第41話 消えた先輩刑事の影
数分後。
安達の屋敷から少し離れた場所に停めていた覆面パトカー。
運転席に乗り込んだ佐々木は、大きく息を吐き出しながら懐からパケ(証拠品保存袋)を取り出した。
「……係長、やりましたね。あいつが清掃業者を入れず、自分の手で完璧にやったと過信していたからこその隙です」
「ああ。若い女の、茶色く染めた長い髪の毛だ。幸子って女のものとDNAが一致すれば、あの別荘に踏み込む立派な『令状』の理由になる。すぐに鑑識に回して特急で鑑定させるぞ」
パケの中で頼りなく揺れる二本の毛髪。
たったこれだけのものが、あの冷血な悪魔の首を絞める最強の武器になる。
中島が興奮気味に身を乗り出し、パトカーのエンジンをかけようとしたその時だった。中島のスマートフォンがけたたましく鳴った。
画面には「課長」の文字。長野の小諸から一旦撤収し、千葉西警察署の捜査本部に戻っている課長からだった。
「課長、こちらもちょうど令状を取るための『手土産』を――」
『中島! 法務局のデータから、とんでもないことが分かったぞ!』
電話越しの係長の声は、これまで聞いたことがないほど上ずり、微かに震えていた。
ただ事ではない空気に、中島の表情がサッと強張る。隣の佐々木も鋭い視線を向けた。
「どうしたんですか、課長。そっちの調べで何が……?」
『……あの小諸の別荘の、前のオーナーだ。署に戻ってから登記簿の過去の履歴をサイバー班に徹底的に洗わせた結果、安達の前にあの土地と建物を所有していた人間の名前が判明した』
「前のオーナー……? 誰なんですか?」
課長は一度大きく息を呑み、絞り出すようにその名を告げた。
『……十数年前に失踪した、うちの署の山下刑事だ』
「――なっ!?」
車内の空気が、完全に凍りついた。
中島は絶句し、佐々木は目を見開いたまま動けなくなった。
山下刑事。 それは、佐々木にとっても中島にとっても、決して忘れられない名前だった。
約十前に忽然と姿を消し、いまだに行方知れずとなっている先輩刑事。
借金苦だの女性関係だの、警察内部では心ない噂が囁かれ「ただの失踪」として処理されたが、田口だけは「あいつが職務を投げ出すわけがない」と、非番の日を使って一人で探し続けていたはずだ。
「……待てよ」
佐々木が、震える声で呟いた。
脳内で、バラバラだったパズルが恐ろしいスピードで組み上がっていく。
「田口さんは、単にあの若夫婦の行方を追って、安達のBMWを尾行していたわけじゃなのかもしれない……!」
「係長……?」
「田口さんはずっと、山下先輩の失踪を独自に追っていた。そして何らかの証拠を掴み、先輩が最後に接触したであろう『安達正志』という男にたどり着いた。だからこそ、管轄外である長野の小諸まで単独で乗り込んだんだ!」
点と点が、最悪の形で一本の線に繋がった瞬間だった。
約十年前に山下刑事が所有していた小諸の別荘。
それが今、なぜか安達の手に渡っている。
名義変更の手続きはどうやったのか。山下刑事は今、どこにいるのか。…いや、考えるまでもない。
あの爬虫類のように冷たい目をした男が、山下刑事を生かして帰したはずがないのだ。
「係長!」
中島が叫んだ。
「俺たちもすぐ署に戻って、DNA鑑定を急がせます! 令状が出次第、もう一度小諸の別荘へ突入部隊を向かわせてください! 安達はただの誘拐犯じゃない……警察官を手にかけた、シリアルキラーです!! 田口さんが、山下先輩と同じ目に遭う前に……ッ!」
十年越しの闇が、ついにその正体を現した。
パトカーのサイレンが千葉の夜を引き裂き、警察の怒りがついに沸点へと達しようとしていた。
続く




