↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
42/57

五章 二話

変異したマギアス兵たちが、一斉に顔を上げた。


最初に動いたのは、猟犬のように背を丸めた個体だった。

四肢で床を掴み、折れ曲がった首をリヴァルへ向ける。

毒で倒れていた時の鈍さはない。


人の形を残していた時よりも、ずっと速い。

床を蹴った。

リヴァルの喉元へ、裂けた両腕の爪が迫る。


声が落ちた。

次の瞬間、リヴァルの前へ炎の花弁が咲いた。


「マナアーツ、プロテアストライク!」


クリスが踏み込んでいた。

レイピア型アーツデバイスの切っ先が、炎を纏って一直線に突き抜ける。


それは斬撃ではない。

突きだった。


だが、ただ刺すだけの突きでもない。

踏み込み、火炎、花弁状のマナ、そして一点を貫く圧。

猟犬型の両爪が、炎の花弁に包まれて砕け散った。


変異体の身体が後方へ吹き飛ぶ。

クリスはそのまま一歩も下がらず、リヴァルの真ん前へ立った。

レイピアを半身に構え、涼しい顔で言う。


「リヴァル様。ご無事ですか」


「問題ない」


リヴァルは即答した。

だが、視線はクリスではなく、変異した兵士たちに向いている。


熊のように肥大した個体が、重い腕を床へ叩きつける。

鳥のように腕を広げた個体が、天井近くへ跳ねる。


蛇のように首を伸ばした個体が、壁際を這う。

どれも、普通のマギアスではない。

精霊でもない。


だが、マギアス化反応だけは、確かにそこにある。

リヴァルは短く命じた。


「僕はいい。フィリアを輸送車に」


フィリアが顔を上げる。


「え」


「レイアーツデバイスがある。可能性が高い方を優先しろ」


一瞬、誰も動けなかった。

次に動いたのは、イルルだった。

考えたのではない。


手をつないでいたフィリアを、そのまま抱え上げた。


「イルルさん!?」


「走ります!」


「私も走れ――」


「私が走ります!」


イルルはフィリアを抱えて、管理区画の外へ駆け出した。

フィリアの身体が跳ねる。


「わ、わ、わっ」


「捕まっていてください!」


「どこにですか!?」


「私にです!」


鳥型の個体が、天井近くから急降下する。

細く変形した腕の先が、槍のように伸びた。


イルルの背を狙う。

織葉が踏み込んだ。


「秘技、紫電龍尾!」


刀は抜ききらない。

鞘走りの一瞬、紫電が尾のように床を走り、空中へ跳ね上がった。


鳥型の個体が横から弾かれる。

リヴァルが反射的に言った。


「登録名称はライトニングストライクだ」


織葉は振り向かない。


「今はそれどころではありません」


クリスが、リヴァルの前で口元だけ笑った。


「あら。わたくしのプロテアストライクと並べるようなお名前ですのね」


織葉は飛び退きながら返す。


「紫電龍尾です」


そのやり取りの横を、イルルはフィリアを抱えたまま走り抜けた。

撃ち落とされた鳥型が、床を転がりながらも再び跳ねる。


一度弾かれただけでは止まらない。

翼のように裂けた腕の先が、イルルの背中へ伸びた。


「イルルさん!」


フィリアが叫ぶ。

間に合わない。


鋭い先端が、イルルの背に突き刺さった。

衝撃でイルルの身体が前へ傾く。


だが、倒れない。

イルルは歯を食いしばり、フィリアを抱える腕に力を込めた。


胸元の内側に仕込まれた触媒フレームが熱を持つ。

低出力のレインが、背中の傷へ回る。

痛みを消すことはできない。


だが、走るために必要な身体だけは保つ。


「大丈夫です!」


「大丈夫じゃないです!」


「大丈夫にします!」


イルルはそのまま走った。

織葉が鳥型へ追いつき、刀の腹で首筋を打つ。

さらに紫電を重ね、床へ叩き落とす。


「イルル殿、進んで!」


「はい!」


輸送車は、管理区画へ続く搬入口側に残されていた。

そこまであと少し。


だが、今度は熊型の大型個体が動いた。

肥大した両腕を床へつき、巨体を跳ね上げる。


狙いはイルルではない。

輸送車。


フィリアのレイアーツデバイスがある可能性が高い場所。

大型個体が、車体へ飛びかかる。


「させません」


織葉が走った。

イルルの後ろではなく、輸送車へ向かって。

床を蹴り、輸送車のボンネットへ足を乗せる。


金属が沈む。

その反動を踏み台に、織葉は跳んだ。

峰を、もう片方の手で支える。


雷のマナが刀身の背に沿って走った。


「秘技」


織葉の身体が、地から天へ昇る線になる。


「紫電昇鉋!」


下から上へ。

雷を纏った峰が、大型個体の顎と胸をまとめて打ち上げた。


刃ではない。

斬っていない。

だが、衝撃は十分だった。


熊型の巨体が、輸送車の目前から上へ吹き飛ぶ。

天井近くで軌道を逸らされ、壁へ叩きつけられた。

クリスがリヴァルの前で、軽く眉を上げる。


「見事なライトニング・ライザーです事」


空中の織葉が即答した。


