↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
33/57

四章 一話

『続いて、各地の気象情報です』


穏やかな声が、画面の中から流れていた。

朝の情報番組。

その一角にある、天候と闇の霧情報をまとめて伝える時間だった。


画面には、広域地図が表示されている。


安全領域。

警戒領域。

立入制限区域。


そして、闇の霧の流れを示す薄い黒灰色の帯。

それらが、今日の風向きと重ねて映し出されていた。


『本日午前の時点で、南西方面の雲量はやや多く、

 午後から一部地域で弱い雨が予想されています。

 山岳部では風が強まる可能性がありますので、

 移動の際は最新の情報をご確認ください』


天気図が切り替わる。

次に、闇の霧の流動図が表示された。

アナウンサーの声が、わずかに落ち着いたものになる。


『続いて、闇の霧に関する情報です』


画面の右側に、複数の噴出口を示す赤い点が表示される。

そのうち、いくつかの点には機能停止を示す灰色の印が重なっていた。


『リヴァイヴ・プランによる封印解除の進行に伴い、

 一部地域では闇の霧の噴出口が機能を停止したことが確認されています』


地図上の灰色の印が、ゆっくりと点滅する。


『一方で、全体の流れは再び変化しています。

 機能停止した噴出口がある一方、別の地点では噴出量が増加し、

 霧の濃度が上昇している地域も確認されています』


画面が拡大される。

いくつかの地域が黄色で囲まれた。


『特にこちらの地域では、霧の滞留時間が長くなっています。

 また、地盤の緩みや局地的な崩落が報告された地点もあります。

 該当地域にお住まいの方、移動予定のある方は、

 自治体およびリヴァイヴ・プラン関連機関からの案内を

 必ず確認してください』


アナウンサーは、視線をカメラへ戻した。


『封印解除によって改善が見られる地域がある一方で、

 闇の霧全体の動きはいまだ不安定です。

 安全な地域であっても、古い情報だけを頼りに移動することは避け、

 必ず最新の情報をご確認ください』


画面下に、情報確認用の案内が流れる。


気象情報。

闇の霧濃度。

避難ルート。

シェルター受け入れ状況。


その一覧がゆっくりとスクロールしていく。


『では続いて、こちらのコーナーです』


画面が明るく切り替わった。

柔らかな音楽が流れる。

番組ロゴが表示される。

職場の風通し


その文字が、白い背景の上で軽やかに揺れた。


『本日の職場の風通しは、クラリス・パズリアさんにお伝えいただきます』


画面が中継へ切り替わる。

そこに映ったのは、クラリス・パズリアだった。

いつもの番組用の笑顔。


けれど、背景はスタジオではない。

シェルター内の一角。

白い布と手作りの紙花で飾られた控え室の前だった。


遠くから、かすかに人の声と、柔らかな音楽が聞こえている。

クラリスはカメラに向かって微笑んだ。


『皆さん、こんにちは。クラリス・パズリアです』


彼女は少しだけ体を横へ向け、背後の飾りを映す。


『本日の職場の風通しは、

 あるシェルターで行われる結婚式の会場からお届けします』


画面に、シェルター内の小さな式場が映った。


広いとは言えない。

豪華な装飾でもない。


けれど、壁には避難民の子供たちが作った紙花が並び、

通路には白い布が敷かれている。


食堂の長机を組み替えた席。

簡易照明に結ばれたリボン。


誰かが手作りした小さな花飾り。

それらが、精一杯この日を祝おうとしていた。


クラリスは、少しだけ声を柔らかくした。


『闇の霧の影響で、故郷を離れた方がいます。

 予定していた式を延期された方もいます。

 大切な人と離れ離れになった方もいます』


式場の端で、誰かが椅子を並べている。

子供が紙花の位置を直している。


食堂の職員が、小さな菓子を皿へ並べている。


『それでも、人は未来を約束することができます』


クラリスは、控え室の扉へ視線を向けた。


『本日、式を挙げるのは、ミア・ハートさんとカイ・セイルさんです。

 式の後、ミアさんはミア・セイルさんとして、新しい名前を歩み始めます』


その言葉は、画面の前で聞いている者の心に、静かに届いた。


新しい名前。

同じ名前。

同じ未来。


クラリスは少し照れたように笑った。


『実はこのあと、私も祝辞をお願いされています。

 少し緊張していますが、心を込めてお祝いをお伝えしてきますね』


画面は、式場の中へ切り替わる。

