第30話 接客中の笑顔は、恋心を隠すには弱すぎる
文化祭の模擬喫茶で一番怖いのは、接客している本人たちより、見ている周囲のほうがよく分かってしまうことだ。
息が合っているとか。
視線が自然に向くとか。
片方が困る前にもう片方が動いているとか。
本人たちが必死で“仕事だから”と思っていても、その“仕事だから”の中に混ざる好意は、案外見える。
少なくとも、二年A組の模擬喫茶ではそうだった。
「こちら、お待たせしました」
ことりがトレーを持ってテーブルにつく。
「追加のお冷や、お願いします」
客が言うより先に、真央がすっと横からグラスを置く。
「あ、ありがとう」
ことりが小さく言う。
「どういたしまして」
そのやり取りがあまりにも自然で、隣のテーブルの女子たちが小さくざわつく。
「やっぱりあの二人、息ぴったりだよね」
「わかる」
「文化祭補正じゃなくて、普段からああなんじゃない?」
その会話は、本人たちにも普通に聞こえていた。
ことりは一瞬だけ手を止めそうになって、でもすぐに笑顔を崩さず次のテーブルへ向かう。
真央も何でもないふりで皿を回収する。
だが、何でもなくはない。近くにいるつばさには、きっと全部見えている。
「はいはい、聞こえてるのに平静を装う二人」
裏の通路で、つばさが小声で言う。
「おまえは黙れ」
真央が返す。
「だって事実じゃん」
「事実でも言うな」
その横で、ことりが小さく息を吐いた。
「……やっぱり分かるのかな」
「そりゃ、あれだけ連携してたら見えるでしょ」
つばさが言う。
「ことりちゃんが次に何するか、白井くんほとんど分かって動いてるし」
ことりは顔を赤くする。
けれど、否定できない。実際そうなのだ。
買い出し。
ポスター作り。
準備期間の小さな会話。
そういう積み重ねのせいで、今のことりと真央は、前よりずっと“タイミング”が合うようになってしまっている。
それはことりにとって、嬉しくて、同時に危ない。
「……藤宮さん」
「ん?」
「今の言い方、ちょっと嬉しい」
「でしょ?」
「で、でも、それが客に見えるのは恥ずかしい」
「それもでしょ?」
つばさは完全に楽しんでいる。
でも、そこに悪意はない。むしろ“気づいてるなら自覚しなよ”のほうに近い。
そのとき、みずきが裏の通路へ入ってきた。
「ことりちゃん、次休憩だよ」
「え、もう?」
「うん。三十分回った」
ことりは一瞬だけ真央を見る。
真央も同じタイミングでそちらを見る。
その視線が合う感じすら、たぶん外からは“そういうふう”に見えるのだろう。
「じゃ、ちょっと休んでおいで」
真央が言う。
「……うん」
ことりが頷く。
その一言だけで、みずきの胸が少しだけざわついた。
自分でも分かる。今のはただの気遣いだ。でも、その気遣いがことりのほうへ自然に向くのが嫌なのだ。
「白井」
「ん?」
「五番テーブル片付けて」
「おう」
みずきは少しだけ強めの声で言った。
真央は気づいているのかいないのか、すぐに動く。
その背中を見ながら、みずきは心の中で小さく舌打ちしたい気分になった。
ことりが休憩室へ入っていく。
みずきは少し迷ってから、そのあとを追った。
◇
休憩室は、元の準備室を簡易的に使っているだけなので、かなり狭い。
椅子が二つ。
小さな机が一つ。
そこにペットボトルやタオルが雑多に置かれている。
ことりはそこでようやく大きく息を吐いた。
「……つかれた」
小さく呟いた瞬間、後ろからみずきが入ってくる。
「おつかれ」
「みずきちゃん」
ことりは少しだけ驚いたあと、苦笑した。
「交代?」
「ううん、ちょっと様子見」
みずきは扉を閉めて、壁に背中を預けた。
狭い部屋だ。
二人きりになると、逆に変な逃げ場がない。
「……今日はすごいね」
ことりが言う。
「客?」
「それもだけど、空気」
「空気、ね」
みずきは短く返した。
ことりは膝の上に置いた手を見つめる。
「やっぱり、分かるんだなって」
「何が」
「私たち」