「紫電昇鉋です」


織葉はそのまま回転し、輸送車の横へ着地する。

イルルがフィリアを抱えたまま輸送車へ飛び込んだ。


「フィリアさん、レイアーツデバイスを!」


「は、はい!」


フィリアは座席の間に置かれていたケースへ手を伸ばす。

検査時に一度確認され、危険物ではないと判断されたケース。

その中に、レイアーツデバイスが残っていた。


指が震える。

留め具が外れない。


「落ち着いてください」


イルルが背中の痛みに顔をしかめながらも言った。


「大丈夫です。フィリアさんならできます」


「はい……はい!」


フィリアは深く息を吸った。

留め具を外す。

ケースが開く。


白いフレームを持つレイアーツデバイスが、そこにあった。

一方、管理区画では、クリスがリヴァルを守りながら後退していた。

織葉も輸送車側から戻り、二人の間合いへ合流する。


変異体たちは止まらない。

爪を砕かれても、打ち上げられても、撃ち落とされても、また起き上がる。

クリスがレイピアを構えたまま言った。


「早い、重い、でも強くはありませんわね」


織葉が刀を下げる。


「しかし、まったく気絶する気配が無い」


クリスは視線を外さない。


「痛みを見ていませんわ」


「毒も効き切っていません」


「気絶もしない」


「ならば、止め方を変えるしかありません」


リヴァルは、変異体たちを見ていた。

倒れたはずの兵士たち。

人として残っていた輪郭が、獣の形へ押し潰されている。


マギアス化の反応が高いのではない。

深い。

人間として残っていた部分まで、侵食されている。


「僕の考えが正しければ、まだ彼らを助けられる」


クリスがわずかに目を細める。


「倒すのではなく、戻すのですね」


「そう」


織葉が構え直す。


「ならば、斬る場所を間違えるわけにはいきませんね」


その時、変異体たちの動きが変わった。

ばらばらに暴れていたはずの個体が、同時に向きを変える。


猟犬型が床を低く走る。

熊型が正面に立つ。

鳥型が天井側へ移る。

蛇型が壁際へ回る。


統率されている。

エルガン・ヴァイスが、崩れた制御端末の横で立っていた。

その手には、まだ起動端末が握られている。


「どうだね」


エルガンは、初めて少しだけ声を弾ませた。


「我らが研究の粋を尽くした、半精化の兵たちは」


リヴァルが、その言葉を拾う。


「半精化……だと?」


クリスが変異体を見ながら言った。


「精霊のような強さと美しさはなさそうですわね」


織葉が即座に続きかけた。


「クラリス殿の精霊化は、

 それはもう美しさを通り越して神格化とも言えるわけで」


リヴァルはそちらを見なかった。


「人工的に精霊へ近づけた、というより

 ……マギアス化を限界以上に進めたのか」


織葉の語りは途中で止まった。

リヴァルの声が、低くなる。


「人として残っている部分まで侵食させている。

 兵器としての形だけを残すために」


エルガンは否定しなかった。


「兵器としては、正しい進化だ」


「人間のパーツが大幅に減っている」


リヴァルは言った。


「もはや、ただの兵器としてしか見ていないようにしか思えない」


「兵士だ。命令に従い、戦場で成果を出す」


エルガンが指を上げる。

半精化した兵たちが、一斉に身を沈めた。


「いくら武芸者でも、この数の同時攻撃をしのげるのであれば、

 話くらいは聞いてやる」


指が、しゅっと前へ向く。

半精化兵たちが、一斉に跳んだ。


猟犬型が床を裂く。

熊型が正面から潰しに来る。

鳥型が天井から落ちる。

蛇型が壁を這って背後へ回る。


織葉とクリスが同時に動く。

だが、その前に、リヴァルが言った。


「残念だが、もうすでにこちらの手の内だ」


光が走った。

一筋ではない。


輸送車の上から、白い閃光が広がる。

管理区画全体へ、細かな光の粒が撒き散らされた。

半精化兵たちの動きが、一瞬だけ鈍る。


人として残っている反応が、光の中で浮き上がる。


リヴァルは振り返らなかった。

ただ、当然のように言う。


「やっぱり僕の思った通りに動いてくれるね、君は」


輸送車の屋根の上に、フィリアが立っていた。

両手でレイアーツデバイスを構えている。


肩は震えている。

顔色も悪い。


けれど、銃口は下がっていなかった。

白いライトが、半精化兵たちを照らしていた。

輸送車の屋根の上で、フィリアはレイアーツデバイスを構えていた。


白いライトが、中央管理区画に散る。


猟犬型。

熊型。

鳥型。

蛇型。


人の形を捨てかけた半精化兵たちの中で、

わずかに残る人間反応が、光に照らされて浮かび上がる。

それは身体の中心とは限らなかった。


胸の奥。

肩の付け根。

首筋の深い位置。

あるいは、変形した腕の内側。


人として残っている場所が、

獣の形に押し潰されながら、まだそこにあった。

フィリアは息を止めた。


「見えます……」


