二章 三話
受け入れ区画の荷物搬送ラインは、思っていたよりも静かだった。
避難民たちが車両から降ろした荷物は、
職員の確認を受けると、荷物搬送用のオートマトンに引き継がれていく。
箱型の小型機が足元の誘導ラインに沿って進み、
重い鞄や生活用品の入ったケースを次々と運んでいった。
人が運ぶには重い荷物も、機械は一定の速度で、
一定の距離を保って動かしていく。
「荷物は居住区ごとに仕分け! 番号札と搬送タグ、間違えるんじゃないよ!」
ナンディーヌの声が響く。
「一輝、三号機の搬送ログ確認!」
「ッス!」
工具箱を抱えた若い職員が、オートマトンの横へ走る。
「走りすぎ!」
「すんませんっ!」
「謝る前に減速!」
「ッス!」
そのやり取りを見て、エドガーは満足げに頷いた。
「良い返事です」
「管理官、そこじゃない!」
ナンディーヌが即座に返す。
エドガーは穏やかに微笑んだ。
「もちろんです。ですが、現場に活気があるのは良いことですから」
「褒めると調子乗るから、ほどほどにしてくれってば」
「肝に銘じます」
エドガーはそう言いながら、まったく反省していない顔をしていた。
避難民たちは荷物を職員とオートマトンに預け、
メインホールへ案内されていった。
メインホールは、広かった。
高い天井に、明るすぎない照明。
壁際には休憩用の椅子が並び、
さらに奥には横になれる簡易ベッドの区画が用意されている。
子供用の低いクッションスペースもあり、
そこには柔らかい床材が敷かれていた。
中央には立食用のテーブルがいくつも並び、
温かい飲み物、軽い食事、果物、柔らかいパン、スープが用意されている。
豪華ではない。
けれど、きちんと人を迎えるための場所だった。
元からこのシェルターに暮らしている住民たちも、数人ずつ集まっていた。
新しく来た人たちを遠巻きに見ている者もいれば、
職員に混ざって飲み物を配っている者もいる。
エドガーはメインホールの入口で立ち止まり、避難民たちへ向き直った。
「ささやかではありますが、歓迎の場を用意いたしました」
その声に、避難民たちの視線が集まる。
「長い移動の後です。
無理に立って交流する必要はありません。
座って休みたい方は椅子へ。
横になりたい方は奥の休憩区画へ。
温かいものを口にできる方は、どうぞ召し上がってください」
エドガーは、ゆっくりとホールを見渡した。
「ここでは、立って話す方も、座って休む方も、同じように歓迎されます」
その言葉に、フィリアは少しだけ目を見開いた。
歓迎会。
そう聞けば、立って、挨拶をして、
笑顔で応じなければいけないものを想像する。
けれど、ここには休む場所が先に用意されていた。
疲れている人が疲れているままでいられる場所。
不安な人が、無理に明るく振る舞わなくてもいい場所。
「……すごいですね」
フィリアが小さく呟く。
隣でガイがスープの置かれたテーブルを見ていた。
「飯がある」
「そこですか」
「大事だろ」
ガイは真面目に答えた。
「腹が減ってると、不安もでかくなる」
フィリアは一瞬、返す言葉を探した。
それから、小さく頷く。
「そうですね」
ガイの言い方は雑だった。
けれど、言っていることはたぶん正しかった。
リオンはホール内の出入口、職員の動線、避難民の座席配置を確認していた。
まだ完全には警戒を解いていない。
織葉も同じように、壁際の位置に立ち、自然な姿勢で周囲を見ている。
ただ、織葉の視線は時々、ホールの奥へ向いていた。
ガイがそれに気づいた。
「探してるな」
「何をでしょうか」
織葉は即座に返した。
「俺、まだ何も言ってねえけど」
「任務中です」
「それもまだ聞いてねえ」
織葉は咳払いをした。
「周囲確認です」
「へえ」
ガイはにやりと笑った。
「クラリスの周囲確認か」
織葉の肩が、ほんのわずかに揺れた。
「……任務に支障は出しません」
「誰もそこは疑ってねえよ」
フィリアは二人のやり取りを見て、少しだけ首を傾げた。
