第44話 ひより、後輩だからこそできる真っ直ぐさを使う
小日向ひよりは、最近ようやく学んだことがある。
勢いだけで突っ込むのは、だいたい失敗する。
いや、正確には、失敗するというより“周りを全部巻き込んで大騒ぎになる”のだ。
それはそれで自分らしいのかもしれないけれど、少なくとも今のひよりは、前より少しだけ考えるようになっていた。
空気を読む。
タイミングを見る。
先輩たちの表情をちゃんと観察する。
そうやって動くようになってから、自分でもびっくりするくらい疲れる。
でも、そのぶん少しだけ分かったこともある。
白井先輩の近くには、もう“ただ好きです!”って突っ込めば済む空気はない。
七瀬ことり先輩も、朝比奈みずき先輩も、本気だ。
たぶん榊レナ先輩だって、ただの傍観者じゃない。
その中で、自分が同じやり方で戦おうとしても弱い。
なら、後輩だからこそできる真っ直ぐさを使うしかない。
「……よし」
放課後、一年の教室でひよりは小さく拳を握った。
今日はちゃんと時間を聞いて話す。
勢いで飛びつかない。
でも、遠慮しすぎて消えるのも違う。
そのために、自分で考えた作戦はシンプルだった。
“五分だけください”を、ちゃんと守る。
たったそれだけ。
でも、今のひよりにとっては、それがいちばん大事だった。
◇
二年A組の教室は、その日わりと静かだった。
文化祭の後処理もほとんど終わり、放課後に残る人間は少しずつ減ってきている。
ことりは日直の仕事をしていて、みずきは先生に頼まれてプリントを職員室へ持っていったらしい。
つばさはなぜかまだ教室の隅でスマホをいじっている。レナは保健室と教室を行ったり来たりしている。
そして、真央は一人で窓際の席に座って、ノートをまとめていた。
ひよりは教室の入口で一度だけ深呼吸する。
「先輩」
前よりずっと抑えた声で呼ぶ。
真央が顔を上げる。
「ひより」
「今、ちょっとだけ時間ありますか?」
その言い方に、つばさが反応した。
スマホの画面から顔を上げて、明らかに“おっ”という顔をする。
真央も一瞬だけ驚いたようだったが、すぐに頷いた。
「あるけど」
「五分だけでいいです」
「きっちりしてるな」
「最近、努力してるので」
ひよりがそう言うと、真央は少しだけ笑った。
「じゃあ、廊下でいいか」
「はい」
二人が教室を出るとき、つばさが小さく口笛を吹くような顔をしていた。
あの人は本当に分かりやすい。
◇
廊下の窓際。
西日が少しだけ差していて、外はまだ明るい。
「で?」
真央が聞く。
「今日は何の用だ」
ひよりはそこで、一度だけ背筋を伸ばした。
前みたいに“差し入れです!”とか“通りかかったので!”ではない。
今日は、ちゃんと自分の言葉で言うと決めていた。
「この前」
「うん」
「ちゃんと考えたら、やっぱり先輩のこと好きだと思うって言ったじゃないですか」
「ああ」
「その続きです」
真央は黙って聞いている。
ひよりは、その沈黙に前ほど怯えなくなっていた。ちゃんと聞いてくれる沈黙だと知ったからだ。
「私、ちょっと勘違いしてたんです」
「勘違い?」
「空気を読めるようになれば、大人しくできるかなって」
真央は少しだけ首をかしげた。
「でも無理でした」
「無理なんだ」
「無理です!」
ひよりはきっぱり言った。
「だって、先輩のこと好きなのに、何も言わないで普通の後輩みたいにしてるの、しんどいです」
その言葉は、ひよりらしい真っ直ぐさだった。
考えるようにはなった。
でも、考えた結果が“やっぱり好きなものは好き”なのだから、そこは変わらない。
真央は小さく息を吐いた。
「……そっか」
「でも!」
ひよりは慌てて続ける。
「だからって前みたいに空気壊すのも違うと思うんです」
「うん」
「だから、ちゃんと先輩の都合聞いて、ちゃんと五分だけにして、ちゃんと話すことにしました」
「ルール決めたんだな」
「決めました!」
言い切ってから、ひよりは少しだけ照れくさくなる。
「先輩の近くには、もう強い人がいっぱいいるから」
「またそれ言うのか」
「本当のことですし」
真央は少しだけ困ったように笑った。
でも、その笑い方は前より優しい。
「強い人がいるからって、ひよりが弱いわけじゃないだろ」
その一言に、ひよりは言葉を失った。
「……え」
「後輩って立場も、武器だと思うぞ」
「今それ言います?」
「だめだったか」
「だめじゃないですけど!」
ひよりは思わず顔を押さえたくなる。
こういうのだ。
こういうふうに、ちょっと欲しい言葉を自然にくれるから困る。