その言葉に、みずきは少しだけ目を細めた。
「まあ、分かるでしょ」
「だよね」
ことりが小さく笑う。
「接客してるときは、ちゃんと隠せてるつもりなんだけど」
「隠せてないんじゃない?」
「ひどい」
「事実」
でも、そこでことりは反論しなかった。
代わりに、少しだけ俯いて言う。
「……たぶん私、今、かなり余裕ない」
「知ってる」
みずきが即答する。
「笑顔、ちゃんと作れてるのに、作れてるからこそ余裕ない顔してる」
ことりは「なにそれ」と言いながらも、少しだけ笑った。
「でも、みずきちゃんもでしょ」
みずきは黙る。
「接客中、すごくちゃんとしてるのに」
「うん」
「白井くんと私が並ぶと、ちょっとだけ怖い顔する」
「うわ、見られてる」
「見えるよ」
ことりはそこまで言ってから、少しだけ迷った。
「……ごめん」
「なんで謝るの」
「だって、私」
ことりは視線を落とす。
「今ちょっと、幸せなんだと思う」
その一言は、静かだった。
「買い出しもあったし、ポスターも一緒に作ったし、今日もこうやって自然に連携できてて」
「うん」
「それが、すごくうれしい」
みずきは返事をしなかった。
しなかったが、怒ってもいなかった。
ことりは続ける。
「でも、うれしい分だけ、みずきちゃんが嫌な気持ちになるのも分かるから」
「……」
「それで勝った気になりたくない」
その言い方は、ことりらしかった。
ただ好きなだけじゃなくて、ちゃんと相手の痛みまで見えてしまう。
だからこそ、ことりは優しいし、その優しさが時々ずるい。
「勝ち負けじゃないでしょ」
みずきがようやく言う。
「それはそうだけど」
「でも、悔しいのは本当」
「……うん」
「それも本当」
みずきは壁を見たまま、小さく息を吐いた。
「今日さ」
「うん」
「ことりちゃんと白井が並んでるの、普通に見てて、ちょっと羨ましかった」
ことりは目を見開く。
「羨ましい?」
「だって、自然じゃん」
みずきは苦い顔で笑った。
「私、あいつと自然に話すのは昔からできるけど、“今のあいつ”と自然に並ぶのはまだちょっと難しい」
それは、みずきなりの告白に近かった。
ことりも、それが分かる。
「……みずきちゃん」
「でも」
みずきは顔を上げた。
「だからって、譲る気はないから」
その目は、ちゃんと強かった。
ことりは少しだけ息を止めて、それから頷く。
「うん。私も」
狭い休憩室の中で、その言葉は妙にまっすぐだった。
敵意だけじゃない。
でも、譲り合うつもりもない。
それが今の二人の、いちばん正直な距離なのだろう。
「……そろそろ戻る?」
ことりが聞く。
「うん」
みずきが頷く。
そのとき、ことりの目元が少しだけ赤いことに、みずきは気づいた。
「泣いてた?」
「泣いてない」
「いや、ちょっと潤んでる」
「……疲れただけ」
「そういうことにしとく」
ことりが少しだけ笑う。
その笑い方が、休憩前よりは少しだけ楽そうだった。
◇
教室へ戻ると、真央が裏の通路でトレーを拭いていた。
「休憩終わり?」
真央が聞く。
「うん」
ことりが答える。
「……ありがとう」
「何が」
「さっき、交代入ってくれたから」
「そりゃそのくらいするだろ」
真央は本当に何でもない顔でそう言った。
その言い方が、ことりの胸をまた少しだけ揺らす。
でも今は、それを顔に出しすぎないくらいの余裕が戻っていた。
「白井」
みずきが声をかける。
「ん?」
「あとで裏口来て」
「今度は何」
「ちょっとだけ」
真央が少しだけ目を丸くする。
だが、「わかった」と頷いた。
ことりはそのやり取りを見て、また少しだけ胸がざわつく。
でも、もうそれをただ苦しいだけの感情とは思わなかった。
みずきもまた、前に進もうとしている。
それが分かったからだ。
接客中の笑顔は、恋心を隠すには弱すぎる。
けれど、隠しきれないからこそ、少しずつ本音も表に出てくる。
文化祭当日の喧騒の中で、俺たちの感情は、もう完全に“なかったこと”には戻れなくなっていた。




