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二章 六話

翌朝。


オペレーション室での会議が始まる前に、リオンは訓練室へ呼ばれていた。

訓練室には、いつもより人が多い。


リヴァルのほかに、整備班と技術班の数名が並んでいる。

全員、姿勢こそ保っているが、目元に疲労が残っていた。

端末を抱えた技術者の一人は、立ったまま眠りかけて、

隣の整備班員に肘で小突かれている。

リオンはそれを見て、すぐに事情を察した。


「徹夜作業ですか」


「必要だった」


リヴァルが答える。

整備班の主任が小さく咳払いをした。


「必要だった、で一晩作業が発生するのは主任の悪い癖です」


「標準にはしない」


「本当ですね」


「必要なら例外はある」


「それを標準化と言います」


リヴァルは答えなかった。

その代わり、訓練室中央のケースを開く。

中には、二丁のハンドガン型アーツデバイスが収められていた。


黒と銀を基調にした小型のフレーム。

銃身は一般的なハンドガンアーツデバイスよりわずかに長く、

下部にはワイヤー射出機構が組み込まれている。

グリップから後部にかけて、淡い白のラインが走っていた。

リオンはケースの前に立つ。


「これは」


「ストライカーアーツデバイス」


リヴァルは言った。


「ハンドガンアーツデバイスと、

 ワイヤーアーツデバイスの一体運用を目的にした二丁装備だ」


リオンの視線が、二丁の装備を正確に追う。


「私用ですか」


「そうだ」


リヴァルは端末を操作し、構造図を表示する。


「外殻と基本フレームは既存のガンアーツデバイスをベースにしている。

 だから信頼性は高い。

 完全に一から作ったわけじゃない」


整備班の主任が補足する。


「既存品のカスタムです。

 フレーム強度、トリガー機構、基本安全装置は実績のあるものを使っています」


「ただし内部のマナ応答層は、昨日の解析データを元に再調整した」


リヴァルは白いラインの部分を指す。


「あの純正ルクヴォイド合金片を直接加工したわけじゃない。

 あれは旧時代遺物として保管する。

 これは、レプリカルクヴォイド合金の応答を、

 君のマナに合わせて調整したものだ」


リオンは一瞬だけ沈黙した。


「昨日の解析から、ここまでを一晩で」


「基礎技術はすでにあった」


技術班の一人が、目元を押さえながら小声で言う。


「基礎技術はあっても、普通は一晩でやりません」


リヴァルはやはり答えなかった。

リオンはケースの中の二丁へ視線を戻す。


「精霊戦に、ガンアーツデバイスが有効とは考えづらいですが」


「その通り」


リヴァルは即答した。


「通常のガンアーツデバイスなら、効果的な場面は考えにくい。

 だけど、これはレイアーツデバイスと同じだ。

 弾を撃つ装備じゃない。

 マナアーツを発生させる機構として設計している」


「マナアーツを」


「君のマナセットに合わせるなら、あえて名づけるとこうなる」


リヴァルは画面に短い文字列を表示した。

マナアーツ:アイス・バレット。


「氷弾ですか」


「そうだ。君のブリザードは強力だ。だけど、大掛かりすぎる」


リヴァルは続ける。


「周囲を凍らせる。氷柱を飛ばす。広範囲を氷結させる。

 マナの訓練を受けている君なら身体への負荷は抑えられるだろうけど、

 視覚的にも、戦術的にも派手すぎる」


リオンは否定しなかった。


「救助や精密任務には不向きです」


「その欠点を補うための装備だ。

 これなら通常のガンアーツのように、銃弾としてマナアーツ攻撃ができる。

 対象だけを凍らせる。

 撃ち抜く。止める。

 君のマナセットを、小さく、速く、正確に使うための形だ」


リオンは二丁の装備を見た。


「派生は」


「アイス・バレット以上の派生は、君自身で見つけてほしい」


リヴァルはそう言った。


「僕が用意できるのは、入口までだ」


リオンは静かに頷く。


「拝借します」


「試して」


リオンは両手で二丁を取った。

重量確認。

グリップ確認。


トリガーの遊び、照準補助、ワイヤー射出部、マナ入力の応答。

そのすべてを、言葉にせず、数秒で確かめる。