リヴァルは振り返らない。


「撃てるか」


フィリアは答えようとした。

だが、その前に、エルガン・ヴァイスが指を動かした。


「撃たせるな」


天井近くに張りついていた鳥型の半精化兵が、腕を広げた。

裂けた腕の内側に、黒いマナが集まる。


羽ではない。

銃口でもない。


だが、そこから放たれたマナの刃が、まっすぐフィリアへ飛んだ。


「フィリア様!」


クリスが声を上げる。

フィリアは反射的にレイアーツデバイスを下げかけた。


だが、下げなかった。

リオンに言われたことを思い出す。


狙う前に、姿勢を捨てるな。

怖い時ほど、構えを崩すな。


フィリアは肩のフレームを前面に向けた。


「アイギス、展開します!」


白い防護面が開く。

飛来したマナの刃が、アイギスにぶつかった。


衝撃が腕へ響く。

フィリアの肩が揺れる。


だが、アイギスは割れなかった。

光の防護面が軋みながら、マナの刃を受け止める。


フィリアはそのまま反撃した。

白いライトが放たれる。

一発。

二発。


三発。

だが、当たらない。


鳥型の半精化兵は天井を蹴って位置を変え、

猟犬型は床を低く走り、蛇型は壁際へ逃げる。

フィリアの銃口は正しく向いていた。


姿勢も崩れていない。

けれど、それだけだった。


素人に毛が生えた程度の実戦射撃で、

半精化した兵士たちの動きに合わせられるほど甘くはない。


白い光弾が壁を叩く。

床をかすめる。

半精化兵の外皮を薄く削る。


だが、人間反応の核には届かない。

フィリアの顔色が青くなった。


「当たりません……!」


リヴァルは短く言う。


「慌てなくていい」


クリスが、リヴァルの前で半精化兵の爪を払った。

レイピアの柄を返し、アームガードで受け、火の花弁で押し返す。

そのまま、状況を一瞬で見切った。


「遠距離戦ならば、フィリア様は問題なしという事ですわね」


リヴァルが頷く。


「問題は命中だ」


「でしたら、当てられる状況を作ればよろしいだけですわ」


クリスの声に、迷いはなかった。

輸送車の横で、イルルが背中の痛みを押さえながら降りてくる。


低出力のレインが傷を塞ぎ切らないまま、

走るために必要な部分だけを支えていた。

イルルはフィリアを見上げる。


「私たちが接近を抑えて攪乱すれば、いずれはライトも命中します」


「イルルさん、背中が」


「後で見てもらいます」


イルルはそう言って、前を向いた。


「今は、戻せる人を戻します」


織葉が刀を下げた。

半精化兵たちの動きを見る。

早い。

重い。


だが、技ではない。

獣の形へ崩れた身体で、強引に迫ってくるだけだ。

それならば、やることは一つだった。


織葉は足を開き、刀を鞘ごと地へ向けた。

紫電が床を舐める。


「紫の雷刃よ、大地を巡りて領域を成せ。

 一歩も通さぬ。――秘技、紫電方陣」


雷が走った。

床を、壁を、落ちた壁材を、輸送車の影を。

紫電は細い線となって広がり、中央管理区画の周囲を方陣のように結んだ。


半精化兵たちが動く。

その足元へ、雷が噛みついた。

猟犬型の前脚が硬直する。

蛇型の長い身体が跳ねる。


鳥型が天井から落ち、羽のように裂けた腕を痙攣させる。

熊型が一歩踏み込んだ瞬間、膝の裏を紫電が打った。


織葉の雷は、無差別ではない。

変異したマギアス反応を拾い、

そこだけを狙いすましたように感電させている。


殺すほど強くはない。

だが、動きを止めるには十分だった。


織葉は輸送車の上を見上げた。


「フィリア殿、ターゲットは示した。あとは任せる」


フィリアは一瞬、息を呑んだ。

白い光の中で、人間反応の核が見える。

紫電方陣によって、半精化兵たちの動きが一瞬ずつ止まる。


今なら、狙える。

フィリアはレイアーツデバイスを構え直した。


足幅。

肩。

肘。

視線。


リオンに教わった基本を、一つずつ思い出す。


一発で決めようとしない。

外れても、姿勢を崩さない。

同じ点へ、続けて撃つ。

呼吸を止めすぎない。


フィリアは引き金に指をかけた。


一体目。

猟犬型。

胸の奥に浮かぶ白い点。

一発目は外れた。


二発目は外皮を削った。

三発目が、白い点へ入った。

猟犬型の身体が跳ねる。

獣の顎が開く。


吠え声が、途中で人の呻きに変わった。


フィリアは次へ向ける。

鳥型。

肩甲骨の奥。

一発。


二発。

三発。

当たりが浅い。

鳥型は苦しむが、戻らない。


次。

蛇型。

首ではない。


伸びた腕の付け根に残った人間反応。


フィリアは撃つ。

一発目で外す。

二発目で紫電の線をかすめる。

三発目で、光が核を射抜いた。


蛇型の身体が大きく痙攣する。


「入った」


リヴァルが言った。

蛇型の半精化兵が、床へ崩れ落ちた。


長く伸びた首が縮む。

腕の輪郭が戻る。


裂けた皮膚が、完全ではないが、人の形へ近づいていく。

