第二十五話 「水商売・その開業ノウハウ」はバイブルだ
その日から店作りが始まった。携帯もメールもない時代だったけれど、虎郎は簡単につかまった。だいたいいつも家にいる。
自転車を停めるや否や「国立に店借りたから、準備するわよ」と宣言したら、「ひゅー」と変な声を出して飛び上がった。
「美容室 さわこ」と書かれたままの古びた店先のテントに、虎郎がどこからか白いペンキを調達してきて「リサイクルショップ ぺんぺん草」と書いた。
ものすごく楽しい気分になってきた。学芸会の準備みたいだ。
下に書かれた「美容室 さわこ」は透けて見えたままだったが、そんなことはまぁいい。
「『ぺんぺん草』かぁ、こりゃ、たくましそうだ」
「そう、5ヶ月間だけの『リサイクルショップ ぺんぺん草』」
店はそのまま使ったけれど、美容院用の椅子だけはどうしても邪魔になるから、ポンコツライトバンで市役所に捨てに行った。
椅子を捨てるだけで2千円かかった。よくぞ3万円、残してくれました。
物を捨てるだけでお金のかかる世の中。その捨ててしまうようなもので、商売しようじゃないの。
団地で売っていた時の、棚板や机を組み合わせて、店が出来ていく。まったくもって、虎郎は器用である。
とっても器用で、貧乏だから「器用貧乏」うん、ぴったりだ。
徹夜して翌朝には店ができていた。
軽井沢からの残りの荷物、ボロ屋に残っていた古着、それを店に並べてのオープンだった。
まったくもって、見事に、貧乏たらしい店だった。
虎郎に「車で回って、売れそうなものを見つけたら、何でもいいから拾ってちょうだい」と頼んだ。
みんは、店を借りた翌々日には、国立の商工会を訪れていた。
「国立で店をやっているんです。『天下市』に出してください」
対応してくれた男性は、店の住所を聞くと、すぐに申込用紙をくれた。出店料は3千円だった。
「よし、これで天下市に出店できる」
3万円は半分に減っていたけれど、それを全部使って、業者市場で元気良く「のぞき」を買い店の裏で洗っては、商品に変えた。ちり紙交換の途中で、虎郎がテーブルや椅子や本棚を拾ってきたから、それも商品にした。
それでも店は結構繁盛した。けれど平均単価2百円では、そうそう売りあげられるものでもない。
ちょっと売れて千円札が手に入ると、調子に乗って近くの居酒屋で、いっぱいやったりもする。気がつけば財布の中身は百円しか残っていない。そんな日々はするすると過ぎてしまう。
「これではいかん」と思った。
みんは店をやりながら、生まれて始めての帳簿付けをやった。
「仕入れと売上」という当たり前の帳簿ではない。過去1年間の帳簿をつくったのである。
つまり、商売らしきものを始めて、まだ半年ちょっとしかたっていないくせに、1年前からの仕入れと売上をひねり出したわけだ。
ちり紙交換で出た本に「水商売・その開業ノウハウ」という表題を見つけたからである。
「水商売」とはかなり業種が違うけれど、まぁ、開業だから似たようなものだろう。
3日間練りに練って、つじつまを合わせ、ウンウンいいながらそれは完成した。
虎郎に店番を頼んで、自転車で税務署に行った。
初めて税務署というところに足を踏み入れて、どきどきした。
「確定申告しにきました」
「今頃かね、無申告加算税と延滞税がかかるよ。白、青?」
「へ?」
「今までは?」
「あのぉ、初めてなんです。商売始めたばかりで・・・」
「そうかぁ」
税務署員のおじさんは、珍しいものでも見るような目付きである。
税務署というのは怖い。と聞いていたけれど、その税務署員のおじさんは、なかなか親切で、申告書の書き方から計算まで、丁寧に教えてくれた。
けれどさすがに、みんが数字の3桁のところにカンマを入れることすら知らないのがわかると、あきれて「はぁー」とため息をついていた。
始めに言われた無申告加算税とか延滞税は、税額があまりに低いのでほとんどかからず、課税額は千円くらいのものだった。
すぐにそれを納税した。
これで「納税証明書」というものが手に入った。
次の難関は「事業計画書」だった。「水商売・その開業ノウハウ」を真似て、事業計画をあることないこと並べ立てた。これには2日かかった。
その「納税証明書」と「事業計画書」を握り締めて、市役所で「印鑑証明」というものをつくってもらった。
何もかもが生まれて初めてだった。
よし、「水商売・その開業ノウハウ」に書いてあった通りの書類は揃った。
印鑑証明をつくってくれたその建物の2階にある「融資窓口」に向かった。
「お金、借りに来ました」
「はぁ?」やせて、狐顔に黒縁メガネの女の人がみんを見上げた。
「お金、借りに来たんです」
「妙なものが来たぞ」とでもいいたげな顔で「まぁ、お座り下さい」と椅子をすすめてくれた。
「それで、いくらの融資をお望みですか?」
「に、20万円です」
「ああ、20万円ね」
みんには、その彼女の「ああ」が高すぎたのか安すぎたのか、よくわからなかった。でも、みんにとって、20万円は「大金」だった。
「そのくらいなら」彼女はメガネを取って「大丈夫だと思いますよ」と申請書を出し、書くように促した。
住所とか名前とか、希望金額20万円とかを書いて、さっき2百円を貯金して作ってきたばかりの貯金通帳の番号も書いた。「取引銀行」の欄には、その銀行名を書いた。
2百円預けただけでも、取引をしているのは事実である。
それから、買ったばかりの印鑑を何箇所にも押した。
書類に印鑑を押すなんて行為も、初めてだった。うまく押せなくて、書類が赤く汚れた。
みんはちょっと困って、彼女の顔を見た。けれど彼女は、まったく表情も変えず「それで結構です。審査に1週間ほどかかります。審査が下りて融資させていただく場合は、ご自宅に通知いたしますので、同封の書類を持ってもう一度いらしてください」と言った。