織葉の表情は普段通りに見える。
けれど、ほんの少しだけ、視線の動きが早い。
それが、なんだか年相応に見えた。
「ローム主任、居住区側の案内表示、全部切り替わりました!」
一輝が端末を掲げて報告する。
「よし。
じゃあ次、休憩区画の空調確認。
子供が寝るかもしれないから、風を直で当てないようにしときな」
「ッス!」
「返事はいい。手を先に動かす」
「ッス!」
一輝はまた走りかけ、ナンディーヌに睨まれて速度を落とした。
エドガーはその背中を見送りながら、やはり目を細める。
「素直で良い若者です」
「管理官、言うと思った」
「実際、素直ですから」
「そりゃそうだけど」
ナンディーヌは苦笑しながら、手元の端末でホールの設備状況を確認していた。
その時、メインホールの入口側が少しだけざわめいた。
避難民たちの視線が、ひとつの方向へ流れる。
織葉の背筋が、ぴんと伸びた。
フィリアもそちらを見る。
そこに、クラリス・パズリアがいた。
番組で見た時と同じように、落ち着いた雰囲気だった。
派手に手を振るわけでも、大きな声で注目を集めるわけでもない。
それでも、人が自然と気づく。
住民の一人が声をかけ、クラリスは穏やかに頷いて応じた。
子供に視線を合わせ、短く言葉を交わし、
疲れた顔の避難民には無理に話しかけず、
ただ通路を空けるように少し身を引く。
人の中にいるのが、うまい人だった。
「クラリスさんは、まだいらしたんですね」
フィリアが言う。
「取材後の確認で残っていただいておりました」
エドガーが答えた。
「今日の受け入れに関しても、住民の不安を煽らない形で伝えたいと。
実にありがたいことです」
「本当に人気なんだな」
ガイが言った。
その横で、織葉が一歩前に出かけて止まった。
そして、もう一度姿勢を整える。
「織葉」
リオンが静かに言った。
「分かっています」
織葉は小さく返した。
「任務後です」
「今は、歓迎会の最中です」
「つまり、任務後ではありません」
「ですが、受け入れ作業の主要段階は完了しています」
「屁理屈です」
「……失礼しました」
織葉は引き下がった。
しかし視線はクラリスから離れない。
その様子に気づいたのか、クラリスの方から歩いてきた。
「こんにちは」
穏やかな声だった。
「移送任務、お疲れさまでした」
織葉は一瞬だけ固まった。
そして、普段の古風な礼をきっちり取る。
「お初にお目にかかります。翠川織葉と申します」
「クラリス・パズリアです。番組を見てくれていたんですね」
「はい。発声、姿勢、言葉の間。学ぶべき点が多く、いつも拝見しております」
クラリスは少しだけ目を瞬かせた。
それから、嬉しそうに微笑む。
「そんなふうに見てくれていたんですね。ありがとう」
織葉の顔が、わずかに赤くなった。
「いえ。事実です」
ガイが小声で言う。
「完全にファンだな」
リオンが小声で返す。
「否定材料はありません」
織葉は聞こえていないふりをした。
そして、少しだけ緊張した様子で懐から小さなカードを取り出す。
「その、もしご迷惑でなければ、サインをいただけないでしょうか」
クラリスは自然に頷いた。
「もちろん」
「ありがとうございます」
織葉は、明らかに安堵した。
だが、それで終わらなかった。
「可能であれば、もう一枚お願いしてもよろしいでしょうか」
クラリスはにこやかに首を傾げる。
「お友達の分?」
「はい」
「大切なお友達なんですね」
「……はい」
織葉は少しだけ視線を逸らした。
「少々、騒がしい友人ですが」
「そういうお友達は、きっと大事にした方がいいですね」
「承知しました」
クラリスはカードに丁寧にサインを書いた。
流れるような文字だった。
織葉はそれを両手で受け取る。
「ありがとうございます。家宝にいたします」
「そこまではしなくても」
クラリスがやわらかく笑う。
その直後、ガイが手を挙げた。
「じゃあ、俺もいいか?」
