第44話 傲慢の代償と静かなる包囲網
午前七時半。
中島は、前方を走る白い車から片時も目を離さずに追跡を続けていた。
千葉の無機質な住宅街を抜けた安達の車は、速度を落とすことなく高速道路へと進入していく。
幾多の県境を越え、窓の外の景色が都市の喧騒から険しい山々の稜線へと変わっても、安達の運転は驚くほど一定の律動を保っていた。
「係長、対象が高速に乗りました。……間違いありません。長野方面、小諸へ向かっています!」
中島は覆面車両の運転席で身を乗り出し、無線機に叫んだ。
徹夜の張り込みで目は血走っていたが、その底にある闘志の炎は微塵も揺らいでいない。
『安達の奴、完全に高を括っていやがるな。警察の追及をあしらったと思い込み、留守にしている小諸の別荘へ戻って、田口さんたちをさらに甚振るつもりだ』
「令状はまだですか!? このまま奴に別荘へ到着されたら、地下にいる三人が何をされるか……!」
中島が焦燥に駆られて声を荒らげた、その時だった。
無線の向こうで、激しい足音と怒号が交錯した。
『中島! 特報だ! 科学捜査研究所から今、速報が入った!』
「……結果は!?」
『完全一致だ! お前が昨夜もぎ取ってきた毛髪は、行方不明の鈴木幸子のものと寸分の狂いもなく一致した。奴が昨日の聴取で吐いた「一人で運転していた。夫婦は乗せていない」という傲慢な嘘が、奴自身の首を絞める決定的な証拠になったんだ。たった今、小諸の別荘に対する「捜索差押許可状」が正式に下りたぞ!』
「やった……!」
中島は無意識に力強く拳を握りしめた。
胸の奥から、熱く重いものが込み上げてくる。
『長野県警に緊急の応援要請を出した。中島、お前はそのまま尾行を維持し、奴を別荘の中に入れろ。現地の部隊が到着するまで絶対に手を出すなよ。完全に外堀を埋めてから、令状を突きつけるんだ!』
中島は密かに追跡を続け、やがて安達の車は長野県小諸市の山深い別荘地へと辿り着いた。
鬱蒼と生い茂る木々に囲まれた静寂の中、安達は車を停め、運転席からゆっくりと降り立った。
大きく背伸びをし、山の冷たい空気を深く吸い込むその横顔には、自分が警察の監視下にあることなど微塵も疑わない、醜悪なほどの余裕が張り付いていた。
安達は足元の砂利を鳴らしながら、何食わぬ顔で別荘の玄関扉を開け、暗い建物の奥へと姿を消していく。
標的が完全に建物内に入ったのを見届けると、中島は少し離れた木陰に車を隠し、息を殺して待機した。
数十分後。長い静寂を破るように、警光灯を回さず、警笛も消した長野県警の車両が次々と山道を登ってきた。
まるで音を持たない影の軍団のように、別荘の周囲を静かに、そして確実に取り囲んでいく。
制服警官と私服刑事たちが手信号だけで意思疎通を図り、散開する。
裏口、窓枠の下、駐車場の出入り口に至るまで、別荘は瞬く間に警察という分厚い壁の中に沈み込んだ。
アリの這い出る隙間すらない、完璧な包囲網の完成だった。
すべての退路を断ったことを確認し、中島は車を降りた。
山の冷気が頬を刺す中、長野県警の捜査員たちと共に正面玄関へと歩みを進める。
一歩踏み出すごとに、三年前に消えた山下先輩の無念と、今この足元のずっと深くで命を削られている田口の痛みが、中島の背中を強く押した。
静まり返った山奥の空気の中、中島は大きく息を吸い込み、重厚な木製の扉を力強く叩いた。
――ドンッ、ドンッ、ドンッ!
「長野県警です! 安達正志さん、いらっしゃいますね!」
刑事たちの泥臭い執念が、ついに悪魔の城の扉を揺らした。
続く