硬質化していた外皮が剥がれ、マギアス化の黒い反応が薄まる。


獣の呼吸が、人間の呼吸へ変わった。

倒れた兵士は、まだ生きていた。


フィリアは銃口を下げなかった。

目を見開いたまま、震える声で言う。


「戻りました……」


イルルが息を呑む。

クリスの表情が変わる。


織葉も、方陣を維持したまま視線を落とした。

リヴァルは短く言った。


「救える」


その言葉に、エルガン・ヴァイスの顔から余裕が消えた。

彼は戻った兵士を見た。

それから、輸送車の上のフィリアを見る。


「そのライトか」


フィリアの肩が小さく震える。

エルガンの目は、もうリヴァルだけを見ていなかった。


半精化兵を戻した光。

それを撃った少女。

フィリア・レイフィールド。


エルガンは起動端末を握り直す。


「状況が良くない」


小さく呟いた言葉を、リヴァルは聞き逃さなかった。


「撤退する気か」


エルガンは答えない。

ただ、指を端末へ走らせる。


半精化兵たちの首元に残っていた黒い装置が、再び点灯した。


猟犬型が身を低くする。

鳥型が天井へ跳ねる。

熊型が壁を殴りつける。


それは攻撃ではなく、退路を作るための破壊だった。


壁材が崩れる。

配管が裂ける。

煙と粉塵が広がる。


「逃がしません」


織葉が踏み込もうとする。

だが、紫電方陣の内側で、まだ戻っていない半精化兵たちが暴れている。

そこを捨ててエルガンを追えば、フィリアが危ない。


イルルも同じ判断をした。


「フィリアさんを守ってください!」


クリスがリヴァルの前に立ったまま、舌打ちの代わりに小さく息を吐く。


「追うより、こちらが先ですわね」


リヴァルは即断した。


「追わない」


織葉が振り向く。


「よろしいのですか」


「避難民は確保済み。管理区画も押さえた。

 今優先するのは、半精化した兵を戻すことだ」


リヴァルの視線は、エルガンではなく倒れた兵士へ向いていた。


「彼は情報を持ち帰る。次からフィリアが狙われる」


フィリアの手が震える。

だが、レイアーツデバイスは下げなかった。


「それでも……戻せるなら」


リヴァルが答える。


「戻す」


粉塵の向こうで、エルガンの姿が薄れていく。

半精化兵の一部が、彼の周囲へ集まり、壁を破って退路を開く。


残された個体は、まだ管理区画内で暴れていた。


撤退する者。

残される者。


その線引きに、兵士への情はない。

エルガンは最後に、フィリアを見た。


「次は、その光から潰す」


リヴァルが静かに返す。


「次があると思わないことだ」


エルガンは薄く笑った。


「それはこちらの台詞だ」


崩れた壁の奥へ、エルガン・ヴァイスは消えた。


残された半精化兵が吠える。

紫電方陣が唸る。


フィリアは、レイアーツデバイスを構え直した。


一体は戻せた。

なら、他も戻せる。

震える指で、引き金へ触れる。


リヴァルの声が、背中を支えた。


「フィリア。次だ」


フィリアは頷いた。


「はい」


白いライトが、再び半精化兵の中に残る人の反応を照らした。

エルガン・ヴァイスが消えた崩落口の向こうへ、

半精化兵の一部が続いていく。


織葉は一瞬だけリヴァルを見た。

リヴァルは即座に首を振る。


「深追いはするな」


「承知しています」


織葉はすでに走り出していた。

クリスもその横へ並ぶ。


「足跡だけでも拾いますわ」


「戻れる範囲で」


「分かっていますわ」


二人は崩れた壁を越え、外周通路へ消えた。

残された管理区画では、フィリアがまだレイアーツデバイスを構えていた。


半精化から戻された兵士たちは、床に伏せたまま浅く呼吸している。

イルルがそばに膝をつき、低出力のレインで最低限の容体を保つ。


「リヴァルさん、戻った方たちは」


「医療隔離。拘束はする。ただし捕虜としてではない」


リヴァルは倒れた兵士たちを見る。


「患者として扱う」


フィリアが小さく頷いた。

その時、避難民区画へ続く隔壁の方から足音が近づいた。

紫乃だった。


後ろには、第三東部避難シェルターの職員数名と、

避難民の代表らしき年配の男性がいる。

さらに奥には、まだ怯えた顔の人々が固まっていた。


子どもを抱いた母親。

肩を支えられて歩く老人。

泣き止めない少女。


全員が、何が終わって、

何がまだ終わっていないのか分からない顔をしている。

紫乃はリヴァルを見ると、軽く片手を上げた。


「お疲れさま、リヴァルくん」


「人質区画は」


「見張り、通信役、起爆担当は止めてあるわ。

 避難民の方たちは大きな怪我はなさそう」


フィリアが安堵しかける。

だが、紫乃の表情は緩みきっていなかった。


「ただ、爆弾が残っているの」


空気が変わった。

リヴァルの視線が鋭くなる。


「起爆装置か」


「ええ。

 まとめられていた区画の支柱と隔壁付近に複数。

 起爆担当は眠らせたし、装置も一時的には止めてある」


紫乃は柔らかく言う。