織葉が振り向いた。
「ガイ殿もですか」
「せっかくだしな」
ガイは悪びれない。
「持って帰ったら、誰か喜ぶだろ」
「誰かとは」
「誰かだよ」
ガイは近くの紙ナプキンを見て、さすがにそれは違うと思ったのか、
職員から小さな案内カードを一枚もらった。
クラリスは笑いをこらえるように、そこへサインを書く。
「ありがとうございます」
「おう。ありがとな」
ガイはあっさり受け取った。
織葉は少し納得のいかない顔をしている。
そこへ、リオンが静かに一歩前へ出た。
「私もよろしいでしょうか」
今度はガイが振り向いた。
「リオンもかよ」
「はい」
リオンは表情を変えない。
「有名人の署名は、現場の士気維持物品として一定の効果が見込めます」
「欲しいんだな」
「士気維持です」
「欲しいんだろ」
「士気維持です」
リオンは二度言った。
クラリスは落ち着いていたが、少しだけ口元が緩んでいた。
「士気維持なら、責任重大ですね」
「はい」
リオンは真面目に頷く。
「可能であれば、耐久性のある媒体にお願いしたいのですが」
「準備がいいんだか悪いんだか分からねえな」
ガイが呟く。
リオンは携帯していた小型の防水カードを取り出した。
「準備はしていました」
「完全に欲しかったんじゃねえか」
「士気維持です」
クラリスは、今度は少しだけ笑った。
それでも筆跡は丁寧だった。
リオンはサインを受け取ると、きちんと礼をした。
「ありがとうございます。適切に保管します」
「飾るんじゃないのか」
「保管です」
「やっぱ欲しかったんじゃねえか」
リオンは答えなかった。
フィリアは、そのやり取りを少し離れたところで見ていた。
楽しそうだと思う。
織葉が嬉しそうで、ガイが平然としていて、
リオンまで真面目な顔でサインをもらっている。
けれど、自分が同じように前に出るのは、少し違う気がした。
クラリスは有名人だ。
多くの人が言葉を聞いて、姿を見て、安心する人。
フィリアにとっても、番組で見たその声は落ち着いていて、すごい人だと思った。
でも、だからといって自分がサインを求めに行くのは、
少し遠慮があった。用意もない。
何に書いてもらえばいいのかも分からない。
それに、今の自分はまだ、何かをお願いできるほど前へ出られない。
そう思っていた時、クラリスがこちらを見た。
「あなたは、いいの?」
フィリアは驚いて顔を上げた。
「私、ですか」
「ええ」
クラリスは近づいてくる。
「さっきから少し後ろにいたから」
「私は……その、何も用意していなくて」
フィリアは端末を抱え直した。
「それに、皆さんほど詳しく見ていたわけでもありませんし」
「詳しいかどうかで、
サインをもらう資格が決まるわけではないと思うけれど」
クラリスは穏やかに言った。
フィリアは返事に迷った。
ガイが横から言う。
「もらっとけよ」
「でも」
「欲しいかどうかでいいだろ」
フィリアは少しだけクラリスを見る。
クラリスは急かさなかった。
ただ、フィリアの返事を待っている。
フィリアは小さく息を吸った。
「……いただけるなら、嬉しいです」
「もちろん」
クラリスは微笑む。
「何に書きましょうか」
「それが、何も……」
フィリアは困って、自分の持ち物を見た。
端末。
仕様書。
胸元のレイアーツデバイス。
そして、左肩のアイギスフレーム。
クラリスの視線も、そこへ向いた。
「それは?」
「あ、これは……アイギスフレームです。防御用の装備で」
フィリアは慌てて説明する。
「でも、機械ですし、書いていいものではないと思います」
リオンがすぐに近づいた。
「外装部であれば、位置によります」
「リオンさん」
「フィリア隊員。左肩装備の裏側を確認してください」
フィリアは少し戸惑いながら、アイギスフレームの固定を緩めた。
完全に外すわけではない。
肩から少し浮かせ、裏側を見る。
銀灰色の外装裏面は、表ほど目立たない。
機構部からは外れていて、平らな部分がある。
