第52話 地下への階段とサリンの罠
ズズズズ……と重い地響きを立てながら、偽装された巨大な本棚がスライドし、ぽっかりと暗い口を開けた。
その奥には、地下へと真っ直ぐに続くコンクリートの階段が姿を現していた。
「……道が、あったぞ!」
長野県警の警部が叫ぶ。
中島は誰よりも早く懐中電灯を掴み取り、その真っ暗な階段へと飛び込んだ。
「田口さん! 鈴木さん! 今行きます!」
カビと土、そしてひどく淀んだ空気が、地下から一気に這い上がってくる。
十数段の階段を転がるように駆け下りた先、懐中電灯の強烈な光が捉えたのは、冷たいコンクリートの壁に埋め込まれた分厚い鋼鉄の扉だった。
「警部! ここに扉があります! 鍵がかかっている!」
後から駆けつけた長野県警の若手刑事が、手にした大型のエンジンカッターを構た。
「警部、一気に扉のヒンジを焼き切ります!」
「よし、やれ!」
若手刑事がカッターのエンジンを吹かそうとした、まさにその瞬間だった。
『……待て! やめろォ!!』
分厚い鋼鉄の扉の向こう側から、血を吐くような、しかし聞き慣れた野太い声が響いた。
「田口さんか!? 田口さんですね! 中島です! 今すぐ開けますから!」
『開けるな中島! 扉を無理やり壊すな!!』
扉越しのくぐもった声に、凄まじい焦燥感と恐怖が混じっている。
『部屋の天井に、ノズルと小型のボンベが仕掛けられてる……! 扉に無理な衝撃を与えれば、サリンガスが噴き出す仕掛けだ!!』
「……サリン、だと……!?」
その言葉に、カッターを構えていた若手刑事の手が完全に凍りつき、後ずさった。
サリンガス。かつて日本中を恐怖に陥れた猛毒の神経ガス。
こんな密室の地下空間で噴き出せば、中にいる三人は数秒で口から泡と血を吹いて死ぬ。
「……その通りです」
階段の上から、二人の刑事に両腕を掴まれながら引きずり降ろされてきた安達が、薄暗い空間で嗤った。
「焼却炉のスイッチは、あくまで階段を隠す本棚を開けるためのもの。この本当の牢獄の扉には、振動を感知してサリンを散布する罠を仕掛けてあります。……これで理解できたでしょう? 警察の暴力では、絶対に彼らを救い出せない」
悪魔のような宣告が、地下の冷たい空気をさらに凍りつかせる。
「ふざけるな……ッ!」
中島は鋼鉄の扉に力なく拳を押し当てた。
すぐ数センチ先、扉一枚隔てた向こう側に、ずっと探し続けていた仲間が生きている。
田口の荒い息遣いすら聞こえる距離だ。
それなのに、助け出すための警察の圧倒的な力が、サリンガスという最悪の盾によって完全に封じられてしまった。
「警部……どうしますか。レスキューの特殊部隊を呼びますか……?」
若手刑事が震える声で尋ねる。
しかし警部もまた、滝のような汗を流しながら奥歯を噛み締めていた。
特殊部隊を呼んだところで、サリンの罠を無効化できなければ扉は開けられない。
そして、衰弱しきっている地下の三人に、部隊の到着を待つ猶予など残されていないのだ。
中島は扉に額を押し当て、内側にいる田口に届くよう、血を吐くような声で叫んだ。
「田口さん……! どうすれば……どうすればそこを開けられるんです?!」
重い鋼鉄の扉を挟んで、中島と田口の絶望が静かに交差していた。
続く