訓練室の奥に、複数の標的が展開された。


人型。

円盤型。

移動型。

リオンは一歩前に出た。


両腕が自然に上がる。

構えに無駄がない。


次の瞬間、短い駆動音が響いた。

銃声ではない。

圧縮されたマナが、鋭く解放される音。


右手のストライカーから放たれた氷弾が、

正面の人型ターゲットの胸部を撃ち抜く。

標的の表面に白い霜が走り、続く二発目で胸部装甲が砕け散った。

左手の銃口が、別方向の円盤標的へ向く。

一発。


氷弾が円盤の中心を貫き、回転軸を凍結させる。

標的が動きを止めた直後、右手の二発目が外周を割った。

移動型ターゲットが横へ走る。


リオンの左手からワイヤーが射出された。

ワイヤーはターゲットの脚部に絡み、軌道をわずかに引きずる。

姿勢が崩れた瞬間、右手のストライカーが氷弾を撃ち込んだ。


凍結。

破砕。


さらに背後から出現した小型標的へ、リオンは振り返らずに左手だけを向ける。

一発。

氷弾は標的の中央を貫き、床へ落ちる前に標的を粉砕した。


訓練室に、砕けた標的の破片が降る。

だが、周囲は凍っていない。


床にも、壁にも、広範囲の霜はない。

標的だけが、正確に凍り、砕かれていた。


整備班の一人が、思わず呟いた。


「初見でそこまでやります?」


リヴァルは静かに答える。


「だからリオンに渡した」


リオンは二丁を下ろす。

マナ残量、反動、ワイヤー巻き戻し、発射応答。

すべてを確認してから、彼は振り返った。


「動作良好。マナ応答に遅延なし。

 ワイヤー射出とアイス・バレットの同時運用も可能です」


「さすが訓練されているだけはあるね。すぐに使いこなすとは」


リヴァルが言う。

リオンは姿勢を正した。


「主任や開発、整備の方々が完璧な物を作成された賜物です」


整備班の数名が、疲れた顔のまま少しだけ笑った。

技術班の一人は、小さく拳を握っていた。


リヴァルは首を横に振る。


「装備が完璧でも、扱う側が未熟ならこうはならない」


「では、双方の成果です」


「それなら異論はない」


リオンはストライカーアーツデバイスを再び見た。


二丁の銃。

ワイヤー。

氷弾。


自分のブリザードよりも、ずっと小さく、速く、静かな氷。

だが、弱くはない。

むしろ、任務によってはこちらの方がはるかに扱いやすい。


「この装備の量産は」


リオンが言いかけると、リヴァルはすぐに首を横に振った。


「できない」


「理由は」


「これは君が、あの純正ルクヴォイド合金片の解析に立ち会ったからすぐにできた」


リヴァルは訓練室の端末に、昨日の波形データを表示する。


「本来なら、使用者のマナ、装備構造、レプリカ合金の成分、

 応答層の厚み、内部配列。

 全部を一つずつ合わせる必要がある」


整備班の主任が深く頷いた。


「普通は何週間も試験します。下手すれば月単位です」


「でも、あの破片は君のマナに対して、正解に近い反応を返していた」


リヴァルはリオンを見る。


「それを参照体にできたから、調整工程を大幅に飛ばせた。

 簡単にこのガンアーツを作れるわけじゃない」


「了解しました」


リオンは即座に納得した。


「本装備は、現時点では私専用と認識します」


「その認識でいい」


リヴァルは整備班へ視線を向ける。


「ただし、運用ログは取る。将来的に他の装備へ応用できる可能性はある」


整備班の主任が苦笑した。


「将来的に、でお願いします。今日もう一丁と言われたら倒れます」


「今日は言わない」


「今日は」


「会議がある」


「会議のあとも言わないでください」


リヴァルは少し考えた。


「努力する」


「そこは断言してください」


リオンは二丁をホルスターに収めた。

まだ正式な携行用調整は終わっていないのだろう。

ホルスターも急造だが、固定は確かだった。


訓練室の扉が開き、会議開始を知らせる通知が入る。

リヴァルは端末を閉じた。


「時間だ。オペレーション室へ向かう」


「了解」


リオンは一度、整備班と技術班へ向き直った。


「開発、整備に携わった皆様へ感謝します。任務で必ず活用します」


整備班の主任は、疲れた顔のまま笑った。