リオンが覗き込む。
「その位置なら、機構への影響はありません」
「本当に大丈夫ですか」
「塗膜の表層です。整備時に必要なら交換可能です」
「交換したら消えてしまうのでは」
「それは……」
リオンが少し考えた。
ガイが笑う。
「じゃあ交換すんな」
「そういう問題ではありません」
クラリスは二人のやり取りを聞いてから、フィリアへ目を向けた。
「見えない場所でいいの?」
フィリアはアイギスフレームの裏側を見た。
見えない場所。
戦っている時、誰にも見えない場所。
けれど、自分は知っている場所。
「……はい」
フィリアは小さく頷いた。
「ここがいいです」
クラリスはその答えに、静かに微笑んだ。
「では、安全祈願ということで」
「安全祈願……」
「前に出る人が、ちゃんと帰ってこられますように」
その言葉に、フィリアの胸が少しだけ詰まった。
クラリスはペンを持ち、アイギスフレームの裏側に丁寧に文字を書いた。
流れるようなサイン。
その下に、小さく一言。
無事に帰れますように。
フィリアはそれを見つめた。
アイギスフレームは、防御用の装備だ。
リヴァルが作ったもの。
自分が前へ出るためのもの。
そして今、その裏側に、帰ってくるための願いが書かれた。
「ありがとうございます」
フィリアは静かに言った。
クラリスはペンをしまう。
「こちらこそ」
「私、まだ何ができるか分かりません」
その言葉は、自然に出た。
フィリア自身も、言ってから少し驚いた。
クラリスは黙って聞いていた。
「でも、何もできないままでいたくなくて。
それで、この装備を受け取りました」
「そう」
「だから……ちゃんと帰ってこられるようにします」
クラリスは少しだけ目を細めた。
「それは、とても大切な約束ですね」
フィリアは頷いた。
「はい」
織葉が横で、サイン入りのカードを大切にしまっている。
ガイは案内カードを懐に入れ、
リオンは防水カードを専用ケースに保管していた。
その様子を見て、クラリスが少し笑う。
「皆さん、ちゃんとそれぞれの形で受け取ってくれたんですね」
「士気維持です」
リオンが言う。
ガイがすかさず返した。
「まだ言うか」
「事実です」
織葉は真剣な顔で頷いた。
「士気は大切です」
「織葉はただのファンだろ」
「学習資料です」
「似たようなこと言い出したぞ」
フィリアは思わず小さく笑った。
歓迎会のざわめきが、メインホールに満ちている。
新しく来た人たち。
元からいた人たち。
職員たち。
食事を運ぶオートマトン。
設備を確認するナンディーヌ。
走りかけて怒られる一輝。
皆を見守るエドガー。
そして、人々の間に立つクラリス。
フィリアはアイギスフレームをそっと戻した。
外からは見えない。
けれど、裏側には確かに文字がある。
誰にも見えない場所に、帰ってくるための願いが増えた。
メインホールの温かな灯りの中で、フィリアはその重さを、
少しだけ前より大切なものとして感じていた。
メインホールのざわめきが、少しずつ落ち着いていった。
新しく来た住民たちは、温かい食事を口にし、椅子に座り、
あるいは奥の休憩区画で横になっている。
元からいた住民たちも、少しずつ距離を詰めていた。
無理に話す必要はない。
けれど、同じ空間にいる。
それだけで、最初の緊張は少し薄れていた。
立食用のテーブルでは、
使い終わった食器を小型の回収オートマトンが静かに集めている。
飲み物の残量が少なくなると、
壁際の補給口から新しいポットが滑るように出てきた。
職員はその流れを見守り、必要な人に声をかける。
手を動かすのは機械。
人は、人を見る。
このシェルターでは、それが自然な形のようだった。
「さて」
ナンディーヌが、手元の端末を閉じた。
「表はひとまず流れたね。そろそろ裏に行くかい」
ガイがパンを飲み込んだ。
「もう行くのか」
「裏も待ってくれないからね」
ナンディーヌはにっと笑う。
