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『パンツから始まる青春とか聞いてない−−好きな子のおしっこ失敗を笑わずに助けたら、なぜか学園一ややこしい青春ラブコメが始まった−−』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第34話 文化祭後、口実の消えた放課後はやけに長い

 文化祭が終わったあとの学校は、妙に静かだ。


 もちろん実際には静かじゃない。

 授業はあるし、部活の声もするし、昼休みにはいつものざわめきも戻っている。

 でも、あの数日間の濃さを知ってしまったあとだと、全部が少しだけ薄く感じる。


 たぶん、口実が消えたからだ。


 文化祭準備。

 買い出し。

 ポスター制作。

 衣装確認。

 接客練習。


 そういう“自然に一緒にいられる理由”が、綺麗になくなってしまった。


 そして、そのことにいちばん戸惑っていたのは、たぶん俺だけじゃない。


「……はあ」


 放課後、教室に残ったまま、俺は窓の外を見ながら小さく息を吐いた。


 部活へ向かう生徒たちが校庭を横切っていく。

 夕方にはまだ少し早い時間。空は明るい。

 なのに、放課後だけが妙に長く感じた。


「重いなあ」


 すぐ後ろから、つばさの声。


「今日だけで何回目、そのため息」


「数えるな」


「だって目立つし」


 つばさは俺の机に軽く肘をついて、楽しそうに笑った。


「文化祭ロス?」


「そういう言い方やめろ」


「でも近いでしょ」


「近くない」


「近いよ」


 この人はほんとうに容赦がない。


 文化祭ロス。

 たしかに、言葉にするなら近いのかもしれない。


 あの数日間、毎日のように誰かと一緒に残っていた。ことりとも、みずきとも、ひよりとも、やたら会話が増えた。

 それが急に“元通りの日常”へ戻ったように見えるのに、内側だけは全然戻っていない。


 だから、居心地が悪い。


「藤宮さん」


 前のほうから、ことりの声がした。


「ん?」


「白井くんいじりすぎ」


「えー、でも面白いし」


「そういうのよくない」


 ことりはそう言いながら、ちらっと俺のほうを見る。

 その視線はやわらかい。でも少しだけ遠慮もある。


 文化祭の前なら、ことりは“用事があるから”話しかけてきた。

 文化祭の間は、“準備の流れで”一緒にいた。

 でも今は、そのどちらもない。


 だから、何でもない会話のひとつひとつに、前より少しだけ勇気がいるのだろう。


「……何」


 俺が聞くと、ことりは少しだけ目を丸くした。


「え?」


「いや、なんか言いたそうだったから」


「う、ううん。別に」


 その“別に”が、最近みんなの中で流行ってる気がする。


 ことりは少しだけ迷って、それから自分の席を立った。

 数歩歩いて、俺の机の横まで来る。


「えっと」


「うん」


「今日の英語、ちょっと難しくなかった?」


 俺は一瞬だけ、きょとんとした。


 英語。

 あまりにも普通の話題で、逆に驚く。


「……ああ、長文のやつ?」


「そう。設問の四番」


「主語取りづらいやつな」


「そうそう」


 ことりの顔が、少しだけ明るくなる。


「やっぱりそうだよね?」


「たぶんみんな引っかかってたと思う」


「よかった。私だけかと思った」


 その会話は、本当にそれだけだった。


 文化祭の反省でもない。

 秘密の話でもない。

 恋愛の匂いすらしない、ただの授業の話。


 なのに、ことりが少しだけほっとしたように笑うのを見て、俺の胸のどこかが妙に落ち着く。


「……そっか」


 ことりが言う。


「白井くんも引っかかったなら、ちょっと安心」


「何で俺基準なんだよ」


「なんとなく」


 ことりは笑った。


「白井くん、こういうの変に冷静だから」


「褒めてる?」


「半分くらいは」


「またそれか」


 ことりがくすっと笑う。

 その笑い方は、文化祭のあと少しだけ変わった気がする。前より近い。けれど、押しつけがましくない。


 理由がなくても話したい。

 たぶん、そういうことなのだろう。


 そのときだった。


「へえ」


 後ろから、低めの声。


 振り向くと、みずきが立っていた。


「何だよ、そのへえは」


「別に」


「その“別に”も最近便利だな」


「真央にだけは言われたくない」


 みずきはそう言ってから、ことりと俺の位置関係をちらっと見る。


「……なにしてんの」


「英語の話」


 ことりが答える。


「英語?」


「うん。今日の長文」


「ふうん」


 みずきは少しだけ黙る。

 その沈黙に、“そんな普通の話でそこまで自然に会話できるんだ”という温度が混ざっているのを、俺はなんとなく感じてしまった。


「……何だよ」


 俺が聞くと、みずきはふいっと視線を逸らした。


「別に、文化祭終わったのに、もう普通に話してるんだなって思っただけ」