「壊さないでくださいね」


「可能な限り」


「そこは断言してほしかったです」


リオンは真面目な顔で答える。


「任務上、断言はできません」


整備班の数名が苦笑した。

リヴァルはそれを見て、わずかに表情を緩める。


そして、先に扉へ向かった。

リオンはその後に続く。


腰には、新しい二丁のストライカーアーツデバイス。

昨日、旧時代から届いた白い破片が、今朝には現代の装備を変えていた。

次に向かうのは、封印の場所。


そして、まだ誰も見たことのない精霊戦。

リオンは歩きながら、静かに両手の感覚を確かめた。


氷は、もう吹雪だけではない。

一発の弾丸にもなれる。


リオンが訓練室からオペレーション室へ入ると、すでに会議の準備は整っていた。

中央の立体表示には、岩盤に囲まれた四角い空間が映し出されている。


崩れた壁。

円錐状の穴。

無数のへこみとクレーター。


そして、その下に重ねられたマナ反応の分布図。

昨日まで候補地点と呼ばれていた場所は、今はもう候補ではなかった。


リヴァルは中央端末の前に立ち、全員が揃うのを待っていた。

フィリア、ガイ、織葉、シェスター、イルル、紫乃。

それぞれが席につき、リオンが最後に壁際へ立つ。


腰には、先ほど受け取ったばかりの二丁のストライカーアーツデバイスがある。

ガイが目ざとくそれに気づいた。


「おいリオン。それ、新しいやつか」


「はい。ストライカーアーツデバイスです」


「もう持ってんのかよ。昨日の今日だぞ」


「動作試験は完了しています」


「早えな」


「主任、開発班、整備班の成果です」


リヴァルは端末を操作しながら言った。


「それと、リオンの練度だ」


リオンは何も返さなかったが、姿勢だけがわずかに正された。

リヴァルは全員を見回す。


「これから、封印解除に向かうメンバーを発表する」


部屋の空気が引き締まった。

中央表示に、封印解除装置と、精霊のマナ循環停止装置が並ぶ。

球体型の封印解除装置。


掌ほどの円盤型の循環停止装置。


「昨日説明した通り、次の任務は調査ではない。

 封印を解除し、顕現する精霊への対応を行う」


リヴァルは最初に、リオンを見た。


「まず、リオン」


「はい」


「君は参加してもらう」


その言葉は、志願を待つものではなかった。

最初から決まっていた、という声だった。

リオンも驚かなかった。


「了解しました」


ガイが腕を組む。


「リオン確定か」


「確定だ」


リヴァルは頷いた。


「新装備の汎用性が高い。

 ストライカーアーツデバイスは、ワイヤーによる拘束と移動、

 そしてアイス・バレットによる精密干渉を両立できる」


表示に、訓練室での試射ログが短く出る。

氷弾がターゲットだけを凍らせ、砕く映像。


「それに、リオンのブリザードは強力だ。

 あの空間なら、ほぼ全域へ影響を出せる」


リオンは静かに聞いている。


「戦闘エリアは確定している。

 岩盤に囲まれた閉鎖空間だ。

 そこで戦闘になっても、撤退になっても、リオンがいれば選べる手段が増える」


「承知しました」


リオンは短く答えた。


「任務を遂行します」


「それと」


リヴァルは少しだけ声を落とす。


「封印解除装置は、君に持ってもらう」


フィリアが目を上げた。

球体型の封印解除装置が、中央表示で拡大される。


「循環停止装置は前線全員に配備する。

 ただし、封印解除装置は一つだ。

 設置位置の判断、起動後の離脱、周辺制圧。

 そのすべてを考えると、今回はリオンが持つのが最も安定する」


「了解しました」


リオンは一切ためらわなかった。


「解除装置の運搬、設置、起動を担当します」


「頼む」


リヴァルは次に、シェスターへ視線を向けた。


「シェスター」


「俺か」


シェスターは少しだけ意外そうに眉を上げた。


「君にも同行してもらう」


「理由を聞いていいか?」


「精霊がどういう形で現れるか、まだ分からない。

 戦闘になるのか、救助になるのか、それすら断定できない」


リヴァルは地下空間の映像を指す。


「闇の霧、旧時代の戦闘痕、黒い金属片、封印核。

 危険要素が多すぎる。こういう時、