けれど、内容は柔らかくない。


「完全に死んだわけじゃないわ。眠らせているだけね」


避難民の中で、誰かが息を呑んだ。

リヴァルはすぐに第三東部避難シェルターの職員へ向く。


「爆発物処理の専門員はいるか」


職員は青い顔で首を振った。


「いません。防衛班にも、

 その資格を持つ者は……今回の襲撃で負傷しています」


「整備班は」


「施設整備員は残っています。ただ、爆発物は専門外です」


「それでいい」


リヴァルは端末を開いた。


「通信を繋ぐ。ナンディーヌ・ロームへ」


数秒のノイズ。

すぐに、聞き慣れた声が返る。


『こっちは聞こえてるよ。状況は?』


「第三東部避難シェルター内に爆発物が複数。

 ミス・シノが一時停止させている。

 現地に専門処理人員はいない」


『映像を回して』


リヴァルは職員に視線を送る。

職員が慌てて携帯端末を繋ぎ、紫乃が示した位置の映像を送る。

画面越しに、ナンディーヌが短く息を吐いた。


『あー、嫌な置き方してるね』


「処理可能か」


『指示してやらせること自体は難しくない。構造が見えてる分にはね』


リヴァルは黙って続きを待つ。


『ただ、数が多い。同じ構造とも言い切れない。

 安全を重視するなら、一つずつ見るしかないよ』


紫乃が微笑む。


「その間に起きちゃうと、少し困るわね」


『少しじゃないね。かなり困る』


避難民たちのざわめきが広がる。

フィリアがレイアーツデバイスを抱えるように持った。

イルルがその横で、避難民たちへ向き直る。


「大丈夫です。今、方法を考えています」


その声は震えていなかった。

自分の背中はまだ痛むはずなのに、

イルルは避難民へ優先して声を掛けていた。


リヴァルは画面を見たまま言う。


「施設内で一つずつ解除する理由がない」


ナンディーヌが返す。


『外に出せるなら、それが早い』


「同意する。搬出して、安全圏で処理する」


職員が困惑する。


「搬出、ですか。ですが、手で運ぶには危険が」


「手では運ばない」


リヴァルが言いかけた、その時だった。

崩落口の向こうから、織葉とクリスが戻ってきた。

二人とも息は乱れていない。


ただ、織葉の袖には粉塵が付き、

クリスのレイピアには火の残滓が薄く揺れている。

リヴァルは振り向く。


「戻ったか。追跡結果は」


織葉が短く答える。


「追跡可能な範囲では、すでに退路を潰されていました。

 追わせぬための破壊です」


クリスが続ける。


「逃げ慣れていますわね。

 半精化兵を盾に、足跡も反応も散らしていましたわ」


「分かった。今は爆発物を優先する」


リヴァルがそう言った瞬間、

織葉とクリスの視線が紫乃の示した方向へ向いた。

紫乃が微笑む。


「支柱と隔壁に複数ね。止めてはあるけれど、寝ているだけ」


織葉とクリスは、一度だけ互いを見た。


それだけだった。

会話はなかった。


だが、二人の間では何かが完結した。

織葉が現地職員へ向く。


「使えなくなった鉄板を一枚、拝借できますか」


職員が瞬きをする。


「鉄板、ですか」


クリスが上品に頷く。


「錆びていて構いませんわ。むしろ惜しくない物で」


リヴァルが眉を寄せた。


「待て。僕はまだ搬出方法を指定していない」


織葉は当然のように答える。


「搬出です」


クリスも当然のように続ける。


「処理ですわ」


「説明になっていない」


通信越しにナンディーヌが笑った。


『ああ、始まったね』


一輝の声も割り込む。


『え、何が始まったんスか?』


『武芸者のやつ』


『説明になってないっス』


現地職員はまだ困惑していたが、すぐに整備員の一人が走った。

数分もしないうちに、錆びて歪んだ鉄板が運ばれてくる。

もともとは隔壁補修用の廃材だったらしい。


織葉はそれを避難民区画から十分離れた搬入口付近へ置かせた。

紫乃が止めていた爆発物を、ひとつずつ慎重に鉄板の上へ移す。

近づこうとする職員を、クリスが手で制した。


「そこから先はお任せくださいませ」


「で、ですが」


「近い方が危険ですわ」


その言葉だけで、職員は下がった。


織葉は鉄板の前に立つ。

刀を抜かない。


鞘に納めたまま、先端を鉄板の縁へ添える。

紫電が細く走った。

鉄板の表面を舐め、爆発物に触れず、鉄だけを伝う。


空気が震える。

リヴァルが一歩前に出かけた。


「織葉、角度は」


「上です」


「距離は」


「十分取ります」


「爆圧は」


クリスがレイピアを構えた。


「わたくしが上へ咲かせますわ」


リヴァルは一瞬だけ沈黙した。

そして、避難民と職員へ向き直る。


「全員、隔壁の内側へ。耳を塞いで、壁から離れろ」


その指示で、場が動いた。

イルルが避難民を誘導する。


「こちらへ。慌てなくて大丈夫です」


フィリアもレイアーツデバイスを抱えたまま、

小さな子どものそばへ膝をつく。