「それと、ついでにこっちの仕事を一個片づけさせてもらっていいかい?」
リオンが視線を上げる。
「調査に関係する作業ですか」
「関係するかどうかは、見てからだね。
ただ、行く通路の近くで点検オートマトンが報告を上げてた」
ナンディーヌは端末の画面を空中表示へ切り替えた。
そこには、地下階層の簡易図と、
赤ではなく黄色で示された警告点が表示されている。
「外殻近くの保守通路で、岩塊のずれ込み。
致命的な破損じゃない。
だから自動封鎖まではかかってない。
けど、放っておくと点検ルートが一つ塞がったままになる」
「自動で直らないんですか」
フィリアが聞いた。
ナンディーヌは頷く。
「軽い破損なら、裏のメカが勝手に直すよ。
配管の小さな漏れ、外装パネルの交換、ケーブルの断線くらいなら、
点検オートマトンと修理アームで十分。
人が気づく前に終わってることも多い」
彼女は黄色の警告点を指で弾く。
「でも、外殻付近とか、生活維持に繋がるところとか、
下手に触るとまずい場所は違う。
メカが勝手に処理せず、あたしに信号を送る。
現場判断が必要ってやつさ」
リオンが表示を見つめる。
「今回は、その信号が来ていた」
「ああ。
受け入れで表が忙しかったから、後回しにしてた。
急ぎじゃないけど、ついでに片づけるにはちょうどいい」
「合理的ですね」
「そういうこと」
ナンディーヌは満足そうに頷き、それからメインホールの端へ声を飛ばした。
「一輝!」
少し離れた場所で、空調表示を確認していた若い職員が跳ねるように振り返った。
「ッス!」
「一昨日のアレ、今日やっちまうから。右手にアレつけてついてこい」
「ウッス!」
「あと走るな」
「ッス!」
一輝は一度走りかけ、すぐに速度を落とした。
ガイがその背中を見て、眉を上げる。
「アレで通じるのか」
「現場の言葉は短い方がいいんだよ」
ナンディーヌは平然と言った。
「細かい説明は、歩きながらするさ」
エドガーはメインホールの入口で、住民たちの様子を確認していた。
ナンディーヌの声に気づくと、こちらへ歩いてくる。
「裏側へ向かわれるのですね」
「管理官、表は頼むよ」
「もちろんです」
エドガーはARKの面々へ向き直った。
「ローム主任の案内であれば、裏側でも問題はないでしょう。
ただし、足元と表示には従ってください。裏の通路は、
表のように人を歩かせるためだけに作られているわけではありません」
「承知しました」
織葉が礼をする。
エドガーは柔らかく頷いた。
「良い返事です」
「管理官」
ナンディーヌが低く呼ぶ。
「失礼。短くします」
エドガーはまったく悪びれずに微笑んだ。
「皆さま、どうかお気をつけて」
メンバーはナンディーヌに続いて、メインホール奥の関係者用通路へ向かった。
表のホールは明るく、広く、人のために整えられていた。
その奥の扉を越えると、空気が変わった。
通路は狭くなる。
照明は白から青白い作業灯へ変わり、床の誘導ラインも細くなる。
壁面には配管とケーブルが整然と走り、
その隙間を小型の点検オートマトンが滑るように移動していた。
天井近くでは、丸いカメラアイが彼らを追う。
床際のレールには、部品を載せた小さな搬送機が静かに通り過ぎていく。
人の声は少ない。
代わりに、機械の低い駆動音と、
どこか遠くで動く修理アームの金属音が聞こえていた。
フィリアは思わず周囲を見回した。
「表より、ずっと機械が多いですね」
「裏だからね」
ナンディーヌは歩きながら答える。
「ここは人が暮らす場所じゃなくて、人が暮らす場所を支える場所だ。
人間が毎日全部見て回ってたら、それだけで一日が終わっちまう」
リオンは携行センサーを起動し、周辺の反応を確認していた。
「点検、補修、搬送、記録。大部分が自動処理ですか」
「だいたいはね。けど、判断は人間の仕事さ」
ナンディーヌは背中越しに言った。
「機械は早い。
正確だ。
でも、住民の生活をどこまで止めていいか、
