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三章 一話

画面の中で、朝の番組らしい明るい音楽が流れていた。


青と白を基調にした背景。

その下に、いつもの表示より少し硬い文字が並ぶ。

闇の霧・流動予測に関するお知らせ


アナウンサーは、正面を向いたまま落ち着いた声で読み上げた。


「闇の霧と気象情報です」


画面が切り替わる。

大陸の広域地図が映し出された。


主要な居住区、移送路、山岳部、谷沿いの旧輸送路。

その上を、薄い灰色の帯が何本も流れている。

闇の霧の分布を示す表示だった。


「以前確認された封印解除以降、

 一部地域で闇の霧の流動方向に継続的な変化が見られています」


地図の一角が拡大される。

灰色の帯が、以前の予測線とは違う方向へ細く分かれていた。


「これまで北東方向へ流れていた低濃度の霧が、

 現在は山岳地帯を回り込むように南側へ流れています。

 また、複数の観測地点で、

 霧の濃度低下と局地的な拡散が同時に確認されています」


画面の端に、観測値のグラフが表示された。


大きな警報色ではない。

けれど、平常表示でもない。


「専門機関によりますと、

 封印解除により地下および地脈を通るマナの圧力分布が変化し、

 それに伴って闇の霧の流れにも影響が出ている可能性があるとのことです」


アナウンサーの声は、淡々としている。

必要以上に不安を煽らない。

けれど、軽く流すこともしない。


「現時点で、主要居住区にただちに危険が及ぶとの情報はありません。

 ただし、これまで安全とされていた移動経路でも、

 時間帯によっては低濃度の霧が流入する可能性があります」


画面に注意事項が並ぶ。

外出前の確認。

警報発令時の屋内退避。

指定外ルートの利用禁止。


移送・搬送業務従事者への最新情報確認。


「移動の際は、必ず最新の霧流動予測をご確認ください。

 特に、山岳部、谷沿いの道路、旧輸送路周辺では、

 予測が短時間で更新される場合があります」


地図が再び広域へ戻る。

灰色の流れは、以前より複雑になっていた。

薄くなった場所もある。


だが、別の方向へ回り込む流れもある。

ひとつの封印が解除されたことで、世界は確かに変わっていた。

それは勝利の結果であると同時に、新しい警戒の始まりでもあった。


「封印解除に伴う闇の霧の変化については、今後も継続して観測が行われます。

 最新情報は、当番組および各地域の公式配信で随時お知らせします。

 今後の放送を定期的にご確認ください」


アナウンサーは一度、資料へ視線を落とした。

そして、表情を少し柔らかくする。


「続いては、現場の風通し、特別企画です」


画面の色が変わった。

硬い地図表示から、青空の映像へ。

風の音が、かすかに入っている。


「クラリス・パズリアさんの思い出の場所を紹介するコーナー。

 今回は、パズリア山の頂上からお届けします」


映像が切り替わった。

そこは、山の頂だった。

鋭く尖った山頂ではない。


山脈の中にありながら、その尾根の一部だけが広く平坦になっている。

風を遮るものはほとんどなく、遠くの山並みが幾重にも重なって見えた。

足元には、低い石の囲いがある。

その内側に、いくつもの石碑が並んでいた。


どれも新しくはない。

しかし、放置されているわけでもなかった。

表面は磨かれ、古い文字の横には、比較的新しく彫り直された名前も見える。


「こちらは、パズリア家が代々守ってきた墓所です」


クラリスの声が入る。

映像の中に、彼女の姿が映った。


今日のクラリスは、番組用の華やかな衣装ではない。

山頂の風に合わせた落ち着いた装いで、髪も軽くまとめている。

彼女は石碑の前に立ち、ゆっくりと振り返った。


「この場所には、およそ五百年前から、

 パズリア家の人々の名前が刻まれてきました」


カメラが、石碑の表面を映す。

