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四章 三話

その日の午後、オペレーション室には、

先にシェスターとイルルが戻ってきた。


二人とも訓練用の防護ベストを外したばかりで、

髪や服の一部にまだ水気が残っている。

イルルは少し疲れているようだったが、表情は暗くなかった。

むしろ、どこかほっとしたような顔をしている。


シェスターは端末の前に立つリヴァルへ向かい、短く報告した。


「筋はいい」


リヴァルが顔を上げる。


「イルルの水上バイク訓練の結果か」


「ああ」


シェスターは頷いた。


「速度はまだ出せねえ。旋回も大きい。細かい操作も硬い」


イルルの肩が、ほんの少しだけ縮こまった。

シェスターはそれを横目で見てから、続ける。


「ただ、波の読みは悪くない。

 転覆しそうな無理はしねえし、波を正面から受けにいくことも少ない。

 センサーで拾う程度の水上探索なら問題ない」


イルルは、そこで少しだけ顔を上げた。


「本当ですか」


「さっきも言っただろ」


シェスターはぶっきらぼうに返す。


「嘘言ってどうする」


イルルは、小さく頷いた。


「はい」


リヴァルは端末に訓練結果を記録する。


「水上探索要員として、短距離および低速域での運用は可能。

 そう判断していいか」


「今の段階ならな」


シェスターは言った。


「ただし、イルルをボート役に使うなら、俺も一応監督につけてほしい」


リヴァルの指が止まる。


「監督」


「訓練したのは俺だ。癖も見た。

 波が荒れた時にどこで崩れるかも、俺の方が分かる」


「合理的だ」


リヴァルはすぐに頷いた。


「事故率を下げられる。水域調査時は、

 イルルとシェスターを同一班に置く前提で調整する」


イルルは少し驚いたようにリヴァルを見た。


「いいんですか」


「駄目な理由がない。能力の補完として自然だ」


リヴァルは淡々と言った。


「君は水上での感覚がある。

 シェスターは現場判断と救助判断ができる。

 二人を分ける方が非効率だ」


「そう、ですか」


イルルの声が少しだけ柔らかくなる。

シェスターは何も言わなかった。

ただ、少しだけ視線を外した。


フィリアはその様子を見て、ほんのりと微笑んだ。

その時、オペレーション室の扉が開いた。

戻ってきたのは、紫乃とリオンだった。


紫乃はいつも通り、穏やかな笑みを浮かべている。

リオンは静かに一礼し、端末を片手に持っていた。


二人の服には崩落地を抜けた跡が残っている。


泥。

埃。

水気。


偵察の成果は、言葉より先にその装備へ現れていた。


「戻ったわ」


紫乃が軽く手を振る。

リヴァルはすぐに向き直った。


「お疲れ様です、ミス・シノ。リオンも」


リオンは背筋を伸ばした。


「任務完了しました」


その声は短いが、通信中のような切り詰めたものではない。

戻るべき場所へ戻り、報告する軍人の声だった。


「探索時の報告内容に相違ありません」


リヴァルは中央卓にS地点の地図を開いた。


「詳細を聞かせてほしい」


リオンが端末を接続する。

卓上に、偵察時の簡易映像と記録図が表示された。


崩落地。

湖岸。

半地下施設。

整備区画。


ボート泊場。

制御室。

破壊されたデータバンク。

湖側へ伸びる大量のケーブル。


それらが順に並ぶ。


「敵影は確認されませんでした」


リオンが報告する。


「生命反応もありません。戦闘痕も確認できませんでした。

 基地は完全に撤収済みと判断します」


「撤収、ね」


リヴァルは映像を見る。


「敗走ではない?」


「違うわね」


紫乃が答えた。


「慌てて逃げた場所じゃないわ。

 武装や記録媒体は持ち出し済み。

 工具や消耗品もほとんど残っていない。

 けれど、大型の設備はそのまま」


「必要なものは持ち出した。不要か、持ち出せないものだけ残した」


「ええ」


紫乃は頷く。


「必要がなくなったから捨てた。そう見るべきね」


フィリアが補助端末に記録を入れていく。


「データバンクは破壊されていたんですよね」


リオンが別映像を表示する。

制御室の中央。


筐体を開けられ、中身を抜き取られたデータバンク。


焼損した基板。

空の記録ユニットスロット。


「中枢記録媒体は撤去されていました。

 残っていた基板は焼かれています。

 爆破ではなく、手動で破壊されたものです」


「壊す場所を分かっている人間が壊した感じね」


