第53話 暗闇の賭けと、落ちた電磁ロック
分厚い鋼鉄の扉を前に、長野県警の刑事たちは完全に動きを止めていた。
無理やりこじ開ければ、振動センサーが反応して密室にサリンが噴き出す。
かといって、このまま指をくわえていれば、地下の三人の命の灯火は完全に消え去ってしまう。
「……どうする、中島。レスキューの特殊部隊を待つか?」
警部の苦渋に満ちた声に、中島はギリッと奥歯を噛み鳴らした。
特殊部隊の到着を待つ時間などない。
今、この瞬間に開けなければ手遅れになる。
中島は額を扉に押し当てたまま、配線が繋がった扉の電子ロックと、安達の顔を交互に睨みつけた。
(サリンの噴霧装置も、この扉のロックも、すべて電子制御だ。電気で動いているなら……)
「警部! 別荘の主電源……ブレーカーを落としましょう! 電気が切れれば、センサーも噴霧装置も作動しなくなるはずです!」
中島の叫びに、警部がハッと顔を上げる。
だが、その希望を打ち砕くように、背後で拘束されている安達が薄暗い階段で冷笑を漏らした。
「浅はかですね。主電源が落ちた程度で無力化されるような、間抜けなシステムを私が組むとでも? ブレーカーを落とせば、即座に非常用のバックアップバッテリーが起動します。そして『システムへの異常な干渉』とみなし、自動的にサリンが全量噴出されるフェーズに移行する。……さあ、賭けてみますか? あなたのその浅知恵で、仲間の命を」
沈黙が落ちた。
警部も、エンジンカッターを構えていた若手刑事も、安達の悪魔のような脅しに完全に呑まれ、一歩後ずさる。
万が一、安達の言葉が真実なら、ブレーカーを落とした瞬間に田口たちは確実に死ぬ。
だが、中島だけは逃げなかった。
中島はゆっくりと安達に歩み寄り、その胸ぐらを乱暴に掴み上げて壁に叩きつけた。
「……お前、嘘をついているな」
「何……?」
「お前みたいな異常な自己愛の塊が、落雷や停電のたびに誤作動してサリンが噴き出すような、コントロールの利かない間抜けな罠を仕掛けるわけがない。それに……」
中島の目が、暗闇の中で獣のように鋭く光る。
「焼却炉で本物のスイッチを見つけられた時、お前は顔面蒼白になって取り乱した。だが今はどうだ? ペラペラと能書きを垂れて、俺たちを『思いとどまらせよう』と必死じゃないか。……ハッタリだ。バックアップのバッテリーなんて最初から存在しない!」
安達の頬が微かに引きつった。
その一瞬の動揺を、中島は見逃さなかった。
「警部! 上の階にいる連中に、今すぐ別荘のブレーカーをすべて落とさせてください! こいつはハッタリをかましています!」
「中島、本気か……! もし間違っていれば……!」
「俺が責任を取ります! 田口さんも、それを望んでいるはずだ!」
中島の血を吐くような進言に、警部は数秒の沈黙の後、トランシーバーを乱暴に掴んだ。
『……リビングの部隊へ! 直ちに別荘の主電源を落とせ! すべてのブレーカーを切れ!!』
数秒後。
バチンッ! という遠い破裂音と共に、別荘中を照らしていた照明が一斉に落ちた。
地下の階段は完全な暗闇と、重い静寂に包まれる。
ガスが噴き出す、シューという恐ろしい音は……聞こえない。
代わりに暗闇に響いたのは、ガチャン、という重い金属音だった。
電力が断たれたことで、扉の強力な電磁ロックが完全に沈黙し、外れた音だ。
「……開くぞ!!」
中島は懐中電灯を口にくわえ、分厚い鋼鉄の扉の取っ手に両手をかけた。
全身の筋肉を軋ませ、渾身の力で手前に引き開ける。
重い摩擦音と共に、絶対に開かないはずだった死の要塞の扉が、ついに大きく開け放たれた。
続く