風化した文字。


その横に、新しく彫り直された文字。

古いものと新しいものが、同じ石の上で重なっている。


「長い時間の中で、文字が読みにくくなることもあります。

 そういう時は、家の者が記録を確認して、掘り直します。

 昔の名前が消えないように。

 ここにいた人たちが、ちゃんとここにいたと分かるように」


クラリスは、中央にある大きな石へ歩いていく。

他の石碑より少し大きく、丸みを帯びた岩だった。

その表面には、羽の彫り物がある。


片翼のようにも、風を受けて広がる羽根のようにも見える。

彫りは深くない。


何度も風化し、そのたびに掘り直されてきたことが分かる線だった。


「そして、こちらがパズリア家の家紋です」


クラリスは石に手を触れない。

少し離れた位置で、静かに紹介する。


「羽をかたどったものだと伝えられています。

 なぜ羽なのか、はっきりした記録は残っていません。

 ただ、パズリア家では昔から、この羽を大切にしてきました」


カメラが羽の彫り物を映す。

風が吹く。

草が揺れる。


その羽は、石に刻まれているのに、

風の中で少しだけ動いているようにも見えた。


「子どもの頃は、ただ家のしきたりとしてここに来ていました」


クラリスは少し笑う。


「でも、今は違います。

 ここに来ると、私は、自分がどこから来たのかを思い出します。

 今ここに立っている自分が、

 一人でここまで来たわけではないのだと感じます」


映像は、山頂から見える景色へ移る。

遠くに街がある。

そのさらに向こうには、薄い霧の層が見える。


「年に数回、私はここへお参りに来ます。

 仕事の前や、大きな放送の前にも来ることがあります。

 何かをお願いするというより、報告に近いかもしれません」


クラリスは、石碑の並ぶ場所を見た。


「行ってきます、とか。無事に終わりました、とか。

 まだ迷っています、とか」


小さく息を吐く。


「そういうことを、ここで考えます」


風が強く吹いた。

クラリスの髪が揺れる。


彼女は少しだけ目を細め、それからカメラへ向き直る。


「この場所は、観光地ではありません。

 大きな建物も、特別な設備もありません。

 ただ、名前が刻まれていて、羽の印があって、風が吹いている。

 それだけの場所です」


一拍置く。


「でも、私にとっては、とても大切な場所です」


映像がスタジオへ戻る。

アナウンサーが静かに頷いた。


「クラリス・パズリアさんの思い出の場所、

 パズリア山頂の墓所をご紹介しました」


画面下に注意書きが表示される。


「なお、パズリア山頂の墓所は私有地であり、

 また安全管理区域に指定されています。

 一般の方の立ち入り、および参拝はできません。

 現地への訪問はお控えください」


アナウンサーは一度、視線をカメラへ戻す。


「それでは、続いてのニュースです」


画面の音量が下げられた。

休憩スペースに、湯呑みを置く小さな音が響く。

織葉は両手で湯呑みを持ったまま、しばらく画面を見つめていた。


それから、満足そうに茶をすすった。


「……良き放送でした」


ずずず、と小さく音が鳴る。

隣に座っていた紫乃が、楽しそうに目を細めた。


「織葉ちゃん、完全にご満悦ねえ」


「当然です」


織葉は真面目な顔で答える。


「クラリス殿の言葉には、無駄がありません。

 土地への敬意、家への思い、視聴者への配慮。

 いずれも見事でした」


「はいはい」


紫乃は笑いながら自分の湯呑みを持つ。


「そういうところ、昔から変わらないわね」


向かい側の席で、シェスターが少し呆れたように頬杖をついた。


「お前ら、番組見てる時だけ妙に姿勢いいよな」


イルルも画面の余韻を追うように目を細めている。


「でも、素敵でした。ああいう大切な場所があるのって、いいですね」


「うむ」


織葉が頷く。


「イルル殿は分かっておられる」