紫乃が言う。


「雑な爆破じゃなかったわ」


リヴァルは目を細める。


「補助端末は」


「残っています。

 ただし、電源が入らないため現地では確認できませんでした」


リオンが整備区画の映像へ切り替える。


発電機。

水密ポンプ。

配電盤。

ケーブルドラム。


どれも錆び、劣化し、湿気に晒されている。


「電源類は破壊されていません。

 ただ、劣化が進んでいます。現地での起動は困難です」


「ボートは?」


「二隻残っていました」


次に、屋内のボート泊場が映る。

小型ボートが二隻。


苔と水汚れが付着しているが、船体そのものは大きく壊れていない。


「整備はされていません。

 ただし、破壊もされていません。稼働状態は不明です」


「武装は?」


「確認できませんでした」


紫乃が答えた。


「武装ラックは空。弾薬もなし。綺麗に外してあったわ」


リヴァルは沈黙する。

映像は、ボート泊場の端へ移る。

大量のケーブル。


床を這い、水に沈み、湖側へ伸びている。


「問題はこれか」


「そう」


紫乃は腕を組んだ。


「船着き場にしては線が多すぎるわ。

 補給基地にしては倉庫が空きすぎている。

 戦闘拠点にしては守る気配がない」


「湖側で何かを扱っていた」


リヴァルが言う。


「その可能性が高いわね」


リオンは小型ケースを卓上へ置いた。


「落ちていた用紙は、すでに解析班へ提出済みです。

 状態が悪いため、現在読めているのは断片だけです」


フィリアが端末を操作し、解析班から上がってきた暫定結果を表示する。


水域。

接続。

照射。

被験。


読める文字は少ない。

だが、十分に不穏だった。

シェスターが画面を見る。


「嫌な単語ばっかりだな」


「同感だ」


リヴァルは短く返した。

リオンは映像を一つ戻し、制御室の操作卓を表示した。


「現地設備から情報を得るには、技術者が必要です。

 電源復旧、補助端末の起動、軍用ロックの解除。

 偵察班では対応できません」


「私たちのお仕事は、ここまでね」


紫乃が言う。


「ここから先は、機械に強い子を呼ぶべきだわ」


リヴァルは少しだけ考え、すぐに端末を操作した。


「一輝を呼ぼう。一度、偵察映像を見せる」


数分後、直入一輝がオペレーション室へ入ってきた。


「失礼するッス!」


声が大きい。

そして背筋も伸びている。


一輝はリヴァル、フィリア、シェスター、イルル、リオン、紫乃を順に見て、

少しだけ緊張した顔になった。


「えっと、技術関係で呼ばれたって聞いたッス」


「そうだ」


リヴァルは偵察映像を再生する。


「S地点の湖畔で発見したマギアス軍施設だ。

 電源は劣化で入らない。

 データバンクは破壊済み。

 補助端末は残っている。

 ボートも二隻ある。

 君の見立てを聞きたい」


「了解ッス」


一輝の目つきが変わった。

さっきまでの体育会系の緊張が、技術者の集中に切り替わる。


映像を食い入るように見る。

発電機。

配電盤。

ケーブル。


操作卓。

破壊されたデータバンク。

ボートのエンジン部。


一輝は何度か映像を止め、拡大し、角度を変えた。


「電源は……これなら、完全に死んでるわけじゃなさそうッス」


「復旧できるか」


「資材持ち込めば、仮復旧はいけると思うッス。主電源は無理でも、

 補助ラインをバイパスして端末何台か起こすくらいなら可能性あるッス」


「ボートは」


「エンジンの状態次第ッスけど、

 破壊されてないなら応急整備はできると思うッス。

 燃料系と吸気系が腐ってなければ、短距離なら動かせるかもしれないッス」


リヴァルは頷く。


「では、データバンクは」


一輝の表情が少し曇った。


「それは、俺だとキツいッス」


「理由は」


「破損した記録媒体からデータを抜く技術は教わってないッス。

 そもそも記録ユニット抜かれてるなら、残ってる基板からログ断片を拾うとか、

 補助端末に残ったキャッシュを復元するとかになるッスけど……

 軍用機器のロック込みだと、俺じゃ専門外ッス」


一輝は悔しそうに眉を寄せた。


「電気を通すことはできると思うッス。

 機械を動かすことも、できる範囲はあるッス。

 でも、中身を抜くのは別ッス」


「君が知る範囲で、対応できる技術者はいるか」


一輝は即答しなかった。

一度だけ視線を落とし、それから顔を上げる。


「俺の知ってる人だと、ローム主任くらいッス」


その名が出た瞬間、フィリアが少し反応した。

リヴァルも、端末に視線を落とす。


