第23話 完璧な部屋と唯一のミス
山下が動かなくなってから一週間後、安達は清掃用のゴム手袋と解体用のノコギリを手に、地下室の重い扉を開いた。
死臭の立ち込める密室で、安達は淡々と「作業」を開始した。
山下の肉を裂き、骨を断つ鈍い音が冷たいコンクリートに反響する。だが、安達の手元は驚くほど清潔だった。
遺体から溢れ出した大量の血は、床全体に広がることはない。
『3度傾いた床』の恩恵で、血は意志を持つかのように一直線に流れ、部屋の隅にある排水溝へと淀みなく吸い込まれていった。
安達は、この部屋の異常な構造が、拷問だけでなく死体処理においてもこれ以上なく合理的であることに、深い悦びすら感じていた。
解体した肉塊を敷地内の大型焼却炉に放り込み、黒い灰に変える。
その後、地下室にホースで水を撒けば、傾いた床のおかげで汚水は瞬時に排水溝へ消え、血の一滴すら残らない。
遺体をバラバラに解体すれば、安達一人でも地下から1階の焼却炉までは簡単に運ぶことができる。
山下という人間はこの世から跡形もなく消え去った。完全犯罪だった。
――パチ……パチ……。
ノートパソコンから聞こえる乾いた音で、安達は回想から引き戻された。
画面の中では、あの日の山下と同じように、3度傾いた地下室で慎二と幸子が泥沼の口論を続けている。
安達は冷めたコーヒーを飲み干し、ふふ、と喉を鳴らした。
「山下さんは、もっと長く耐えましたよ。お二人は少々、根気がないようだ」
安達は確信していた。山下の時と同じだ。
死体さえ出なければ、あの老刑事も手出しはできない。
だが、安達は一つだけ忘れていた。山下の時はこの家で殺害したが、今回の夫婦は、自分の車で長野まで運んだのだということを。
同時刻。マンションの駐車場に、一台の古ぼけたセダンが停まった。
先ほどの年配の刑事、田口だった。
彼は車内でタバコを燻らせながら、安達の真っ白なBMWをじっと見つめていた。
「……夜中、か」
田口は安達の失言を反芻していた。
まだ失踪時刻を特定できていない段階での、あの不用意な一言。
山下の失踪時、安達に抱いた「得体の知れない違和感」が、確信に変わった瞬間だった。
田口は車を降り、BMWに近づいた。
令状はない。だが、持ち主の安達は部屋の中にいるはずだ。
田口は懐中電灯を取り出し、後部座席の窓ガラスに顔を寄せた。
ピカピカに磨き上げられたシート。
だが、背もたれと座面のわずかな隙間に、ライトの光が反射した。
「……見つけたぞ」
そこには、女性のものと思われる長い茶髪が数本、静かに横たわっていた。
夫婦は「警察から匿ってやる」という安達の優しい嘘を信じ、この座席で安堵の溜息を吐きながら運ばれていったのだ。
その安心が、皮肉にも唯一の証拠をここに残させた。
田口の口元に、冷たい笑みが浮かんだ。
「完璧主義者ってのは、自分の『表の顔』を信じすぎるのが弱点だな、安達さんよ」
老刑事の執念が、ついに怪物の尻尾を捉えた瞬間だった。
続く