どこから先は危ないか、今やるか後に回すか。
そういうのは人が決める」
「現場判断、ということですね」
「そういうこと」
織葉は静かに通路の奥を見ている。
「この規模を、少人数で維持しているのですか」
「少人数ってほどじゃないよ。
ただ、人間が手を動かす場所は絞ってる。
人が必要なところに、人を置く。
そのために、機械に任せられるところは任せる」
ナンディーヌは振り返り、にっと笑った。
「便利なもんは使わなきゃ損さ」
その時、横の分岐路から一輝が合流した。
右腕には、先ほどまでなかった大型の工具が装着されている。
肘から手首にかけて固定具が走り、
右手の外側には太い杭のような機構が折り畳まれていた。
手甲というには無骨で、武器というには作業用の警告表示や固定ロックが多い。
パイルデバイス。
そう呼ぶのが一番近い形だった。
一輝はARKの面々を見て、少しだけ肩を縮める。
「……ッス」
「一輝殿」
織葉が声をかけた。
一輝は工具箱を持つ左手に力を入れた。
「……ッス」
「その名は、我が国のものに近い響きですね」
「ッス。親がそっちの出ッス。俺は、ここ育ちなんス」
「そうでしたか」
織葉の表情が、ほんの少しだけ和らぐ。
「良い名です」
一輝は視線を泳がせた。
「あ、あざ……ありがとうございますッス」
「はいはい、名乗りは後。岩、先」
ナンディーヌが会話を切った。
「一輝、ロック確認」
「ッス!」
一輝は右腕の固定具を確認し、パイルデバイスの起動部を軽く叩く。
小さな表示灯が緑に変わった。
「固定、問題なしッス」
「よし。こっち」
ナンディーヌが先へ進む。
通路をさらに下ると、機械音が少し遠のいた。
代わりに、岩と土の匂いが濃くなる。
壁面の一部は金属外装ではなく、
むき出しの岩盤を補強材で押さえた構造になっていた。
そこにも点検用の小型機が張りつき、
細いアームで亀裂の深さを測っている。
やがて、一行は通路の途中で足を止めた。
前方が塞がっていた。
巨大な岩塊だった。
硬質な火成岩質の岩が、上部の基盤層からずれ落ち、
保守通路の外殻近くを斜めに埋めている。
完全に崩落しているわけではないが、そのままでは奥へ進めない。
岩の表面には、点検オートマトンが残した白いマーキングがいくつもあった。
ガイが低く口笛を吹く。
「とんでもねえことになってんな」
リオンはセンサーを向ける。
「密度が高い。単純に砕くには時間がかかる岩質です」
「普通に削ってたら日が暮れるね」
ナンディーヌは工具腰の端末を取り出し、岩に向けて小型の照射機をかざした。
薄い光が岩の表面をなぞり、内部の割れ目を読み取っていく。
「点検オートマトンの報告通り。
外殻には食い込んでない。
けど、奥の点検ルートは完全に塞いでる」
「この岩を除去するのですね」
リオンが言う。
「そう。だからコイツがいる」
ナンディーヌは親指で一輝を示した。
一輝はびくっとした。
「……ッス」
ガイがパイルデバイスを見る。
「それでやるのか」
「パイルデバイス。岩盤や外殻を抜く時に使う工具さ」
ナンディーヌは端末を操作しながら言った。
「で、一輝がうちで一番こいつを上手く使う」
一輝は少しだけ背筋を伸ばした。
「ッス」
フィリアはパイルデバイスと岩を交互に見る。
「工具、なんですよね」
「そうだよ」
ナンディーヌはあっさり答えた。
「岩をどかすための道具。現場じゃ、こういうのは珍しくない」
リオンは少しだけ眉を寄せた。
「珍しくない、ですか」
「世界中どこでもって意味じゃないよ」
ナンディーヌはリオンの疑問を先に受け止めるように言った。
「うちの現場じゃ、って話。
ここは拡張も補修も多いからね。
ちょいと出力の大きい工具も必要になる」
ガイが岩を見上げる。
「ちょいと、ねえ」
ナンディーヌは笑って流した。
そして、照射機の光を岩の中心からやや下へ移す。
「一輝。二十パーで頼むよ」
「ウッス!」