「ナンディーヌ・ロームか」


「はいッス。主任なら、多分いけるッス」


一輝は力を込めて言った。


「軍用規格のロック解除とか、壊れた記録媒体の復元とか、

 俺が見た限り主任が一番ヤバいッス」


「ヤバい、ですか」


リオンが少しだけ眉を動かした。


「褒め言葉ッス」


一輝が真面目に返した。

紫乃がくすりと笑う。


「信頼しているのね」


「めちゃくちゃしてるッス」


一輝は迷わず言った。


「ただ、主任は向こうのシェルターも見てるんで、

 長くは呼べないと思うッス」


「分かっている」


リヴァルは通信端末を起動した。


「協力を要請する。常駐ではなく、一任務のスポットだ」


通信が接続されるまで、少し時間がかかった。


画面にノイズが走る。

数秒後、映像が安定した。


映ったのは、ナンディーヌ・ロームだった。


作業着姿。

肩にかけた工具ベルト。


髪は少し雑にまとめられている。

背後には、別シェルターの整備区画らしき設備が見えた。


『ロームです。……おや、リヴァルさん。久しぶりだね』


リヴァルは姿勢を正した。


「突然のご連絡、失礼します。ローム主任。

 お時間をいただいてもよろしいでしょうか」


『その言い方をされると、だいたい面倒な案件だね』


ナンディーヌはそう言ってから、画面の中の一輝に目を向けた。


『その前に確認させて。一輝は、そちらで迷惑をかけていないかい?』


リヴァルは一拍置いた。

そして、真顔で答えた。


「迷惑です」


「リヴァルさん!?」


一輝の声が裏返った。

リヴァルは続ける。


「ただし、有用な迷惑です。そこは誤解のないように補足しておきます」


『ああ、ならいつも通りだね』


「主任まで!?」


一輝がさらに叫ぶ。

ナンディーヌは笑っている。


『作るのは速いけど、後処理が追いつかない子だからね』


「ちゃんとやってるッス!」


「一輝さんが大量の仕事をしてくださるのは本当に助かっています

 助かっていますが資材が動くたびに申請番号が増えます

 部品の種類が増えます危険物扱いの素材と

 通常資材と機密扱いのアーツデバイス部品が同じ搬入口に来るので

 私はその数と種類を承認するために専用の処理プログラムを立ち上げ

 記入データを確認し受領記録を送信し返信された修正要求を再確認し

 さらに倉庫側の在庫表と照合して最後にリヴァルさんの承認欄に流す前の

 整合性チェックをしているんです」


オペレーション室が静まり返った。

フィリアは、無表情だった。


だが、その背後に、

見えない黒いものがゆっくりと立ち上っているように見えた。


イルルが小さく息を呑む。

一輝は固まる。


リオンは、報告中よりもさらに静かになった。

紫乃は口元に手を添えた。


シェスターが、ぽつりと言った。


「フィリア、マナセット、ダークになってねえか?」


フィリアは、はっとした。


「……すみません。処理待ち件数のことを思い出しました」


ナンディーヌは画面の向こうで肩を揺らして笑った。


『ごめんね、フィリアちゃん。こいつ、現場では役に立つんだけどね』


「はい。現場では大変助かっています」


フィリアは丁寧に返した。


「現場では」


「二回言ったッス……」


一輝が肩を落とす。

リヴァルは軽く咳払いをした。


「本題に入ります」


『はいはい。聞こうか』


リヴァルは偵察映像と現地記録を通信へ送った。


「S地点の湖畔で、マギアス軍の放棄施設を発見しました。

 敵影はなく、戦闘跡もありません。

 計画的に撤収された施設と見ています」


ナンディーヌの表情が、仕事の顔に変わった。

画面の向こうで、彼女は受信した映像を別端末へ表示している。


『映像、来たよ。……湖畔施設。半地下。ボート泊場。ケーブル多いね』


「電源系は破壊されていませんが、劣化が激しく起動できません。

 データバンクは破壊済み。

 補助端末は残っています」


『なるほど』


ナンディーヌは映像を次々に切り替える。


『現地の外観、電源系、端末、破損したデータバンク、ケーブルの接続先。

 見える範囲の映像と記録を全部送って。

 必要な物があれば、こっちで用意しておくよ。

 現地に着いてから工具が足りないなんて、時間がもったいないからね』


リヴァルは頷いた。


「助かります。リオンの記録データ、ミス・シノの報告、

 解析班の暫定結果もまとめて送ります」


『それでいい。

 電源を仮復旧するだけなら一輝でもいけるだろうけど、