 レスキュー現場でどんな危険があるか分からない環境を動いてきた君の直観と

 判断力が役に立つかもしれない」


シェスターは少し黙った。

それから、ふっと息を吐く。


「壊す相手じゃなくて、助ける相手かもしれねえってことか」


「その可能性を捨てたくない」


リヴァルは即答した。

シェスターは頷いた。


「分かった。行く」


イルルが隣で、少しだけ表情を強張らせる。

リヴァルの視線は、そのイルルへ移った。


「イルル」


「はい」


「君にも来てもらいたい」


イルルは驚いたように目を開く。


「私も、ですか」


「治療と支援ができる人員が必要だ。

 次の任務では、通常の外傷だけではなく、

 マナ循環や精霊反応に関わる負荷が出る可能性がある」


イルルの手が、膝の上で小さく握られる。


「私に、できるでしょうか」


「できることをしてほしい。できないことを無理に求めるつもりはない」


リヴァルの声は落ち着いていた。


「君のレインは、前線で誰かを戻すための手段になる」


シェスターがイルルを見る。


「無理はすんなよ」


イルルは一度シェスターを見て、それから小さく頷いた。


「うん。行く」


リヴァルは最後に、紫乃へ視線を向けた。


「ミス・シノ」


紫乃はすでに、呼ばれることを分かっていたように微笑んでいた。


「ええ」


「同行をお願いします。

 今回が初めての精霊戦になる。

 想定外が起きる可能性が高い。

 不測の事態に対応できる人が必要です」


「若い子たちだけで無茶をされても困るものね」


紫乃は穏やかに言った。


「承知しました。同行します」


織葉が静かに母を見る。


「母上」


「織葉ちゃんは待機よ」


紫乃は先に言った。

織葉は少しだけ目を伏せたが、すぐに頷く。


「承知しました」


リヴァルが補足する。


「今回は人数を絞る。

 閉鎖空間での任務になる以上、増やせば安全とは限らない。

 織葉とガイは待機。

 フィリアも今回は待機してもらう」


フィリアは少しだけ背筋を伸ばした。


「はい」


リヴァルはフィリアへ向けて、少しだけ表情を和らげる。


「君には、こちらで解析補助と状況整理を頼みたい。

 昨日のセンサーデータを一番正確に扱えるのは君だ」


「分かりました」


フィリアは頷いた。

戦場へ行かない。


そのことに、少しだけ胸の奥が揺れた。

けれど、何もできないわけではない。


昨日、自分は見つけた。

今度は、ここで支える。

ガイが腕を組んだまま言う。


「俺も待機か」


「拠点側にも戦力は必要だ」


リヴァルは返す。


「それに、今回は単純な前衛火力を増やすより、対応の幅を優先する」


「ま、理由があるならいい」


ガイは短く頷いた。


「暴れ役が必要になったら呼べ」


「その時は呼ぶ」


中央表示に、現地シェルターの配置図が出る。

リヴァルは頷いた。


「以上が今回の前線メンバーだ」


中央表示に、名前が並ぶ。

リオン・ヘイル。

シェスター・ウェーバー。

イルル・アースフィア。


翠川 紫乃。


「任務は封印解除。および、精霊のマナ循環停止」


リヴァルは円盤型装置の映像を出す。


「循環停止装置は、前線へ出る四人全員が持つ」


整備班員がオペレーション室へ入ってきた。

小型ケースを四つ運んでいる。

ケースの中には、掌ほどの円盤状装置が固定されていた。


リオン、シェスター、イルル、紫乃がそれぞれ受け取る。

リオンは受け取った装置を確認し、すぐに腰の装備位置へ固定した。


シェスターは少し重さを確かめる。


「貼り付けるだけでいいのか」


「位置が重要だ」


リヴァルが答える。


「現地で対象の接続部を特定する必要がある。

 自動補正は入っているが、万能じゃない」


「了解」


イルルは慎重にケースから装置を取り出した。


「これを使う時は……その、人に使うんですよね」


「人柱と精霊の接続部に使う」


リヴァルは言葉を選ぶ。


「痛みや負荷が出る可能性はある。

 だから、君の治療も必要になるかもしれない」


イルルは装置を見つめ、それから胸の前で抱えるように持った。


「分かりました」


紫乃は装置を手に取り、軽く裏表を確認する。