 その言い方は、少しだけ棘がある。

 でも、前みたいな尖った棘ではない。どちらかというと、取り残された感じに近い。


「話したらだめなの?」


 ことりが聞く。


「だめとは言ってない」


「じゃあいいじゃん」


「そうだけど」


 みずきは少しだけ口を尖らせた。


「なんか、文化祭終わったら一回リセットされるのかと思ってた」


 その一言に、俺もことりも少しだけ黙った。


 リセット。

 たしかに、そういう感覚はあった。イベントが終われば、熱も冷めて、空気も少しは元へ戻るんじゃないかと。


 でも、実際にはそうならなかった。


「……戻ってないね」


 ことりが静かに言う。


「うん」


 みずきも頷く。


「全然」


 その二人の会話が、少しだけ不思議だった。

 張り合っているようでいて、でも、同じものを見ている人間同士の会話でもある。


 つばさが、少し離れた席からにやにやしながら口を挟んだ。


「ほらねー」


「何が」


 みずきが言う。


「イベント終わったあとのほうが、恋愛は進むんだよ」


「物語みたいに言うな」


 俺が言うと、つばさは肩をすくめた。


「でも事実じゃん。準備中は“やること”が多すぎてごまかせたけど、今はもう口実がないんだし」


 その言葉は軽い。

 でも、妙に核心だった。


 口実がない。

 だからこそ、誰が理由もなく近づくのかが見えてしまう。


 ことりは少しだけ視線を落とす。

 みずきはわずかに眉を寄せる。


 そして俺だけが、その意味をうまく処理できずにいた。


     ◇


 結局、その日も放課後に残る理由は特になかった。


 文化祭前なら、誰かが必ず「これ手伝って」とか「買い出し確認」とか言ってきた。

 でも今日は、そういうものがない。


 ないのに、なぜか誰もすぐには帰らなかった。


 ことりは席でノートを開いている。

 みずきはスマホを見ているふりをしている。

 つばさは完全に面白がって観察している。

 レナは保健委員の紙を整理しているが、帰るタイミングをずらしている感じもする。


 なんだこれ。

 全員、何となく“帰ると終わる”みたいな空気を感じているのかもしれない。


「……じゃあ」


 俺が立ち上がる。


「帰るか」


 その一言で、教室の空気が少しだけ揺れた。


「うん」


 ことりが頷く。

 みずきも、小さく息を吐いて立ち上がる。


 昇降口までの道は、妙に静かだった。


 ことりと俺が並ぶでもなく、みずきが露骨に割り込むでもなく、三人が少しずつ距離を空けながら歩く。

 文化祭前にはよくあった妙な並び。でも、今はそれがもっと意味を持つ。


「ねえ」


 ことりが、小さく声を出した。


「ん?」


「今日、なんか放課後長くなかった?」


「……分かる」


 とっさに答えたのは、みずきだった。


「すごく」


 ことりが少しだけ笑う。


「だよね」


 その会話を聞いて、俺は少しだけ驚く。

 ことりが感じていたことを、みずきも同じように感じていたのだ。


「なんでだろうな」


 俺が言う。


「理由がなくなったからじゃない?」


 みずきが答える。


「文化祭準備みたいな」


「そうかも」


 ことりが頷く。


「口実、なくなっちゃったもんね」


 その言い方が、妙に胸に残る。


 口実がなくなった。

 でも、なくなったから消えるようなものなら、こんなに放課後が長く感じたりしない。


 昇降口に着く。


 靴を履き替えながら、俺は少しだけ考えて、それからことりを見た。


「ことり」


「え?」


「さっきの英語の話」


「うん」


「続き、明日でもいいなら聞くけど」


 ことりの動きが止まる。


 その横で、みずきも一瞬だけこちらを見る。


「……いいの?」


 ことりが小さく聞く。


「授業の話だろ」


「うん」


「なら別に」


 できるだけ普通に言ったつもりだった。

 でも、ことりの顔はそれだけで少し明るくなる。


「……じゃあ、明日」


「おう」


 みずきはそれを聞いて、ほんの少しだけ視線を逸らした。

 嫌そうというより、焦りに近い顔だった。


 たぶんみずきも分かっている。

 こういう“何でもない続きを明日へつなげる”ことが、意外と強いのだと。


「じゃ、私も明日ちょっと聞きたいことある」


 みずきが唐突に言う。


「何を」


「数学」


「嘘つけ」


「半分くらい本当」


「残り半分は何なんだよ」


「秘密」


 ことりが思わず笑う。

 みずきも少しだけ笑った。


 文化祭が終わった。

 でも、日常は前よりずっと器用じゃなくなった。


 それでいいのかもしれない。

 少なくとも、もう誰も“なかったこと”みたいにはできなくなっている。


 口実の消えた放課後は、やけに長い。

 でもその長さの中で、たぶん少しずつ、本当の距離が見えてくるのだ。

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