表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『パンツから始まる青春とか聞いてない−−好きな子のおしっこ失敗を笑わずに助けたら、なぜか学園一ややこしい青春ラブコメが始まった−−』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

57/58

第57話 幼なじみは、最後まで強がりきれない

保健室を出たあと、真央はすぐに教室へ戻らなかった。


 戻ったところで、何かできる気がしなかったからだ。


 榊レナの声が、まだ耳に残っている。


 ――ちゃんと、一人を選んで。


 それは、言われなくても分かっていたことだった。

 でも、分かっていることを他人の声で聞くと、逃げ道が一つずつ潰れていく。


 ひよりは泣いた。

 レナは泣かなかった。

 どちらも、それぞれの形で真央の前から少しだけ退いた。


 残っている。


 まだ、ちゃんと話していない相手がいる。


「……行くか」


 真央は小さく呟いて、昇降口へ向かった。


 そこにいる気がした。


 根拠はない。

 けれど、昔からそうだった。


 朝比奈みずきは、待っているときほど“待ってないふり”をする。


     ◇


 昇降口の端、窓際の壁にもたれて、みずきはスマホを見ていた。


 いや、見ているふりをしていた。


 画面は点いていない。


「何してんだ」


 真央が声をかけると、みずきはゆっくり顔を上げた。


「帰ろうとしてた」


「スマホ、画面消えてるぞ」


「……気のせい」


「無理あるだろ」


 みずきは少しだけ顔をしかめて、スマホをポケットにしまった。


「真央こそ、保健室?」


「ああ」


「榊さん?」


「うん」


「そっか」


 短い返事だった。


 でも、その一言にいろんなものが混ざっているのが分かった。

 気になっていたこと。

 聞きたくなかったこと。

 聞かなくても分かってしまっていたこと。


 みずきは靴箱からローファーを出しながら言う。


「今日、ちょっと歩く?」


「……いいのか」


「何が」


「俺と歩いて」


「変な聞き方しないで」


 みずきは少しだけ笑った。


「別に、最後の散歩ってわけじゃないでしょ」


 その言葉に、真央は一瞬だけ何も返せなかった。


 みずきはそれを見て、眉を寄せる。


「……やめてよ」


「何が」


「そこで黙るの」


「悪い」


「ほんと、そういうとこ下手」


「ああ」


「そこで素直に認めるのも下手」


 みずきはそう言って、先に昇降口を出た。


 空は曇っていた。

 雨は降っていない。

 でも、夕方の空気は少し湿っていた。


 二人は並んで歩き出した。


     ◇


 しばらく、何も話さなかった。


 その沈黙は、ことりとの沈黙とは少し違う。


 ことりとの沈黙は、そばにいるだけで落ち着く。

 みずきとの沈黙は、昔からそこにあったものが、今だけ少し形を変えている感じがする。


 気まずい。

 けれど、知らない沈黙ではない。


「真央」


 先に口を開いたのは、みずきだった。


「うん」


「榊さん、何て言ったの」


「……自分は、俺のこと好きだったんだと思うって」


「だったんだと思う?」


「そう言ってた」


「榊さんらしいね」


「そうか?」


「うん。好きです、って言い切らないところが」


 みずきは前を向いたまま、小さく息を吐いた。


「でも、たぶん本気だったんでしょ」


「ああ」


「そっか」


 それだけ言って、みずきは黙った。


 真央は横顔を見る。

 昔から見慣れた横顔だった。

 なのに今日は、少しだけ遠く見えた。


「みずき」


「なに」


「おまえにも、ちゃんと話さないといけないと思ってる」


「うん」


「……逃げたくない」


 みずきは歩く足を止めなかった。


 けれど、指先が少しだけ鞄の肩紐を強く握った。


「いいよ」


「まだ何も言ってない」


「だいたい分かる」


「……」


「分かるよ。何年幼なじみやってると思ってるの」


 みずきはそこで、ようやく足を止めた。


 そこは、前に二人で通った裏道の入口だった。

 小学生のころ、意味もなく遠回りした道。


「ここでいい?」


「何が」


「ちゃんと話すなら」


 真央は頷いた。


「うん」


 二人は、道の端に立った。

 夕方の光が、低い塀の上に薄く乗っている。


     ◇


「私ね」


 みずきが先に言った。


「たぶん、今日の話が来るの分かってた」


「……そうなのか」


「うん」


「いつから」


「ひよりちゃんが泣いたって聞いたときから」


 真央は目を伏せた。


「レナも、榊さんも、たぶん同じように分かってると思う」


「何を」


「真央の答え」


 みずきは少しだけ笑った。


「口にされる前から、見えてるものってあるじゃん」


「……あるな」


「あるんだよ」


 その声は、少し震えていた。


 でも、みずきは泣いていなかった。

 泣かないようにしている、というより、まだ泣くところまで行けていない顔だった。


「でも、分かってるのと、聞きたいのは別」


「うん」


「言って」


 短い言葉だった。


 真央は息を吸った。


 逃げるな。

 レナの声がする。


 笑ってるだけだと思うな。

 つばさの声がする。


 ちゃんと覚えててください。

 ひよりの声がする。


 そして、目の前にはみずきがいる。


 昔から一緒にいた。

 何でもない時間を山ほど共有した。

 強がって、怒って、でもずっとそばにいた。


 そのみずきに、真央はちゃんと言わなければならなかった。


「俺は」


「うん」


「ことりのことが好きなんだと思う」


 言った瞬間、みずきは目を閉じた。


 長い沈黙だった。


