第7話 毒入りの蜘蛛の糸
テレビのニュースが告げた「被害者の死」と「白いコンパクトカー」。
その事実を前に、301号室のリビングは完全に地獄と化していた。
「どうしよう、どうしよう……! 警察が来る、人生終わる……!」
幸子は頭を抱えてフローリングにうずくまり、嗚咽を漏らしている。
慎二もまた、過呼吸気味に荒い息を吐きながら、スマホを握りしめたまま部屋の隅でガタガタと震えていた。
自首する勇気もない。逃げるあてもない。ただただ、迫り来る破滅の足音に怯えることしかできない。
その時だった。
『ピンポーン』
深夜の静寂を引き裂くように、インターホンが鳴り響いた。
「ひっ…!や、やばい、どうしよう」
幸子が短い悲鳴を上げ、慎二の顔面から一気に血の気が引いた。
(け、警察か……!? 早すぎるだろ!)
息を殺し、這うようにして玄関のモニターに近づく。
だが、そこに映っていたのは警察官の制服ではなく、見慣れた初老の男――隣の安達だった。
いつもはニコニコしている安達の顔が、モニター越しでも分かるほどに強張っている。
『鈴木さん、開けてください。私です、安達です。緊急のお話があります!』
ドア越しに聞こえる、焦りに満ちた声。
慎二は震える手でドアチェーンをかけたまま、わずかに扉を開けた。
「あ、安達さん……こんな夜中に、一体……」
隙間から顔を覗かせた安達は、周りを気にするように周囲を見回すと、声を潜めて決定的な「嘘」を突きつけた。
「鈴木さん、落ち着いて聞いてください。……今日、警察が私のところに、あなたたちの様子を聞きに来たんです」
「……えっ?」
慎二の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。
「防犯カメラに、あなたたちが乗っている白いレンタカーが映っていたと。それから、2、3日前の不審なお金の動きについても……。鈴木さん、捕まるのはもう時間の問題です…」
その言葉は、慎二と幸子の残された僅かな理性を完全にぶっ壊すのに十分だった。
「あ、あぁ……終わった……俺たち、終わった……」
膝から崩れ落ちそうになる慎二。
その後ろで、幸子が絶望のあまりヒッヒッと引きつった過呼吸の音を立てている。
その見栄っ張りな若夫婦の無様な姿を、安達は心配そうな顔を取り繕いながら、濁った目の奥でねっとりと味わっていた。
「鈴木さん。もし警察に行きたくないなら……すぐに荷造りしてください」
「え……?」
「私、長野県の小諸の山奥に、別荘を持っているんです。あそこなら絶対に警察は来ません。ほとぼりが冷めるまで、私が匿ってあげますから」
それは、地獄の釜の底から差し出された、甘くて残酷な蜘蛛の糸だった。
正常な判断力があれば「なぜ隣人がそこまでしてくれるのか」と怪しむはずだ。
だが、200万の借金と人殺しの罪に押し潰されそうになっている今の2人にとって、安達は文字通り「神」に見えた。
「あ、安達さん……! す、すみません、恩に着ます! すぐに、すぐに準備しますから……!」
慎二は涙と鼻水を流しながら、安達に向かって深く頭を下げた。
「ええ、急いで下さい。車は私のを出しますから」
優しく声をかける安達の口元が、暗闇の中で不気味に歪んだことを、2人は知る由もなかった。
続く




