第27話 灰の中の亡霊
凍てつくような長野の冬の冷気が、田口の老いた体に容赦なく牙を剥いていた。
防寒コートの下で、老朽化した関節が悲鳴を上げる
だが、地元の大型スーパーからあの白いBMWを尾行し、街灯すらない山奥の別荘地へ戻ってきた田口の神経は、かつてないほどに研ぎ澄まされていた。
安達が大量の買い出し物(三人分以上のレトルト食品と、箱から出された500mリットルのミネラルウォーター)を館内へ運び込んでから、すでに一時間が経過している。
田口はセダンを遠くの木立に隠し、雑木林の闇に紛れながら、身を屈めて別荘の裏手へと侵入していた。
皺だらけの手には、車のトランクから持ち出した小型のバールが、鈍い金属の光を放ちながら固く握りしめられている。
「…ここから先は、俺の勘が外れてりゃ、ただの不法侵入で懲戒免職だ。…だがな、山下さん。あんたが俺の背中を押してる気がしてならねえんだよ」
田口は低く呟きながら、視線を裏庭の片隅へと定めた。
そこには、品の良い瀟洒な洋館の佇まいにはおよそ不釣り合いな、巨大な「業務用の大型焼却炉」が設置されていた。
家庭用のゴミや枯れ葉を処理するには、あまりにも大がかりすぎる代物だ。
その無機質な鉄の塊を目にした瞬間、老刑事の背筋にゾクリとした冷たいものが走った。
田口は周囲の静寂に耳を澄ませ、窓からの明かりを警戒しながら、足音を殺して焼却炉に近づいた。
錆びついた取っ手に手をかけ、体重をかける。
ギィィ……と、夜の静寂を引き裂くような鈍い金属音が鳴り、重い鉄の蓋が開いた。
中は、真っ黒な灰と煤に覆いつくされ、光を吸い込むような暗黒が広がっている。
田口は上着のポケットから使い古したゴム手袋を取り出してはめると、小さなペンライトの細い光で中を照らしながら、焼却炉の奥へと手を突っ込んだ。
「完璧主義のサイコパスが、もしもミスを犯すとしたら……」
這いつくばり、顔を煤で汚しながら、灰の底を這うように手で探り続ける。
3分、5分。沈黙の時間だけが過ぎていく。
やはりただの妄想だったのかと諦めかけたその時、田口の指先が、灰の底に埋もれていた何か硬くて冷たい「金属」の感触を捉えた。
指先でそれを探り、灰の中から慎重に引きずり出す。
ライトの光を至近距離で当てた瞬間、田口の息が完全に止まった。
それは、高熱の炎に晒され、表面がドロドロに溶けかけた銀色のジッポライターだった。
煤を親指で強く擦り落とすと、歪んだ金属の表面に、微かに刻印された文字が浮かび上がってきた。
『Yam…』
十数年前、最愛の先輩であり恩人である山下が警察を去る日、田口たち後輩有志が金を出し合って特注でプレゼントしたものだと確信した。
いつも美味そうにタバコを燻らせていた、あの懐かしい顔が脳裏にフラッシュバックする。
「山下さん……あんた、こんな所にいたのか?……」
田口は奥歯が軋むほど強く噛み締め、その黒ずんだライターを、掌に血が滲むほどの力で握りしめた。
これで、すべてのパズルのピースが繋がった。
安達はただの隣人ではない。定年退職した元警察官をこの山奥に監禁し、解体し、跡形もなく焼き捨てたシリアルキラーだ。
そして今、あの鈴木夫婦も同じ目に遭わされようとしている。
「もう逃がさねえぞ、バケモノが」
田口の瞳に、刑事としての激しい怒りと執念の炎が宿る。
彼はすぐさまスマートフォンを取り出し、本庁の強行犯係へ直通のダイヤルを回そうと、凍える指で画面をタップした。
続く