 軍用ロックと破損データの復元が絡むなら、私が行った方が早い』


一輝が少しだけ背筋を伸ばす。


「主任、お願いしますッス」


『あんたは現地で手を動かすんだよ。一緒に来るんだろ?』


「もちろんッス!」


『なら、工具の確認をしときな。あと申請書も溜めるんじゃないよ』


「うっス!」


フィリアの背後の黒い気配が、わずかに濃くなった。

一輝はすぐに言い直す。


「ちゃんと出すッス!」


ナンディーヌは満足そうに頷いた。


『こっちの都合だけど、一日……正確には一泊くらいなら席を空けられるよ』


リヴァルは丁寧に確認する。


「一泊の拘束になります。問題ありませんか」


『問題あるなら、最初から言ってる』


ナンディーヌは姉御肌の笑みを浮かべた。


『命の恩人の頼みだからね。

 それに、マギアス軍の放棄施設なんて、技術者としても放っておけない』


リヴァルはわずかに頭を下げた。


「ありがとうございます。無理をお願いしている自覚はあります」


『そう思ってるなら、帰りの護衛もちゃんとつけてよ。

 私は強行軍向きじゃないからね』


「承知しています」


リヴァルはリオンを見る。


「リオン」


「はい」


「後日、ローム主任の輸送護衛を頼む。

 念のため、織葉かクリスティナのどちらかを同行させる」


「分かりました。護衛任務として対応します」


リオンははっきりと答えた。

ナンディーヌは画面越しに一輝を見た。


『一輝』


「はいッス!」


『現地映像、先に見ておきな。

 あんたが直せるものと、私が見るものを分けておく。

 現場で迷う時間を減らすよ』


「了解ッス!」


『いい返事』


ナンディーヌはそう言ってから、リヴァルへ視線を戻した。


『データ、待ってる。確認したら必要資材のリストを返すよ』


「お願いします」


『じゃあ、こっちは準備に入る。通信切るよ』


「ご協力、感謝します」


通信が切れた。

画面が暗くなる。


オペレーション室には、少しだけ静けさが戻った。

一輝は大きく息を吐く。


「主任、来てくれるんスね」


「一泊だけだ」


リヴァルは言った。


「時間は限られる。準備で無駄を減らす」


「うっス。俺も資材リスト確認するッス」


フィリアが静かに言った。


「申請書もお願いします」


「すぐ出すッス!」


一輝はほとんど反射で答えた。

シェスターが小さく息を吐く。


「完全に鍛えられてるな」


イルルは少し笑った。

紫乃も目を細める。


「いい主任さんね」


「技術者としては、非常に有能です」


リヴァルは暗くなった通信画面を見る。


「そして、今回はその有能さが必要になる」


中央卓の上には、湖畔の放棄施設が映っている。


破壊されたデータバンク。

起動しない電源。

残されたボート。

湖へ伸びる大量のケーブル。


そこに何が残っているのかは、まだ分からない。

ただ、分からないままにしておけるものではなかった。

リヴァルは映像を閉じず、全員へ向き直った。


「ローム主任の到着までに、こちらで準備できることを終わらせる」


その声で、オペレーション室の空気が再び引き締まった。


翌日。


ナンディーヌ・ロームは、予定時刻より少し早くシェルターに到着した。

搬入口側に輸送車の停止音が響き、

オペレーション室の端末に到着通知が表示される。


リヴァルはそれを確認し、会議室へ向かった。

会議室には、すでにフィリアがいた。


卓上には複数の資料が投影されている。

紫乃とリオンが持ち帰った偵察記録。

湖畔に残された半地下施設の映像。


破壊されたデータバンク。

ボート泊場から湖へ伸びる大量のケーブル。

回収された紙資料の解析結果。


そして、ナンディーヌ側から返ってきた必要機材の分類リスト。

フィリアは端末を操作しながら、ひとつずつ表示を整えていた。


「準備は」


リヴァルが尋ねる。

フィリアは顔を上げた。


「現時点でできる範囲は、すべて終えています。

 偵察映像、現地記録、紙資料の解析結果、一輝さんの仮復旧案、

 ローム主任からの必要機材リスト。

 全て統合済みです」


「紙資料は」


「文章としては、復元できていません」


フィリアが資料を切り替える。

そこに表示されたのは、判読可能だった単語だけだった。


少女型個体。

水性マナ反応。

接触班。

未帰還。


救助行動。

記録欠損。

それらは文ではなかった。


濡れて滲み、端が焼け、破れた紙の上にかろうじて残っていた言葉。


前後は分からない。

主語も分からない。


誰が、何を、どこで、どうしたのか。