「いや、別に俺も悪いとは言ってねえだろ」


シェスターが肩をすくめる。


「ただ、朝の番組でそこまで背筋伸ばして見るもんなのかって話だ」


「クラリス殿の放送です」


織葉は即答した。


「ならば当然です」


「説得力あるようで、ただのファン発言なんだよなあ」


紫乃は湯呑みに口をつけながら、小さく笑った。

その時、休憩スペースの横を一輝が通りかかった。


作業用の上着を羽織り、右手には端末を持っている。腰には工具ポーチ。

パイルデバイスは装着していないが、

すぐ取りに行ける位置に置いてあるらしい。

一輝は整備班の班長を見つけると、勢いよく頭を下げた。


「ウッス班長! こっち終わったッス。次はどこの作業ッスか!」


班長は端末を確認してから、困ったように眉を下げた。


「いや、直入。今日の予定はもう終わったんだが……」


「その先の予定はないんスか?」


一輝は真顔で聞き返した。


「ローム主任はひと月分予定立ててたッス!」


班長はさらに困った顔になる。


「ローム主任の基準で動かれると、うちの班が先に壊れるんだよな……」


「ウッス?」


「いや、返事はいいんだが」


班長は端末を何度か操作した。

予定表は、もう空に近い。


本来なら、午後までかけて終わらせるはずだった点検と整理と補修が、

午前のかなり早い段階で終わっている。


原因は分かっている。

直入一輝が、早い。

よく動く。

よく運ぶ。


よく確認する。

そして何より、仕事が終わると次の仕事を探す。

班長はしばらく悩んだ末に、別の予定表を開いた。


「ええっと……じゃあ、搬入口で新しい資材の確認作業を……」


「ウッス! 行って来ますッス!」


一輝は即座に頭を下げ、もう次の通路へ走り出していた。

班長が手を伸ばす。


「あ、いや、確認作業だから走らなくても」


「了解ッス! 早歩きにするッス!」


「そういう問題でもないんだが……」


一輝の姿が通路の向こうへ消える。

班長は端末を見下ろし、深いため息をついた。


「ローム主任、何を仕込んだんだ……」


休憩スペースの席では、シェスターがその様子を見て笑っていた。


「馴染んでるなあ、一輝」


「馴染みすぎじゃないかしら」


紫乃が言う。


「現場の人たち、少し困っているわよ」


「でも、頑張ってます」


イルルは微笑む。


「一輝さん、最近ずっと誰かの手伝いをしていますよね」


「良い心がけです」


織葉は湯呑みを置いた。


「ただ、少々働きすぎにも見えます」


その言葉の直後だった。

休憩スペースの端に、リヴァルが腰を下ろした。

誰も、彼が近づいていたことにすぐ気づかなかった。


リヴァルは片手にカップを持っている。

中身は温かい飲み物らしい。

彼は席に座ると、一口だけ飲んだ。


それから、しばらく動かなかった。

イルルが心配そうに声をかける。


「リヴァルさん、大丈夫ですか。

 ここ最近、疲れがたまってるみたいですけど」


リヴァルは一度置いたカップを、もう一度持ち上げかけた。


そして、やめた。

カップをテーブルに置く。

少し強めの音が鳴った。


「直入一輝……」


低い声だった。


「彼の加入は、成功だったのか、失敗だったのか……」


シェスターが眉を上げる。


「おいおい、何事だよ。アイツよく働いてるじゃないか」


リヴァルは、ゆっくりとシェスターを見上げた。

疲れた目だった。

少しだけ恨めしそうでもあった。


「働きすぎだ」


「働きすぎ」


「ローム主任は一体、何を教育していたんだ」


「工具の使い方じゃねえのか」


「それだけではない」


リヴァルは額に手を当てた。


「いつもの二……いや、四倍も作業が進んでいる。

 現場作業が進むのはいい。

 非常にいい。

 だが、進んだ作業には確認が必要だ。

 整合性確認、資材消費確認、作業ログの照合、

 安全基準との再照合、次工程への影響確認」


彼は言葉を区切った。