「貼り付けて、起動。内部機構が打ち込まれたら本体は外れる。回収は?」


「可能なら回収。不可能なら放棄していい。中のマシンが本体だ」


「分かりやすいわね」


最後に、整備班員がもう一つのケースをリオンへ差し出した。

こちらは、球体型の封印解除装置だった。


リオンは両手で受け取る。

中の球体は、ケース越しにも淡く光っている。


「起動手順は端末に送ってある」


リヴァルが言った。


「設置してから起動。

 起動後は封印解除用のマナアーツが床面へ広がる。

 解除が始まったら、精霊反応が出る可能性が高い」


「解除装置の防護は」


「基本防護はある。

 ただし攻撃を受け続ければ壊れる。

 起動後は、装置と人柱、両方を守る必要がある」


「了解しました」


リオンは封印解除装置のケースを固定する。

腰には二丁のストライカーアーツデバイス。


手元には循環停止装置。

そして、封印解除装置。


彼が今回の任務の中心にいることは、誰の目にも明らかだった。

リヴァルは全員を見回す。


「繰り返す。

 今回は、何が起きるか分からない。

 精霊がどういう形で現れるか、どの程度の負荷が発生するか、

 封印解除後に闇の霧がどう動くか。未知数が多い」


誰も口を挟まない。


「だから、勝つためだけの人選ではない。

 止める。

 戻す。

 撤退する。

 その全部の可能性を残すための人選だ」


リオンが静かに頷く。

シェスターは肩を回した。

イルルは装置を握り直す。


紫乃は穏やかな表情のまま、目だけを鋭くしていた。


「出発準備は整っている」


リヴァルは言った。


「四人は装備確認後、搬入口へ。」


「了解」


リオンが代表するように返した。

シェスターも立ち上がる。


「行くか」


イルルは少し緊張した顔で頷いた。


「うん」


紫乃はその二人を見て、柔らかく言う。


「慌てなくて大丈夫。急ぐ時ほど、足元を見るものよ」


シェスターが苦笑する。


「肝に銘じとく」


フィリアは席から立ち、イルルのそばへ寄った。


「イルルさん」


「フィリア?」


「気をつけてください」


イルルは一瞬だけ驚き、それから笑った。


「うん。行ってくる」


フィリアは頷いた。

自分は今回、行かない。


でも、ここで見送ることも任務の一部だと思った。

リオンが扉へ向かう。

その腰で、新しい二丁のストライカーアーツデバイスが静かに揺れた。


昨日、地下で見つかった白い破片。

そこから生まれた装備が、次の戦いへ持ち込まれる。


リヴァルは最後に、中央表示を閉じた。


「移動を開始してくれ」


リオン、シェスター、イルル、紫乃。

四人はそれぞれ装備を確認し、オペレーション室を出る。

向かう先は、岩盤に囲まれた旧時代の空間。


封印を解くための場所。

そして、初めて精霊と向き合う戦場だった。

搬入口には、一台だけ車両が用意されていた。


避難民移送の時に並んでいた大型車列とは違う。

今回は、ARKのメンバーだけを現地へ送るための車両だ。


運転席にはリオンが座る。

助手席には紫乃。


後部の荷台区画には、左右に向かい合う形で簡易座席が設けられている。

そこにシェスターとイルルが乗り込む予定だった。

運転席側と荷台側の間には、小さな窓がある。


開ければ会話はできる。

ただし、今は閉じられていた。


余計な人員を入れず、必要な人間だけで動く。

そう決まった以上、出発も静かだった。

搬入口に見送りに来ているのは、ガイと織葉だけだった。


リヴァルとフィリアは、すでにオペレーション室へ入っている。

通信越しに、車両とメンバーの状態を確認していた。


『車両状態、正常。通信も問題ない』


リヴァルの声が車両内の端末から聞こえる。


『リオン、運転を任せる』


「了解しました」


リオンは運転席で短く答えた。

腰には二丁のストライカーアーツデバイス。


封印解除装置のケースは、座席横の固定ラックに収まっている。

循環停止装置も、すでに装備済みだった。


『ミス・シノ。現地到着後の判断補助をお願いします』


「ええ。若い子たちが慌てないよう、見ておくわ」


紫乃は穏やかに答えた。


『シェスター、イルル。後部区画の固定を確認して』


「おう」


