第40話 みずき、ついに“嫉妬してる”を隠しきれなくなる
朝比奈みずきは、自分が嫉妬深い人間だと、できれば認めたくなかった。
面倒くさいし、格好悪い。
何より、そういう感情をむき出しにする女は重いと、自分で思っていたからだ。
でも、認めたくないことほど、たいてい外からはよく見える。
しかも最悪なことに、今のみずきの嫉妬は、本人より先に周囲に見抜かれ始めていた。
「朝比奈さん」
昼休み、つばさが机の端に腰を引っかけて言った。
「なに」
「今日もいい感じに機嫌悪いね」
「そう見えるなら気のせい」
「いや、かなり見える」
つばさは笑っている。
でも、その笑い方は完全に茶化しだけじゃない。最近は、からかうついでにちゃんと本質を突いてくるから困る。
「ことりちゃんと白井くん、さっきまた話してたじゃん」
「……だから何」
「いやあ、見てると分かりやすいなって」
「誰が」
「朝比奈さんが」
即答だった。
みずきは思わず眉を寄せる。
「藤宮さん」
「はい」
「ほんとに一回黙ったほうがいいと思う」
「でも図星でしょ?」
図星だった。
だから余計に腹が立つ。
さっき、ことりと真央は本当にどうでもいい雑談をしていた。
現代文の先生が眠そうだったとか、昼休みが短く感じるとか、そういうレベルの話。
たったそれだけだ。
たったそれだけなのに、みずきは妙に胸の奥がざわついた。
なぜなら、それが“準備の流れ”ではなく、ただの日常会話だったからだ。
文化祭という口実がなくなったあとで、なお自然に続いている会話。
それは、みずきにとって結構きつい。
「……わかってるし」
ぼそっと言うと、つばさが少しだけ目を細めた。
「なにが?」
「私が、見ててムカついてるの」
「おお、今日はわりと素直」
「うるさい」
みずきは机に頬杖をつく。
「だって、あの二人」
「うん」
「最近、自然なんだもん」
つばさは何も言わずに聞いている。
それが逆にしゃべりやすかった。
「文化祭のときは、まだ“イベント補正”みたいなのもあったじゃん」
「うん」
「でも今は、そういうのないのに普通に続いてる」
「うん」
「それが、なんか……ずるい」
言ってしまってから、みずきは少しだけ顔をしかめた。
言葉が子どもっぽい。けれど、今の気持ちには一番近かった。
つばさはようやく口を開く。
「ことりちゃんだけがずるいわけじゃないと思うけどね」
「は?」
「白井くんも、最近ことりちゃんに対してちょっと素直だし」
その一言が、さらに胸に刺さる。
「……それ」
「うん」
「一番聞きたくないやつ」
「でも本質」
みずきは大きく息を吐いた。
そうだ。
ことりが頑張っているのも分かる。前より強くなっているのも分かる。
でも、それだけではない。真央のほうも、ことりに対して前よりやわらかくなっている。
それが見えるから、余計にしんどいのだ。
◇
五限目のあと、教室では小テストの返却があった。
みんなが答案を見て一喜一憂している中、ことりは真央にノートを返していた。
「これ、昨日ありがと」
「古文?」
「うん。助かった」
「役に立ったならよかった」
それだけの会話。
でも、その“よかった”が妙に自然で、みずきは思わず視線を逸らした。
嫌になる。
見なければいいのに、見てしまう。
見てしまうから、余計に気になる。
「朝比奈さん」
今度はレナだった。
隣の席で答案を二つ折りにしながら、静かな声で言う。
「なに」
「今の顔、あんまり隠せてない」
「……榊さんまでそれ言うの」
「見えてるものは見えてるから」
その言い方までつばさに似てきた気がして、みずきは少しだけ苛立つ。
「そんなに顔出てる?」
「かなり」
「最悪」
「まあ、気持ちは分かるけど」
レナがそこまで言ったので、みずきは少しだけ驚いた。
「榊さんが“気持ちは分かる”とか言うの珍しい」
「そう?」
「うん」
レナは小さく肩をすくめた。
「だって、今の二人は見てて分かるもの。話すのが自然になってきてる」
「……」
「羨ましいって思うのも普通でしょ」
その言葉に、みずきは何も返せなかった。
羨ましい。
そうだ。たぶん、それが正しい。
腹が立つだけじゃない。
ただ嫌なだけでもない。
自分もああいうふうに、理由なく話せる位置にいたいのだ。
その気持ちを、羨ましいと言ってしまえば少し楽なのかもしれない。
でも、口にするとあまりにも生々しい。
◇
その日の放課後、みずきは一人で先に帰るつもりだった。
こういうときは、少し距離を置いたほうがいい。
ことりと真央が話しているのを見て、また変な気持ちになるくらいなら、自分から離れたほうがましだ。
そう思って鞄を持ったときだった。
「みずき」
真央に呼ばれる。
「……なに」
なるべく普通に返したつもりだった。
でも、少しだけ声が固い。
「ノート、昨日の続きあるなら今返すけど」
「昨日の続き?」
「数学」
ああ、それか。
たしかに昨日、放課後に少しだけ聞いた問題の続きがあった。
「……別に今じゃなくていい」
「そうか?」