「音がします。でも、ここには来ません」


子どもは泣きながら頷いた。

紫乃が避難民の列を見て、柔らかく手を叩く。


「はい、みんな少しだけ耳を塞いでね。大きな花火だと思いましょう」


「花火ではない」


リヴァルが言う。

紫乃はくすりと笑った。


「あら、怖がらせない言い方よ」


準備が整う。

織葉は静かに息を吸った。

紫電が鉄板の下へ潜る。


まるで見えない軌道が、床から空へ向かって引かれたようだった。


「秘技、紫電導気」


鉄板が浮いた。

次の瞬間、爆発物を乗せた錆びた鉄板が、

紫電の軌道に沿って空へ射出された。


横ではない。

遠くでもない。

真上。


シェルター外壁の破損口から、鉄板が一直線に空へ抜ける。

誰かが思わず声を上げた。


「飛んだ……」


一輝が通信越しに叫ぶ。


『搬出ってそういう意味なんスか!?』


ナンディーヌが冷静に返す。


『普通は違うね』


鉄板は上空へ達する。

爆発物が再起動する前に。

落下へ転じる前に。


クリスがレイピアの切っ先を空へ向けた。


赤い火が、切っ先に実る。

花ではない。

果実だった。

その火の実が割れる。


無数の赤い火種が、上空の鉄板へ向かって放たれる。


「マナアーツ、ポムグラネート」


火種が鉄板を包んだ。

爆発物の周囲で、ザクロの粒のような赤い光が連鎖する。


次の瞬間、空が爆ぜた。

爆発は下へ広がらない。


赤い火種が爆圧を抱え込み、上へ、さらに上へと咲かせる。

炎の粒が空へ散る。

遅れて、低い音がシェルターの外壁を震わせた。


隔壁の内側で、避難民たちが身をすくめる。


だが、爆風は来なかった。

破片も降らない。


上空で赤い火の花がほどけ、煙だけが空へ流れていく。

クリスはレイピアを下ろした。


「少々、華やかすぎましたかしら」


織葉は刀を収める。


「爆発物処理に華やかさは不要です」


「必要ですわ」


「不要です」


「必要ですわ」


リヴァルは二人を見た。

それから、通信端末へ視線を落とす。


「手順書には載せない」


一輝が即答した。


『載せない方がいいっス』


ナンディーヌは笑い混じりに言う。


『でも、処理としては悪くない。施設内に残すよりずっといい』


リヴァルは息を吐いた。

最初の危険は排除した。


だが、それはあくまで最初の一手にすぎない。

爆発物は消えた。


半精化兵は戻せる可能性が見えた。

避難民は生きている。


第三東部避難シェルターは、まだ終わっていない。


リヴァルは周囲を見渡した。

壊れた隔壁。

裂けた配管。

通信線。


震える避難民。

負傷者。

戻された兵士。


そして、自分たちを見つめる現地職員たち。


「ここから本格的に後処置へ入る」


リヴァルは言った。


「このシェルターを、使える状態へ戻す」


その言葉に、第三東部避難シェルターの職員たちが顔を上げた。

だが、すぐに年配の責任者らしき男性が首を振る。


「いえ……これ以上、皆様をここに留めるわけにはいきません」


声は震えていた。

爆発物は処理された。

避難民は生きている。


だが、シェルターは傷だらけだった。

隔壁は歪み、搬入口の一部は崩れ、

通信系統には外部から噛まされた中継部品の痕跡が残っている。


それでも、男性は言った。


「リヴァイブプランが遅れれば、もっと多くの人々に影響が出ます。

 我々のために、これ以上……」


リヴァルは最後まで言わせなかった。


「長時間ここには残れない」


男性が言葉を失う。

リヴァルは端末を操作しながら続ける。


「だから、今やるのは復旧そのものじゃない。復旧できる状態にすることだ」


「復旧できる、状態……」


「順番を間違えなければ、このシェルターは現地人員で立て直せる。

 逆に、順番を間違えれば、僕たちが半日いても無駄が出る」


リヴァルは破損した通路を見た。


「遅らせないために、今ここで順番を決める」


通信端末からナンディーヌの声が返る。


『そういうこと。

 こっちも張りつきっぱなしは無理だけど、要点を見てやるくらいならできる』


一輝の声も続く。


『こっちで確認項目作るっス。

 外部から噛まされた中継部品、映像線、監視系、通信線。

 まずそこっス』


リヴァルは職員へ向く。


「施設整備班は残っていると言ったね」


「はい。欠員はありません」


「なら、彼らを呼んで。防衛班ではなく、整備班だ」


「は、はい!」


職員が走る。

その間に、リヴァルは第三東部避難シェルターの簡易構造図を端末へ展開した。


紫乃が避難民の方へ歩いていく。


「怖い思いをしたわね。けれど、もう爆弾はないわ」


泣いていた子どもが顔を上げる。


「ほんとう?」


紫乃は膝を折り、目線を合わせた。


「本当よ。大きな音はしたけれど、もう終わり」


イルルもその横に立つ。


「怪我をしている方は、こちらに集まってください。

 痛いところがなくても、息が苦しいとか、気持ち悪いとか、