「はい」


シェスターとイルルが後部座席に乗り込む。

シェスターは慣れた手つきで固定ベルトを締めたが、

イルルは少し時間がかかった。手が震えている。


シェスターはそれに気づいたが、すぐには何も言わなかった。

外では、ガイが腕を組んでいる。


「気をつけて行ってこいよ」


「うん」


イルルが少しだけ笑って返す。

ガイはシェスターを見る。


「お前もな」


「俺は慣れてる」


「そういうやつが一番やらかすんだよ」


「縁起でもねえこと言うな」


織葉は静かに一礼した。


「ご武運を」


紫乃が助手席の窓越しに微笑む。


「ありがとう、織葉ちゃん。こちらは任せて」


「はい。母上も、どうかお気をつけて」


「ええ」


その時、通信にフィリアの声が入った。


『イルルさん』


イルルは顔を上げる。


「フィリア?」


『気をつけてください。無理は、しないでください』


「うん」


イルルは少しだけ、手元の循環停止装置に触れた。


「行ってくるね」


『はい。待っています』


その声は、どこかぎこちない。

行く側ではなく、見送る側にいることを、

フィリア自身もまだ飲み込んでいる途中なのだろう。


リヴァルの声が、すぐに続いた。


『全員、帰還を最優先に。

 封印解除後、状況が想定を超えた場合は即時撤退する』


「了解」


リオンが答える。

シェスターも軽く手を上げた。


「分かってる」


紫乃は前を向いたまま言う。


「帰るところまでが任務、でしょう?」


『その通りです』


リオンが車両を起動する。

搬入口の警告灯が点滅し、ゲートが開いた。


ガイが片手を上げる。

織葉ももう一度、静かに頭を下げた。

車両がゆっくりと動き出す。


基地の光が、後ろへ流れていった。

後部区画では、しばらく誰も話さなかった。


走行音だけが響く。

小窓は閉じたままだった。

前席のリオンと紫乃の姿は、曇った窓越しにかろうじて見える程度だ。


イルルは膝の上で、循環停止装置のケースを握っていた。

指先が白くなっている。

シェスターはそれを横目で見て、ようやく口を開いた。


「怖いか」


イルルの肩が小さく跳ねた。

少し間があってから、彼女は頷く。


「怖い」


「だよな」


シェスターはあっさり言った。


「俺も怖い」


イルルが驚いて顔を上げる。


「シェスターも?」


「当たり前だろ。精霊なんて相手、初めてだ。何が起きるか分かんねえ。

 怖くない方がおかしい」


「でも、シェスターはいつも平気そうに見える」


「見せ方の問題だな」


「そうなんだ」


「そうだ」


シェスターは座席の背に軽く身体を預けた。


「怖いなら怖いでいい。怖がってても、行くって決めたなら十分だろ」


イルルはケースを見下ろした。


「私、ちゃんと役に立てるかな」


「治療役なんだろ」


「うん。でも、それだけじゃなくて……」


イルルは少し言葉を探した。


「精霊が、もし苦しんでいるなら。人柱になった人が、そこにいるなら。

 私は、何かしたい」


シェスターは黙って聞いていた。


「怖いよ。

 すごく怖い。

 でも、治せるかもしれないなら、行きたい。

 誰かを戻せるかもしれないなら、見ているだけは嫌だ」


声は震えていた。

けれど、言葉は止まらなかった。


「私、前は自分がどう見られるかばかり怖かった。

 でも今は、それだけじゃない。

 怖くても、できることがあるなら、そこにいたい」


シェスターは少しだけ笑った。


「なら、大丈夫だ」


「大丈夫?」


「覚悟って、怖くなくなることじゃねえと思う」


イルルがシェスターを見る。


「怖いままでも、足を出せるなら、それで十分だろ」


イルルはしばらく黙った。

それから、ゆっくりと息を吐く。

ケースを握る指の力が、少しだけ抜けた。


「……うん」


「それに、やばくなったら俺が引っ張る」


「引っ張る?」


「逃げる時は、遠慮なくな」


イルルは小さく笑った。


「それ、頼もしいのかな」


「頼もしいだろ」


「ちょっと乱暴そう」


「そこは否定しねえ」


二人の間に、少しだけ柔らかい空気が生まれた。

前席では、紫乃が閉じた小窓をちらりと見た。


