第40話 傲慢の隙と二本の毛髪
千葉県内にある、閑静な分譲マンション。
安達正志のマンションの玄関先で、千葉西警察署のベテラン刑事、佐々木と若手の中島が安達と対峙していた。
「――ですから、数日前の夜、安達さんのマンションの駐車場で『あなたの車に、若い男女の夫婦が乗り込むのを見た』という近所の目撃情報があるんですよ。……何か、思い当たることはありませんか?」
佐々木は人懐っこい笑みを浮かべながらも、眼の奥には鋭い光を宿して安達を見据えた。
完全に警察のハッタリだ。
防犯カメラの映像には何も映っていなかった。
だが、安達の表情は微塵も揺るがない。
(なるほど、証拠がないから目撃証言をでっち上げてカマをかけてきたか。底の浅い連中だ)と、内心で冷笑すらしていた。
「いえ、まったく。何かの見間違いでしょう。その日は私一人でドライブに出かけていましたから」
「そうですか。……ちなみに、ガレージにあるそのBMW、少し中を見せていただくことはできませんかね?」
佐々木がガレージに停められた白い車体を顎でしゃくる。
安達の眉が、ほんのわずかにピクリと動いた。
「……令状は、あるんですか?」
「いやいや、あくまで任意の捜査ですよ。もちろん断っていただいても結構ですが……何か、やましいことでもおありで?」
佐々木の挑発的な言葉に、安達は小さく息を吐き、上品な笑みを浮かべた。
安達の美学において、警察に怪しまれて拒絶するような真似は三流のすることだ。
あの車内は自分自身の手で完璧に清掃を済ませている。
警察の無能さを思い知らせてやるのも悪くない。
「私には、やましいことなど一切ありませんよ。……どうぞ、お好きにお調べください」
安達はポケットからスマートキーを取り出し、佐々木に手渡した。
「ご協力、感謝します」
佐々木と中島はガレージに向かい、車のドアを開けた。 車内は不自然なほどに無臭で、チリ一つ落ちていない。
「……佐々木さん、綺麗すぎます。いくらなんでも生活感がなさすぎる」
中島が小声で耳打ちする。安達は少し離れた場所から、腕を組んで余裕の笑みを浮かべていた。
だが、佐々木は諦めなかった。
長年現場を這いずり回ってきた老犬の勘が、「この車はクロだ」と告げている。
(こいつは自分で徹底的に掃除したんだろう。だが、素人がどんなに完璧を気取っても、必ず『物理的な隙』が生まれる)
佐々木は後部座席に綺麗にたたまれた毛布を丹念に調べていく。
「……んッ?」
佐々木の指先が、何か微細なものに触れた。 ピンセットで慎重にそれをつまみ上げる。
それは、染料で茶色く染められた、若い女性のものと思われる『二本の長い髪の毛』だった。
どんなに完璧に掃除しようとも、静電気と布の摩擦で入り込んだ髪の毛は、人間の手作業でなければ完全には取り除けない。
安達の病的なまでの自己過信が生んだ、たった一つの死角だった。
(……見つけたぞ、バケモノめ)
佐々木は安達に気づかれないよう、背中で死角を作りながら、素早く証拠品保存用のパケ(ビニール袋)にその二本の髪の毛を滑り込ませた。
「いやぁ、お手数をおかけしました。何もないようですね」
佐々木が車の外に出てキーを返すと、安達は満足げに頷いた。
「ご納得いただけましたか? では、私はこれで」
「ええ。ご協力、本当にありがとうございました」
頭を下げる刑事たちの背中を見送りながら、安達は自らの完全犯罪を確信し、優越感に浸っていた。
自分が手渡した鍵から出た「二本の髪の毛」が、自分の首に決定的な縄をかけることになるなど、この時の悪魔は知る由もなかった。
続く