「先輩」
「ん?」
「そういうとこです」
「最近それよく言われるな」
「当然です!」
ひよりは言いながら、少しだけ真面目な顔になる。
「でも、私」
「うん」
「後輩だからって、気軽な好きでいたくないです」
その声は、前より静かだった。
「ちゃんと好きで、ちゃんと前に出たいです」
真央は少しだけ目を細める。
ひよりは続ける。
「ことり先輩みたいに落ち着いて近づくのも、みずき先輩みたいに強く言うのも、今の私にはまだ難しいです」
「……」
「でも、後輩だからこそできる真っ直ぐさなら使えるかなって」
それはたぶん、今のひよりにしかできない戦い方だった。
年下。
まっすぐ。
まだ少し危なっかしい。
でも、そのぶん嘘がない。
「だから」
ひよりは、ちゃんと真央を見る。
「先輩のこと、これからも好きでいます」
告白と呼ぶには、少しだけ手前かもしれない。
でも、宣言としては十分強かった。
真央はしばらく黙っていた。
ひよりは少しだけ緊張していたが、不思議と目を逸らさなかった。
「……うん」
やがて真央が言う。
「ちゃんと伝わった」
その言葉に、ひよりの胸の奥がじんと熱くなる。
「先輩」
「ん?」
「今、すごく優しい顔しました」
「自覚ない」
「だと思いました!」
思わず笑ってしまう。
笑ってから、ひよりはふと思う。
ああ、やっぱり自分、この人のこと好きなんだな、と。
前よりちゃんと、はっきりと。
「時間、大丈夫です!」
ひよりが言う。
「ほんとに五分くらいなので!」
「おまえ、そこほんとに守るんだな」
「成長したので」
「それ何回目だよ」
「大事なので何回でも言います」
真央が少しだけ笑う。
その笑い方を見て、ひよりはやっぱり今日来てよかったと思った。
◇
廊下の曲がり角の向こう。
そこに、ことりとみずきがいた。
待ち伏せしていたわけではない。
ただ、タイミング悪く戻ってきたら、ちょうど廊下の向こうでひよりと真央が話していたのだ。
しかも、ひよりの表情は前までと違った。
勢いだけじゃない。ちゃんと考えて、自分の言葉を選んでいる顔だった。
「……成長してる」
ことりが小さく言う。
「やだね」
みずきが即答する。
「うん」
「否定しないんだ」
「しないよ」
ことりは少し苦笑した。
「前より怖いもん」
それは本音だった。
ひよりがただ無邪気に飛び込んでくるだけなら、まだ対処のしようもある。
でも、ちゃんと空気を読んで、相手の都合も見て、それでも真っ直ぐ来るなら、もう簡単に“後輩の勢い”では片づけられない。
みずきも同じことを思っていたらしく、小さく息を吐く。
「真央、ああいうのに弱そうだし」
「弱いね」
「だよね」
二人とも、少しだけ同じ顔をした。
悔しい。
でも認めるしかない。
ひよりは前よりずっと、ちゃんと戦うようになっている。
「……行こっか」
ことりが言う。
「うん」
廊下の角から出ると、ひよりがちょうど話を終えて頭を下げたところだった。
こちらに気づいて、少しだけ慌てる。
「あっ」
「おつかれ」
ことりがやわらかく言う。
「な、なにか聞いてました?」
「ちょっとだけ」
みずきが答える。
「ちゃんと時間守ってたんだなって」
「……はい」
ひよりは少しだけ気まずそうにする。
でも、逃げなかった。
「私、ちゃんとしたかったので」
その言葉に、ことりは少しだけ目を細めた。
「うん。わかった」
「……ありがとうございます」
みずきは腕を組んだまま、ひよりを見る。
「でも、成長したからって手加減はしないから」
その言い方は少しだけ厳しい。
けれど、前ほど刺々しくはなかった。
ひよりは一瞬だけ目を丸くして、それから小さく頷いた。
「はい」
「そこで素直なんだ」
ことりが少しだけ笑う。
「だって本当ですし」
ひよりが言う。
「ことり先輩もみずき先輩も、やっぱり強いので」
「またそれ」
ことりが困ったように言う。
「でも、ひよりちゃんももう弱くないよ」
その一言に、ひよりはしばらく言葉を失った。
みずきも少しだけ驚いた顔をして、それから小さく頷く。
「……まあ、それはそう」
ひよりの顔が、少しだけ赤くなる。
「えへへ」
「そこで照れるんだ」
真央が言う。
「照れますよ!」
廊下の空気が少しだけやわらぐ。
後輩だからこそできる真っ直ぐさ。
それは、ことりにもみずきにもない強さだった。
そして、その強さが、もう簡単には無視できないところまで来ている。
文化祭のあと、恋はそれぞれ違う形で前へ進んでいた。
静かに、でも確実に。