「確認する側に、どれだけ負荷がかかるか分かるか?」


シェスターは、分かっていない顔をした。


「ええっと」


「分かっていない顔だね」


「まあ、俺はそういう事務的なのは分からねえけど」


シェスターは立ち上がりかけたリヴァルの肩を、落ち着かせるように押さえた。


「まあまあ。フィリアと分担したら多少マシになるだろ」


リヴァルは無言で、奥の席へ目を向けた。

イルルとシェスターも、つられてそちらを見る。


そこに、フィリアがいた。

奥の席。


端末を前に置いたまま、椅子に座っている。

背もたれに身体を預け、顔は天井へ向いていた。


目は開いている。

だが、焦点は合っていない。

眠っているのか。

気絶しているのか。


それとも、起きたまま意識だけ別の場所へ行っているのか。


誰にも分からなかった。

イルルが小さく息を呑む。


「フィリアさん……?」


フィリアは動かない。

端末の画面には、作業ログ照合済み、再確認待ち、

追加資料要求、資材搬入予定更新、という文字が並んでいた。


シェスターは黙った。

イルルも黙った。


織葉も、湯呑みを持ったまま固まった。

紫乃だけが、少し困ったように笑う。


「これは……ずいぶん頑張ったのねえ」


リヴァルはカップを持ち上げ、今度こそ飲み物を口にした。

そして、力なく言った。


「彼女は一輝の作業報告処理を手伝ってくれていた」


「過去形か」


シェスターが呟く。


「現在は、応答がない」


「それは寝てるんじゃないのか」


「目は開いている」


「じゃあ、何だよ」


「僕が知りたい」


シェスターは、しばらくフィリアを見ていた。

それから、隣のイルルへ視線を向ける。


「イルル」


「はい」


「俺たちもちょっと、オペレーション学ぶか?」


イルルは天井を向いたまま動かないフィリアを見た。

次に、疲れ切ったリヴァルを見る。


最後に、今まさにどこかで新しい資材確認へ向かっている一輝の消えた通路を見る。


「その方がいい気がしてきました……」


リヴァルは深く息を吐いた。


「助かる」


シェスターが苦笑する。


「本気の助かる、だな」


「本気だ」


その時、フィリアの指がぴくりと動いた。

全員が彼女を見る。


フィリアは天井を向いたまま、かすれた声で言った。


「……搬入口の資材確認、入力欄を先に作っておきます……」


イルルが慌てて立ち上がる。


「休んでください!」


シェスターも続く。


「今すぐ休め!」


紫乃が席を立ち、フィリアの端末をそっと閉じた。


「はい、今日はここまで」


フィリアは目を開けたまま、少しだけ首を傾けた。


「ここまで……」


「ここまでよ」


紫乃が優しく言う。


「若い子が働きすぎると、おばさん心配になるの」


フィリアはしばらく考えるように黙った。

それから、ようやく目を閉じる。


「……分かりました」


そのまま、眠った。

休憩スペースに、妙な静けさが落ちる。

リヴァルはカップを両手で包みながら、もう一度ため息をついた。


「直入一輝の加入は、成功だ」


シェスターが笑う。


「お、認めた」


「成功だが、運用体制を見直す必要がある」


「それはまあ、頑張れ」


「君も学ぶんだ」


「……はい」


イルルも小さく頷く。


「私も、少しずつ覚えます」


織葉は再び湯呑みを持ち上げた。


「人が増えれば、役割も増える。良きことです」


「その言葉、今のリヴァルくんには重そうねえ」


紫乃が笑う。

リヴァルは否定しなかった。


ただ、休憩スペースの入口を見る。

一輝が去っていった通路。

その向こうで、また何かの作業が進んでいるはずだった。


封印が解かれ、闇の霧の流れが変わり、世界は少しずつ形を変えている。

その変化の中で、ARKにもまた、新しい日常が生まれていた。


少し速すぎるくらいの速度で。

数日が経っていた。


