第二十四話 国立に店を出したのですよ
「あのね、国立駅前の通りで年1回『天下市』っていうのがあるって知ってる?」
みんが家にもどったから、仕方なくちり紙交換を再開した虎郎が、そんな話を持ち帰って来た。
「天下市?何?それ」
「ものすごい人が出て、すごく売れるらしいよ。国立の中央通りにテントをたてて、露天が並ぶんだ。国立の商店街が主催していて、商品を特価で売るらしいけど、古道具屋さんもいっぱい出るって話でね」
夢のような話だった。国立駅前の通りに延々と並ぶテント。訪れる何万人もの客。
「そんなものあるんだったら、出たいね」
「でしょう。でもね、国立に店がないと出られないみたいなんだ。商工会の主催だからね。だから、夢のまた夢」
「それ、いつ?」
「11月の文化の日に近い金、土、日」
「出ようか、それ」
「でも、店がいるんだよ。みんちゃんは知らないだろうけれど、店借りるっていうのはね、保証金とか礼金とか前家賃とか・・・」
「知っているわよ、それくらい」
「国立に店、国立に店」
翌朝、自転車を引っ張り出した。
とにかく「国立に店」である。
と、あった。「国立に店」
それは小さな美容院のあとだった。国立駅から歩いて5分くらい。多分何年か前に廃業したのだろう。埃だらけのガラスドアの向こうに、忘れられたように美容院の椅子が置いてあった。周辺の店を回って、店の持ち主を探し当てた。幸い近くに住んでいた。
みんは自転車を飛ばした。
立て込んだ公団住宅の一軒がその人の家だった。
チャイムを鳴らして、出てきたのは初老の婦人だった。
「あの店を貸してください」いきなり切り出した。
婦人はちょっとびっくりした顔をして、やがて気の毒そうな顔に変り「せっかくだけどね、あと半年であの店は売ってしまうの。もう取り壊しが決まっているの」と言った。
「え、半年もあるんですか?だったら、5ヶ月でいいです。月、10万円払います。お願いします。お店借りるのは、不動産とか通して、契約書を作らなきゃいけないことはわかっているけど、私、そこまでのお金はないんです。代わりに『念書』書きます。5ヶ月で出ます。月10万円払います。っていう『念書』書いて、絶対その通りにしますので、貸してください。ここに18万円持ってきました。8万円を礼金にしてください。それであとの10万円を前家賃にしてください。9月からだから、1月末まででいいです。いえ、日割りになんてしなくていいです。何とかあの店、使わせてください」
「とりあえず、中に入ってね」
玄関先でまくし立てるみんを促して、室内に招き入れ、座布団を出してくれた婦人は、ゆっくりとお茶を入れた。
「あの店で35年、そうね、戦後すぐから美容師になって、やっとあの店を手に入れて、ひとりでやってきたのよ。もう年金も貰えるようになったし、この公団住宅にひとりでいるのもね。だから、あの店を売って老人ホームに入ることに決めたのよ。2年前にあの店を閉めてから、あの店の前を通る度に、なんだかあの店がかわいそうでね。まだ自分の持ち物なのに、あれから一度もドアさえ開けたことがないのよ。だから、きっと中は荒れていると思うわよ。でも、そう、あの店を使ってくれるのね」
婦人は立ち上がって、大学ノートを1枚ペリリと破り、みんの前にその紙とボールペンを置いた。
「わかったわ、その『念書』とやらを・・・」ここで婦人は、彼女の声に不似合いな大声で「ハハハ」と笑って「その『念書』とやらを、書いてちょうだい」
半分笑っている。
わたしといえば大真面目で「わかりました」と紙に向かう。
もともとの乱筆。へたくそな字しか書けないみんは、それでも必死で大学ノートの紙切れの上に大きく「念書」と書いた。それから彼女の名前と店の住所を聞いて書き込んだ。
ミミズがのったくったような字でも、みんは真剣そのものである。
彼女は、まだ笑いを納められないまま「いいわよ、礼金はいらないし、月5万円でいいからね。そうねぇ。せっかくだからとりあえず3ケ月分、15万円もらっておきましょう。あとの2ケ月分は11月の終わりに、まだあと2ヶ月続けられそうなら持ってきてちょうだい。好きなように使っていいわよ。ペンキを塗ろうと床をはがそうと、どっちみち壊すのだから。あの店も、あなたのように若くて元気な人が最後につかってくれたら喜ぶでしょう」
「いいんですか?あ、ありがとうございます」みんは、泣かんばかりにうれしくなった。
ああ、この婦人に、どうやってお礼をすればいいんだろう。
婦人はその場で店の鍵をくれた。
みんは自転車で国立駅まで取って返し、駅前のまんじゅう屋で詰め合わせを買って、また婦人の家に行き、ぺこぺこと頭を下げながら「すみません、後になってすみません。さっきはお金が余ると思わなかったもので、手土産も持たずに失礼しました。3万円残してくれたので、まんじゅう、買ってきました。ほんとうに、ありがとうございました」
婦人はニコニコしながら「あらそう、ありがとう」と受け取ってくれた。




