第43話 静かなる包囲網と張り込みの夜
千葉西警察署の捜査本部。
佐々木は、科捜研から「回収した髪の毛と被害者のDNAが一致した」という速報が届くのを今か今かと待ちわびていた。
しかし、どれほど急いでも裁判所への令状請求には手続き上の時間がかかる。
そのわずかなタイムラグさえも、小諸の地下室にいる田口たちにとっては命取りになりかねない。
時計の針は無情にも進み続け、令状という紙切れ一枚を待つ間にも、部下と無関係な市民の命が削られていく。
己の無力さに、佐々木はギリッと奥歯を噛み締めた。
「……待てない」
佐々木は、フロアにいた若手捜査員たちに鋭い視線を投げた。
「令状が出るのを署で待つ必要はない。中島、お前は直ちに安達の住む分譲マンションへ急行しろ。何があっても奴を視界から外すな。一挙手一投足すべてを記録し、不審な動きがあればすぐに報告だ」
「了解です! ……もし、安達が再び動き出したら?」
「尾行しろ。奴がどこへ行こうが、誰と会おうが、そのすべてが証拠になる。奴を泳がせつつ、逃げ道は完全に塞ぐんだ」
中島はすぐさま署を飛び出し、安達が住む分譲マンションへと急行した。
深夜の住宅街に紛れ込み、マンションの駐車場を遠巻きに確認する。
幸い、安達の指定駐車スペースには、あの白い車が大人しく停まっていた。
中島は覆面パトカーを駐車場の死角に滑り込ませると、シートを倒して身を潜めた。
車の窓ガラス越しに、マンションの出入り口と駐車場を凝視する。
前照灯を消し、エンジンも切った車内は、湿った静寂に包まれていた。
夜が深まるにつれ、冷え込みが車内の空気を重くしていく。
睡魔が幾度となく襲いかかってきたが、中島は自らの太ももを強くつねり、痛みを起爆剤にして意識を保った。
小諸の冷たい地下室で、田口はもっと過酷な夜を過ごしているはずだ。
そう思うと、目を閉じることなど到底できなかった。
(……逃がさない。田口さんが帰ってくるまで、絶対に離れないぞ)
中島は冷え込む夜気の中で、無線機を握りしめたままじっと動かない。
安達という男が、自分がすでに警察に見えない鎖で繋がれていることに気づいているのか、それとも完全犯罪の余韻に浸って眠りについているのかは分からない。
だが、窓から漏れる微かな光の一つひとつが、中島の神経を逆撫でする。
――そして、夜が明けた。
空が白み始め、午前七時を過ぎた頃、ついに動きがあった。
マンションの正面玄関から、昨日と変わらぬ完璧な背広姿の安達が現れた。
朝日に照らされたその顔には、微塵の疲労も焦りもない。
袖口の皺を直し、何食わぬ顔で空を見上げるその姿は、三人の人間を監禁している悪魔とは思えないほど落ち着き払っていた。
その異常なまでの余裕が、中島の背筋に冷たい粟を立たせる。
「……動いた。標的がマンションから出ました。」
中島は身を硬くし、無線で署に報告を入れる。
安達は足早に駐車場へ向かうと、車の鍵を開けた。
彼にとっては、いつもと変わらない日常の始まりに過ぎない。
しかし、その背後には、彼が山下刑事を葬り、田口と鈴木夫婦を監禁した罪の重さが、静かなる包囲網となって迫りつつあった。
安達の車が駐車場を静かに離れる。
中島は、一定の距離を保ってその後を追った。
令状という法的な刃を手にするまでの間、警察は安達という男を必ず仕留めるための見えない鎖で縛り上げたのだ。
続く