一輝がARKに加わってから、シェルター内の空気は少し変わった。

人が一人増えた。

ただそれだけなら、変化は小さかったかもしれない。


だが、直入一輝は、ただ増えた一人ではなかった。


よく動く。

よく返事をする。


そして、仕事が終わると次の仕事を探す。

その結果、整備班の予定表は何度も書き換えられ、

資材管理班は確認項目を増やし、

オペレーション室にはいつもより多い作業報告が流れ込んだ。


リヴァルとフィリアは、一度だけ本気で席から動けなくなった。

その反省を踏まえて、作業量と確認工程は見直された。


一輝本人には、緊急時以外の徹夜禁止と、

作業終了後の追加任務は班長経由で確認することが徹底された。

それでも、一輝は今日も元気だった。


「ウッス!」


会議室の入口で、一輝が背筋を伸ばして返事をした。

誰もまだ何も言っていない。


シェスターが椅子にもたれながら笑う。


「入室の返事か、それ」


「ウッス! 会議に遅れないように来たッス!」


「遅れてねえよ。むしろ早い」


「ウッス!」


リオンが端末から目を上げる。


「会議前の返答回数が多いと、議事録音声の整理に影響します」


「す、すんませんッス!」


「謝罪は一回で十分です」


「ウッス!」


「今のでまた一回増えました」


一輝の口が止まった。

イルルが小さく笑い、紫乃は楽しそうに湯呑みを置く。


織葉は背筋を伸ばしたまま、いつものように静かに座っていた。

ガイは腕を組み、会議卓の端で少し眠そうにしている。

フィリアは資料端末を前に、深呼吸をしていた。

以前のように白目をむいて天井を見上げてはいない。


それだけで、イルルは少し安心していた。

会議室の前方に立ったリヴァルが、全員を見渡す。


「始めよう」


その一言で、室内の空気が切り替わった。

一輝も背筋を伸ばす。


リヴァルは端末を操作し、会議卓の中央に立体地図を表示した。


山岳地帯。

谷。

居住区。

前線。


安全領域。

複数の色で塗り分けられた地図の上に、E地点とM地点という記号が浮かぶ。


「まず、状況を共有する」


リヴァルはE地点を指した。


「E地点の封印解除は完了した。

 地の精霊は停止、封印核は消失。

 以降、周辺の闇の霧の流動に変化が確認されている」


地図上の灰色の流れが、別の方向へ動く。


「以前から放送でも共有されている通り、霧の濃度が下がった場所もある。

 一方で、予測と異なる回り込みも増えた。

 封印を解除することは、霧を消すことと同義ではない。

 世界全体の圧力分布が変わる」


ガイが腕を組み直す。


「楽になった場所もあるが、別のとこが面倒になったってことか」


「その認識でいい」


リヴァルは次に、M地点を拡大した。


「次の調査候補はM地点だ」


山脈の一部が拡大される。

E地点よりも広い。


起伏も多く、谷と尾根が複雑に入り組んでいる。

さらに、地図の中には安全領域と前線が細かく混ざっていた。


「フィリア。状況の共有を」


「はい」


フィリアは端末を操作した。

地図に複数の線と点が追加される。


「E地点の封印が解除されましたので、次はM地点です。

 現在、広域軍事レーダーを元に、

 これまでの調査結果をまとめていますが、まだ十分とは言えません」


フィリアの声は落ち着いていた。

ただ、資料を読むだけではない。

自分で整理し、自分で理解した情報を伝えている声だった。


「特にこのエリアは、前線と安全領域が入り交ざっています。

 広域で、起伏も多く、地上からの調査には時間がかかります。

 可能であれば、安全領域については外部へ委託してもいいかもしれません」


リヴァルは頷いた。


「僕としては、可能な限りARK内で解決したい」


その声に、いつもの責任感が滲む。


「けれど、前回のE地点よりも広く、地形も複雑だ。

 安全領域まで全て僕らで確認すれば、前線側の調査が遅れる。

 フィリアの提案通り、委託も考えよう」