音ははっきりとは聞こえない。

それでも、後部の空気が少し変わったことは分かる。

紫乃がリオンを見る。


リオンは前を向いたまま、わずかに視線だけを返した。


二人とも、何も言わなかった。

口を挟む必要はなかった。


車両はシェルターへ向けて進んでいく。

外の景色が流れ、やがて目的地の外壁が見えてきた。

巨大な構造物。


前回は、避難民を迎え入れる場所として見たシェルター。

今回は、地下に眠る封印へ向かう入口として見える。


ゲート前で車両が減速した。

通信認証が行われ、外部ゲートが開く。


リオンは無駄のない操作で車両を進めた。


前回よりも短い車列。

前回よりも少ない人数。


それでも、向かう先はずっと重い。

車両はシェルターの内側へ入っていく。

受け入れ区画の光が、フロントガラスいっぱいに広がった。


その先で、ナンディーヌと一輝が待っているはずだった。

裏側へ案内するために。

そして、岩盤に囲まれたあの空間へ向かうために。


車両は静かに、シェルター内へ滑り込んだ。

車両が受け入れ区画へ入ると、前回とは違う静けさがあった。


避難民の列も、大量の荷物もない。

案内表示は通常運用のまま淡く点灯し、

壁際では小型オートマトンが床面を清掃している。

人の声は少なく、代わりに機械の走行音が規則正しく響いていた。


車両が停止する。

運転席のリオンが先に降り、周囲を確認した。


続いて助手席の紫乃が降りる。

後部扉が開き、シェスターとイルルも荷台区画から外へ出た。

イルルは少しだけ肩を強張らせていたが、先ほどより顔色は落ち着いている。


「ようこそ、皆さま」


その声に、四人が振り向いた。

受け入れ区画の奥に、エドガー・ロウウェルが立っていた。


白い髪を後ろへ撫でつけ、整えられた口ひげをたたえた初老の管理官は、

今日も背筋を伸ばしている。

柔らかい物腰でありながら、その場の責任者だと自然に分かる立ち姿だった。


「ロウウェル管理官」


リオンが軽く礼をする。


「再びお世話になります」


「ええ。ヘイルさん、よく戻られました」


エドガーは穏やかに頷く。


「今回は、より難しい任務だと伺っております。

 どうか、皆さまの安全を第一に」


「了解しました」


リオンは短く答えた。

エドガーは次に、シェスターとイルルへ向き直る。


「あなたがシェスターさんですね。救助現場でのご経験をお持ちと伺っています」


「まあ、多少は」


シェスターは少し照れくさそうに頭をかいた。


「こっちこそ世話になります」


「こちらこそ。未知の場所では、経験に基づく判断が何より頼りになります」


それから、エドガーの視線がイルルへ移る。


「アースフィアさん。治療と支援を担われるとのこと。心強い限りです」


「い、いえ。私にできることを、するだけです」


イルルは少し緊張しながら頭を下げた。

エドガーは優しく微笑む。


「それが何より大切なことです」


最後に、紫乃が一歩前へ出た。


「紫乃と申します」


彼女は柔らかく、しかし品よく頭を下げた。


「うちの娘がこちらで大変お世話になりましてぇ」


その口調は、任務に来た戦闘員というより、近所付き合いの挨拶に近かった。

エドガーはすぐに表情を明るくする。


「織葉さんのお母様でしたか」


「ええ。あの子、失礼などありませんでした?」


「とんでもありません。昨日は大変礼儀正しく、

 また頼もしいお嬢さんに助けていただきました」


「あらまあ」


紫乃は嬉しそうに目を細めた。


「あの子、外ではちゃんとしているのね」


「ええ。芯のある、実に立派な方でした」


「そう言っていただけると安心します。家ではまだまだ甘いところも多くて」


「若い方に甘さが残っているのは、悪いことばかりではありません」


エドガーは穏やかに言う。


「それでも前へ出られる方は、強い方です」


紫乃は楽しそうに微笑んだ。


「まあ。管理官さんは、お上手ですね」


「本心です」


「それが一番お上手なのよ」


二人の会話が、そのまましばらく続きそうになったところで、

工具ベルトの金具が鳴った。


「はいはい」


ナンディーヌが、区画の奥から歩いてくる。

いつもの作業着姿で、頭にはゴーグル。