そこまでは読めない。


だが、単語だけでも十分に嫌な並びだった。

リヴァルは画面を見つめる。


「少女型個体。水性マナ反応。接触班、未帰還」


「関連していると思いますか」


「可能性は高い。ただし、断定はしない」


リヴァルは即答を避けた。


「紙はデータと違う。

 残っていない部分については、どうやっても確認できない。

 読めた言葉を繋げすぎると、こちらの推測が混ざる」


「はい」


フィリアは小さく頷いた。


「現地で補助端末が起こせれば、照合できるかもしれません」


「そのためのローム主任だ」


リヴァルが言ったところで、会議室の扉が開いた。

最初に入ってきたのはリオンだった。


「輸送護衛、完了しました。道中に異常はありません」


その後ろから、作業着姿の女性が入ってくる。

ナンディーヌ・ローム。

肩から工具ベルトを掛け、片手には硬質ケース。


背には小型の機材箱。

装備は重そうだったが、歩き方は軽い。

会議室に入るなり、ナンディーヌは卓上の資料を見て口元を上げた。


「お邪魔するよ」


リヴァルは一歩前に出る。


「到着を確認しました。協力に感謝します」


「硬いねえ」


ナンディーヌは苦笑する。


「でも、そういうのが嫌いなわけじゃないよ」


リオンはナンディーヌから一歩離れた。


「護衛任務はここまででよろしいですか」


「はい。ご苦労でした」


リヴァルは頷く。


「以降、現地調査には別班を出します。君はシェルター側へ戻ってください」


「分かりました。防衛任務に戻ります」


リオンは短く礼をして、会議室を出ていった。

ナンディーヌはその背をちらりと見送る。


「いい護衛だったよ。余計なことを喋らないし、見るところは見てる」


「優秀です」


リヴァルはそう答え、卓上の資料へ視線を戻した。


「現地調査に入る前に、役割を確定します」


「その前に、一輝は?」


ナンディーヌが聞いた。


「呼んでいます」


フィリアが答えた直後、廊下の向こうから慌ただしい足音が近づいてきた。

扉が開く。


「失礼するッス!」


一輝が飛び込むように入ってきた。

ナンディーヌの姿を見るなり、背筋を伸ばす。


「主任!」


「一輝」


ナンディーヌは腕を組んだ。


「申請書は出したかい」


「出したッス!」


フィリアが端末に目を落とす。


「提出はされています。修正済みです」


「今回は?」


ナンディーヌが聞く。

フィリアは少しだけ間を置いた。


「軽微な記入ミスが二箇所ありました」


「減ったッス!」


一輝はなぜか胸を張った。

シェスターがまだいない会議室で、リヴァルだけが淡々と言う。


「誇るところではない」


「すんませんッス!」


ナンディーヌは呆れたように笑った。


「まあ、出したならいい。現地では書類じゃなく手を動かしてもらうよ」


「うっス!」


一輝は勢いよく頷いた。


「電源系なら任せてほしいッス」


「任せる。けど、勝手には触るな」


「うっス!」


「返事だけで安心できないのが、あんたの厄介なところだね」


「気をつけるッス!」


そこへ、もう一人が会議室へ入ってきた。

翠川紫乃だった。


いつもの柔らかい笑みを浮かべているが、その目はすでに仕事の目をしている。


「遅れてごめんなさいね」


「時間通りです」


リヴァルは答える。

ナンディーヌが顔を上げる。


「ミス・シノか。あんたが来てくれるなら助かるよ」


紫乃は小さく笑った。


「あら、覚えていてくれたのね」


「忘れないよ。私が土の下から戻ってきた時、あんたもそこにいた」


「ええ。無事に戻ってきてくれて、本当によかったわ」


「その言い方をされると、ちょっとむず痒いね」


「今回はローム主任の背中を見ておく役みたい」


「頼もしいね。技術屋は機械と話してる時、背中が留守になる」


「では、その留守番をします」


紫乃は微笑んだ。


「足元と背後と、人の気配。

 そのあたりなら、おばさんの出番もあるでしょう」


「頼もしいね」


ナンディーヌは素直に言った。

リヴァルは卓上の表示を切り替える。


現地調査班。

ナンディーヌ・ローム。

直入 一輝。

ガイ・グランベル。


シェスター・ウェーバー。

イルル・アースフィア。

翠川 紫乃。

その六名の名前が並んだ。


「今回の現地調査班は、この六名です」


リヴァルは説明を始める。


「ローム主任は基地内端末、破損記録、施設用途の確認。

 一輝は仮設電源、作業機材、必要に応じて水上機材の応急整備」


