二章 九話
医療区画へ運ばれる間、ナンディーヌはずっと文句を言っていた。
「自分のシェルターで担架に乗せられる日が来るとはねえ」
その声はまだ弱い。
けれど、言う内容だけはいつものナンディーヌだった。
搬送用の自走担架が静かに通路を進む。
左右には小型の医療オートマトンが並走し、
天井からは誘導灯が青白い線を作っていた。
一輝は担架の横を歩いている。
何度も何度もナンディーヌの顔を見て、そのたびに視線を戻す。
「主任、痛いところとか」
「腹に変な杭が刺さってる以外は、まあ最悪ってほどでもないよ」
「最悪じゃないんスか、それ」
「生きてるからね」
ナンディーヌはそう言って、少しだけ笑った。
一輝は何も返せなかった。
医療区画に入ると、
待機していた医療スタッフとオートマトンがすぐに処置へ移った。
ナンディーヌは診察台へ移される。
リオンの上着は一度外され、代わりに医療用の薄い保護布がかけられた。
リオンはその上着を受け取ると、何事もなかったように腕にかける。
イルルは治療補助のためにそばへ残り、
シェスターは入口近くで邪魔にならない位置に立つ。
紫乃は一輝の隣に立っていた。
一輝は医療スタッフの動きを見ている。
自分が何かできるわけではない。
それが分かっているから、余計に手が落ち着かなかった。
『ローム主任。こちらでも生体反応を確認しています』
通信越しにリヴァルの声が響いた。
医療区画の端末に、オペレーション室からの解析画面が表示される。
フィリアの声も入った。
『生命反応、安定。マナ循環も落ち着いています。
精霊反応は検出されていません』
「そりゃよかった」
ナンディーヌは診察台に横になったまま、
腹部の杭状機構を見下ろそうとして顔をしかめた。
「で、こいつは抜いていいんだろうね」
『封印解除は完了しています』
リヴァルが答える。
『循環停止状態を維持する必要はなくなりました。
医療スタッフとこちらの手順確認が取れ次第、取り外します』
「助かるよ。腹に工具が刺さってるのは落ち着かなくてね」
『工具ではありません』
「似たようなもんだろう」
『違います』
ナンディーヌはかすかに笑った。
「そういうところ、真面目だねえ」
医療スタッフが処置の準備を進める。
腹部に残っていた杭状の機構は、
ナンディーヌの身体に深く食い込んでいるように見えた。
だが、周辺の皮膚には目立った裂傷はない。
マナによって接続点だけへ沈み込んでいたものらしく、
見た目ほど出血もなかった。
それでも、一輝は息を止めていた。
「一輝」
ナンディーヌが呼ぶ。
「はいッス」
「そんな顔するんじゃないよ。こっちまで痛くなりそうだ」
「でも」
「でもじゃない。あんたが百パーで抜いたから、
私は今ここで文句を言えてるんだ」
一輝は唇を噛んだ。
「……ウッス」
「いい返事」
医療スタッフが頷く。
端末に表示されたリヴァルの確認表示が、緑へ変わった。
『取り外しを許可します』
処置が始まった。
小型の医療アームが腹部の機構へ細い器具を伸ばす。
杭状の機構が、内部から光を失っていく。
接続に使われていたマナの糸が一本ずつほどけ、
やがて、機構そのものが浅く浮き上がった。
ナンディーヌが小さく息を吐く。
「おっと」
「痛みますか」
医療スタッフが尋ねる。
「痛いっていうより、変な感じだね。
内側に引っかけてたフックを外されたみたいだ」
『取り外し完了』
フィリアの声が、安堵を含んで響いた。
『残留精霊反応なし。腹部マナ循環、正常範囲に戻っています』
リヴァルも短く告げる。
『後遺反応の確認のため、しばらく経過観察をお願いします』
「はいはい。患者は大人しくしてますよ」
「今の言い方、絶対に大人しくしない人の言い方ですね」
イルルが小さく言う。
ナンディーヌは目だけでイルルを見た。
「バレたかい」
「バレます」
そのやり取りに、少しだけ空気が緩んだ。
シェスターが肩の力を抜く。
紫乃は一輝の背を軽く叩いた。
「ほら。ちゃんと戻ってきたでしょう」
一輝は、ただ頷いた。
診察が一段落した後、ナンディーヌはしばらく医療区画に残ることになった。
本人はすぐに起きようとしたが、
医療スタッフとイルルと紫乃の三方向から止められた。
「三人がかりはずるくないかい」
「患者さんは大人しくしてください」
イルルが言う。
「若い子に正論で止められる日が来るとはね」
ナンディーヌは観念したように息を吐いた。
それから一輝を見る。
「一輝。あんたは先に広間へ行ってな」
「でも」
「でもじゃない。
エドガーさんが待ってるだろうし、