 車が一台、遠くの道を通り過ぎていく。

 犬の鳴き声がどこかから聞こえる。

 夕方の住宅街の音が、やけにはっきりしていた。


「……そっか」


 みずきは目を開けた。


「やっぱりね」


「みずき」


「言わないで」


「……」


「謝るのは、今はなし」


 みずきはそう言って、少しだけ笑った。


「謝られたら、ほんとに負けたみたいでむかつくから」


「分かった」


「素直すぎ」


「どうすればいいんだよ」


「何も言わないで」


「分かった」


「それも素直」


 みずきは笑おうとして、失敗した。


 口元だけが少し歪んで、すぐに下を向く。


「……やだな」


 小さな声だった。


「分かってたのに、ちゃんと痛い」


「……」


「私、昔から真央のこと知ってるのにね」


「うん」


「それって、やっぱり強いと思ってた」


「強かった」


 真央はすぐに言った。


 みずきが顔を上げる。


「強かったよ」


「……でも、足りなかった?」


 その問いに、真央はすぐ答えられなかった。


 足りない、という言葉は違う気がした。

 みずきとの時間は本物だった。

 今も大事だ。


 でも、それは恋の答えとは別だった。


「足りないんじゃない」


 真央は言った。


「みずきとの時間は、俺にとって本当に大事だった」


「うん」


「今も大事だ」


「うん」


「でも」


「でも?」


「俺が、いちばん先に守りたいって思ったのは、ことりだった」


 みずきの目が揺れた。


「最初の事件?」


「あれだけじゃない」


「うん」


「でも、あの日からずっと、気になってた。あいつが無理してないかとか、笑ってるかとか、怖がってないかとか」


「……」


「文化祭が終わって、席が離れて、それでもことりが自分から来てくれて。そういうのを見てるうちに、俺もたぶん戻る場所が決まってた」


 ひよりが言った言葉。

 心が帰る場所。


 それは、たぶん正しかった。


「そっか」


 みずきは静かに言った。


「そこまで言われたら、さすがに分かる」


「みずき」


「でも、悔しい」


「ああ」


「めちゃくちゃ悔しい」


「ああ」


「私のほうが長いのに」


「うん」


「昔の真央も、今の真央も、ちゃんと好きなのに」


「うん」


「でも、負けたんだ」


 真央は何も言えなかった。


 みずきは一度だけ空を見上げた。

 涙はこぼれていない。

 でも、目元は赤かった。


「……ほんと、やだ」


「うん」


「真央なんか、ことりちゃんに振られればいいのに」


「それは困る」


「困ればいい」


「ひどいな」


「ひどいこと言ってるんだから、ひどくていいでしょ」


 みずきはそこで、やっと少しだけ笑えた。


 その笑いは涙に近かったけれど、確かにみずきらしかった。


     ◇


「一個だけ」


 みずきが言う。


「何だ」


「最後に、幼なじみとしてじゃなくて、好きだった女として言う」


 真央は姿勢を正した。


「ことりちゃんを選ぶなら、ちゃんと幸せにして」


「……ああ」


「中途半端にするな」


「ああ」


「嫉妬させるな、とは言わないけど」


「そこは言わないのか」


「無理でしょ。あんた鈍いし」


「そこは最後まで言うんだな」


「言うよ」


 みずきは鞄の肩紐を握り直す。


「でも、泣かせっぱなしにしたら、私が怒る」


「分かった」


「ほんとに怒る」


「分かった」


「たぶん殴る」


「それは怖い」


「怖がっていい」


 みずきは深く息を吐いた。


「あと」


「うん」


「私との時間も、なかったことにしないで」


「しない」


「ほんと?」


「ほんと」


「じゃあ、いい」


 そう言ってから、みずきは少しだけ顔を伏せた。


「よくないけど、今日はそれでいい」


「……ありがとな」


「だから、今お礼言うのもむかつく」


「悪い」


「謝るなって言った」


「……」


「黙るのもむかつく」


「どうしろっていうんだよ」


 みずきは、今度こそ少しだけ笑った。


「そういうところ、ほんと真央だよね」


 その笑顔を見て、真央は胸が苦しくなった。


 みずきはずっと、みずきだった。

 強がって、怒って、泣くのを我慢して、最後までこちらのことを見ていた。


「じゃ、私こっちだから」


 みずきは駅とは逆方向を指した。


「一人で帰れるか」


「子ども扱いするな」


「悪い」


「……でも」


 みずきは少しだけ迷ってから言った。


「今日は、送らなくていい」


「分かった」


「今、一緒に歩かれると、たぶん泣く」


 その言葉は、これまでで一番正直だった。


「だから、ここで」


「ああ」


「また明日」


「……また明日」


 みずきは背を向けた。


 数歩進んでから、振り返らずに言った。


「真央」


「うん」


「私、あんたのこと好きだった」


 過去形だった。


 でも、まだ少しだけ現在形の匂いが残っていた。


「ありがとな」


 真央がそう言うと、みずきは片手だけ上げた。


「ほんと、そういうとこ」


 それだけ残して、みずきは歩いていった。


     ◇


 真央は、その背中が見えなくなるまで動けなかった。


 幼なじみの時間は、恋にはならなかった。

 でも、消えるわけでもない。


 みずきとの道。

 みずきとの会話。

 みずきの怒った顔も、笑った顔も、今日の泣きそうな顔も。


 全部、ちゃんと残る。


 その重さを持ったまま、真央はようやく歩き出した。


 ことりに伝える前に、まだ一人だけ話さなければいけない相手がいる。


 笑って見ているだけじゃなかった、あの人に。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