リオンが口を開く。


「委託先は世界会議経由ですか」


「そのつもりだ。安全領域は世界会議に声をかける。

 僕らは前線側の調査を主に担当する」


紫乃が地図を眺めながら言った。


「前線側をこちらで受け持つなら、戦闘になる可能性もあるわね」


「ある」


リヴァルは短く答える。


「ただし、今回はすぐに精霊戦へ進むわけではない。

 まずは封印候補地点の特定だ。

 衛星レーダーと広域軍事レーダーで大まかな位置を絞り、

 現地では細かいセンサーで探す。E地点と同じ流れだ」


織葉が静かに頷く。


「では、調査の主力は従来通り、索敵と護衛ですね」


「そうなる」


リヴァルは端末を切り替えた。

地図が消え、代わりに小型の装置が表示される。

掌ほどの円盤。


ただし、以前使った精霊のマナ循環停止装置とは形が少し違う。

側面に短い射出機構がつき、下部にはマウント用の接続部が追加されている。


「次に、装備の更新だ」


ガイが画面を見て眉を上げる。


「また増えたのか」


「増えた」


リヴァルは少しだけ疲れたように言った。


「治療と診断を終えたローム主任から、新しい装置案が送られてきた。

 精霊のマナ循環停止装置に、射出機構を備えたタイプだ」


イルルが目を丸くする。


「もう作ったんですか?」


「試作品だ。だが、実用前提の加工まで済んでいる」


リヴァルは表示を拡大した。


「前回、リオンは再生する精霊体の内部へ飛び込み、

 接続点へ直接装置を打ち込んだ。

 成功したが、危険度は高い。

 そこで、接触せずに打ち込める射出型が提案された」


リオンが画面を見つめる。


「射程は」


「短い。精密射撃用ではない。至近距離から接続点へ撃ち込むための機構だ」


「装着運用は可能ですか」


「それが、可能だ」


リヴァルは少しだけ眉間を押さえた。


「ご丁寧に、レイアーツデバイスとストライカーアーツデバイスの

 フレーム設計まで要求されていた。

 マウントできるように加工済みだ」


フィリアが自分の胸元を見下ろす。


「レイアーツデバイスにも、ですか」


「そうだ」


リヴァルはフィリアを見る。


「今後、君が精霊反応や変質反応の近くで接続点を確認できる可能性がある。

 もちろん、無理に前へ出すための装備ではない。

 だが、選択肢は増やしておく」


フィリアは少し緊張した顔で頷いた。


「分かりました」


「それと、ストライカー側にも装着可能だ。

 リオンは実戦運用の確認をしておいてほしい」


「了解しました」


シェスターが手を上げる。


「俺みたいな飛び道具慣れしてないやつは?」


「模擬弾も用意してある」


リヴァルは即答した。


「飛び道具に慣れていない者は練習しておいてくれ。

 射出型とはいえ、接続点を外せば意味がない」


「まあ、そうなるよな」


「全く」


リヴァルは端末を閉じかけて、少しだけ息を吐いた。


「あのシェルターとかかわってから、次々に情報と装備案が入ってくる。

 どこから説明するべきか分からなくなってくる」


紫乃が穏やかに笑う。


「ナンディちゃん、元気そうで何よりじゃない」


「元気すぎる」


リヴァルは小さく言った。

一輝が嬉しそうに背筋を伸ばす。


「ローム主任は元気ッス!」


「君もだ」


「ウッス!」


「褒めているわけではない」


一輝は真顔で頷いた。


「ウッス!」


リヴァルは一度、目を閉じた。

日頃の疲れの原因が、返事つきで目の前に座っている。


だが、次に目を開けた時には、いつもの指揮官の顔に戻っていた。


「質問は?」


その瞬間、一輝が勢いよく手を上げた。


「失礼しまッス! 質問があります!」


「どうぞ」


「俺、まだ一度もこの調査に出てないッスけど、

 いつ出るのか教えてほしいッス」


会議室が少し静かになった。

一輝の声はまっすぐだった。

不満というより、確認だった。