あんたまでここで突っ立ってても医療スタッフの邪魔だ」
「……ウッス」
一輝は渋々頷いた。
「すぐ来るよ。服くらいは着させてもらってからね」
「私服ですか」
シェスターが何気なく聞く。
「作業服はほとんど持っていかれたからねえ」
ナンディーヌは笑った。
「あの岩トカゲ、服の弁償はしてくれないだろうし」
中央広間へ戻ると、そこには戦いの緊張とは違う静けさがあった。
大きな空間には、数名の避難民が座っていた。
昨日移送されてきた者たちだ。
全員ではない。
休んでいる者もいる。
居住区に戻っている者もいる。
けれど、何人かは中央広間の椅子に座り、
ARKのメンバーが戻ってくるのを待っていた。
エドガー・ロウウェルは、その中央で立っていた。
いつものように背筋を伸ばし、しかし表情には深い安堵がある。
「皆さま」
エドガーは一礼した。
「ご無事で何よりです」
リオンが先に答える。
「封印解除は完了しました。ローム主任も救助済みです。
現在、医療区画で診察を受けています」
「報告は受けております」
エドガーは頷いた。
「ですが、皆さまのお顔を見て、ようやく実感できました」
彼の視線が一輝へ向く。
「直入くん」
「は、はいッス!」
一輝は反射的に背筋を伸ばす。
「よく、戻ってきました」
その言葉は短かった。
だが、一輝の胸には強く響いた。
「……ウッス」
エドガーは続ける。
「そして、ローム主任を救ってくれてありがとう」
一輝は目を見開いた。
「俺だけじゃないッス! 俺は、みんなに運んでもらって、それで……」
「ええ。皆さまの力があったからこそです」
エドガーは穏やかに言う。
「それでも、君の一撃が道を開いたことも事実です。
そこは、受け取っておきなさい」
一輝は言葉に詰まる。
シェスターが横から軽く肩を叩いた。
「褒められてる時は、ありがとうございます、でいいんだよ」
「そ、そうなんスか」
「たぶんな」
リオンが静かに補足する。
「一般的には、その対応で問題ありません」
一輝はぎこちなく頭を下げた。
「あ、ありがとうございますッス」
エドガーは嬉しそうに頷いた。
避難民の一人が、そっと手を叩いた。
それにつられるように、別の者も手を叩く。
大きな拍手ではない。
広間全体を満たすほどでもない。
けれど、小さく、確かに、温かい拍手だった。
一輝は困ったように肩をすくめた。
「いや、あの、そんな」
「受け取りなさい、直入くん」
紫乃が言う。
「こういう時は、照れている方が長引くわよ」
「うッス……」
イルルが小さく笑った。
「本当に、ありがとうございました」
一輝はさらに困った顔になる。
「イルルさんまで」
「だって、助けたんです。ナンディさんを」
一輝は何かを言おうとして、やめた。
そして、少しだけ頭を下げた。
「……ウッス」
しばらくして、広間の入口に人影が現れた。
ナンディーヌだった。
作業服ではない。
いつものタンクトップと作業ズボンではなく、
ゆったりした上着と柔らかいパンツ。
髪も軽く整えられていて、頭にゴーグルはない。
それだけで、普段の整備主任とは少し違って見えた。
それでも、歩き方はナンディーヌだった。
少しふらついてはいるが、背筋は伸びている。
「おや」
エドガーが目を細める。
「もう歩いてよろしいのですか」
「医療スタッフには止められたよ」
ナンディーヌは悪びれずに言う。
「なので、ゆっくり歩いてきた」
「それは許可ではなく抜け道では?」
「現場じゃ抜け道も道のうちさ」
イルルがすぐに近づく。
「ナンディさん、無理は駄目です」
「分かってるよ。無茶はしない。今はね」
「今は、も禁止です」
「厳しいねえ」
ナンディーヌは笑いながらも、近くの椅子に座った。
一輝が駆け寄る。
「主任」
「おう。一輝」
ナンディーヌは一輝を見上げた。
その目には、いつもの現場の厳しさと、少し違う柔らかさがあった。
「よくやった」
一輝は固まった。
「……ウッス」
「声が小さい」
「ウッス!」
「よし」
ナンディーヌは満足そうに頷く。
それから、リオンたちへ視線を向けた。
「それで、ひとつ相談があるんだ」
エドガーが静かに聞く。
「何でしょう」
ナンディーヌは一輝を指差した。
「こいつ、ARKでしごいてやってくれないかい」
一輝の目が丸くなる。
「主任!?」
シェスターも少し驚いた顔をした。
イルルは一輝とナンディーヌを交互に見る。
リオンは黙っている。
紫乃だけは、少し前から予想していたように微笑んだ。
ナンディーヌは続ける。
「このシェルターで働くには、十分よくやってる。
工具の扱いも、根性もある。