一輝が頷く。


「了解ッス」


「ガイは輸送車の運転、および現地の警戒。

 基地入口と湖岸の両方を見ることになる。

 非常時には、現地判断を優先だ」


ガイは腕を組んで頷いた。

いつの間にか会議室の壁際に立っている。


「分かった。運転と警戒だな」


「加えて、現場の切り替えもだ」


リヴァルは言った。


「調査であっても、場所は危険領域。

 異常があった場合、最初に動くのは君になる可能性が高い」


ガイは低く笑った。


「任せろ。そういう空気は嫌いじゃねえ」


気楽そうに聞こえる。

だが、軽くはない。


リヴァルはそれを確認してから、次へ進む。


「シェスターとイルルは、湖面調査だ。

 輸送車に水上機材を搭載し、現地で降ろす。

 低速でセンサーを走らせ、湖側ケーブルの先に何があるか確認してくれ」


フィリアが補足する。


「速度は必要ありません。

 むしろ、一定速度での走行より、

 低速で範囲をなぞる方が今回の調査には向いています」


イルルは静かに頷いた。


「はい。速度は、まだあまり出せません。でも、水面を読むことはできます」


シェスターが隣に立っている。


「イルルの監督は俺がやる。波が荒れるか、機体が不安定になったら戻す」


「その判断を任せます」


リヴァルは答えた。


「ミス・シノには、ローム主任の近接護衛と現地補助をお願いする」


紫乃は頷く。


「ええ」


「技術判断はローム主任に一任します。

 ミス・シノには、作業中の周辺警戒、気配の変化、敵影、罠、

 人が通った痕跡、退避時の導線確認を見てほしい」


「分かったわ」


紫乃はナンディーヌへ視線を向けた。


「ローム主任が機械に集中できるように、周りを見ておきます」


「本当に助かるよ」


ナンディーヌは硬質ケースを卓上に置いた。


「私は目の前の端末を開けると、どうしてもそっちに意識が寄る。

 危ないものが近づいてきたら、遠慮なく引っ張ってくれていい」


「では遠慮なく」


紫乃は笑った。


「怪しいと思ったら、袖でも腕でも引きますね」


「構わないよ。生きてる技術者じゃないと仕事はできないからね」


一輝が硬質ケースを凝視している。


「主任、それ何が入ってるんスか」


「現場で必要になりそうなもの」


ナンディーヌはケースを開けた。

中には、小型機器が整然と並んでいた。


薄い板状の端末。

筒状の接続具。

黒い布のような遮蔽材。


複数の規格に合わせるための変換器。

透明な部品を収めた小箱。

フィリアには用途が分からない。


だが、一輝だけは露骨に前のめりになった。


「これ、軍用端末用の変換器ッスか」


「近い。正確には、軍用端末にこちらの言葉を聞かせるためのもの」


「詳しく聞いてもいいッスか」


「今はだめ」


「即答ッスね」


「ここで説明していたら、現地に着く前に日が暮れる」


ナンディーヌはひとつずつ中身を確認する。


「いずれ教えてやる。

 でも今は、覚える時間じゃなくて、現場を生かす時間だ」


一輝は真剣な顔で頷いた。


「了解ッス」


「いい返事だ。

 現地ではまず仮設電源。

 主電源を無理に起こす必要はない。

 補助ラインから入って、端末と制御盤の一部だけ起こす」


「うっス。施設全体じゃなく、必要なところだけッスね」


「そう。寝てる化け物を起こさないように、必要な部屋の灯りだけ点ける」


その言い方に、フィリアが少しだけ眉を寄せた。


「化け物、ですか」


「例えだよ」


ナンディーヌは軽く言った。


「でも、放棄された軍用施設に余計な電気を流すのは、

 あまり上品なやり方じゃない。

 壊れてるものが、壊れてる通りに大人しくしてるとは限らないからね」


リヴァルは頷いた。


「安全優先でお願いします」


「分かってる」


ナンディーヌは紙資料の断片表示へ目を移す。


少女型個体。

水性マナ反応。

接触班。

未帰還。


救助行動。

記録欠損。


「この単語の並びは気持ち悪いね」


一輝が画面を見る。


「少女型個体って、マギアス軍の実験体ッスかね」


「可能性のひとつだ」


リヴァルは言った。


「ただし、分からない。

 水性マナ反応という語と並んでいる以上、精霊関連の現象かもしれない」


イルルが、その言葉に少しだけ視線を伏せた。

気づいたのは、シェスターだけだった。


「イルル」


小さく呼ばれて、イルルは顔を上げる。


「はい」


「顔色、悪くねえか」


「大丈夫です」


言ってから、イルルは少しだけしまったという顔をした。