自分がARKに加わった理由。


自分の出番。

それを、正面から聞いている。

リヴァルは一輝を見た。


「率直に答える」


「ウッス」


「君はフィリアと同じ、ピンポイントで活躍するタイプだ」


一輝が瞬きをする。

フィリアも少しだけ顔を上げた。


リヴァルは続ける。


「君の診断結果は聞いていると思う。マナセット、ラプチャー。

 マナアーツはイグニッション」


一輝は頷く。


「聞いたッス」


「これは確かに優秀だ。

 君は体力も、動体視力も、反射神経も、運動神経も十分なレベルにある。

 パイルデバイスの扱いも高い」


一輝の背筋がさらに伸びる。


「ウッス!」


「ただし、あまりに汎用性に欠ける」


「ウッス……?」


「返事の勢いは落とさなくていい」


「ウッス!」


リヴァルは地図をもう一度表示した。


「調査には、索敵、警戒、護衛、記録、判断、撤退補助、交渉、現地確認など、

 複数の役割がある。君の力は、その全てに向いているわけではない」


一輝は黙って聞いている。


「君の力は、一点を抜くためのものだ。

 道を開ける。

 構造を崩す。

 障害を取り除く。

 必要な時には非常に強力だが、常時前線で振り回すものではない」


リヴァルの声は厳しい。

だが、否定ではなかった。


「だから、日頃の任務では裏方として、

 ローム主任の教えに従ってこのシェルターで活躍してほしい。

 整備、搬送、点検、資材管理。君ができることは多い」


「ウッス」


「そして、君の力が必要になった時」


リヴァルは一輝を見る。


「それが、次の君の出番だ」


一輝はしばらく黙っていた。

それから、大きく頷く。


「ウッス! じゃあ、しっかりお手伝いします!」


「それと」


「ッス!」


「緊急時以外は徹夜禁止だ」


一輝の返事が、一瞬だけ止まった。


「……ウッス」


リヴァルは見逃さなかった。


「ここは、ローム主任のシェルターほど防音性能が高くないポイントもある。

 夜間作業の音が避難民に届く場所もある。

 君が無理をすることも問題だが、避難民に影響が出るのが一番問題だ」


「ウッス! 気を付けます!」


「約束できるね?」


「ウッス!」


「約束できるね?」


一輝は少しだけ視線を逸らした。

シェスターが横で笑いをこらえる。


イルルは心配そうに見ている。

紫乃は微笑んだまま、何も言わない。


リヴァルは待った。

一輝はゆっくり正面を向く。


「……ッス。約束します」


「よろしい」


リヴァルはようやく頷いた。


「他に質問は?」


誰も手を上げなかった。

ガイは大きく伸びをし、織葉は資料へ視線を落としている。

リオンは新装置の仕様をすでに読み始めていた。

フィリアはM地点の地図を見ながら、次に必要な資料を頭の中で整理している。


リヴァルは全員を見渡した。


「質問は以上だね」


会議卓の中央に、M地点の地図が再び表示される。


「では、次の調査の前に、

 僕はオンライン会議で安全領域の調査委託を提言してみる。

 世界会議側がどこまで人員と機材を出せるか確認する」


彼は端末を閉じた。


「皆は調査に出る前提で、準備と休息を取ってほしい。

 装備更新の確認、模擬弾での練習、センサー調整。

 やることは多いが、無理に詰め込む必要はない」


一輝がまた返事をしようとして、口を押さえた。

リヴァルがそれを見る。


「返事はしていい」


「ウッス!」


会議室に、小さな笑いが起きた。

リヴァルは少しだけ肩の力を抜いた。


「では、会議を終了する」


そう言って、彼は端末を閉じた。


次の封印候補、M地点。

新しい装置。

広がる調査範囲。


そして、まだ出番を待つ切り札。

会議室の空気は、静かに次の任務へ向かって動き始めていた。

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