けどね、一輝はまだ、ここの現場しか知らない」
「俺は、ここで主任の手伝いを」
「できるよ」
ナンディーヌは一輝の言葉を遮った。
「できる。だからこそだ」
一輝は口を閉じる。
ナンディーヌの声は、いつもの雑な軽さではなかった。
「できない子を外へ出せとは言わない。
できるから、外を見てこいって言ってるんだよ」
「でも、シェルターの仕事は」
「仕事ならある。人もいる。機械もいる。エドガーさんもいる」
「でも!」
「一輝」
ナンディーヌの声が少しだけ強くなった。
一輝の背筋が伸びる。
「今日、あんたは私を助けた。ここにいる人たちと一緒に、精霊を止めた」
「俺だけじゃ」
「もちろん、あんただけじゃない」
ナンディーヌは頷く。
「だから、いいんだよ。
ひとりで何でもするんじゃない。
誰かと組んで、誰かに助けられて、誰かを助ける。
そのやり方を、もっと見てこい」
一輝は何も言えなかった。
ナンディーヌは少し笑う。
「戻ってくる場所があるやつは、外で強くなれる」
その言葉に、一輝の顔が揺れた。
エドガーが静かに口を開く。
「直入くん」
「はい……ッス」
「ローム主任の言葉に、私も賛成です」
一輝がエドガーを見る。
「あなたはこのシェルターにとって、大切な若い力です。
だからこそ、ここだけに留めるべきではないと感じています」
エドガーはゆっくりと言う。
「外を知り、仲間を知り、自分の力の使い方を広げてくる。
それは、いつかこの場所を守る力にもなるでしょう」
「でも、俺が行ったら」
「ここは、あなたが帰ってくる場所です」
エドガーの声は穏やかだった。
「帰る場所があることは、旅立たない理由ではありません。
むしろ、旅立てる理由です」
一輝は視線を落とした。
手を見る。
パイルデバイスを握っていた手。
ナンディーヌを助けるために、百パーセントを出した手。
今も少し震えている。
リヴァルの声が、通信から入った。
『直入一輝』
「は、はいッス!」
『ARKとしては、君の同行を受け入れる用意がある』
一輝は息を止めた。
『ただし、これは徴用ではない。君自身が選ぶことだ』
ナンディーヌも、エドガーも、何も言わない。
シェスターも、イルルも、リオンも、紫乃も、一輝を急かさなかった。
広間にいた避難民たちも、静かに見ている。
一輝は、ナンディーヌを見た。
「主任」
「何だい」
「俺、行ってもいいんスか」
「だから行けって言ってるんだよ」
「でも、俺がいなくても」
「寂しいかって?」
一輝は黙った。
ナンディーヌは笑う。
「寂しいよ」
一輝の顔が上がる。
ナンディーヌは、当たり前のように言った。
「当たり前だろ。
手間のかかる若いのが一人いなくなるんだ。
現場は静かになるし、張り合いも減る」
「主任……」
「でも、それでいい」
ナンディーヌは真っ直ぐ一輝を見る。
「寂しいから行くな、なんて言う主任にはなりたくないんでね」
一輝の目に、涙が浮かんだ。
彼は何度か瞬きをして、それをこらえようとする。
こらえきれなかった。
「俺……」
「うん」
「もっと、ちゃんと使えるようになりたいッス」
「うん」
「工具も、パイルも、自分の身体も、ちゃんと」
「うん」
「誰かを助けられるように、なりたいッス」
ナンディーヌは頷いた。
「なら、行ってきな」
一輝は深く頭を下げた。
「直入一輝」
声が震えていた。
けれど、言葉ははっきりしていた。
「ARKに同行させていただきますッス!」
リヴァルの声が、通信越しに返る。
『了解した。直入一輝を、ARK協力戦力として登録する』
シェスターが笑う。
「ようこそ、って言えばいいのか?」
イルルが頷く。
「よろしくお願いします、一輝さん」
「よ、よろしくお願いしますッス!」
リオンが静かに言う。
「パイルデバイス運用について、後ほど基礎情報を共有してください」
「え、いきなり仕事ッスか」
「必要事項です」
紫乃が楽しそうに笑った。
「大丈夫よ。リオンくんは歓迎も仕事も同じ顔でするだけだから」
「それ、大丈夫なんスか」
「たぶんね」
ナンディーヌは椅子にもたれながら、満足そうに息を吐いた。
「しごいてやってくれよ。遠慮はいらない」
一輝が慌てる。
「いや、遠慮は少し欲しいッス!」
「駄目だね」
ナンディーヌは笑った。
「分かんない時は百パーセントだ」
一輝は目を丸くした。
それから、少し泣きそうな顔で笑った。
「ウッス!」
中央広間の空気が、少しだけ明るくなった。
封印は解かれた。
精霊は止まった。
人柱は救われた。
そして一人の若い作業員が、帰る場所を持ったまま、
新しい現場へ向かうことを決めた。