シェスターが眉を寄せる。


「それ、信用しねえ言葉ランキング上位だぞ」


イルルは困ったように微笑む。


「……少し、緊張しています」


「ならそう言え」


「はい」


短いやり取りだった。

けれど、会議室の空気が少しだけ柔らかくなる。

ガイが腕を組んだまま笑う。


「いいじゃねえか。緊張してるなら、気を抜きすぎるよりマシだ」


「緊張しすぎても危ないですけどね」


紫乃が言う。


「水辺は足元も心も取られやすいから」


「経験談ですか」


フィリアが尋ねる。

紫乃は穏やかに笑った。


「おばさん、いろんな場所を歩いてきたの」


その答えだけで、それ以上は言わなかった。

リヴァルは会議を進める。


「現地での流れを確認する。

 到着後、ガイが車両を基地入口近くに停車。

 全員で周辺安全確認。

 問題がなければ、ローム主任、一輝、ミス・シノは基地内部へ。

 ガイは車両と基地入口周辺を見つつ、湖岸側にも注意を払う」


ガイが頷く。


「車はすぐ動かせる向きにしておく」


「頼む」


リヴァルは次の表示へ移る。


「シェスターとイルルは、水上機材を降ろして湖面調査。

 輸送車に搭載した小型機を使います。

 調査範囲はこの区域まで」


湖面の一部が青く囲われる。


「ケーブルが水中へ伸びている方向を優先してください。

 ただし、深追いはしない。

 反応が取れたら戻る」


「分かった」


シェスターが答える。

イルルも頷いた。


「はい。無理はしません」


「無理してる奴ほどそう言う」


シェスターがぼそりと言う。

イルルは少しだけ笑った。


「では、無理をしそうになったら言ってください」


「言う」


「お願いします」


その会話を聞きながら、ナンディーヌが紫乃へ小声で言った。


「若いねえ」


「ええ」


紫乃も小声で返す。


「かわいいでしょう」


「仕事前に油断させるには危ない可愛さだね」


「そこは大人が見ておきましょ」


ナンディーヌは肩をすくめた。


「頼んだよ」


フィリアが各自の端末を同期させる。


「通信は短距離圧縮を基本にします。

 湖面側はノイズが増える可能性があります。

 常時通話ではなく、必要時のみ送受信してください」


「了解ッス」


一輝が答える。


「基地内部の映像は送れる範囲で送ります。

 ローム主任の作業映像は、こちらでも保存しておきます」


「構わないよ」


ナンディーヌが言う。


「ただし、手元を見ても分からないものは分からないからね。

 一輝、あとで映像だけ見て真似しようとするんじゃないよ」


一輝が目を逸らした。


「……しないッス」


「今、間があった」


「しないようにするッス」


「そこは断言しな」


「しないッス!」


ナンディーヌは満足げに頷いた。

リヴァルは全員を見渡す。


「今回の目的は、基地の用途確認と残存情報の取得です。

 戦闘は目的ではありません。

 マギアス軍の残存戦力がいた場合、交戦せず撤退を優先します」


ガイが低く答える。


「分かった」


「ただし、撤退困難な場合は現地判断を認める」


「そこも分かった」


ガイの返答は短い。

だが、その声だけで場が締まる。

調査班の中で、最も早く戦闘へ切り替えられるのはガイだ。


リヴァルは、それを見込んでいる。

紫乃はナンディーヌのケースをちらりと見た。


「ローム主任、それ、おばさんがひとつ持ちましょうか」


「助かるね。こっちの小さい方をお願いできるかい。

 中身は軽いけど、ぶつけると面倒」


「あら。軽いのに面倒なのね」


紫乃はケースを片手で持ち上げ、重さを確かめるように軽く揺らした。


「振らないでおくわ。高そうな音がしないもの」


「実際、高い」


「でしょうね。高いものって、だいたい黙ってるもの」


紫乃はくすりと笑い、ケースを胸元へ抱える。

一輝がぎょっとした顔で身を乗り出した。


「紫乃さん、それマジで気をつけた方がいいッス。

 主任の機材、下手したら自分の月給じゃ――」


「一輝くん」


紫乃はにこりと笑った。


「おばさん、理由もなく物を落とすほど若くないわ」


「若いと落とすんスか!?」


「勢いがあるでしょう?」


「それ、遠回しに自分のこと言われてる気がするッス」


ナンディーヌが肩を揺らして笑う。


「合ってるよ、一輝」


「主任まで!?」


紫乃はケースを抱え直し、ナンディーヌへ視線を流した。


「大丈夫。大事なものほど、優しく持つのは得意なの」


「そこは頼れるね」


ナンディーヌは本気で安心したように言った。