腰には工具デバイスが並んでいる。その後ろに、一輝も続いていた。


「そっちは好きなだけ褒め合ってていいから、こっちは支度を進めようかねえ」


エドガーは苦笑する。


「おや、ローム主任に叱られてしまいました」


「叱ってないよ。止めないと長くなると思っただけ」


「否定はできませんね」


紫乃も軽く笑った。


「続きは、無事に戻ってからにしましょうか」


「ええ。ぜひ」


エドガーはそう答え、改めて一同を見た。


「地下のことは、ローム主任に任せてあります。皆さま、どうかご無事で」


「ありがとうございます」


リオンが答える。

ナンディーヌはそこで、後ろにいる一輝を親指で示した。


「それと、こいつも連れてくよ」


一輝はすぐに背筋を伸ばした。


「ウッス!」


「一輝。

 新しい入口の担当を受け持ってる。

 あの空間、昨日の入口をそのまま使うには色々面倒でね。

 こいつに別の場所を切らせた」


「別の入口ですか」


リオンが確認する。


「そう。中で説明するよ。勝手に歩かれても困る場所が増えたからね」


ナンディーヌは軽く肩を回した。


「大事なところもある。

 案内なしで裏を歩かれたら、こっちが探す羽目になる」


「了解しました」


リオンが頷く。

一輝は順に頭を下げた。


「よろしくお願いしまッス!」


シェスターには、やや緊張しながらも普通に。


イルルには、少し柔らかく。

そして、紫乃の前で止まった。


一輝の背筋が、先ほどよりさらに伸びた。


足が揃う。

両腕が真っ直ぐ横につく。

完全に気を付けの姿勢だった。


「直入、一輝っていいまッス!」


勢いよく頭を下げる。


「よろしくお願いしますッス!」


紫乃は少しだけ目を丸くし、それからにこりと微笑んだ。


「ええ。よろしくね、直入くん」


「は、はいッス!」


一輝の声が裏返った。

ナンディーヌがそれを見て、ふーん、とわざとらしく鼻を鳴らす。


「一輝はこういうのがタイプなんだ」


「ち、違……いや、違わないとかじゃなくてッスね!?」


「違わないんだ」


「そういう意味じゃないッス!」


シェスターが後ろで小さく笑った。

イルルも、つられて少しだけ口元を緩める。


リオンは表情を変えなかったが、状況は理解しているようだった。

紫乃は楽しそうに袖口へ手を添える。


「あら。若い子にそう言ってもらえるなら、おばさん悪い気はしないわね」


「言ってないッス!」


「言ってたよ」


ナンディーヌがすかさず言う。


「言ってないッス!」


「はいはい。顔赤くしてないで仕事」


ナンディーヌは一輝の肩を軽く叩いた。


「新しい入口の担当なんだから、ちゃんと案内しな」


「ウッス!」


一輝は勢いよく返事をしたが、まだ少し耳が赤かった。

ナンディーヌは全員へ向き直る。


「じゃ、行こうか。

 裏は昨日からもう形が変わってる。

 通れた場所が通れなくなってたり、

 通路じゃなかった場所が通路になってたりするから、あたしから離れないこと」


「一日で、ですか」


イルルが思わず聞く。


「一日で」


ナンディーヌは当然のように言った。


「うちはそういう場所だよ」


リオンはわずかに目を細めた。

前回見た機械の流れ。

自動修理。

床整備機材。


そして、もう切り開かれたという新しい入口。

このシェルターは、人が眠っている間にも変わっていく。

エドガーはその背中を見送るように立っていた。


「皆さま、お気をつけて」


紫乃が振り返り、軽く会釈する。


「行ってまいります」


シェスターはイルルへ目配せした。


「行くぞ」


「うん」


イルルは小さく頷く。

リオンを先頭に、紫乃、シェスター、イルルが続く。

ナンディーヌと一輝が横に並び、裏側へ向かう扉の前で認証を通した。


扉が開く。

表の柔らかな照明から、青白い作業灯の光へ。

空気が変わった。


ナンディーヌは工具ベルトを揺らしながら、軽く笑う。


「さて。昨日見つけた運動場候補改め、封印の場所へご案内だ」


その一言で、全員が裏の通路へ足を踏み入れた。

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