさんはこういう人ですよ」


シェスターがイルルを見る。

イルルは真面目な顔で続けた。


「怖がっても、迷っても、必要な時は前に出る人です」


フィリアは少し驚いたようにイルルを見た。

イルルは小さく微笑む。


「だから、大丈夫です。順番にやりましょう」


ガイはまだ怪訝な顔をしていた。


完全に納得したわけではない。

無茶は無茶だ。

危険も多い。


そして、フィリアが何かを急ぎすぎていることも分かる。

だが、今の自分に、それ以上の案はない。


リヴァルがいない。

時間もない。

目的地は魔王城跡。


なら、足を止める理由にはならない。

ガイは短く笑った。


「他に俺が案を出せない以上、その作戦に乗っかるしかねえか」


「ガイさん」


「ただし」


ガイはフィリアを指差す。


「必要なことは言え。全部抱え込むな。俺たちはリヴァルじゃねえし、お前もリヴァルじゃねえ」


フィリアは少しだけ目を揺らした。


「……はい」


「よし」


ガイは整備区画へ振り返る。


「一輝! 高速輸送艇に全作業集中だ!」


「もうやってるっス!」


「ならもっと急げ!」


「それもやってるっス!」


一輝の返事に、整備員たちが少しだけ笑った。

緊張の中に、ほんの一瞬だけ息が通る。

その時、整備区画の入口から別の声がした。


「ずいぶん騒がしいわね」


ジェーンだった。

医療用の携行ケースを片手に持っている。

その後ろには、織葉、クリスティナ、紫乃がいた。


織葉の包帯は大幅に減っていた。

右肩にはまだ固定用のテープが残っているが、歩き方は先ほどよりずっと自然だ。


クリスティナはいつも通りの顔で横に立ち、紫乃は少し楽しそうにその様子を見守っている。

ガイが目を丸くした。


「織葉、もう動けるのか」


ジェーンが呆れたように肩をすくめる。


「動けるっていうか、動けちゃうのよ。

 マナアーツで治癒を時短したとはいえ、普通ならまだ休ませるところなんだけど」


織葉は真顔で言う。


「問題ありません」


「それを判断するのは医療側ね」


「はい」


「返事だけはいいのよね」


ジェーンはため息を吐いた。


「武芸者の強度って、医療だけじゃ計れないわ。ほんと、嫌になるくらい」


紫乃がにこりと笑う。


「でも、ジェーンちゃんのおかげで助かったわ」


「それはどうも。だからって無茶は許可してないから」


織葉は小さく頷いた。


「承知しています」


「本当に?」


クリスティナが横から言う。

織葉は少しだけ目を逸らした。


「……作戦内容による」


ジェーンが即座に額へ手を当てた。


「ほらこれ」


フィリアは織葉へ歩み寄った。


「織葉さん」


「はい」


「紫電導気について確認させてください」


織葉の目つきが変わった。

先ほどまでの怪我人の顔ではなく、武芸者の顔になる。


「輸送艇の制動ですね」


フィリアはわずかに目を見開く。


「分かりますか」


「この場で私に紫電導気を確認するなら、それくらいでしょう」


織葉は整備中の高速輸送艇を見上げた。

機体の外装は一部開かれ、整備員が下部の点検を進めている。


「軽く当てても?」


一輝が慌てて顔を上げた。


「壊さない程度でお願いしますっス!」


「壊しません」


織葉は右手を軽く上げた。

まだ刀は抜かない。

指先に、紫の雷光が細く走る。


次の瞬間、その雷光が高速輸送艇の外壁に触れた。

ばちり、と小さな音がする。

機体表面を、紫電が薄く走った。


織葉は目を閉じる。

雷の流れを読むように、指先をわずかに動かした。


「可能です」


フィリアがすぐに問う。


「どの程度まで」


「今の外装でも、減速補助には使えます。

 ただ、速度をギリギリまで維持してから急制動をかけるなら、マナの通りを良くした方がいい」


「通りを」


「外壁に銅か銀を使えば、より制動性能を高められます。

 紫電導気の通り道を作れば、機体全体を無理に押さえるのではなく、流して減速できます」


一輝が端末を叩く。


「銅、銀……外装全部は無理っス。追加パネルならいけるかも」


近くの整備員が資料を確認しながら言った。


「それなら、ベリリウム銅が一番適切だと思います。

 導電性と強度のバランスがいい。

 在庫は多くありませんが、制動補助用の外部プレートなら使用できます」


フィリアが間髪入れずに言った。


「すぐに作業に当たってください」


「了解しました」


整備員が走る。

一輝もすぐに指示を飛ばす。


「ベリリウム銅プレート出して! 機体下部と側面、制動用のラインを作るっス! 織葉さん、

 後で流す位置の確認お願いします!」


「承知しました」


織葉は頷く。

その横で、紫乃が静かにフィリアの後ろへ回った。

そして、ぽん、と両肩に手を置く。


「フィリアちゃん」


フィリアの身体が、ほんの少しだけ跳ねた。

紫乃はそのまま、優しく肩を押さえる。


「あら、ずいぶん覚悟した目をしているわね」


「紫乃さん」


「でも、少し力が入りすぎよ」


紫乃の手は温かかった。

火口で支えてくれた時と同じ手。


「リラックス。息を吸って」


フィリアは言われるまま、息を吸った。


「吐いて」


吐く。

肩に入っていた力が、少しだけ抜ける。


クリスティナが腕を組み、わざとらしくため息を吐いた。


「フィリア。私たちをもう少し信用してほしいですわね」


「信用はしています」


「なら、全部を一人で先に背負う顔はしないことですわ」


クリスティナは笑う。


「私たちは飾りじゃありませんのよ」


織葉も続けた。


「どのような作戦か、まだすべては分かりません」


その声は静かだった。

だが、まっすぐだった。


「ですが、私の役目があるなら、確実に遂行します」


フィリアは三人を見る。

紫乃。

クリスティナ。

織葉。


それから、整備区画で動くガイ、一輝、リオン、シェスター、イルルたちを見る。


リヴァルはいない。

けれど、誰も止まっていない。

フィリアは端末を握り直した。


「……はい」


小さな返事だった。

けれど、さっきより少しだけ、呼吸は整っていた。


「お願いします。皆さんの力が必要です」


ガイが笑う。


「最初からそう言えばいいんだよ」


フィリアは少しだけ困ったように笑った。

整備区画の奥で、高速輸送艇の主電源が再起動する。

低い駆動音が、床を震わせた。


ベリリウム銅のプレートが運び込まれる。


工具の音が増える。

通信確認が始まる。


燃料ラインの数値が更新される。

魔王城跡へ向かうための準備が、本格的に始まった。

リヴァルがいないまま。


けれど、リヴァルなら準備を止めないはずだと信じて。

そして今は、フィリアの判断で。

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