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『パンツから始まる青春とか聞いてない−−好きな子のおしっこ失敗を笑わずに助けたら、なぜか学園一ややこしい青春ラブコメが始まった−−』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第58話 笑っていた彼女が、いちばん泣きそうな顔をした

みずきと別れたあと、真央は学校へ戻った。


 理由を聞かれたら困る。

 教室に忘れ物をしたわけでもないし、先生に用事があるわけでもない。


 けれど、帰れなかった。


 みずきに言った言葉が、まだ胸に残っている。


 ――俺は、ことりのことが好きなんだと思う。


 口にした瞬間、何かが決まった。

 同時に、何かが確実に壊れた。


 ひよりは泣いた。

 レナは泣かなかった。

 みずきは泣く前に離れた。


 そして、まだ一人。


 笑ってごまかしてきたやつがいる。


 校舎へ戻ると、放課後の空気はさっきよりずっと薄くなっていた。

 部活へ向かう生徒たちも減り、廊下には夕方の光だけが長く伸びている。


 教室の扉は、少しだけ開いていた。


 中から、かすかな音がする。


 机の上に置いた何かを拾うような音。

 椅子を引く音。

 それから、小さなため息。


 真央は扉を押した。


 教室には、藤宮つばさがいた。


 机の上に鞄を置き、何かを探しているふりをしている。

 けれど、たぶん本当に探し物をしているわけではない。


「……戻ってきたんだ」


 つばさが顔を上げて言った。


「お前こそ、まだいたのか」


「忘れ物」


「何を」


「忘れ物って言ったら忘れ物」


「答えになってない」


「白井くんにだけは言われたくないなあ」


 いつもの声。

 いつもの軽口。


 なのに、今日はそこに少しだけ揺れがある。


 真央は教室へ入り、扉を閉めた。


「みずきと話した」


 つばさの手が止まった。


「……そっか」


「言った」


「うん」


「ことりが好きだって」


 つばさは、少しだけ口元を緩めた。


「そっか」


 同じ言葉。

 でも、二度目のそれは少し違った。


「朝比奈さん、怒った?」


「怒った」


「泣いた?」


「俺の前では、ぎりぎり」


「朝比奈さんらしいね」


 つばさは笑った。


 でも、目は笑っていなかった。


「白井くん」


「ん?」


「よく言えたね」


 その言葉に、真央は胸が痛くなった。


「褒めるなよ」


「褒めてるんだよ」


「今は、きつい」


「うん。きついよね」


 つばさは机に腰を預けた。

 夕方の光が、彼女の横顔を薄く染めている。


「じゃあ、私にも言いに来た?」


「……ああ」


「律儀だね」


「そうしないと、逃げたことになる気がした」


「そうだね。たぶん逃げたことになる」


 つばさは、そこははっきり言った。


 軽くない。

 でも責めるでもない。


 真央は、少しだけ息を吸った。


「つばさ」


「うん」


「俺は、ことりが好きだ」


 今度は、はっきり言えた。


 言葉にしたあと、教室が妙に静かになった。

 黒板に残ったチョークの粉。

 窓から見える校庭。

 誰もいない机の列。


 全部が、その一言を聞いていたような気がした。


 つばさは、すぐには何も言わなかった。


 長い沈黙のあと、ぽつりと言う。


「知ってた」


「……だよな」


「うん」


 つばさは笑った。


「だって、白井くん、ことりちゃんを見るときだけ戻る顔するもん」


「ひよりにも似たようなこと言われた」


「小日向ちゃん、意外と見てるね」


「お前もな」


「私は見てるのが仕事みたいなものだったから」


 そう言ってから、つばさは自分で首を横に振った。


「違うか」


「何が」


「仕事じゃなくて、逃げ場」


 真央は黙って聞いた。


「私、ずっと面白がってたでしょ」


「まあな」


「でも、それは半分だけ」


「前にも言ってたな」


「うん」


 つばさは机の角を指先でなぞった。


「残り半分は、自分が当事者にならなくて済むからだった」


 声は穏やかだった。

 でも、その穏やかさが逆に苦しかった。


「ことりちゃんが赤くなるのを見て、朝比奈さんが嫉妬するのを見て、小日向ちゃんが突っ込んできて、榊さんが静かに刺して」


「……」


「私はそれを笑ってればよかった」


 つばさは少しだけ肩をすくめた。


「楽だったよ。だって、自分の気持ちを見なくていいから」


「つばさ」


「でも、たまに嫌だった」


「何が」


「白井くんが、誰かの言葉でちゃんと揺れるのを見るの」


 その声が、初めてほんの少し震えた。


「ことりちゃんの言葉で黙ったり、朝比奈さんに言われて考え込んだり、小日向ちゃんに泣かれて苦しそうにしたり、榊さんの言葉で逃げ場をなくしたり」


「……」


「そのたびに、ああ、私は外側なんだなって思ってた」


 真央は何も言えなかった。


 つばさはずっと、そこにいた。

 近くにいた。

 誰よりも空気を動かしていた。