小さな拍手が起こっていた。


正面には、ミア・ハートとカイ・セイルが立っている。

ミアは、白い布を重ねて作られた簡素なドレスを着ていた。

新品ではないのかもしれない。


けれど、丁寧に整えられている。

胸元には、小さな紙花。


カイは、少し硬い表情で隣に立っている。

緊張しているのが、画面越しにも分かった。

その前に、クラリスが進み出る。


会場が静かになる。

クラリスは二人へ向き直り、深く一礼した。


『ミア・ハートさん。カイ・セイルさん。

 本日は、本当におめでとうございます』


彼女の声は、番組の進行役の声ではなかった。

祝うための声だった。


『今日からミアさんは、ミア・セイルさんとして、新しい名前を歩まれます』


ミアが、少し照れたように笑う。

カイが、その手をそっと握った。


クラリスは、その手元を見て、穏やかに微笑んだ。


『不安な時代です。

 明日が必ず穏やかだと、誰にも言い切ることはできません。

 予定していた日々が変わってしまうこともあります。

 大切なものを、急に失ってしまうこともあります』


会場の空気が、少しだけ深くなる。

それでもクラリスは、悲しい声にはしなかった。


『それでも今日、ここで、お二人が同じ名前を選び、

 同じ未来へ進もうとしていることは、

 この場所にいる私たちにとって、とても大きな希望です』


ミアの目が潤む。

カイが、握った手に少しだけ力を込めた。


『どうか、お二人のこれからの日々に、あたたかな風が吹きますように』


クラリスは一拍置いた。


『そして、その風が、ここにいる皆さんの明日にも届きますように』


会場に拍手が広がった。

大きな会場ではない。

だが、その拍手は温かかった。


子供たちが、笑顔で紙花を振っている。

食堂の職員が目元を拭っている。


警備担当の職員が、少しだけ顔を背けている。

クラリスも、拍手の中で静かに微笑んでいた。


心から祝福していることが、画面越しにも伝わった。

やがて映像は、再び式場の端へ戻る。


クラリスは少し胸に手を当て、小さく息を吐いた。


『……少し、胸がいっぱいになってしまいました』


彼女は照れたように笑った。


『ここからは、式を支えたシェルターの皆さんにもお話を伺っていきます』


画面は、式の準備を手伝った人々へ移る。


紙花を作った子供たち。

ドレスを縫い直した女性。


食堂で小さな祝い菓子を用意した調理担当。

警備の合間に椅子を並べた職員。

それぞれが、少し照れながらも、嬉しそうに語っていた。


『大変な時だからこそ、こういう日があると、

 みんな少し顔が明るくなるんです』


『ミアさん、ずっと延期してたから。今日できてよかった』


『カイさん、昨日からずっと緊張してたよ』


『名前が同じになるって、やっぱりいいですね。

 ここが仮の場所でも、二人で進む場所になるんだなって』


クラリスはその一つ一つに頷き、丁寧に言葉を返した。


『ここは、もともとお二人の家ではありません』


彼女は式場を見渡す。


『けれど、今日この場所は、お二人の始まりの場所になりました』


画面の中で、ミアとカイが並んでいる。


新郎新婦。

ミア・ハートとカイ・セイル。


これからは、ミア・セイルとカイ・セイル。

その名前が、画面下に表示された。

シェルター結婚式


ミア・セイルさん/カイ・セイルさん

同じ姓が、並んでいた。

その画面を、織葉の部屋で四人が見ていた。


畳の部屋。

大型の映像出力装置。

ちゃぶ台。

茶。


果実羊羹。

正座で構える翠川織葉。

その隣に、翠川紫乃。


反対側に、イルル・アースフィア。

そして、織葉の隣に座ったクリスティナ・アドレメリア。

四人は、静かに画面を見ていた。


普段なら、クラリスの言葉一つ一つに織葉が反応し、

クリスが横から茶々を入れ、紫乃が笑い、イルルが少し戸惑う。

けれど今日は、少しだけ違っていた。


イルルが、画面の中の二人の手元を見つめている。


ミア・セイル。

カイ・セイル。

同じ姓。

同じ未来。


画面の中では、クラリスが笑っている。


『こうした式が、これからも多くの場所で行えるように。

 安心して誰かと未来を約束できる場所が増えるように。

 リヴァイヴ・プランは、そのための活動でもあります』


イルルは、湯呑みを持ったまま、少しだけ動きを止めていた。


クリスは横目でそれを見る。

紫乃も気づいている。

織葉も、当然気づいていた。


恋愛の気配に鈍い者は、この部屋にはいない。

少なくとも、この三人は違う。