その返事だけは、さっきまでよりずっと大きかった。
ガイが一歩下がる。
「何が始まるんだ?」
「解体作業でしょうか」
リオンはセンサーを構え直す。
「ですが、二十パーセントとは……」
「見てれば分かるさ」
ナンディーヌは端末を片手に、軽く顎で合図した。
一輝は岩の前に立つ。
右腕のパイルデバイスを、岩へ向ける。
杭状の機構が前へせり出した。
その瞬間、一輝の周囲の空気が揺れた。
炎ではない。
けれど熱波のように、景色がわずかに歪む。
その揺らぎが、一輝の肩から右腕へ流れ、
パイルデバイスの起動部へ集まっていく。
フィリアは思わず息を止めた。
「これは……」
リオンが呟く。
「マナアーツ?」
ガイの表情が変わる。
「おいおい、マジかよ……」
織葉も、わずかに目を細めた。
「対人の技ではありませんね」
静かな声だった。
だが、そこには確かな驚きがある。
一輝は岩を見据えた。
さっきまでの新米らしい萎縮は消えている。
ただ、ナンディーヌに言われた仕事をする職人の顔だった。
「いっけええ!」
杭が打ち込まれた。
音は一瞬だった。
重く、短く、腹の底に響く音。
次の瞬間、硬い岩に丸い穴が開いた。
それだけでは終わらない。
穴の周囲の岩が、内側へ吸い込まれるようにひび割れ、砕け、粉砕されていく。
表面を削ったのではない。
岩の中に通された衝撃が、内側から支えを抜いたように崩していく。
巨大な岩塊の一部が、ごっそりと消えた。
破片は飛び散る前に、
脇に展開した簡易防護フィールドと回収用の小型機に受け止められていく。
フィリアは肩を跳ねさせていた。
音の大きさと、岩が消えた事実に、頭が追いつかなかった。
「今の……」
言葉が続かない。
ナンディーヌは端末を確認する。
「今日は体調が悪かったかい。たった十六パーしか出てないよ」
「すんませんっ!」
一輝は反射のように頭を下げた。
ナンディーヌは笑う。
「すっ飛ばしたし全然オーケー。おつかれさん」
「ッス!」
ガイが砕けた岩の跡を見る。
「十六で、あれかよ」
リオンもセンサーの数値を確認していた。
「表面破砕ではありません。内部から崩しています。
工具として分類するには、かなり特殊です」
「工具だよ」
ナンディーヌは当然のように返した。
「岩を抜くための道具なんだから」
織葉は静かに頷いた。
「されど、道を開く力としては見事です」
一輝はまた少し小さくなる。
「あ、ありがとうございますッス」
その時、ナンディーヌの端末が短く鳴った。
通信が開く。
『ローム主任』
リヴァルの声だった。
『今、地下側で異常な出力反応を検知した。状況確認を』
ナンディーヌは砕けた岩の前で、何でもないことのように答えた。
「ああ、驚かせて悪いね。普通の解体作業だよ」
『普通の、解体作業』
「ここの工具はちょいと出力が大きいから、そっちの識別に入ってなかったんだろ。
出力データを送っておくよ。
更新すれば、次からは工具反応だってすぐ分かるさ」
通信の向こうで、少しだけ間があった。
『……了解した。データを受領次第、識別を更新する』
「助かるよ」
『念のため確認する。現場に危険は?』
「なし。岩が一つ減っただけ」
『分かった。調査を続行して』
通信が切れる。
ガイが小さく笑った。
「岩が一つ減っただけ、ねえ」
「実際そうだろ」
ナンディーヌは端末をしまった。
「道が塞がってた。だから抜いた。現場じゃそれで十分さ」
フィリアは、砕けた岩の向こうを見た。
塞がれていた通路の先が、ぽっかりと開いている。
その奥へ、青白い作業灯が続いていた。
一輝は何事もなかったように、パイルデバイスのロックを確認し、
工具箱を持ち直している。
さっきまでと同じ、新米の若い職員の顔で。
けれどフィリアには、もう完全に同じようには見えなかった。
ナンディーヌが振り返る。
「さ、開いたよ。調査の続きといこうか」
砕けた岩の向こうで、点検オートマトンが小さく緑の光を点滅させた。