「じゃあ任せるよ、ミス・シノ」


「ええ。ローム主任の背中も、荷物も。まとめて見ておくわ」


一輝は別の機材箱を担ぐ。


「こっちは自分が持つッス」


「重いよ」


「問題ないッス」


「腰を痛める持ち方するんじゃないよ」


「うっス」


ガイが壁から離れ、扉へ向かった。


「車、回してくる」


「お願いします」


リヴァルが言う。

ガイは軽く手を上げて会議室を出た。

その背中を見送り、リヴァルは最終確認を続ける。


「出発は十分後。

 装備確認後、搬入口へ集合。

 現地到着後の判断は、僕と通信が繋がらない場合、

 ガイを中心に現地班で決めてくれ」


シェスターが頷く。


「分かった」


イルルも胸元の端末を確認する。


「通信端末、正常です」


フィリアが画面を見る。


「こちらでも確認しました」


シェスターはイルルの防護ベストへ視線を落とした。


「留め具」


「えっ」


イルルが慌てて確認する。

片側の固定が少し緩い。


シェスターは何も言わず、指で場所を示す。

イルルは顔を赤くしながら留め直した。


「ありがとうございます」


「水上で外れたら面倒だ」


「はい」


紫乃がその様子をにこにこと見ていた。

イルルがそれに気づき、さらに顔を赤くする。


「紫乃さん」


「あら、ごめんなさい。見守っていただけよ」


「見守られると、少し恥ずかしいです」


「慣れてね。おばさん、そういうの得意なの」


シェスターが眉をひそめる。


「何を見守るんだよ」


「いろいろ」


紫乃はそれ以上言わなかった。

ナンディーヌは笑いを噛み殺すように横を向く。


リヴァルは咳払いをした。


「任務前です」


「はいはい」


紫乃は素直に引いた。

会議室の空気が、わずかに和らぐ。


それでも、卓上に残る断片語句だけは消えていない。


少女型個体。

水性マナ反応。

接触班。

未帰還。


救助行動。

記録欠損。

意味にならない言葉。


だが、無関係とは思えない言葉。

ナンディーヌはそれを最後にもう一度見た。


「現地に行けば、もう少し喋ってくれるかもしれないね」


「紙が、ですか」


フィリアが聞く。


「紙じゃない。紙が残した沈黙の方」


ナンディーヌは硬質ケースを閉じる。


「読めない場所には、読めない理由がある。

 水で消えたのか、火で消えたのか、誰かが消したのか。

 それも含めて見に行く」


リヴァルは静かに頷いた。


「お願いします」


「任された」


ナンディーヌは短く答えた。

その声には、技術者としての自負があった。


一輝が機材箱を背負い直す。

紫乃が小型ケースを持つ。


シェスターとイルルは水上装備の確認を終える。

ガイから通信が入った。


『車、回した。いつでも出られる』


フィリアが応答する。


「こちら確認しました。搬入口に集合してください」


『了解』


通信が切れる。

リヴァルは全員を見渡した。


「出発してください」


その一言で、調査班が動き出す。

ナンディーヌが先頭に立ち、一輝がその横に続く。


紫乃は少し後ろ。

ナンディーヌの背中と周囲を見られる位置。

シェスターとイルルは並んで歩く。


少しだけ距離が近い。

だが、誰もそれを指摘しなかった。

会議室を出る直前、イルルが振り返る。


「フィリアさん」


「はい」


「行ってきます」


フィリアは少しだけ表情を和らげた。


「気をつけてください」


「はい」


シェスターも短く言う。


「行ってくる」


リヴァルは頷いた。


「無理はしてくれるなよ」


「分かってる」


シェスターはそう答えて、イルルと共に廊下へ出た。

足音が遠ざかっていく。


会議室に残ったのは、リヴァルとフィリア。

卓上には、湖畔の基地の映像が残っている。


放棄された半地下施設。

水中へ伸びるケーブル。

破壊されたデータバンク。

読めない紙。


読めた単語。

フィリアは画面を見つめた。


「何が残っているんでしょう」


リヴァルは通信席へ移動する。


「分からない」


彼はそう答えた。


「だから、見に行く」


フィリアも補助端末の前に座った。

搬入口から、輸送車のエンジン音が聞こえる。

ガイの運転する車に、現地調査班が乗り込んでいく。


ナンディーヌ。

一輝。

ガイ。

シェスター。


イルル。

紫乃。

調査は、始まろうとしていた。

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