画面の中で、クラリスが最後の挨拶をしていた。


『本日の職場の風通しは、

 あるシェルターで行われた結婚式の会場からお届けしました』


彼女は式場を背に、カメラへ向き直る。


『ミアさん、カイさん。どうか、末永くお幸せに』


ミアとカイが、照れながら頭を下げる。

会場から拍手が起こる。


クラリスも、心から嬉しそうに微笑んだ。


『それでは、また次回の職場の風通しでお会いしましょう。

 クラリス・パズリアでした』


番組のコーナーが終わり、画面はスタジオへ戻った。

ニュースキャスターが次の話題へ移っていく。


織葉は湯呑みを置いた。


「さて」


その一言に、イルルが小さく肩を揺らした。


「番組の内容について語り合う時間がまだやで」


織葉は真剣だった。

クラリス番組は、視聴して終わりではない。

内容を振り返り、言葉を噛みしめ、感想を共有するところまでが作法である。


少なくとも、織葉の中ではそうだった。

イルルは湯呑みをそっと置き、少しだけ姿勢を正した。


「私は、これで……」


「え」


織葉の目が丸くなる。


「これで?」


「はい」


イルルは申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみません。今日は少し、用事があって」


織葉は言葉を失った。

番組直後の感想戦を抜ける。


それは、織葉の視聴会においてはなかなか大きな出来事だった。

クリスがにこっと笑い、少し身を乗り出す。


「イルル、今日はあんまりおもしろくなかった?」


「えっ、違います!」


イルルは慌てて首を振った。


「すごく素敵でした。ミアさんとカイさんも、とても幸せそうで……

 クラリスさんの祝辞も、本当に素敵で……」


「じゃあ感想戦しよ?」


クリスの目が、少しだけ悪戯っぽく細まる。

イルルは頬を赤くした。


「それは、その……」


紫乃が、湯呑みを手にしたまま、柔らかく言った。


「イルルちゃんは用事があるから急いでるのよ」


「お母様」


織葉が振り向く。

紫乃は微笑んだまま続けた。


「そうでしょう? イルルちゃん」


イルルは小さく頷いた。


「はい」


声が、ほんの少しだけ小さくなる。


「シェスターさんと、約束がありますので……」


部屋の空気が、ぴたりと止まった。


織葉の背筋が伸びる。

クリスの口元が、ゆるむ。

紫乃の目が、優しく細まる。


イルルは自分で言ってしまったことに気づき、ますます顔を赤くした。


「そ、その、たいしたことではなくて」


「ううん」


紫乃が首を振る。


「すぐに行くといいわ」


「でも」


「駄々をこねる子供たちは、おばさんに任せてね」


織葉が反応した。


「誰が子供ですか」


「私たちですわね」


クリスが即答する。


「クリス」


「だって感想戦したいもん」


「それはそうやけど」


紫乃は笑いながら、イルルへ目を向けた。


「ほら。イルルちゃん、行ってらっしゃい」


イルルは一度、三人を見た。

それから、深く頭を下げる。


「ありがとうございます」


声は小さいが、嬉しそうだった。


「行ってきます」


イルルは立ち上がり、座布団を整え、部屋の扉へ向かう。

扉の前で一度だけ振り返った。


「番組、とても素敵でした。あとで、感想も聞かせてください」


織葉は腕を組んだまま頷いた。


「もちろんや。あとでしっかり語るで」


「はい」


クリスが手を振る。


「シェスターさんによろしくー」


イルルの顔がまた赤くなる。


「は、はい」


紫乃が穏やかに言う。


「気をつけてね」


「はい」


イルルはもう一度頭を下げて、部屋を出ていった。

扉が閉まる。

畳の部屋に、しばらく沈黙が落ちた。


映像出力装置からは、次のニュースの声が流れている。

けれど、三人はもうそれを聞いていなかった。

紫乃が湯呑みを持ち上げる。


「あらあら」


クリスが果実羊羹を一口かじり、にやりと笑った。


「むふー」


織葉は腕を組み、深く頷く。


「うんうん」


その声は、どこか満足げだった。

クリスが織葉を見る。


「おりはー、語り合いの時間は?」


「延期や」


「お、珍しい」


「今はイルルの方が大事やろ」


織葉は真面目に言った。


「クラリス殿の祝辞は、未来を選ぶ者への祝福やった。

 なら、その祝福に背中を押された者を止めるのは野暮や」


クリスは少し驚いたように目を丸くした。

それから、にっと笑う。