 そういうのも教えてください」


フィリアはレイアーツデバイスを抱えたまま、少し遅れて避難民へ近づいた。

先ほどまで半精化兵を撃っていた手は、まだ震えている。


それでも、小さな女の子が不安そうに見上げると、

フィリアはゆっくりしゃがんだ。


「大丈夫です。今、みんなで安全にしています」


「お姉ちゃんが、あの人を戻したの?」


フィリアは一瞬、答えに詰まった。


戻した。

撃った。

救えた。


その全部が、まだ胸の中で整理できていなかった。

イルルがそっと横から言う。


「フィリアさんが、戻してくれました」


フィリアは小さく頷いた。


「……はい。戻せました」


女の子は泣きそうな顔で笑った。


「よかった」


その一言で、フィリアの指の震えが少しだけ弱くなった。

搬入口側では、織葉とクリスが外周へ出ていた。


追跡で見た退路の破壊跡と、

シェルター周辺に残るマギアス反応を確認している。

織葉が崩れた外壁の縁へ手を触れる。


「爆破によるものではありませんね」


クリスは周囲の粉塵を見ながら答えた。


「半精化兵に壊させたのでしょう。追跡を切るための破壊ですわ」


「外周に残党は」


「少なくとも近辺にはいませんわね。

 ただ、見られている可能性は消えません」


「同感です」


二人は短く確認を終え、内部へ戻る。

長く外へ出る必要はなかった。

ここは追撃戦をする場所ではない。


守るべき者たちが、まだ中にいる。


やがて、整備班が集まった。

疲労と恐怖は顔に出ている。


それでも、工具を持つ手は動く。

リヴァルは彼らの前に立ち、端末上の構造図を表示した。


「復旧優先順位を伝える」


ナンディーヌの声が通信から響く。


『一番目。避難民区画の隔壁と換気。

 そこが死ぬと、今夜を越すのがきつくなる』


リヴァルが図面へ印をつける。


「第二。医療区画への搬送路。

 半精化から戻った兵士と負傷者を分けて運ぶ。接触は最小限」


一輝が続く。


『第三。

 通信線。

 特に外部から噛まされた部品があったラインは全部見直しっス。

 使えるかじゃなくて、誰かに触られてないかを見るっス』


ナンディーヌが補足する。


『第四。

 監視系の再起動。

 ただし全部を一気に戻さない。

 外周、搬入口、避難民区画前、この三つから』


リヴァルがさらに印をつける。


「第五。外壁と搬入口の応急封鎖。完全修復は後でいい。

 今夜の侵入を防げる状態にする」


整備班の一人が震えた声で尋ねた。


「防衛班は……」


リヴァルは答える。


「防衛班は負傷者を除いて再配置。だが、人数は足りない。

 だから、警戒範囲を広げるな」


「広げない?」


「守れない範囲まで見ると、穴が増える。今夜は守る区画を絞る」


ナンディーヌが通信越しに笑う。


『その通り。全部を守ろうとして全部抜かれるのが一番まずい』


一輝も続ける。


『応急監視なら、古いセンサーでも使えるっス。

 そっちの在庫リスト送ってください。

 使える組み合わせ、こっちで見るっス』


整備班の表情が少し変わった。

ただ命じられているのではない。

自分たちで直せる形に、道筋が示されている。


リヴァルは責任者へ向いた。


「復旧ログは一日二回送って。ナンディーヌが確認する」


『時間は作るよ。ただし、こっちも動いてる。要点だけ送ってきな』


「異常が出た場合は即時共有。

 通信が遮断された場合は、あらかじめ決めた短縮信号を使う」


一輝が言う。


『短縮信号の形式、こっちで投げるっス。長文打ってる暇ない時用っス』


責任者は深く頭を下げた。


「ありがとうございます。これなら……我々でも」


「礼は後でいい」


リヴァルは端末を閉じる。


「今は動いて」


その言葉で、整備班が散った。

避難民区画では、紫乃が泣いている人々を落ち着かせ、

イルルが軽傷者を見ていた。


フィリアは少し離れた場所で、自分たちの拠点へ通信を繋ぐ。

通信先に出たのはリオンだった。


『こちらリオン』


フィリアは背筋を伸ばす。


「フィリアです。

 第三東部避難シェルターでの戦闘は終了しました。

 エルガン・ヴァイスは撤退。

 半精化兵を確認しました」


一拍置いて、リオンの声が低くなる。


『半精化兵』


「はい。

 マギアス化が深く進行したような反応です。

 ライトで鎮静、解除できる可能性があります」


『フィリアのライトか』


「はい。ただ、ヴァイスに見られました」


『了解。こちらの警戒を上げる』


フィリアは続けた。


「ガイさんは動けませんよね」


『動かさない。本人は不満そうだが、動かさない』


通信の向こうで、微かにガイの声がした。


『不満じゃねえ! 確認だ確認!』


リオンは無視した。


『外周と通信線を再確認する。

 特に物理的な中継部品、監視系への外付け、搬入口付近の死角。

 こちらで動ける者を回す』


フィリアは頷く。


