第50話 偽装の書架と悪魔のスイッチ
地下から響き渡った命がけの金属音。
それが、リビングを覆っていた絶望の空気を一変させた。
「警部! エレベーターの真下です! この部屋のどこかに、必ず人間が出入りできるサイズの動線があるはずです!」
中島が血走った目で長野県警の現場指揮官である警部に訴えかけると、数十人の捜査員たちの目に再び執念の火が灯った。
中島は額の汗を拭い、冷静に室内の構造を睨みつけた。
配膳用の小さなエレベーターが設置されている壁の厚み。
そして、空間の不自然さ。そこから逆算して、視線がある一点で止まった。
エレベーターが隠されていた壁面と直角に交わる位置に鎮座する、天井まで届く作り付けの巨大な本棚だ。
何百冊もの分厚い洋書や美術書がぎっしりと詰まった、重厚な木製の家具。
一見しただけでは、ただの豪華な調度品にしか見えない。
「これだ……。警部! この本棚が怪しいです! 裏を調べさせてください!」
「よし、お前ら本棚を動かせ! 中身を出せ!」
警部の号令を受け、中島は自ら真っ先に本棚へ飛びつき、分厚い本を乱暴に床へと投げ捨てていく。
長野県警の刑事たちもそれに続き、バサバサと重い音が響き、瞬く間に巨大な本棚は空になった。
だが、中島たちが何人がかりで力任せに押しても引いても、巨大な本棚はミリ単位すら動かない。
バールを壁との隙間にねじ込み、強引にこじ開けようとした長野県警の若手刑事が、舌打ちをして叫んだ。
「警部、ダメです! この本棚、表面に木材を貼り付けてカモフラージュしているだけで、中身は分厚い鋼鉄の扉です! 蝶番も鍵穴も、取っ手すらありません!」
隠し扉。映画の中だけの話ではない。
莫大な金と狂気を注ぎ込み、安達はこの山奥の別荘に、本物の要塞を作り上げていたのだ。
「どこかに開閉のための電子ロックか、スイッチがあるはずだ……!」
中島は這いつくばって本棚の周囲の床板を素手で剥がし始める。
「壁や床を徹底的に探せ!」という警部の指示のもと、刑事たちが壁紙を破り、スイッチの痕跡を探す。
しかし、精巧に作られたリビングのどこにも、それらしきものは見当たらない。
その時だった。
「……無駄ですよ、刑事さん」
床に座り込んでいた安達が、口の端から流れた血を手の甲で拭いながら、ゆっくりと立ち上がった。エレベーターから音が響いた時の焦りは消え失せ、その顔には再び、あの爬虫類のような冷酷な余裕が戻っていた。
「その扉のロックを解除するスイッチは、存在します。しかし、それがどこにあるのか、どう操作するのかを知っているのは、世界中で私ただ一人です。警察が何百人束になろうと、見つけ出すことは不可能ですよ」
「てめえ……!」
中島が怒りに任せて安達に飛びかかろうとするが、周囲の同僚に必死に押さえ込まれる。
安達は痛みに顔を歪めるどころか、悪魔のように唇を吊り上げて嗤った。
「仮にダイナマイトや重機を持ってきて、その鋼鉄の扉を無理やり破壊しようとすれば……扉のセンサーが異常を感知し、地下室に致死量の毒ガスが自動的に散布される仕掛けになっています。私が自らの手でスイッチを押さない限り、地下の三人は血を吐いて死ぬ」
沈黙。
別荘中をひっくり返していた中島たちの動きが、完全に凍りついた。
安達の静かな宣告が、絶望の壁となって再び警察の前に立ち塞がった。
中島の握りしめた拳が、行き場のない怒りで小刻みに震えていた。
続く