「たまにめっちゃいいこと言うじゃん」


「たまにとは何や」


紫乃は楽しそうに目を細めた。


「織葉ちゃんも、ちゃんと分かっているのね」


「当たり前です」


織葉は湯呑みを取る。


「恋路を邪魔するほど無粋ではありません」


「クラリスちゃんの感想戦は邪魔されそうだったけれど?」


紫乃が言うと、織葉は少しだけ目を逸らした。


「それは……別腹です」


クリスが笑った。


「恋とクラリス様、別腹なんだ」


「当然や」


「そこ断言するんだ」


三人の笑い声が、小さく畳の部屋に広がる。

画面の中では、何事もなかったように番組が続いていた。

けれど、部屋にいた三人の関心は、

もう廊下を歩いていったイルルの背中に向いていた。


そしてイルルは、少し早足で廊下を進んでいた。


胸の奥が、まだ温かい。

ミア・セイル。

カイ・セイル。

同じ名前。


同じ未来。

クラリスの祝辞。

未来を選ぶという言葉。


それらが、何度も頭の中で響いている。

イルルは、自分の手を胸元で握った。


約束がある。

本当に、ただの約束だった。


でも今は、その約束に向かって歩いていることが、少しだけ特別に思えた。


シェスターさん。

心の中で、その名前を呼ぶ。


呼んだだけで、足取りが少し早くなった。

イルルは角を曲がり、シェスターのいる場所へ向かった。


オペレーション室の中央には、S地点の立体地図が表示されていた。


青く塗られた水域。

赤く区切られた危険地域。

黄色い警戒線。


そして、薄く脈打つように示された大きなマナ反応。

リヴァルは端末を操作しながら、表示を一つずつ切り替えていた。

フィリアはその横で、解析結果の一覧を確認している。


シェスターは少し離れた場所に立ち、腕を組んで画面を見ていた。


「大きい力が、このS地点に存在しているのは確かだ」


リヴァルが言った。


「反応そのものは、複数回の観測で確認できている。

 市民協力データ、前線調査ログ、固定センサー。

 どれも完全には一致していないけど、異常値は同じ範囲に集まっている」


画面上で、S地点の一部が白く光る。


広い。

あまりにも広い範囲だった。

フィリアは眉を下げた。


「でも、封印核の反応は見つかっていないんですよね」


「そうだ」


リヴァルは別の層を表示した。

地の封印。

風の封印。


過去に観測された封印核のデータが、薄い線で重ねられる。

そこには、強い中心点と、そこへ流れ込むマナの道があった。

けれど、現在のS地点にはそれがない。


「封印核のような強い中心反応が出てこない。

 マナの流れも見えない。

 地や風の時と同じ手順で絞り込めるなら、もう少し進んでいる」


「つまり、何かはある。でも、どこに何があるのか分からない」


シェスターが短くまとめた。


「その通り」


リヴァルは地図を少し引いた。

S地点の全体が映る。

危険地域の表示が増えた。


「問題は、S地点のほとんどが危険地域だということだ。

 マギアス軍の動きも確認されている。

 さらに、地形の半分近くが水辺か湿地帯。

 しらみつぶしにするには、時間がかかりすぎる」


「水ばっかりだもんな」


シェスターは、少しだけ顔をしかめた。


「最近、ほぼ水上バイク乗りっぱなしだ。足腰がかなりキてる」


「それは報告に上がっている」


リヴァルは平然と答えた。


「報告した覚えねえぞ」


「移動後の姿勢、休憩回数、医療区画の湿布消費量から推定した」


「そういうとこだぞ」


フィリアが小さく笑いそうになって、慌てて口元を押さえた。

シェスターはそちらを見た。


「笑うなよ」


「わ、笑ってません」


「今のは笑う直前の顔だ」


「違います」


フィリアは顔をそらした。

リヴァルは画面を閉じずに、次の調査予定を表示する。


「水上探索をシェスター一人に偏らせるのは効率が悪い。

 数日は別のメンバーで地上をメインに捜索する。

 水辺は必要最低限に絞る」


「助かる」


シェスターは素直に言った。


「覚えるやつが増えれば、もっと助かるんだがな」


リヴァルが、そこで少し頭を抱えた。


「誰かが覚えてくれればいいものの、

 最初に志願したフィリアが転覆で溺れかけるなんて……」


フィリアの肩が跳ねた。


「そ、それは」


「初心者にはよくある」


シェスターが言った。

フィリアは少しだけ安心した顔になる。


だが、シェスターは続けた。


「ただ、運動神経がちょっと……なヤツは、特に頻発する」


フィリアの顔が一気に赤くなった。