「うん」
「じゃあ明日でも」
「真央」
気づけば、少し強い声が出ていた。
教室の空気がわずかに止まる。
ことりも、つばさも、レナも、何気ない顔でいて、たぶん少しだけこちらを見ている。
しまった。
そう思ったけれど、もう遅かった。
「……なによ」
真央が少しだけ困った顔をする。
「なんで、そんな普通なの」
言ってしまった。
みずき自身、一瞬だけ息を止める。
でも、一度出た言葉は戻らない。
「普通って」
「そうやって、ことりちゃんとも普通に話して」
「……」
「私にも普通に声かけて」
「……」
「ひよりちゃんにも普通に優しくして」
言葉が止まらない。
止めたいのに、今まで飲み込んでいたぶんだけ一気に出てくる。
「それで、何も変わってないみたいな顔するの、ずるい」
教室が静かになった。
みずきはそこでようやく、自分がかなり危ないところまで本音を出してしまったと気づく。
頬が熱い。逃げたい。今すぐ帰りたい。
でも、もう引っ込められない。
「……みずき」
真央が小さく言う。
「私、今かなりダサいこと言ってるの分かってる」
「そんなこと」
「分かってるの!」
思わず声が大きくなる。
すぐに自分で口を押さえた。
「……ごめん」
小さく言う。
「でも、ほんとにそう思ったから」
そのとき、ことりが席を立ちかけた。
だが、レナが小さく首を振って止めた。たぶん今は、ことりが入ると余計にこじれると判断したのだろう。
つばさも珍しく黙っていた。
真央は少しだけ考えるような顔をして、それから言った。
「……普通にしてるつもりは、たしかにある」
みずきが顔を上げる。
「でも、何も変わってないとは思ってない」
その言葉に、胸が少しだけ詰まった。
「じゃあ、なんでそんな平気そうなの」
「平気そうに見えてるなら、俺の顔が悪い」
「なによそれ」
「ほんとのことだろ」
真央は少しだけ苦笑した。
「正直、最近ずっと整理ついてない」
教室の空気が、少しだけやわらぐ。
みずきだけじゃなく、ことりも、つばさも、レナも、その言葉には反応した。
「ことりと話すのが自然になってきたのも本当だし」
みずきの胸がまた少し痛む。
「みずきが前よりちゃんと本音で来るようになったのもわかる」
今度は、痛みだけじゃない。
「ひよりが本気で来てるのも見えてる」
その言葉を、真央はごまかさなかった。
「だから、平気なわけじゃない」
みずきはしばらく何も言えなかった。
自分だけが苦しいと思っていたわけじゃない。
でも、真央の側も何も考えていないわけじゃないと、こういうふうに言われると、余計に感情の置き場がなくなる。
「……そっか」
ようやく出たのは、それだけだった。
真央は少しだけ息を吐く。
「みずき」
「なに」
「嫉妬してるって、さっきのことだろ」
その一言で、みずきの顔が一気に熱くなる。
「なっ」
「違うのか」
「違わないけど!」
教室の何人かが、さすがにちらっとこっちを見る。
最悪だ。最悪すぎる。
でも、みずきはもう逃げなかった。
「……そうだよ」
小さく言う。
「嫉妬してる」
その言葉は、思っていたよりずっと重かった。
そして、言ってしまうと少しだけ楽だった。
「ことりちゃんと話してるの、羨ましいし」
ことりがぴくっと反応する。
「自然なの、ずるいし」
真央は黙って聞いている。
「ひよりちゃんみたいに、まっすぐ来られるのも羨ましい」
つばさがわずかに目を細める。
レナは静かに息を吐いた。
「……だから、嫉妬してる」
言い切ったあと、教室に少しだけ重たい静けさが落ちた。
その沈黙を破ったのは、ことりだった。
「……わかるよ」
小さな声だった。
みずきがそちらを見る。
ことりは少しだけ緊張した顔をしていたが、それでも目を逸らさなかった。
「私も、してるから」
それは、あまりにもまっすぐな共感だった。
ことりは続ける。
「みずきちゃんが普通に真央と話してるの、羨ましいときあるし」
今度は真央が少しだけ固まる。
「昔からの距離って、やっぱり強いもん」
みずきは言葉を失った。
こういうとき、ことりはずるい。
まっすぐだ。ちゃんと本音を出す。しかも、相手を否定しない形で。
だから余計に、腹が立たない。
「……ほんと、やりにくい」
みずきが小さく言うと、ことりが少しだけ笑った。
「私も」
その二人を見て、つばさがようやく息を吐いた。
「はい、今日もだいぶ青春」
「おまえは最後にそれ言わないと死ぬのか」
俺が言うと、つばさは肩をすくめる。
「だって本質だし」
レナも小さく頷いた。
「でも、悪くないと思うわ」
「何が」
みずきが聞く。
「嫉妬してるって、ちゃんと言えたこと」
レナは静かに言う。
「隠しきれなくなったなら、隠したふりのほうが痛いもの」
その言葉に、みずきは小さく息を吐いた。
今日はだいぶ格好悪かった。
でも、たぶん必要な格好悪さだった。
嫉妬してる。
そう言ってしまった以上、もう“ただの幼なじみ”の顔には戻れない。
それでいいのかもしれないと、少しだけ思えた。