「お願いします。

 あと、フィリアのライトが狙われる可能性があると、リヴァルさんが」


『それはもう想定に入れた。戻ったら詳細を聞く』


「はい」


フィリアは通信を切る。

その手はまだ少し震えていたが、声は最後まで崩れなかった。

織葉とクリスが戻ってくる。


「外周、近辺に敵影なし」


織葉が報告する。

クリスも続ける。


「ただし、撤退経路は綺麗に潰されていましたわ。

 追跡させない意思が強いですわね」


リヴァルは頷く。


「分かった。今は十分だ」


「本当に追いませんの?」


「追わない。

 こちらは人員が少ない。

 相手は半精化兵を切り捨ててでも逃げる。

 今追う意味が薄い」


クリスはそれ以上言わなかった。


織葉も刀を収める。

紫乃が戻ってくる。


「避難民の方たちは、少し落ち着いたわ。

 今夜の寝床と換気が整えば、ひとまず大丈夫」


イルルがその横で頷く。


「軽傷者はまとめました。

 重い方は医療区画へ運びます。

 半精化から戻った方たちは、別にした方がいいです」


リヴァルは答える。


「そうする。接触制限をかけるが、扱いは患者だ」


責任者がその言葉を聞いて、わずかに目を伏せた。


「敵兵でも、ですか」


「戻せる可能性がある者を、敵兵として処分する理由はない」


リヴァルは淡々と言った。


「ただし、安全確認が済むまでは隔離する。そこは譲らない」


「……分かりました」


責任者は今度こそ、深く頷いた。

各所へ指示が回り始める。


避難民は安全な区画へ移動する。

整備班は隔壁と換気の確認へ走る。


防衛班は負傷者を下げ、守る区画を絞って再配置する。

半精化から戻った兵士たちは、拘束具を付けたうえで医療隔離へ運ばれる。

もう、リヴァルたちが全てを動かす必要はなかった。


このシェルターは、自分たちの手で動き始めている。

リヴァルはそれを確認してから、端末をしまった。


「撤収する」


フィリアが顔を上げる。


「もう、ですか」


「長居はできない。ここには手順を残した。

 ナンディーヌも見る。自拠点の警戒も上げた」


リヴァルは第三東部避難シェルターの責任者へ向く。


「僕たちは帰る。だが、ここを放置するわけじゃない」


責任者は静かに頷いた。


「はい。ここからは、我々が」


「無理はしなくていい。だが、止まらないで」


「分かりました」


避難民の中から、先ほどの女の子が小さく手を振った。

フィリアは少し迷ってから、手を振り返した。


イルルが微笑む。

紫乃はその様子を見て、柔らかく目を細める。

織葉とクリスは搬入口へ向かい、周囲を確認する。


輸送車は、爆発物処理の振動で少し埃を被っていた。

だが、動く。


一輝が通信越しに確認した通り、機関部に問題はなかった。

全員が乗り込む。


リヴァルは最後にもう一度、第三東部避難シェルターを見た。


壊れている。

傷ついている。

だが、終わってはいない。


「出す」


輸送車が動き出す。

搬入口を抜け、崩れた外壁の横を通る。

空には、ポムグラネートの赤い火種の名残はもう残っていない。


ただ、薄い煙だけが風に流れていた。

フィリアは窓の外を見つめる。


「リヴァルさん」


「何」


「戻せました」


「そうだね」


「次も、戻します」


リヴァルは少しだけ視線を向けた。

フィリアの声は震えていた。


それでも、言葉は逃げていなかった。


「倒すためじゃなくて、戻すために撃ちます」


イルルが隣で静かに頷く。


「私も、一緒に戻します」


リヴァルは前を向いた。


「次から敵は、君たちを放置しない」


「分かっています」


フィリアはレイアーツデバイスを抱え直した。


「それでも、やります」


少しの沈黙。

それからリヴァルは言った。


「なら、戻ったら訓練を増やす」


フィリアの肩が跳ねた。


「えっ」


イルルが小さく笑う。

クリスが後部座席で優雅に微笑む。


「命中精度は、たしかに課題ですわね」


織葉も淡々と頷く。


「三発ずつ撃つ判断はよかったです。しかし、初弾が外れすぎました」


「うっ」


紫乃が楽しそうに口元へ手を当てる。


「あらあら。帰ったら忙しくなりそうね」


リヴァルはその会話を遮らなかった。

輸送車は第三東部避難シェルターを離れていく。


後処理は終わっていない。

だが、引き継げる形にはした。

ヴァイスは逃げた。


半精化という新しい脅威も残った。

フィリアのライトは敵に知られた。


それでも、ひとつだけ確かなことがある。

半精化した兵士は、戻せる。


リヴァルは端末に新しい項目を追加した。


半精化。

フィリア・レイフィールド。

ライトによる鎮静および解除。


そして、その下に短く記録する。

優先度、最大。

輸送車は、自分たちのシェルターへ向かって走り続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。