「ちょっと、なんですか」


「ちょっとだ」


「その間が気になります」


「気にするな」


「気にします!」


フィリアは両手で顔を覆った。


「私、ちゃんと説明を聞いてから乗りました。

 姿勢も、持ち方も、重心も、全部確認しました」


「確認した上で、発進から三秒で横に倒れた」


シェスターが言う。


「三秒ではありません」


リヴァルが端末を見た。


「四・七秒だ」


「記録しないでください!」


フィリアの声が裏返った。

オペレーション室の空気が、少しだけ緩む。


シェスターは、ふっと短く息を吐いた。


「まあ、生きてたならいい」


「アイギスがなければ、機材ごと沈んでいた可能性がある」


リヴァルが言う。


「だから記録しないでください……」


フィリアはまだ赤い顔のまま、端末の陰に隠れるように立った。

その時、オペレーション室の扉から電子音が鳴った。


ロックが解除される。

三人の視線が扉へ向いた。


扉が開き、イルル・アースフィアが姿を見せた。


「失礼します」


イルルは、きちんと一礼してから中へ入ってきた。

その所作は丁寧だった。

けれど、いつもより少しだけ急いで来たようにも見えた。


シェスターが顔を向ける。


「来たか」


「はい」


イルルは小さく頷く。


「お約束の時間でしたので」


フィリアは、さっきまでの赤い顔を忘れたように二人を見た。

リヴァルは端末に視線を戻す。


「水上バイクの訓練だったね」


「はい」


イルルはリヴァルへ向き直った。


「私も、少しでも探索の役に立てればと思います。

 もともと海で仕事をしていたので、水の上で動くことには、

 たぶん慣れている方です」


「それは期待できる」


リヴァルは言った。


「シェスター一人では探索時間にも範囲にも限界がある。

 二人体制にできれば、水域の確認はかなり進む」


「無理はさせません」


イルルが言った。


「シェスターさんも、最近ずっと水上探索が続いていますから」


シェスターが眉を動かす。


「お前が俺の心配するのか」


「はい」


イルルは少しだけ恥ずかしそうにしながらも、まっすぐ頷いた。


「します」


シェスターは言葉に詰まった。


「……そうか」


「はい」


イルルは小さく笑った。

リヴァルは二人を見て、それから地図へ視線を戻した。


「先ほど言った通り、今日から数日は地上調査を別メンバーで進める。

 シェスターとイルルは水上バイクの訓練を優先してほしい。

 訓練結果が安定すれば、次の水域調査で二人体制に移行する」


「了解」


シェスターが短く返す。


「分かりました」


イルルも頷いた。

フィリアは二人を見ながら、少し嬉しそうに言った。


「イルルさんなら、きっとすぐに乗れると思います」


イルルは少し困ったように笑う。


「そうだといいんですが」


「私よりは絶対に大丈夫です」


「フィリアさん?」


「いえ、なんでもありません」


フィリアは自分で言ってから、また少し顔を赤くした。

シェスターはイルルへ視線を向ける。


「行くぞ」


「はい」


イルルはもう一度、リヴァルとフィリアに頭を下げた。


「失礼しました」


シェスターとイルルは、並んで扉へ向かう。

扉が開く。


二人の背中が、オペレーション室から廊下へ出ていく。

イルルはシェスターの少し後ろを歩いていたが、

廊下に出る直前、ほんの少しだけ歩幅を早めた。


シェスターの隣に並ぶ。

シェスターは何も言わなかった。

ただ、歩く速度を少し落とした。


扉が閉まった。

オペレーション室に、静かな電子音だけが残る。

フィリアは閉じた扉を見つめていた。


「随分仲良くなりましたね、あの二人」


その声は、素直な感想だった。

リヴァルは端末を操作し、S地点の水域分布をもう一度表示する。


「悪いことではない」


「はい」


フィリアは頷いた。


「イルルさんも、前よりずっと自然に笑うようになりました」


「関係が深くなることは、力にもなる」


リヴァルは画面を見たまま言った。

フィリアが彼を見る。


リヴァルは少しだけ間を置いた。


「でも、弱点にもなる」


「弱点、ですか?」


フィリアは首をかしげた。


「一般論だよ」


リヴァルはそう言って、地図上の水域を拡大した。

青く広がる水辺の中で、

正体の分からない大きな反応だけが、静かに脈打っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。