 なのに、自分だけを外側に置いていた。


「私も、どこかで入れてほしかったのかもね」


 つばさは笑った。


「面倒くさいでしょ」


「面倒くさくはない」


「嘘」


「嘘じゃない」


「白井くん、そういうとこで嘘つくの下手だから困るんだよなあ」


 つばさは笑いながら、目を伏せた。


「本当はね」


「うん」


「ちょっとだけ、期待したこともあった」


 その一言は、軽くなかった。


「私なら、まだ間に合うかなって」


「……」


「みんなが重くなって、白井くんが苦しくなって、そのときに笑って隣にいるのが私なら」


 つばさはそこで、少しだけ言葉を詰まらせた。


「それって、ずるいよね」


「ずるくはない」


「ずるいよ」


 つばさはすぐに言った。


「弱ってるところに入りたいって、ちょっと思ってたから」


「……」


「でも、それでも白井くんがことりちゃんを見る顔は変わらなかった」


 真央は唇を結んだ。


 何を言っても、今は傷つける気がした。

 けれど、何も言わないのも違う。


「つばさ」


「うん」


「俺は、お前にかなり助けられてた」


「それ、振る側が言うやつとしてはだいぶ危ないよ」


「分かってる」


「ほんとに?」


「たぶん」


「たぶんかあ」


 つばさは苦笑した。


「でも、聞く」


 真央は、ちゃんと彼女を見た。


「お前が笑ってたから、何度も空気が壊れずに済んだ。俺が逃げそうなとき、お前が茶化してくれたから、逆に向き合わなきゃって思えたこともあった」


「うん」


「でも、俺はそれに甘えてた」


 つばさは何も言わない。


「お前が笑ってるから大丈夫だろって、どこかで思ってた」


「……それは、ちょっと腹立つね」


「ああ」


「でも、たぶん合ってる」


 つばさは小さく息を吐いた。


「私も、そう見せてたし」


 教室の外で、誰かの足音が遠ざかっていく。

 その音が消えるまで、二人とも黙っていた。


「白井くん」


「うん」


「私、泣いていい?」


 あまりにも自然に聞かれて、真央は一瞬だけ言葉を失った。


「……いい」


「じゃあ、ちょっとだけ」


 つばさはそう言って笑った。


 次の瞬間、涙がこぼれた。


 声は出さない。

 大きく崩れるわけでもない。

 ただ、笑った顔のまま、涙だけがすっと落ちる。


 そのほうが、よほどつらかった。


「……あーあ」


 つばさは指で目元を拭った。


「私、こういうキャラじゃないんだけどな」


「キャラとか言うなよ」


「言うよ。言わないと無理」


「……そっか」


「うん」


 つばさは深く息を吸った。


「ことりちゃんに言うんでしょ」


「ああ」


「ちゃんと?」


「ちゃんと」


「逃げずに?」


「逃げずに」


「泣かせたら怒るよ」


「みずきにも言われた」


「朝比奈さんと同じなの、ちょっと嫌だな」


 そう言って、つばさは少しだけ笑った。


 今度の笑いは、いつもの笑いに近かった。

 でも、目元はまだ赤い。


「白井くん」


「ん?」


「ことりちゃん、たぶん強くなったけど、まだ怖がりだよ」


「……うん」


「だから、変に格好つけないで、ちゃんとそのまま言ってあげて」


「分かった」


「好きなら好きって」


「ああ」


「照れたら負け」


「それは無理かもしれない」


「そこは頑張ってよ」


 つばさは鞄を持ち上げた。


「私はさ」


「うん」


「笑って見てるだけじゃなかったけど」


「うん」


「最後は、ちゃんと笑って見てる」


 その言葉が、胸に刺さった。


「……無理するなよ」


「無理はするよ」


「するのか」


「する。少しだけ」


 つばさは扉のほうへ歩く。


「でも、今度はごまかすためじゃなくて、ちゃんと送り出すために笑う」


 それが、つばさなりの答えなのだと思った。


 彼女は、笑うことをやめない。

 でも、その笑いはもう逃げ場ではない。


「真央くん」


 不意に、つばさが名前を変えて呼んだ。


「……何だよ」


「ことりちゃんを泣かせたら、ほんとに許さないからね」


「分かってる」


「あと、私たちのことも忘れないで」


「忘れない」


「絶対?」


「ああ」


「じゃあ、いいや」


 つばさは小さく手を振った。


「行ってらっしゃい」


 その言葉に、真央は頷いた。


 扉の向こうへ消えていくつばさの背中は、少しだけ軽く見えた。

 泣いたぶんだけ、何かを置いていけたのかもしれない。


     ◇


 教室に一人残った真央は、机の上に手を置いた。


 ことり。

 みずき。

 ひより。

 レナ。

 つばさ。


 それぞれの気持ちを受け取った。

 それぞれを傷つけた。


 だからこそ、もう逃げられない。


 残っているのは、たった一人。


 一番最初に守りたいと思った相手。

 一番何度も心が戻っていった相手。


 真央は鞄を持ち、教室を出た。


 夕方の廊下を歩きながら、深く息を吸う。


 次は、ことりに言う番だった。

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