第31話 みずき、文化祭の喧騒の中で一歩踏み出す
模擬喫茶のピークが一段落した夕方前。
校舎全体のざわめきはまだ続いているのに、裏口のあたりだけは少し静かだった。
表の喧騒が遠くに聞こえる。
どこかのクラスの呼び込みの声。
体育館側の拍手。
でも、この場所はその全部から半歩引いている。
真央は飲みかけのペットボトルを持ったまま、裏口のそばに立っていた。
少し遅れて、みずきがやってくる。
「呼び出し多いな、最近」
真央が言う。
「文化祭だから」
「なんでも文化祭で済ませるな」
「便利なんだからいいでしょ」
みずきはそう言ってから、少しだけ息を整えた。
いつもなら、ここで軽口をもう一つ返して時間を稼ぐ。
でも今日は、それではだめだと思っていた。
「真央」
「ん?」
「ちょっとだけ、ちゃんと聞いて」
その言い方がいつもと違ったのか、真央は少しだけ表情を変えた。
「……うん」
「私さ」
言葉が喉につかえる。
けれど、ここで飲み込んだらまた同じだ。
「幼なじみって立場に、たぶんずっと甘えてた」
真央は何も言わない。
それが逆に助かった。
「近くにいるのが当たり前で、話すのも当たり前で」
「うん」
「だから、改めて何かしなくても、別に大丈夫だと思ってた」
みずきは少しだけ笑った。
苦い笑いだった。
「でも、全然そんなことなかった」
「……」
「七瀬さんが真央の近くにいるの見て、ひよりちゃんがまっすぐ来るの見て」
胸の奥が少し熱くなる。
泣きたいわけじゃない。けれど、ずっと抱えていたものを出すとき、人は少しだけ震える。
「私、やっと分かったの」
「何を」
「幼なじみのままで終わりたくないんだって」
その言葉は、思っていたより静かに出た。
でも、真央の顔が一瞬だけ止まったので、ちゃんと届いたのだと分かる。
「……みずき」
「返事とか、今いらない」
すぐに言う。
「それはまだ、いい」
自分でも、かなり精一杯だった。
告白と言い切るには少し足りない。けれど、ただの遠回しでもない。
真央はペットボトルを持つ手を少しだけ握り直した。
「でも」
みずきは続ける。
「今までみたいに“幼なじみだから”ってだけで隣にいるのは、もう嫌なの」
「……」
「ちゃんと、自分の意思で近くにいたい」
そこまで言って、ようやく少しだけ息が整った。
ずっと言えなかった。
言ったら何かが終わる気がしていた。
でも、言わないままだと、本当に何も始まらないのだと、ことりやひよりを見ていて嫌というほど分かった。
真央はしばらく黙っていた。
その沈黙が長く感じる。
「……驚いた?」
みずきが聞くと、真央は少しだけ苦笑した。
「かなり」
「だよね」
「でも、なんていうか」
「なに」
「うれしい、はちょっと違うけど」
「違うんだ」
「いや、違わないかもしれない」
真央は少しだけ視線を泳がせた。
「ちゃんと聞けてよかった、とは思う」
みずきはその言葉を、しばらく頭の中で反芻した。
ちゃんと聞けてよかった。
派手な返事ではない。
でも、軽くもない。
少なくとも、冗談や勢いで流されたわけじゃない。
「……そっか」
「うん」
「じゃあ、それで今はいい」
みずきは小さく笑った。
そして、その笑い方が前より少しだけ自然なことに、自分で驚いた。
「私ね」
「うん」
「たぶん、ようやくスタートしたんだと思う」
「スタート?」
「ことりちゃんとかひよりちゃんは、もう少し前からそこにいたの」
真央は黙って聞いている。
「でも私は、ずっと“幼なじみ”の席に座ったままだったから」
「……」
「だから、今さらだけど」
みずきは真央を見た。
「これからちゃんと行く」
その宣言は、前よりずっとはっきりしていた。
真央は少しだけ困ったように笑う。
「今それ言われると、すごい構えるんだけど」
「構えなさいよ」
「命令か」
「そう」
みずきが言うと、真央は少しだけ笑った。
その笑顔が、昔から知っている顔なのに、今日は少しだけ違って見えた。
たぶん、自分の言葉で距離を変えたからだ。
「……戻る?」
真央が聞く。
「うん」
みずきは頷いた。
それで終わりでもよかった。
でも、戻ろうとした瞬間、真央がぽつりと言った。
「みずき」
「なに」
「その、“幼なじみのままじゃ嫌”ってやつ」
「うん」
「ちゃんと分かった」
その一言が、予想していたより深く刺さる。
みずきは一瞬だけ止まって、それから少しだけ目を細めた。
「……それで十分」
文化祭の喧騒の中で、ようやく一歩踏み出せた気がした。
まだ告白ではない。
でも、もう後戻りするつもりもない。
◇
教室に戻ると、ことりが裏口のほうをちらっと見たのが分かった。
つばさは露骨にニヤニヤしている。
レナは何も言わない。ただ、みずきの顔を一度見て、小さく頷いた。
「なにその顔」
みずきがつばさに言う。
「いやあ、青春してるなって」
「うるさい」
「でも言えたんでしょ?」
小声で問われて、みずきは一瞬だけ黙ったあと、ほんの少しだけ口元を上げた。
「……まあね」
「おお」
ことりはそのやり取りを見て、胸の奥が少しだけざわつくのを感じた。
でも、不思議と嫌なだけではなかった。
みずきもちゃんと前に進んだ。
それが分かったからだ。
文化祭の喧騒の中で、みんな少しずつ、自分の気持ちを隠しきれなくなっていく。
たぶんそれは、悪いことではない。




