第8話 安心という名の劇薬
深夜の高速道路を走り抜け、安達の運転する車が長野県小諸市の山奥に到着したのは、空が白み始めた頃だった。
木々に囲まれた古びた別荘。その地下にある、分厚い鉄扉の先が、2人の「新しい部屋」だった。
「あ、安達さん……ここ、本当に大丈夫なんですか? 警察、来ないですか?」
窓一つない薄暗い地下室の真ん中で、慎二は血走った目で何度も何度も安達にすがりついた。
幸子も安達からもらった毛布を被ったまま、小動物のようにガタガタと震えながら彼を見上げている。
「大丈夫ですよ、鈴木さん。ここは私の個人的な持ち物で、誰にも教えていません。絶対に警察には見つかりませんから、安心してください」
安達はいつもの温和な笑顔でそう言い切り、持ってきた段ボール箱を床に置いた。
中には大量のミネラルウォーターと、カップ麺、レトルト食品、それらのセットがぎっしりと詰まっている。
「食料も水も、十分用意してあります。お金なんて気にしないで、好きなだけ使ってください。しばらくは外に出ず、ここでゆっくり休むことです」
「うぅ……ありがとうございます……! 恩に着ます、本当に……!」
慎二は床に這いつくばるようにして泣き崩れた。幸子も安堵の涙をポロポロとこぼし、差し出されたペットボトルの水を貪るように喉に流し込む。
200万の借金、人殺しの罪、そして迫り来る警察への恐怖。
極限まで張り詰めていた2人の神経は、安達の与えた「絶対的な安全」と「無償の施し」によって、ドロドロに溶けていった。
(ああ、助かった。これで刑務所に行かずに済む。このジジイ……いや、この人は俺たちの命の恩人だ)
完全に警戒心を解き、安達を「神」として崇めるような目を向ける鈴木夫婦。
その見え透いた浅ましい安堵の顔を見下ろしながら、安達の濁った瞳がわらった。
「まず、あなた方の携帯電話を預かります。電源が入った状態だと、警察に見つかる可能性があります。それでは、私は一度上に上がりますね。この別荘は外からは地下室があることさえわからないように設計されてますから。一応誰かが入ってこないよう、鍵は外からしっかりかけておきますから。……絶対に安全ですよ」
バタン、と分厚い扉が閉まり、ガチャリと重たい施錠の音が響く。
取り残された2人は、やっと訪れた静寂の中で、泥のように床へ寝転がり、下品な安堵の息を吐いていた。
この部屋の床全体が、わずかに『3度』だけ傾いていることなど、安堵と疲労で麻痺した彼らの三半規管が気づくはずもない。
さあ、完璧な密室は完成した。
ここからゆっくりと、気の遠くなるような「教育」の時間が始まるのだ。
続く




